5-9 商業都市バルハワの日常
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ー 翌日……
日差しが天高くから降り注ぎ、商業都市バルハワはいつもと変わらぬ活気に包まれていた。石畳を叩く馬車の音や商人たちの威勢の良い声が響き渡り、表向きには平穏が戻ったかのように見える。
宿の一階にある騒がしい食事処。ヴァルターは使い古された普段着に身を包み、喧騒に紛れてエールのグラスを傾けていた。聞くともなしに彼の耳は周囲の雑談を敏感に拾い上げていた。情報を探ろうと躍起になる必要はなかった。至る所で、昨夜起きた「珍事」の話題が、尾ひれを付けて飛び交っていたからだ。
「なんでも、昨日の深夜に神殿に神が降臨したそうよ? 神々しい光の柱があがったとか?」
「ほんとかよ。何のご加護もないようだけど? 腰は痛いままだぜ?」
「デグライア教の神殿らしいから……」
「なんだよ、エルテナ教じゃないのか? 俺ら獣人にはご利益が無いじゃないか」
間近で見ていたヴァルターも目が眩むほどの光の柱、聖魔術だった。噂を引き続き聞くが、光の柱が立ち昇ったとか、貧民街の獣人が四方に走っていったとか、今は、この街の憲兵の勢力が二分していがみ合いながら神殿を封鎖していたとのことだった。
ヴァルターがおおよその動向を掴み、席を立とうとした、その時。背後の席に、気配を殺した一人の人物が音もなく腰を下ろした。フードを深く被っており、その顔は窺い知れない。
「そのまま座っててください」
低く、抑揚のない声がヴァルターの背中に届く。彼は動きを止め、グラスを持ったまま問い返した。
「……なんの用だ?」
「定期連絡もせずに……どこに行っておられたのだ?」
ヴァルターは口ぶりからいつもの「聖教王国」の間者だと判断した。
「ああ、忘れていた……何せ任務失敗から命からがらやっとここに辿り着いたばかりだからな」
「……どこも怪我をしている様には見えませんが? 美しい女性の連れを自慢していたと聞いていますが?」
ヴァルターは内心で「討伐者組合の連中め、口の軽い……」と毒づきながらも、表情一つ変えずに冷静に切り返した。
「生存報告さえすればいいのか?」
「いえ、例の……依頼主からは「「隠里」の情報を知りたいわ」との事です。カルバル殿も死んだのでしょう?」
間者の問いは、探るような気を帯びていた。
「……ああ、残念ながらな。捜索した里には「人はいなかった」だな」
「……そんな馬鹿な……」
「幽鬼にやられた。文字通りの全滅だよ、人だけがいなくなった廃墟だった」
「……なんと……それで「魔女の死体」の発見は……」
「なかった。だな。既に埋められていたのかもしれない。何もなかったんだ」
「……また振り出しに戻ってしまったか……」
フードの奥で、間者が苦々しく舌打ちをする気配がした。ヴァルターは確信していた。依頼主……王国の高官か、あるいはそれ以上の存在が、この「隠里」で探しているのは単なる魔女の生死ではない。もっと別の、根源的な「探し物」があるはずだ。
「……また連絡します。定期報告は忘れずに」
「しばらくこの拠点から動くことになるが……」
「討伐者組合に言伝を。飛脚を使ってください。着払いでここの町に」
「……わかった」
返事を聞くと同時に、背後の気配が霧のように消えた。
ヴァルターは残ったエールを一気に飲み干すと、神殿の方向を一度だけ見やり、重い足取りで喧騒の中へと踏み出した。
ヴァルターは己の貸し切り部屋へと戻り、ベッドで泥のように眠り続けているルディアの寝顔を静かに見下ろした。
顕現していた禍々しくも神々しい竜の兆しは消え、その姿は一見すればか弱き人間に戻っている。ただ、あの膨大な魔力行使の名残か、漆黒だった髪の一部は元の色に戻りきらず、月光を反射するような白銀のメッシュとなって混じっていた。
普段、彼女が目を覚ましている時は、その美しさや、時折覗かせる底知れぬ威圧感に圧され、こうしてまじまじと顔を眺めることなどなかった。ヴァルターは椅子を引き寄せ、無防備なその横顔をじっと見つめる。
(アルヴィが……もし、無事に大人になっていたとしたら、こんな感じだったのかもしれないな……)
脳裏をよぎるのは、かつての親同士が決めた婚約者……聖魔術の幼き使い手であったアルヴィの面影だ。いつも陽光のような微笑みを絶やさず、周囲を慈しむような優しさに満ちていた少女。
(……記憶にある彼女と、ルディアの性格は、似ても似つかないが。しかし、これほどの聖魔術を操りながら「魔女」と呼ばれ、追われるとは。皮肉なものだな)
ルディアはシルヴィに「魔術」を教わったと言っていたことから「魔女」は聖魔術の使い手なのではと推測していた。そうすると「依頼主」の目的は「魔女」ではなく、聖魔術の使い手……ヴァルターの中で、疑念は確信へと変わりつつあった。
やがて、長い睫毛が微かに震え、ルディアがゆっくりと瞼を持ち上げていく。その瞳が、至近距離にいるヴァルターを捉えた。
「あら? おはよう……見守っててくれたの?」
「そんなところだ。どうだ? 調子は?」
ヴァルターは照れ隠しのように視線を外すと、ぶっきらぼうに問いかけた。ルディアは小さく身じろぎし、重い体を起こしていく。
「大分いいみたいね……」
「あれほどの大魔術だ。負担は強かっただろう?」
「そうね。正直、私自身もあそこまでの力を使うとは思っていなかったから……術を構成する瞬間に、根こそぎ魔力を持っていかれたわ」
そう語るルディアの表情は、どこか憑き物が落ちたように晴れやかだった。彼女はゆっくりと立ち上がると、木枠の窓際まで歩み寄り、外の景色を眺めた。視線の先、小高い丘の上には、昨夜の惨劇の舞台となった神殿が静かに佇んでいる。
「街を覆っていた悪い流れが、全部消え去っているわね。空気がとても澄んでいる。やっぱりあの神殿……神殿長が、諸悪の根源だったようね」
「……ああ、そうだな」
「ここまで運んでくれたのね。ありがとう」
「……どういたしまして」
ルディアが向けた柔らかな微笑に、ヴァルターは気恥ずかしさに耐えかねて再び目をそらした。そんな彼の気まずさを察してか、彼女は弾んだ声で話題を切り替える。
「あ、そうだ。買い物に行きましょう!」
「え? 大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。回復力はすごいんですから」
二人は珍しく旅の武装を解き、街に馴染む普段着に着替えた。護身用の最低限の得物だけを隠し持ち、連れ立ってバルハワの市へと繰り出す。
街の空気は一変していた。重苦しい停滞感が消え、人々の顔には活気が戻っている。ただ、神殿へと続く大通りだけは未だに騒がしく、各国の紋章をつけた兵士たちが、険しい表情で封鎖の警戒にあたっていた。
人混みの中、ふとルディアが足を止めた。その視線の先には、見覚えのある鼠人族の兄弟が、元気そうな大人の背中を追いながら買い出しに勤しむ姿があった。
「……あの子達、大丈夫だったようね」
「ああ、タフなやつらだな」
ヴァルターの軽口にルディアは小さく笑い、それから二人は装備の新調へと向かった。
ルディアの皮鎧などの装備の新調と、雑貨屋の店先でふと目に留まった潜入用の仮面を手に取る。それはヴァルターが持っているものと対になるような、どこか愛嬌のある鬼狐のお面だった。
用件を済ませ、夕飯を腹に収める頃になると、ルディアが急激に襲ってきた睡魔に抗えず「異常に眠いわ……」と零したため、二人は早々に宿へと引き上げた。
一階の酒場は夕食どきの混雑で賑わっており、女将が忙しそうに料理の皿を運んでいる。
「あ、女将、彼女に部屋を……」
「嫌よ」
即答だった。
「あらあら、ごゆっくり……」
女将は含み笑いを浮かべながら、気を利かせたつもりか足早に厨房へと去っていく。店員たちもそれに倣い、露骨にヴァルターたちと視線を合わせないように自分の仕事に没頭し始めた。
完全に誤解された格好のヴァルターは、抗弁する相手もおらず、致し方なく彼女の肩を抱えて部屋へと案内した。
今にも眠りに落ちそうな彼女をベッドに横たえ、ヴァルターは一息つこうとした。騒動の残火が燻る夜の街に一人で繰り出し、さらに情報を集め、ついでに溜まっていた鬱憤を晴らそうとした。だが、背を向けようとした瞬間、不意に足を強く絡めとられ、抗う暇もなくベッドへと引きずり込まれた。
「……精霊が言うの、一人で外に出すなって」
「な、なんだと??」
ルディアの脚が、ヴァルターの足をがっしりとホールドして離さない。
「危険なのよ……多分……おやすみなさい」
「え?……」
困惑するヴァルターの視界に、ぼんやりとした光の粒が浮かび上がった。それは神聖な輝きを放つ精霊だった。彼らは二人の周りを気ままに漂いながら、まるでヴァルターの狼狽を面白がっているように「くすくす」という笑い声を響かせていた。
(声が……聞こえるだと? 俺に?)
霊的なものを見る力など無いはずの右目が、宙を舞う光の玉を確かに追っていた。やがて、ルディアの規則正しい寝息が聞こえ始める。すやすやと眠る彼女の傍らで、ヴァルターは体半分を完全に封じられ、身動きが取れなくなった。
腕に絡みつく彼女の体温と、安心しきった寝顔。普段着越しに伝わってくる、女性特有の柔らかくしなやかな感触が、ダイレクトに彼の感覚を刺激する。
「……これじゃ、生殺しだ」
逃げ出す気力さえも吸い取られたヴァルターは、しばらくの間、猛烈な煩悩と格闘することになった。しかし、昨夜から続く疲労には勝てず、やがて彼女の温もりに包まれたまま、深い眠りへと落ちていった。
§ § § § § §
― 国境の開拓村に至る道で……
犬人族の少年ルプスは、その小柄な体に似合わぬ力強さで槍を構え、村人たちに襲い掛かってくる亡者へと肉薄した。迷いのない踏み込みから放たれた一突きが、亡者を貫く。亡者が苦悶の声を漏らした瞬間、後方に控えていた兵士たちの槍が追い打ちをかけるように突き刺さり、瘴気の煙へと還っていく。
「ルプス! 出すぎるな、下がれ!」
「大丈夫です! これくらい、なんてことありませんっ!!」
背後からの制止を撥ねのけ、ルプスは次なる獲物へと視線を走らせる。その瞳には、ルディアから授かった紅の輝きが宿っていた。その身体能力はもはや大人顔負けの域に達している。ルプスは兵士や村の志願兵たちに混ざり、誰よりも積極的にその槍を振るっていた。
「はぁあああっ!」
その傍らで白黒猫娘のフィデラは亡者の群れを打ち払い、群がる亡者どもを容赦なく切り刻み、現世に留まる未練ごと「幽世」へと送り返していく。その鮮やかな戦いぶりに、周囲の兵士たちが感嘆の声を上げた。
「凄いお姉さん!! ルディア様みたい!」
「助かります!! フィデラ様! カッコイイ!!」
「……えへへ……そうでしょうか……」
褒められ慣れていないフィデラは照れながらも、足元の草で剣に付着した亡者の体液を拭きとっていく。彼女は「ルディア様みたい」と言われて上機嫌だったが、ふと、主で彼女本来の戦闘スタイルを思い出していた。
(……ルディア様が、前線で剣を?)
彼女は俗にいう「精霊使い・弓使い」と言われるスタイルのはずだった。彼女達と同行したという話をしていたルプスとリィリィの方に歩み寄る。
「そういえば、ルディア様はどのようにして戦われていたのですか?」
その問いに、ルプスとリィリィが声を弾ませて答える。
「え? 剣を持って凄い勢いで鷲獅子の兵士をバッタバッタと切り裂いていました。本当に見えないくらいで」
「凄いんですよ! 幽鬼にも亡者にも臆することなく切り込んでいって! その上、いろんな魔法まで使えるんです!」
「……ご活躍の様で良かったです……」
目を輝かせて語る二人の言葉に、嘘はないだろう。だが、フィデラの胸中には拭いきれない違和感が渦巻いていた。
(……おかしいですね、彼女が兵士を切り殺したのですか? ありえないですが……)
フィデラは二人に疑問をぶつける。
「ルディア様は「弓」を使っていなかったのですか?」
「弓? 背負ってはいたけど……」
「全部剣で切り殺してたよね」
「だなぁ、ヴァルターと一緒に、もう凄いんですよ、動くたびにバッタバッタと!」
(……どういう心境の変化でしょうか? 剣の修行からは逃げていたと思うのですが……それに兵士を殺すなんて……話せる、会話が成立する相手なら、決して手にかけようとはしない方だったはずですが……)
彼女は疑問を抱きつつも、危なっかしい移民団の護衛を続け、ようやく国境の開拓村へと辿り着いた。
「あ、見えましたね、あそこです」
「おお!!」
前方に見えてきた集落の姿に、移民たちはようやく安堵の吐息を漏らした。
「あれが、開拓村……大きいわね」
「しっかりとした壁だな。これなら大丈夫だろう……」
沸き立つ村人たちとは対照的に、ルプスの表情は険しく歪んでいた。ルディアから授かった「幽世を見通す瞳」が、ただならぬ気配を察知していたのだ。
「フィデラ!! ねぇ、あなたも見えるでしょ? 大丈夫なの?」
「え、ええ、見えますね……私がここを通った時はいなかったんですが……」
フィデラの視線の先……開拓村を包囲するように、不浄な怨霊が渦巻いていた。普通の人間が関われば正気を失いかねないほどだった。
(これは……。合流できるのは、一体いつになるのでしょうか。ジーク様が上手く動いてくださっていると良いのですが……)
ようやく一息つき、ルディアを追えるかと思った矢先、またも過酷な仕事が続くことが確定し、フィデラは目の前が暗くなるような眩暈を覚えるのだった。
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