5-5 神殿の地下でうごめく闇
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― デグライア教の神殿の地下にて
湿り気を帯びた石造りの廊下で、鼠人族の半獣人、ナックモルは影に潜んでいた。彼は忍び寄り、守衛を背後から組みついて打倒し、腕を相手の首に回し、絡めて締め上げて気絶させた。素早い手つきで守衛の持ち物をあさり、錠前を奪う。それと武器になる短刀をベルトごと奪い、自分の腰に素早く固定する。落ちていた警棒と鞭を手に取るが、鞭は意味がないと悟り投げ捨てる。
彼は鼠人族の同胞が家畜のように収容されている牢獄へと行き、息を潜め、音を立てぬよう慎重に牢を開ける。突然の金属の擦れる音に最初は警戒していた仲間も、ナックモルだと言う事に気が付き、喜びの表情へと変わっていく。
「ラディック……テッタ……大丈夫か?」
「ナックおじさん!」
「静かに……ラディック、大分やられたな……」
ナックモルは痛々しく横たわる青年の体を支えた。
「うん、鞭で大分打たれた……」
「でも、通りすがりの救済者様が助けてくださったの!」
「……救済者様?」
少女、テッタの言葉にナックモルは眉をひそめた。
「ああ、紅の瞳の女の人……凄い強かった」
「御伽噺に出てくる英雄みたいだったわ!」
「しっ……静かに……周囲に気配がある」
ナックモルは話半分に聞きながら、神経を周囲に張り巡らせた。彼は牢獄で「資材」の世話をしていたので、見張りの配置などは完壁に把握していた。しかし、今はいつもと勝手が違うようだった。
(見張りが少ない……何が起きている? 配備が違うのか?)
肌を撫でる空気の違和感に、背筋に冷たいものが走る。警戒しながら二人を連れて逃げ出すが、巡回パターンは頭に叩き込んでいるはずだった、そこにいるはずのない場所で守衛とばったりと鉢合わせをしてしまう。
「ん? なんだお前らは? 縄……巻いてない……あっ! 逃げ出したのかっ!?」
「ちっ!」
即座にナックモルは奪った短刀と警棒を駆使し、守衛の行動を封じ、喉を掻き切る。簡単に打ち倒せるはずだったが思った以上に手間取っていた。満足な食事も与えられぬ奴隷同然の地下暮らしが、彼の肉体から確実に体力を奪っていた。
(くっ……不意打ちですらこれとは……私はこの子たちを守れるのだろうか……)
それでも、守衛が少ない中、二人を引き連れて迷路のような地下牢を縫うようにして移動をする。突然、壁や床の質感が磨かれた上品なものへと変わる。どうやら目的地の神殿への入り口付近にたどり着いたようだった。ここからならば、神殿の本殿の中を突っ切り、自由な外の世界はすぐそこにあった。
希望を胸に脱出をしようと重厚な扉へと足を進める。だが、その指先が扉に触れるよりも早く、事態は暗転した。
唐突に扉が内側から跳ね飛ばされるように開け放たれ、一人の男が立ちはだかった。そこにいたのは、贅肉のついた身体を法衣で包んだ男……この神殿長だった。
「誰ですか? こんな夜更けに……」
穏やかな口調だった。しかし、ナックモルの鼠の本能が激しく警鐘を鳴らす。神殿長から放たれる異様な威圧感に圧され、思わず足が後ろへと下がる。男の目は濁りきり、まるで生きたまま腐敗しているかのような、得体の知れない不気味さを湛えていた。
「ふむ……あなた、見たことのない顔ですね。ふむ……なるほど。同族を……仲間を救出しに来た……そんな感じでしょうか? いけませんねぇ……」
神殿長の瞳が、獲物を定める爬虫類のように金色の光を宿して輝き、得体のしれない気配を纏い始める。ナックモルは「危機」を感じすぐさま逃げようとするが、突然背後から剛力で組み伏せられる。「異形」なまでに体格の良くなった「僧兵」に羽交い絞めにされて拘束されてしまう。
(!! なにっ!! いつの間に!)
「きゃっ!!」
「なっ!! 離せっ!!」
背後で幼い悲鳴が上がる。神殿長は羽交い絞めにされた鼠人族たちを一瞥すると、扉の向こうの暗がりに控えていた者たちへ合図を送った。そこにいたのは、焦点の合わない虚ろな瞳をした神官たちだ。
「お前たち、そいつらを拘束して祭壇に運びなさい」
神官たちは血の通わぬ人形のような足取りで近づくと、手慣れた手つきで太い縄を繰り出した。抵抗する間も与えず、三人を物言わぬ荷物のように無機質に縛り上げていく。
自由を奪われながらも、ナックモルは諦めてはいなかった。脂汗を流しながら、必死にこの絶望を覆す手段を探す。靴の底に密かに仕込んだ隠しナイフ……まだ発覚していないその一点に、彼は一縷の望みを託した。
「お、おじさん……僕たちどうなっちゃうの?」
「くっ……」
震える子供の声に答えようとしたナックモルは、自分を拘束している「モノ」の放つ異様な臭気と、尋常ならざる体温の低さに気づき、戦慄した。
見れば、いつの間にか彼らの周囲には、法衣を纏った異形たちが群れをなして集まっている。ナックモルは、すぐ隣に立つ「者」のフードの奥を覗き込み、言葉を失った。
そこにいたのは「人」ではなかった。もはや脱出という希望が潰えたことを悟り、彼は背後に囚われた幼い二人に対し、救い出せなかった悔恨と申し訳なさで胸を締め付けられていた。
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ー デグライア教の神殿を望む、塔の屋根にて……
夜も更け、歓楽街の明かりも消え、天上に掛かる月のみがバルハワの町を青白く浮かび上がらせていた。
ルディアとヴァルターの二人は、街を一望できる巨大な見張り塔を備えた建物の屋上に身を潜めていた。眼下には、要塞のごとき威容を誇るデグライア教の神殿が異様な気配を出しながら存在していた。
「神殿って、こんなに大きいものなの? 小さな村ほどもあるわ!? 都会の屋敷はどこもそうなの?」
ルディアは、今までの常識との違いに思わず声を漏らした。それに応えるヴァルターの声も、どこか重々しかった。彼はさすがに神殿相手に事を起こすとは思っておらず、心の準備ができていなかった。
「ああ、そうだな。聖職者たちが寝泊まりできる上に、生活ができる場所……それにこの貿易路の中央の神殿。まぁ、それなりの大きさになるな」
「……エルテナ教の教会は、どれもちょっと大きめの家くらいだったわ……」
「まぁ、都市でもない限りはそうだな……」
二人はいつもの対魔獣、亡者用装備と違い、夜の闇に溶け込む深い灰色の軽装に身を包み、口元はフェイスマスクで覆っている。潜入と暗殺に特化したその姿は、夜の住人そのものだった。ヴァルターもまた、使い慣れた大剣や槍を拠点に残し、取り回しの良い短剣と小剣を腰に帯びていた。
彼は左目を覆っていた眼帯を外し、幽世の住人の存在を確認できる紅の瞳を出して霊の動向を探っていた。神殿のいたるところから、濁った亡霊たちが霧のように噴き出しているのだ。
「凄まじいな……亡霊が見えると良く知る街が別のものに見えるな」
「そうね、私にはわからないけど……「霊」が見えないって言うのはどういう感じなの?」
「……そうだな。まぁ、今の光景と比べると……随分と平和にみえるかもな」
「そう……見えないほうが……楽なのかもしれないわね」
ルディアは、常にこの幽世の淀みを目にしながら生きている。その苦労は計り知れないと、ヴァルターは隣に立つ彼女の横顔を盗み見ながら思った。
二人は警備の綻びを見抜くと、人外の身体能力を駆使して音もなく駆け出した。高い塀を軽々と跳び越え、常人の視線が届かない死角へと滑り込む。石壁の陰に身を潜め、二人は改めて敷地内の様子をうかがった。
「臭いな……」
ヴァルターが臭気に顔をゆがめる。ルディアも同時に眉をひそめて頷いた。
「ええ、おかしいわね、神殿って浮浪者でも暮らしているものなの?」
「そんなはずはないが……」
腐敗したような臭気と、亡霊たちが流れていく方向を頼りに、二人は塀の上を音もなく伝い、裏庭へと回り込んだ。
そこで目にしたのは、神聖なる神殿にはあまりに不釣り合いな光景だった。幾重もの鉄格子に閉じ込められた大量の奴隷。そしてその周囲には、番犬の代わりに、鎖に繋がれた魔獣たちが眠っていた。
「犬ではなく、魔獣を飼い慣らしているとはな……」
「神殿の中にまで、奴隷売買の施設があるというの?」
「表向きには無いはずだが……まさか、聖職者が裏商売にまで手を染めているのか」
重苦しい沈黙の中、神殿の重厚な扉が音を立てて開いた。中から現れたのは、豪奢な法衣を纏った神官だ。彼は従者たちに冷酷な指示を飛ばし、手際よく奴隷たちを奥へと移送し始めた。
「……亡者の流れはあそこが出どころみたいだな。異様な雰囲気だな……」
「そうね。怨霊の発生源は……神殿の本殿そのものだったのね」
覚悟を決めたように、ヴァルターが懐から鬼の骸骨を模した不気味な仮面を取り出し、顔を覆った
「それは?」
「ああ、この神殿の者には……顔が割れているからな。万が一のための保険だ」
「そう……いいわね、私の分は無いの?」
「……え?」
ヴァルターは、不意にルディアが向けた視線に言葉を詰まらせた。そこには、珍しい玩具を見つけた子供のような期待の光が宿っていたからだ。復讐に身を投じる彼女がたまに見せる、年相応で無邪気な表情だった。
「……これが終わったら、買い物に行くとしよう……」
「約束よ」
短く交わされた言葉を最後に、二人は気配を完全に断った。二つの影は、一瞬にして闇へと吸い込まれていった。
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― 神殿の本殿にて……
重厚な扉の先に広がっていたのは、かつての神聖さを微塵も感じさせない光景だった。「神殿」であるはずの広間は、無数の蝋燭が放つ不規則な光に揺らめき、禍々しく飾り立てられている。大理石の床には、鮮血を混ぜたかのような塗料で巨大な魔法陣が描かれていた。
魔法陣の周囲を囲むように檻が配置され、檻の中には不安そうに見守る「奴隷や浮浪者」がいた。臭気と薬の匂いで「神聖」なはずの神殿は汚されているようだった。
(なんだこれは……魔術? 呪術? 邪神の儀式か?)
ナックモルは、魔法陣の中央へと放り出されるように叩きつけられた。彼と共に連れてこられた二人の幼い鼠人族も、石床に転がり、恐怖に身を震わせる。魔法陣を取り囲む神官たちは、目前の生贄たちには目もくれず、虚ろな瞳でただ虚空を見つめていた。その様子は、まるで魂をどこか別の場所へ置いてきたかのようだった。
(……瞑想状態か? 今なら逃げられるか?)
「何これ……」
「怖い……」
幼い子供たちの震える声が静寂に響く。ナックモルは彼らを勇気づけるように頷き、密かに靴の底へと指を這わせた。仕込んだ隠しナイフを抜き取ろうと、悟られぬよう慎重に体勢を変える。せめて、この幼い兄弟だけでも逃がさなければならない。
……だが、その覚悟を打ち砕くように、新たな檻が運び込まれてきた。
その中身を見た瞬間、ナックモルは息を呑み、呆然としてしまった。そこにいたのは、人目を忍んで隠れ住んでいたはずの、鼠人族の同胞たちだったのだ。
「な、なんだと??」
「え、カッチおじさん!?」
「そんな! なんでみんないるの!?」
子供たちが悲鳴に近い声を上げるが、鼠人族の同胞は問いかけに答えなかった。よく見ると彼らの首には「呪いの魔術」の枷がつけられ、神官たちと同様にその瞳からは知性の光が失われ、虚ろな眼差しでただ一点を凝視していた。
彼らの入場に呼応するように、広間の奥から武装した一団が現れる。
手にした薙刀の石突が、カツン、カツンと冷たく床を叩く。魔法陣を包囲するように配備された僧兵たち。その一人一人が放つ異様な威圧感と、肌を刺すほどに濃密な魔力が、ナックモルの全身を総毛立たせた。
(……この魔力は……聖従士?? どれほどの手勢を! ここまでかっ……)
ナックモルは、目の前の状況がもはや個人の足掻きでどうにかなる段階を超えていることを悟った。
ロープを断ち切ろうとしていた指先から、力が抜け落ちる。絶望が彼の心をじわじわと侵食していった。
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