6-3 十年前の記憶
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― 亡者の徘徊する森で
薄暗い森の中、木々の隙間から、どこか異様な空気が流れ込む中、薬師のメルテは亡者の合間を縫うように移動していた。
だが、肌を刺すような異様な気配を感じ、慌てて木の上へとスルスルと幹をよじ登っていく。息を殺して様子をうかがう彼女は、来るときに視界の片隅に捉えた瘴気だまりの周りを徘徊する、巨大な影を見て呆然とする。
それは、彼女がこれまでの人生で一度も目にしたことのない、異形の巨人だった。
牛人族の頭骨が三つ並び、目は怪しく金色に輝き、ねじれた肩口からは腕も三対伸び、さらに恐ろしいことに、いたるところから人間の手が無秩序に生えていた……生物として間違っており、余りに醜悪なものを見て、メルテは今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動にかられていた。
(……あれは……幽鬼といわれるもの? あんなものが町に来たら……)
最悪の想像が頭をよぎり、メルテは恐怖に体を震わせた。
当初の予定では、彼女は数時間で町に戻れると踏んでいた。だが、進みゆく太陽の傾きを見て、時間の経過にじわじわと焦り始めていた。
夜になると亡者が活発に動き出すと聞いていた。今はゆっくりと歩いているあの巨体が、牙をむきながら走り出して追いかけてきたらと思うと……想像するだけで息が止まりそうだった。
心臓の鼓動がうるさいほどに鳴り響く中、彼女は一刻も早く目の前の怪物が立ち去ってくれることを願い続けていた。
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― 大きな橋が見える街道にて
街道を進む一行は馬の歩みを緩め、目の前に現れた巨大な建造物の手前で馬を止める。視界を遮るようにして架かるそれは、圧倒的な存在感を放っていた。
グウィンが隣のルディアの横に馬を寄せる。
「ここがかの有名な「双樹の架け橋」ですね」
目の前にある光景に目を輝かせているルディアを察し、グウィンが視線の先の建造物を解説する。
「凄いわね、こんなに長い橋を見たのは初めてだわ」
ルディアはどこまでも続くかのような橋の欄干を見て感動していた。
「ええ、それとあの対岸で対になっている大樹が観光名所だったようですよ。まぁ、今の荒れた治安では観光なんて言ってられませんがね……」
グウィンはどこか苦い表情で言葉を濁すと、橋のたもとの大樹に視線を向ける。そこには木柵に囲まれた宿場町があった。
「今日はあそこで宿を取りましょう。明日からは本格的な野営になるでしょうから英気を養っておかないとですね」
手綱を握り直し、周囲の木々に視線を走らせていたヴァルターが短く応じる。
「ああ、そうだな」
一同は頷きあい、ゆっくりと馬を進め宿場町へと近づいていく。
そこは、天高くそびえる特徴的な大樹と、歴史を感じさせる建造物が調和した幻想的な風景が広がっていた。しかし、その美しい街並みを眺めていたルディアの胸に、ふと奇妙な感覚が沸き上がる。
主の心のざわめきを察知したのか、愛馬のルーチェの歩みがにわかに遅くなる。
「……ここ、見覚えがあるわ……」
ぽつりと溢れたルディアの呟きに、隣にいたヴァルターが意外そうな視線を向ける。
「来たことが?」
「ええ、おそらく……私が思い出せる、一番昔の記憶ね……」
大樹の葉風に揺れる音を聞きながら、ルディアは遠い目で記憶の向こう側を見つめていた。その周りで精霊の光が彼女を照らすようにふわりと浮かんでいた。
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― 十年前
まだ太陽も昇り切らないほどの薄暗い早朝……
川のせせらぎが響く岸辺に、二人の男女がフードを目深にかぶりながら佇んでいた。先ほどからずっと、川の上流の方を見つめたまま動かないシルヴィを不思議に思ったジークが優しく問いかける。
「何を見ているんだ?」
「精霊の導きがあったのよねぇ……」
シルヴィの口から出た突飛な言葉にも、ジークは特に不思議がる様子も無く、慣れた調子で会話を続ける。
「……精霊の導き……どちらだ? 悪戯か、それとも災難の?」
「相変わらず悲観的ね……」
ジークはフードの隙間からあきれたような視線を向け、小さくため息をつく。
「こうも不幸に見舞われ続ければな……」
「……確かにそうね……良い方の導きと思いたいわね……」
そんなやり取りを交わしているうちに、空にゆっくりと朝日が昇り始める。光が水面を照らしたその時、上流から不自然な木の破片が流れてくる。何かの乗り物が破損した残骸のようだ。そして、その上に白い何かが……ぽつんと寄りかかるようにして乗っていた。
「なぁ、あれはなんだ?」
「え? 人? 死体かしら……血……怪我をしているわね……」
目を凝らすと、木の破片の上に乗り上げるように一人の幼児らしきものが、水面に揺られて流れてくる。すかさずシルヴィが魔力感知の魔術を走らせる。明確な生命反応を確認する。
「……生きている!!」
「お、おい、助けるのか? どう見てもトラブルの……」
ジークは制止の声をかけるが、それを無視してシルヴィは魔術を唱え始める。
「優しき風の申し子よ、我を大地の束縛から解き放ち、見えざる翼を与え給え……「虚空 浮遊」」
術が発動すると同時に、彼女は水面の上を普通の地面のように滑るように駆け抜け、流れてくる木材の上にもたれかかっている幼女をそっと抱き上げる。少女の服は赤黒い血で染まり、意識はあるものの、その瞳は焦点が定まっていない様に見えた。
「大丈夫かい!?」
「……あ、あ……」
幼女の小さな唇から、消え入りそうな吐息が漏れる。シルヴィは我が目を疑うほどの服の赤黒い汚れに息を呑んだ。
「なんてひどい怪我を!?」
シルヴィは幼女の体を確認する……尋常ではない出血量を見て、慌てて服の中を確認する。しかし、そこで彼女は奇妙な違和感に目を見張った。
「え? 傷口……傷口がない??」
「……女神……様……ここは天国かしら……」
うわ言のようにつぶやく少女にシルヴィは呆然としながらも、憔悴しきった少女の顔をやさしくなでた。それから愛おしそうに少女を抱きかかえ、自身のマントで包み、岸で待っていたジークの元に戻っていく。彼女達の周りを光り輝く精霊が幼い少女を心配するかのように浮遊していた。
「おい、大丈夫なのか? 精霊がこんなに……」
「ええ、なぜか傷口がないの……こんなに血が付いているのに……」
「奇跡の様だな……これが導きなのか?」
「光の神エルテナ様に感謝ね……」
二人の会話をよそに、幼女は虚ろな目で朝焼けを見つめていた。その視界の端に、雄大な大樹のシルエットが映る。
「……大きな木……」
「そうね……ジーク、宿に戻りましょう。体を洗ってあげたいわ」
「……災難を呼ばなければいいが……」
「ジーク?」
「わかった……」
ジークとシルヴィの会話に幼女は安心したのか、虚ろな目を閉じ、ゆっくりと意識を手放していた。
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懐かしむように昔話を紡ぐルディアを、ヴァルターは穏やかな眼差しで見つめていた。時折語られる彼女の過去の話は浮世離れしており、彼には理解しきれない時が多かった。
「そうか、君は……拾われたのか……」
「ええ、私の記憶があるのはここから……」
ヴァルターは、これまで彼女が落としていった断片的な情報を頭の中でつなぎ合わせていった。ルディアの時折見せるちぐはぐな行動や、偏った知識の原因がそこにあるのだと、ようやく腑に落ちた。
「……それ以前の記憶はないのか?」
「精神的に不安定だったらしくて……シルヴィが幼い時の記憶を封印した……そう言っていたわ」
「……なるほど……魔女とは何でもありだな……」
ヴァルターは呆れたように息を吐く。それからもルディアの昔話は途切れることなく続いていた……風変わりな魔女であり義母であるシルヴィの話、狩人の師匠で義父であるジークの話……里に住み始めたころ……彼女の記憶をなぞるように歩みを進めているうちに一行は活気のある宿場町に辿り着いていた。
馬房に馬を預けた三人は、年季の入った宿の扉をくぐり、受付のカウンターへと向かう。帳簿をめくっていた宿の主人が顔を上げて愛想笑いを浮かべる。
「空きはあるよ。三人か、大部屋か、個室かい?」
「大部屋でいいわ。安いんでしょう?」
まったく迷いのないルディアの返答に、それまで黙って後ろに控えていたグウィンが目を丸くして狼狽える。
「……え? いいんですか? 私は別でいいんですが……」
ヴァルターは慌てるグウィンを一瞥すると、ため息をつきながらルディアに向き直る。
「ルディアが良いと言うなら良い……だがな、ルディア、普通男女くらいは別にとるものだ」
苦言を呈するヴァルターに対し、ルディアは不可解そうに首を傾け、困惑した目を向ける。
「え? 今までいつも同じ部屋だったじゃない?」
「!」
直球すぎる物言いに、ヴァルターは言葉を詰まらせ、グウィンは動揺して二人を見比べていた。沈黙の後、ヴァルターはあきらめたように額を押さえる。
「……わかった。好きなようにしろ……だが、いいか、普通は男とは一緒に寝ないんだ。わかったな?」
「……わかったわ……そういうものなのね、人間は……」
納得したか、していないのか分からないが、ルディアは空気を察し、神妙にうなずいた。
その様子を傍らで見ていたグウィンは、当初はてっきり二人は恋人関係だと思いこんでいたが、あまりに嚙み合わないやり取りが続き違和感を覚え始めていた。今のやり取りで、完全におかしいことに気が付いた。
「……どうやら複雑な関係だったようですね……」
「放っておけ……育ちの問題だ」
「……育ちの……」
グウィンは顎に手を当て、これまでの道中におけるルディアの振る舞いを思い返していた。確かに洗練された令嬢の雰囲気はある。しかし、その反面、どこか獣人族特有の、飾らないざっくばらんとした、悪く言えば飾り気のない粗野な空気もある……
人間でありながら、人間の常識から遠く離れた場所にいる……グウィンの目には、彼女がひどく不思議な存在に映り始めていた。
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― 宿屋の食堂で……
騒がしい宿の食堂での食事も終える頃には、グウィンの周囲には自然と人が集まり始めていた。彼の持ち前の美貌と、携えた立派なリュートを目にすれば、これから何かが始まりそうなのは一目瞭然だった。集まった者たちは、彼が紡ぐ詩に期待する目を向けていた。
「仕方がありませんね……」
歌うつもりのなかったグウィンは、困ったように眉を下げながらも愛用の楽器を構え、流れるような手つきで弦を爪弾いた。抑揚があり、朗々とした彼の美しい歌声が酒場の喧騒を塗り替えていく……
『紫煙の瘴気と骸の軍勢が大地を覆い
世界の灯が消えゆくその時
神の火を背負いて立ちし「白銀の竜」
集え誓いの旗のもと~絆を分かち「竜の騎士」と成りて進め~
腐王を奈落へ退け、凱旋の鐘は高らかに鳴る
待つは若き王子の忌むべき謀略
愛しき騎士は 刃に倒れ 、魂は星へと還る
竜の怒りは天をも焦がし
不義なる国に裁きの雷の雨
一夜に消え去る愚者の都……歴史の塵へと消え去りぬ
悲しみを抱き遺志を継ぎ
世界を癒やす奇跡の旅路へ
すべてを終え、神に祈りて民に見守られ天へと還る
残されし戦士は各地に散りて「白銀の予言」を紡ぐ
世界が乱れ闇が満ちるとき「白銀の竜」はまた舞い降りる』
最後の残響が消えると同時に、わっと歓声が上がった。獣人の血が混じった人種からは惜しみない拍手が起きていた。その一方、純粋な人間の血を分けた者たちは呆然としていた。歌詞の内容が「理解できなかった」ようだった。
その対照的な反応を予想していたのか、グウィンはしたり顔で拍手に答え、手際よくリュートをしまい始めた。
呆然としている人間の一人だったヴァルターは、思考を巡らせながら、席に帰ってくるグウィンに思わず問いかける。
「……今の詩は聞いたことがないのだが……」
「ええ、そうでしょうね。今は無きヴァリアス共和国に伝わる詩でしたから」
「瘴気に沈んだ国か……皮肉な詩だな……」
「ええ、「白銀の竜」は現れる事も無く瘴気で国が滅んだ……悲しい話ですね」
切なげに微笑むグウィンとは対照的に、ルディアは純粋に感動した様子で目を輝かせていた。
「すごいのね、綺麗な歌声だったわ。色好きなだけじゃなかったのね!」
「あ、ありがとうございます。ルディア嬢……」
手放しの絶賛を受けながらも、後半の余計な一言に苦笑いを浮かべたグウィンは思わず非難の視線をヴァルターに向ける。
「……俺だけじゃない……ボルロードもだ」
ヴァルターがその評価は適正と言わんばかりの態度に対し、彼は肩をすくめる自虐的に笑った。
「ふっ……まぁ、いいでしょう」
ヴァルターは改めて酒場を見回すと、周囲の状況も自分たちのテーブルと同じようなことになっていた。聞いた事も無い異国の伝承の詩に、あちこちの席で議論が盛んになっているようだった。彼は視線を戻し、思考を口に漏らす。
「国が違えば伝承が変わるのだろうか……」
丁寧に楽器を吹いていたグウィンは手を止めずに答える。
「そうでしょうね。敵になれば相手の英雄は悪魔になりますからねぇ……」
「……なるほどな……」
聖教王国では「白銀の化け物」……すなわち「伝説の悪魔」と呼ばれる存在が、滅びた共和国では英雄扱いされている。その事実に、ヴァルターは密かに戦慄していた。
今までのルディアに対する「獣王国」や「帝国人」の扱いを見る限りでは、公に出自を隠しているグウィンという男……素性が不確かな男にルディアの「変異」を見せるのは非常にまずいのではないかと心配し始めていた。
ヴァルターの胸中に静かな焦燥が広がり始めていた。彼は冷徹に、最悪の選択肢を思考の隅にのぼらせていた。
(……「言葉を縛る魔術」を無理やりかけるしかないかもしれんな……)
彼の視線の先には、歌をほめたたえられ、祝杯をあげる優男の姿があった。




