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竜血の復讐姫 ~魔女に育てられた少女は「悪」を狩り、世界を浄化する  作者: 藤明
五話 商業都市の地下で蠢く闇

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5-4 街にうごめく闇


§ § § § § §


― 神殿の地下牢にて

 

 鼠人族の半獣人、ナックモルは、言いようのない困惑と薄ら寒い予感に身を震わせていた。


 つい数日前まで彼が世話をしていたのは、牢獄に押し込められた「貧民と奴隷」の集団だったはずだ。だが、今や彼らの姿はどこにもなかった。彼らの代わりに牢獄を占拠しているのは、どう見ても人の理を外れた、おぞましき異形の生物であった。人間より二回りも大きい怪物は牢獄の通路に吊るされた魔照石のランプの青白い淡い光をじっと見続けていた。その瞳には知性の欠片も見当たらず、無機質な物体になりかわったようだった。


「……これは、一体どういうことなのですか?」



 絞り出したナックモルの問いに、傍らに立つ神殿の衛兵は、面倒そうに答える。


「ああ、気にするな。なぜか動かない。大人しいものだ。一応エサを入れておけ、いいか? 食われるなよ? 面倒だからな」

「は、はあ……。はい、承知いたしました」


 ナックモルは震える手で、配膳用のキャリアから粗末な食事を取り出した。檻の隙間から手を差し入れれば、怪物の鉤爪が届く距離だ。生きた心地もせず、脂汗を流しながら作業を進めるナックモルだったが、目の前の怪物は彼に一瞥もくれず、ただぼうっと光を眺め続けている。


(……これは幽鬼? 生きている? どうなっているんでしょうか……ここは)


 ナックモルは檻の前で配膳用のキャリアを押しながら周囲の異変を感じ取る。ふと、彼の視線の先で牢獄の重厚な鉄扉が開いた。新たな「資材」となる奴隷たちが運び込まれてきた。一瞬だけ見えた出口の光に、彼は「脱出の好機を逃した」と唇を噛む。しかし、直後に運び込まれてきた「資材」の顔ぶれを見て、彼の思考は凍りついた。


(なっ……!? ラディック!? テッタまで!)


 そこにいたのは、こんな場所にいるはずのない、同族の知人たちだった。彼らは安全な貧民街のさらに奥、同胞たちだけで固まって隠れ住んでいたはずだ。まさか、彼らまでもが新たな奴隷として狩り集められたというのが信じられなかった。

 仲間たちの不安と絶望に満ちた表情を目の当たりにし、ナックモルの脳裏に、ある凄惨な違和感が急速に形を成していく。


 ここには、「死体」がない。


 劣悪な環境、不衛生な食事、そして謎の怪物……命が使い潰されて当然の場所であるにもかかわらず、ここ数日、死体が外へ搬出される光景を一度として見ていないのだ。

(これは……大変まずいことになっているようですね……)

 消えた貧民たちと、代わりに現れた動かぬ異形の怪物。そして、連行されてきた同胞。 パズルのピースが最悪の形で噛み合うのを感じ、ナックモルは覚悟を決めた。もはや、穏便な手段を選んでいる時間は残されていないようだった。

 彼は配膳用のキャリアを握る手に力を込め、静かに、だが確実に行動を開始した。


§ § § § § §


― 討伐者組合の受付にて


 ヴァルターは討伐組合の受付で困惑していた。

 

 ルディアの討伐組合加入の手続きをしていたが、先日の「隠れ里」での任務失敗に伴う釈明書類に始まり、ルディアの討伐者組合登録手続きの書類の作成、さらには膨大な規約の読み合わせ。剣を振るうよりも何倍も神経を削られるデスクワークの連続に、彼の忍耐は限界に達しつつあった。


「……おい、まだあるのか? 登録までに二日もかかるのか?」


 低く苛立ったヴァルターの声に、馴染みのベテラン受付嬢がパチンとペンを置いた。


「そりゃそうですよ。ここで筆記登録と確認、明日お役所に行って登録と確認、急いで二日かかるんですからね! ほんと白金だからってわがままなんですから!」


 受付嬢の方が憤慨しているようだった。彼はふと我に返り、無理を押し付けていることに気が付き、わずかに視線を泳がせる。


「あ、いや、そうだな。すまない……」

「はぁ、彼女がいなければ夜ご飯の美味しいお店に連れて行ってもらうところですが……さすがに彼女持ちを誘ってもらうのもねぇ……」

「彼女ではないな……」


 即座に否定したヴァルターに、受付嬢はニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。


「ほんとですかぁ?……こっちを熱い眼差しで見ているようですが?」


 ヴァルターは、待合の長椅子に座っているはずのルディアへと視線を投げた。しかし、彼が受けた印象は、受付嬢が冷やかすような甘いものではなかった。刺されるような視線、そう感じていた。

(……あれは見張っているんじゃないか? それにしても……まるで獲物を狩るような目をしてるな……なぜだ?)


 その視線の鋭さに背筋を撫でるような冷たさを感じていると、討伐組合支部長のボルロードが書類を手に、ヴァルターを手招きして呼びつける。ルディアにも合図を送り、二人は別室へと案内される。席に着くと早速説明を始める。


「それで、岩窟城塞都市……カヴァルベイルに入る方法だが……」

「? やはり入りにくいのか?」


 ヴァルターの問いに、ボルロードは渋い顔で資料を広げる。


「ああ、よくわからんが、街に入るのに規制をかけているらしい。巷じゃ戦争がはじまる兆しとも言われている。今は鷲獅子卿の御用聞きしか入れないという話だ」

「確か、険しい岩山をくり抜いて造られた街……だったよな?」

「そうだ。古い隠し通路があるという噂も絶えないが、今のご時世だ、どこもかしこも兵隊で埋め尽くされているだろうよ」


 二人の間で交わされる切迫した会話に、これまで沈黙を守っていたルディアが、戸惑いを隠せない様子で口を開いた。


「……待って。何の話をしているのか、さっぱりわからないのだけれども?」

「ああ、ゼファー・グリフェンの街に潜入する話だな」


 ルディアは不安と不信が入り混じった視線で、ヴァルターを見つめる。


「……この人に話をしても大丈夫だったの?」

「ああ、コイツは信頼できる」

 

 ヴァルターの正面切っての保証を聞き、ボルロードは豪快に笑った。


「ああ、まぁ、俺は今の体制の反対にいるからな。あんたたちの敵じゃない。安心しな。お嬢さん」

「そういう事だ」

 

 ボルロードは机の上に地図を広げ、指先で特定の地点をなぞる。


「鷲獅子卿の町は……帝国との前線に近いからな、戦時の砦のようになっている……聖教王国の者以外は容易に入れない」

「砦は塀を飛び越えることができないの?」


 ルディアの純粋な疑問に、ボルロードは首を振った。


「岩盤がくりぬかれた街だから……裏口を探すか、地面と壁を掘るしかないな。空を飛べれば、一応中からは空が見えるらしい……ただ俺も詳しくは知らない」

「だから穏便に内部の町に入る方法を探してもらってたんだ。合法的にな」

「面倒なのね……」


 ルディアが溜息をつくと、ボルロードは手元のメモをめくりながら解説を続けた。


「正面扉から中に入るには、兵士として志願、奴隷として潜入……ただ、これはあまりお勧めしない。戻ってきた人間がいないという噂だ」

「……おすすめの方法だけでお願いできるかしら?」


「ああ、あとは、御用聞きの商隊の護衛として中に入る……恐らく町には入れるな」

「それでいいな」

「ええ」


 話がまとまりかけたその時、ボルロードが何故かニヤリと不敵に笑う。


「ただ、これだと、入れるのはヴァルターだけだ」


「なぜ? 私も二日後には討伐者組合の会員になるのでしょう?」


 ルディアの反論に、ボルロードはわざとらしく肩をすくめて見せる。


「そこが規約の壁ってやつでな。新人は一定以上の依頼実績を積まないと、信頼の必要な『商隊護衛』は受けられない決まりなんだ。ここで不正をしてお嬢さんをねじ込んだりしたら、俺の首が飛んじまう」


 ヴァルターはボルロードの笑みの理由が分かり深い溜息をついた。


「はぁ……溜まっている塩漬けの依頼やらせようとしているな」

「何を言う、ヴァルター! 貴様と俺の仲じゃないか。これは双方にとって利益のある、実に素晴らしい提案だとは思わないか?」


「……塩漬け?」


 聞き慣れない言葉に、ルディアが小首を傾げる。


「あ、料理じゃないからな。言葉の綾というやつだ」

「……?」


 納得がいかない様子のルディアを余所に、ボルロードは分厚いファイルから依頼票を抜き出し、机の上に並べ始めた。


「さて、魔獣討伐、幽鬼討伐……亡者に占拠された村の掃除……古代遺跡に巣くう魔道兵器の破壊……よりどりみどりだろ?」

「……全部、大物の討伐に見えるんだが……新人には小猿鬼の討伐、調査とかではないのか? 俺への依頼ではないだろう?」

「ベテランの戦士を片手で投げとばすと噂の「宵闇の魔女」がいれば大丈夫だろう」

「……少し考えさせてくれ……」

「まぁ、ライセンス発行まで悩むと良い。俺はちょっと用事があるからここで。明日には返事をくれ!」


 ボルロードは依頼の紙の一部を置いて部屋を出て行く。ヴァルターは全部の書類に目を通し、雑にテーブルの上に置く。ルディアが依頼用紙を一瞥し、うんざりした表情を浮かべる。

 

「正面突破は無理なのかしら……」

「……いくら強くても、扉を開ければ兵士たちがわんさかと押し寄せ、疲労してきたところを聖従士と聖騎士が襲いに来る感じだな……」

「……こっそり忍び込んで聖騎士だけをやろうと思っていたのに……」


 ヴァルターは思わず彼女の横顔を伺った。その瞳には微塵の迷いもなく、冗談を言っているようには到底思えなかった。


「……まぁ、あとは聖騎士をおびき出して……外に出てるときに殺すしかないな」

「どちらにしろ情報が必要ね。聖騎士を狩るには……」


 冷徹なまでの復讐心を剥き出しにする彼女に、ヴァルターは慎重に言葉を選んだ。


「気分は落ち着いたのか?」

「え? あ、そうね。大分慣れて来たわ」

「……それじゃぁ、ちょっと間借りしている部屋に戻って荷物を持ってきたいのだが……」

「ええ、いいわよ。私も行くわ……私には案内人が必要みたいだから……」

「……そうだな。一人にすると……ろくなことにならない気がする」



§ § § § § §



ー 宿屋「煤けた銀貨亭」にて


 討伐者組合を後にした二人は、ヴァルターが拠点としている宿へと向かった。路地を抜け、使い込まれた看板が揺れる宿の扉を潜ると、ちょうど一階の廊下で掃除をしていた恰幅の良い女将と鉢合わせる。


「おや、ヴァルターじゃない。良かったわ、生きてたのね!」


 女将は箒を手に、驚きと安堵が混じった声を上げた。


「ああ、荷物は大丈夫か?」

「ええ、依頼通り掃除はしているけどそのままよ。汚れがひどいわね……外で落としてから入りなさい」

「わかった」


 ヴァルターが溜息混じりに踵を返そうとした、その時だ。横に立っていたルディアが、ふと思い出したように人差し指を立てた。



「あ、ちょっと待って、試してみたい魔術があるの」


 彼女は懐から、シルヴィから預かった魔術書を取り出した。ページをめくり、初級生活魔術の項目に記された「洗浄」の術式をなぞったあと、女将の脇に置いてあった木の桶の前に立つ。


「纏いし淀みよ、本質から乖離せよ。浄化の渦に流しここに集え。……『洗浄』!」


 彼女が紡いだ詠唱は短く簡潔だった。だが、込められた魔力は初級のそれとは一線を画していた。

 詠唱の直後、眩い光が弾け、あまりの威力の凄まじさに、ヴァルターの衣服のみならず、宿の廊下から壁に至るまで一帯が磨き上げたように輝き出し、剥がれ落ちた汚れの塊が、女将の持っていた木の桶へと一気に吸い込まれていった。


「な、何なのこれ!凄い魔術じゃない!床も……私の服まで新品みたいになったわよ!」

「……驚いたな。泥汚れが跡形もなく消えた。……いや、桶へ移動させたのか」


 ヴァルターは己の薄汚れたはずの衣服を触り、あまりの効果に目を丸くする。女将は驚きから一転して、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、ヴァルターの脇腹を肘で突いた。


「やるわねぇ、ヴァルター。こんな凄腕の魔術師を彼女にするなんてさ」

「違う……彼女では……」

「おや? 違うのかい? あんたがこんなに甲斐甲斐しく女性を連れ歩いているのなんて、初めて見たけどねぇ?」

 

 今日何度目になるかわからないやり取りに、ヴァルターは反論する気力も失っていた。だが、面倒な泥落としの手間を省いてくれたことには、内心深く感謝していた。



ー ヴァルターの拠点……宿屋の一室……


 二階の突き当たりにあるヴァルターの部屋に入ると、そこは生活の場というより、むしろ「武器庫」と呼ぶべき空間だった。壁には予備の剣や弩が整然と並び、棚には用途の分からぬ革袋や砥石、魔法の薬、油が詰め込まれている。ヴァルターは使い慣れた手つきで装備の点検を始め、奥の長持ながもちから、重厚な魔獣討伐用の鎧を引きずり出してきた。


「凄いわね、一人で戦争でもするの?」


 ルディアが呆れたように室内を見渡す。


「まぁ、ここが俺のアジトのようなものだからな……俺のは十分だが……ルディアの鎧を新調するか……」

「え? このままじゃダメかしら?」


 自分の姿を見下ろす彼女に、ヴァルターは真剣な眼差しを向けた。


「せめて、皮鎧をつけてくれ……いくら変異して強くなっても、不意打ちを食らうとそれなりに怪我をするだろ?」

「……そうね。あまり鎧は付けたくないのだけれども……今日はここで寝るの?」

「……え?」


 突然の問いかけに、ヴァルターの手が止まる。


「随分広いベッドね。二人でも余裕で寝られるわ」


 事もなげに言うルディア。ヴァルターは喉の奥が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らした。


「……あー、まー、そうだな。宿は別の部屋を取る。そっちで寝てくれ」

「え? 嫌よ?」

「……ん? んん??」


 ヴァルターはルディアの言っている意味が分からなかった。かといって夜を共にするという意味でもないのは彼女の表情を見れば一目瞭然だった。


「だって、霊が騒がしいもの……今夜は離れない方が良いと思うの」

「……そ、そうなのか?」


 ヴァルターは彼女の真意を悟り、一瞬、みだらな妄想の方に走った自身を恥じ、羞恥心を押し殺して眼帯を引き上げた。隠された紅の瞳が、世界の「裏側」を捉える。確かに、窓の外から淀んだ空気がじわじわと這い寄ってくる感覚があった。彼は窓枠に手をかけ、勢いよく開け放つ。

 視線の先、小高い丘の上に鎮座する神殿。聖なるはずの場所を、悍ましい黒い靄のような何かが、生き物のように蠢きながら包み込んでいた。


「……何だあれは……」

「調べる必要、ありそうね」


 先ほどまでの気まずい空気は霧散し、代わりに冷酷な現実が部屋を満たす。


 ヴァルターは、またしても厄介な事件の臭いを嗅ぎ取り、頭を抱えたくなった。同時に、この数ヶ月、死地を潜り抜ける中で溜まりに溜まった鬱屈とした欲望を、一体どこで発散すればいいのか……その行き場のなさに、彼は奥歯を噛み締めていた。



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