6-2 忍び寄る影と初めての乗馬
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― 亡者の徘徊する森で
うっそうと生い茂る木々が陽光を遮る薄暗い森の中、薬師のメルテは不意に妙な気配を察知して足を止めた。普段の野生の動物の足音とは明らかに違う「動く物」の気配を感じ、近くの岩の上に登り慎重にのぞき込む。
(……あれはなに? 亡者? 多いわね……)
視線の先には、虚ろな目をした亡者の群れが彷徨っていた。その圧倒的な数の多さに、心臓が激しく脈打つ。口元を両手で覆い、必死で息を殺す。
(大丈夫……気づかれていない……早く集めて帰らないと)
息をひそめてやり過ごそうとしたとき、森の切れ目に、肌を刺すような異様な空気を感じる。
(なにこれ? 嫌な感じ?)
背筋に冷たいなにかが走った気がした。吸い寄せられるように視線を向けると、そこには光を呑み込むような黒い渦があった。禍々しい黒い瘴気が渦を巻いて収束し……その中心から、新たな亡者が生まれ落ちていた。
(亡者が生まれるって、こういうことだったのね……あれが瘴気だまりってやつよね……町も飲み込まれてしまうのかしら……)
恐るべき光景を前に、メルテの背中に冷や汗が伝う。これ以上ここに留まるのは危険と本能が告げる。彼女は足音を立てぬように、その場から逃げるように走り去る。
木々の間を必死にすり抜けた先で、ようやく視界が開ける。目に飛び込んできたのは、お目当ての貴重な薬草の群生地だった。
(よかった。ここに瘴気が発生してたら終わりだったわね……)
無事だったことに安堵の息を漏らす。しかし、亡者の接近を恐れ、周囲を警戒しながら手早く薬草を摘み取って背負い袋へと納める。亡者の接近がないことを確認すると、怯えを振り払うように足早にその場を去っていった。
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― バルハワの馬貸屋にて
翌日の早朝、まだ空が白み始める前、街の片隅にある貸し馬屋の前に、ヴァルターとルディアの二人は立っていた。
ただ、ルディアは不思議そうな顔をしながら、隣に立つヴァルターを覗き見るようにして問いかけた。
「走った方が早いわよね? 彼は強いのよね?」
「あ、いや、獣人は走るかもしれんが……普通の人は……この距離は馬だな。常識的に考えて」
「そうなの。人間は弱いのね……」
「……」
ヴァルターは、たとえ荷物を背負っていない獣人でも飛脚レベルでないと走り切れないだろうに……とは思っていたが、言わずに喉元で踏みとどまっていた。彼女の常識が、世間一般はもちろん、野生児たる「獣人」の基準からすら、かなりズレていることは嫌というほど認識していた。
そこへ、少し遅れて黒耳長族のグウィンが足音も立てずに馬房にやってくる。
「早いですね。さすが白金級は違いますねぇ……」
「何がだ?」
「この前の討伐者補佐官の試験の時は、遅刻する上に、「乗合馬車」での移動でしたからねぇ……まぁ、久々の新人扱いも面白かったですが」
「ああ、そういうことか……」
「支部長からの心もとないお小遣いもありましたしね。今回は馬での移動で心が軽いですね」
グウィンが肩をすくめて冗談めかすと、奥から犬人族の馬丁が、数頭の馬を引き連れて出てくる。
「おう、お前さんらか、ん? 嬢ちゃんは初顔か?」
「ええ、初めまして。ルディアよ。よろしくね」
「おお、これは丁寧に、この厩舎を担当してるボバーだ。あ、あれ?」
挨拶を返しながら、ボバーが馬を引き連れようと手綱を引いた。しかし、その馬たちは突如として短い悲鳴を上げ、後ずさりをしながら耳をぴったりと後ろに伏せてしまった。
「どうしたんだ? 珍しいな。人馴れした子を選んだんだが……」
ボバーが首を傾げる。ヴァルターはその様子を見て、密かに冷や汗をかいていた。
(……本能的にルディアを恐れているのか? もしかして俺も恐れられているのか?)
ヴァルターが確認のためにゆっくりと馬に近づく。馬の怯えたような視線はルディアに釘付けだった。
「うーん、人見知りはしない馬だったんだかな……」
「ルディア。試しに馬の前にゆっくり移動してみろ。威嚇はするなよ?」
「え? ええ、わかったわ」
促されたルディアが数歩近づくと、馬は首をひきつらせながら、誰も乗せたくないと全身で拒否するように後ずさりしていく。
「えっと?」
「めずらしいこともあるもんだなぁ。嬢ちゃん、もしかして物の怪か? そうは見えんが……馬が嫌がる臭いもせんしなぁ……」
素朴なボバーの言葉にヴァルターが硬直し、ルディアが不満げに眉を潜めて、憮然とした表情を浮かべた。
そんな険悪になりかけた空気を察してか、グウィンが流れるような仕草で奥の馬房を指し示した。
「あちらの馬はどうでしょう? 恐れを抱いているように見えませんが?」
「……ああ、あれは……なんつうか。プライドが高くてよ。乗りこなした人だけを乗せる馬なんだよなぁ……お前さんならいけるかもしれんが……暴れ馬ってやつだぞ? いいんか?」
ボバーの警告に、ルディアが興味深そうに視線を向けた。
「乗りこなすって、どうやればいいの?」
「そりゃ、乗ればいいんだ」
ボバーの説明不足に気が付き、ヴァルターがめんどくさそうな表情を浮かべながら答える。
「……またがって後ろに乗ればいいのか? 俺もわからん」
「振り落とされるかと思いますが……体格のいい馬ですし」
グウィンがルディアのしなやかで細い腕と足を見やり、本当に大丈夫かと心配そうな視線を送る。
「ちょっとやってみるわ」
「嬢ちゃん、まじか?」
「お嬢さん、おやめなさい。最悪、馬車でもいいのですよ?」
グウィンの言葉に、ルディアは先日乗った、あの商人の豪華な馬車のことを思い出す。座り心地はよい座席だったが、遅々として進まない速度と、窓から見える変わり映えのしない景色を見てうんざりしていた記憶しかなかった。
「……馬車は遅いから嫌なのよね……」
「はぁ、まぁ、やるだけやってみるかぁ、怪我してもしらんからなぁ? いいんか?」
ボバーは、ルディアの保護者役のヴァルターに困惑の視線を向ける。だが、意外にもあっさりと許可が下り、驚きを隠せなかった。
「ほんとうに知らないぞ。それじゃこっちへ……」
馬丁たちが慎重な手つきでその馬を馬房から連れ出した。
現れたのは、白色で美しい毛並みの、強靭な筋肉を持つ素晴らしい馬だった。まるで絵画にでも出てくるような体つきをしてた。
「いい馬だな」
「本当に……魔獣のようです」
「そうね……少し魔が混じっている感じがするわ」
三人がそれぞれの感想を漏らす中、その白馬はルディアが近づいても驚き、恐れる様子はなかった。ただ、耳がくるくると回り、明らかにその大きな身体を緊張で硬直させていた。
すると、ルディアが白馬の背中にそっと手をつき、羽毛のようにひょいと飛び上がり身体を浮かせ、軽々とその背中へとまたがってみせた。
「こうかしら?」
「え? 嬢ちゃん、馬具つけないと? って、すごいな、飛び乗った……軽業師だったのか?」
ボバーはあまりの曲芸っぷりに目を見張っていた。
白馬はルディアを乗せた後、首を大きく傾け、振り返るようにしてルディアをみつめる。そのつぶらな瞳からはすっと警戒の色が解け、まるで穏やかで慈愛に満ちた光を宿したようだった。やがて何か馬がつぶやくかのように小さく嘶く。
「……そう、あなた、ルーチェって言うの。綺麗な名前なのね……」
ボバーは馬具を両手に抱えたまま、完全に呆然として立ち尽くしていた。
「あれ? 暴れない? ってか、なんで前の馬主のつけた名前を?」
グウィンもまた、その神秘的な光景に興味深そうな顔をしてルディアに問いかける。
「お嬢さん、もしかしてあなたは言葉がわかるのですか?」
「ええ、言葉……と言うより伝えたいことを感じるの、この子、魔力が強いみたい」
グウィンが感心したように顎を手に当てる。
「魔力……森耳長族のようなことをするのですね……」
ボバーは肩をすくめ、新たに運ばれてきた馬の手綱を握りながらヴァルターを見る。
「振り落とされると思ったが…すごい嬢ちゃんだったんだなぁ……興奮しとらんぞ?」
「ああ、そうだな……」
ヴァルターが複雑な面もちで頷くと、グウィンがにこやかにほほ笑む。
「これだと、簡単に亡者の群れを二十匹の討伐はできそうですね」
「なんだと? 亡者だと? ここの馬は逃げるぞ? 大丈夫なのか?」
ボバーが血相を変えて叫ぶが、ヴァルターは冷静だった。
「近づいたら降りる。乗りながらの戦闘は無理だな……」
「対亡者用の軍馬は値が張りますからねぇ」
男達が現実的なやり取りを交わしている間に、ルディアは馬具をつけない素乗りの状態のまま、厩舎の広い中庭を駆け回っていた。とても楽しそうに、しかも白馬は嬉しそうに全力で風に乗るかのように自慢の脚力で疾走していた。
「すごいですね、馬具もつけずに……初めて乗るんですよね? 素晴らしい運動神経……まるで騎馬の民のようだ……」
「なぁ、ヴァルター。戻ってきたら彼女を騎手にしたらどうだ? 儲かるぞ?」
修羅場をくぐり抜けてきた三人の熟練者は、言葉を失い、食い入るようにルディアと白馬の疾走を見つめていた。
「……考えておく」
ヴァルターは短く答えた。もしこの世界が、平和な世の中……魔獣や亡者……戦争が無かったら……それも悪くない選択肢だったのだろうと胸の中で思っていた。
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