4-7 瘴気の発生源
— 村の近くの森で
聖従士ミザールは、魔術師と二人の兵士を引き連れ、大八車で運搬してきた大きな袋と共に森の奥深くへと足を踏み入れていた。木々が不自然に捻じ曲がり、鳥のさえずりさえ途絶えたその場所には、この世の理が歪んだ「瘴気溜まり」と言われる黒い空間が目の前に広がっていた。
兵士たちは、もがくような動きを見せる「人間入りの袋」を背負い、冷たい汗を流しながら、瘴気が噴き出す亀裂の直前へとそれを放り出した。彼らは呪われた何かに触れたかのように手を払い、逃げるように聖従士の背後へ身を隠した。
「吉と出るか凶と出るか……」
「ミザール様、本当にやるのですか?」
「禁忌に触れる所業だが、背に腹は代えられん。これ以上瘴気が広がれば、収穫どころか村そのものが死に絶える」
「気が進みませんが……」
魔術師が震える手で魔術書の写しを広げ、不気味な魔法の粉を撒き始めた。生贄の袋を中心に複雑な幾何学模様の魔法陣が描かれていく。魔術師が手にしたメモを見ながら呪文を読み上げて行くと、魔法陣に禍々しい光が宿り、周囲の「瘴気」が意志を持った蛇のように這い回り、生贄の袋へと吸い込まれていった。
直後、静寂を切り裂くような、人間のものとは思えぬ絶叫が森に響き渡った。
「ひっ!! 瘴気が動いた!」
「ふ、不吉な……」
「……成功……ですかね?」
ミザールも初めて目にする異様な光景に、固唾を呑んで事態の推移を見守る。やがて、喉を掻き切るような叫びは止み、激しく暴れていた袋も、ぴたりと動きを止めて沈黙に包まれた。
「死んだ……のか?」
「死ぬよな……やっぱり……」
兵士たちが恐れながらも槍を構えて確認のためにじりじりと近づいていく。その間にも魔術師が『魔力探知』の魔術を使い、幽世と視覚を共有する。
「あの、妙な魔力を感じます。どうしますミザール様?」
「……力が強まっていくな……」
その言葉が終わらぬうちに、袋が内側から大きく膨れ上がり、兵士たちは悲鳴を上げて後退した。ミザールだけが平然と、その「変貌」を見届けていた。袋を引き裂いて現れたのは、もはや人間ではなかった。体がこの世の者とは思えない質感になっていく。御伽話に語られる「狐」の化け物、筋骨隆々の巨人「大狐牙鬼」を彷彿とさせる風体へと変貌を遂げていた。
「ば、化け物!!」
「……なんと……まるで幽鬼ではないか……」
冷徹さを装っていたミザールの表情が、ついに驚愕に歪み、反射的に腰の剣と楯を抜いた。主に従い、兵士たちも震える手で武器を構え、防衛陣形を取る。
「でけぇ!……どうするのですっ!?」
「生け捕りにする」
「そんな無茶な!! 幽鬼じゃないですかっ!!」
「手足は切り離しても構わない! やれっ!」
兵士たちは動かない大狐牙鬼に対して接近をしようとするが、恐ろしくて近づけなかった。魔術の「束縛の鎖」も発動していたようだが、怪物に触れると霧散し、エーテルの流れに還っていった。
「我々では無理です!!」
「私の魔術でも封じられません!」
恐怖に包まれる兵士たちとは裏腹に、大狐牙鬼となった人間は座ったままの姿勢で石像のように微動だせず、天を虚ろな瞳で見上げていた。
「どうなっている? 動かない? 聞いていたのと話が違うな」
「……ミザール様!! 外から人の気配が!!」
魔力探知の魔術を展開していた魔術師が人の接近にいち早く気が付く。その声に呼応するように、相手も彼らに気が付き、速度を緩める。
月光を背負った二人の影が姿を現した。ルディアとヴァルターだった。彼らは息を整えながら、険しい表情で異様な儀式の場へと歩み寄る。
「瘴気を纏った魔獣? いいえ……人ね……」
「俺には幽鬼……「大狐牙鬼」……に見えるが……」
ミザールが月明りだけでよく見えない二人のシルエットを見て何者かを察する。
「魔獣討伐者か。隻眼に、過剰なまでの武装……ヴァルターといったかな?」
ヴァルターが異様すぎる雰囲気に剣を抜き盾を構える。魔法陣の中に瘴気の様な魔力を感じていた。はたからみると邪教が行う儀式そのままだった。
「何をしたんだ? お前らは?」
「下賤な輩が知る必要のないことだ。失せろ」
ミザールは吐き捨てるように言い放った。しかし、ルディアはその問答に興味を示すことなく、無防備に「大狐牙鬼」になった「人」に近づいていく。
「ねぇ、この「大狐牙鬼」? は幽鬼じゃないわね? 魂がおかしいわ……」
「どういうことだ?」
「怨念が瘴気と混じり合い、現世の血肉に取り付いたのが幽鬼……凄まじい魂の強さをもっているものなの、でも、コレは違うわ」
「こちらを見ていないようだが……」
「ええ、魂が死にかけているわ。体は幽鬼の……「幽世」のものだけれども……可哀そうに……」
ルディアの指摘した真実に、ミザールが目を見張り、魔術師が驚きに目を見開く。自分たちの計画の欠陥を、初対面の少女に見抜かれたのだ。兵士たちは何事か理解できずに、呆然とルディアを見つめる。
「幽鬼じゃないのか?」
「化け物にしか見えないが……動かないのは魂のせいだったのか……」
「み、ミザール様……計画が……」
「逃がすわけにはいかんか……」
ミザールは部下の兵士と、魔術師を一瞥したあと、ヴァルターの纏う「強者」の空気を感じていた。
「お前たちでは相手にならんか……下がっていろ……鷲獅子卿の聖従士と知っての狼藉か?」
ルディアは動かない「大狐牙鬼」を幽世を見通せる目で観察しながら純粋な疑問を口にする。
「……聖従士は、なんかエライのかしら? こちらの国では?」
「そ、そうだな……」
「でも強さを感じないわ?」
「ああ、まぁ……そうだな……どうする? 今なら首をはねるのは容易だと思うが……」
「待ちましょう。打ち合わせ通りに「見てみたい」わ。『聖気解放』でどう変化をするのか」
ミザールは目の前の狼藉者たちが『聖気解放』を知っているのに少し驚く。だが、それよりもあまりに舐めた二人の態度に憤慨していた。彼もここまでコケにされた事は人生で経験した事も無かった。
「ちっ……舐められたものだな……これでもあと少しで『聖騎士』になれる腕前だったのだがな……」
「そんな事は知らないな……」
「……もしかして『聖騎士』も、この人と同じで弱いの?」
「……さぁな……」
聖従士の表情がみるみると怒りで染まっていく。ヴァルターはルディアの無垢ゆえの毒、天然の煽り能力に内心で苦笑した。
「お望み通り見せてやろう!! 大地母神アリテリウスよ! 我に大地母神の加護を、血に宿りし御力を解き放ち真の力を与え給え! 『聖気解放』!!!」
威圧感が広がり、ミザールの体が魔力で満たされていく。身体は一回り以上も巨大化し、筋肉が鎧を押し裂かんばかりに隆起する。体表からは剛毛が生い茂り、口元は耳まで裂けて鋭い牙が剥き出しになった。その姿は、神の加護というよりは、醜悪な「大猿」の怪物そのものだった。
「ひ、ひいっ!!」
「ミザール様???」
「へ?」
兵士たちは驚き腰を抜かし、魔術師は想定外過ぎるあまりの変化に目を見開き固まっていた。
「え?」
聖教王国人のはずのヴァルターもその異様な変化に眉をひそめる。
ミザールは背中の大剣と、荷物に括り付けてあった大楯を取り出す……今の大きさとなってはかなり小ぶりな剣と盾に見える。
「これが『聖気解放』なのね? カルバルの時はこうならなかったわよね?」
「ああ、そうだな……筋肉が膨れ上がるくらいだと思っていた」
巨猿になった顔でミザールは本気で驚いていた。
「! なんと? カルバル!? 善人面の弱虫カルバルの変化を知っていたか!」
「弱虫……だと?」
「ああ、そうだ。「聖騎士」になるにはほど遠い力しか授からなかった人間だ。血統はいいはずなんだがな……」
ミザールは心の底から喜び、歓喜に満ち溢れていた。彼にとってカルバルは弱すぎる存在。侮っているのは相手だったと理解した。自らの優位を確信したミザールは、狂喜に満ちた声を上げた。
「ふははっ!! あれと同等だと思われていたのか……笑止千万!」
ミザールが武器を構え、戦闘態勢に入ると、瞳が金色に怪しく輝き、瘴気の様なものが彼にまとわりつき、まるで御伽噺の悪魔の様な雰囲気に包まれていく……その姿は、聖なる守護者どころか、深淵から這い出た悪魔のようであった。
「あ、悪魔……」
「これが聖従士の力……」
「奇跡というより呪術じゃない!?」
兵士と魔術師が浮足立つ中、ヴァルターが冷めた目で相手を見つめる。
「どのへんが「聖なるもの」なのか解説を願いたいが……」
味方にさえ恐怖されるミザールを前に、ヴァルターは納得いかないまま、剣と盾をとり身構える。構えを取った瞬間にミザールが人外の獣の速度でヴァルターを両断しようと剣を振るう。あっさりとヴァルターは剣を躱す。空を切った勢いのまま前のめりに突っ込み、大木に激突してしまう。
「ん? え? ……なんだと?」
「ふっ……」
「……ちょっと強くなったくらいかしらね?」
「舐めるなぁ!!!」
ルディアの煽るような発言と、ヴァルターが挑発したような表情を見せる。怒り心頭となったミザールの本気の連撃がはじまる。ヴァルターは余裕を持って躱し、たまに盾と剣でいなしながら踊りのステップを踏むように斬撃の嵐をかいくぐっていく。人外の攻防は土を巻き上げ、草木をなぎ倒していた。あまりの当たらなさに、ミザールは肩で息をしながら動きを止め、ヴァルターを凝視する。
「はぁ、はぁ……な、なんだと??」
「剣筋は聖教王国騎士団のものだな。工夫がない」
「……馬鹿な……魔獣も……幽鬼も……簡単に切り刻んできたんだ! ……くそぉ!! 死にやがれっ!」
「言葉が汚くなってきたなっ!」
ミザールの連撃が再び開始される。だが、ヴァルターは完全に手加減をしていた。砦でのルディアとの訓練の方が「はるかに手強い」のに気が付かされていた。相手の攻撃をかわしながらも、今の聖気解放をした聖従士の連撃が「血を飲む前」の彼の動きだったら、かなり厳しい戦いを強いられたのだろう……そう思えるほどではあった。
「はぁ、はぁ……な、なぜ……あたらん……」
「せっかくの体格なんだ。組み打ちとか、足技をつかったらどうだ?」
「! ……そんな下賤な戦士の真似など出来るかっ!」
「下手なプライドは高いんだな」
ヴァルターは目の前のミザールの消耗を見て、自身の能力が以前とは比べ物にならないことを実感していた。




