4-6 寝静まった夜
― 村長の館で
夜の帳が深まった頃、静まり返った館の一室では、魔照石のランプと月明りが不気味に室内を照らしていた。ほのかな光に照らされるように犬人族の青年と村長が対峙していた。
「上手くやったのか?」
村長の問いに、青年は重々しく頷いた。
「ああ、上々だ。明日には、あの正義感ばかり強い連中が集まる手はずになっている」
村長は震える手で自身の膝を何度もさすり、喉の奥から絞り出すように呟いた。
「……口減らしのためとはいえ……ひどすぎるのではないか?」
「この村を守るためだ。仕方がないだろう? 瘴気の蔓延した山道を大所帯で越えるなんて土台無理な話なんだ。あ、そうだ、お人好しの「魔獣討伐者」が瘴気を無料で払ってくれるらしい……」
「……なんと!! 本当か!!」
「ルプスとリィリィも帰ってきた。幽鬼を倒したと言っていた。恐らく本当だ」
村長の顔に、張り詰めていた糸が切れたような安堵の色が広がった。
「ならば、ここでの生活が取り戻せるのか!? また、昔のように……」
「ああ、余計な、言う事の聞かない奴らは切り捨てた上でな……」
「そ、そうか、瘴気が無くなれば、金が工面できる! これ以上は仲間を失う必要は無い!」
「甘いよ、親父。すでに献上する奴隷の数は決まっているんだ。今更あいつらに歯向かったらどうなるか、あんたが一番よく知っているだろ?」
「っ……」
青年は、激情を押し殺した冷淡な瞳で吐き捨てた。
「俺は、自分の弟妹たちが助かれば……一族さえ生き残れば、あとはどうでもいい。リィリィにも明後日までは隠れている様に伝えてある。計画は完璧だ……」
苦虫を噛み潰したような顔の村長が、忌々しげに言葉を漏らす。
「あいつの娘……いつまで執着しているんだ。もう諦めろと言ったはずだぞ」
「……お気に入りの娘を囲って結婚できた親父とは、事情が違うんだよ」
村長と青年はしばし、憎しみを孕んだ視線で睨み合う。卓上に置かれた魔照石のランプが、青年の横顔を照らし出した。孤児院の秘密会議で村人を熱烈に先導していたリーダー格の青年、リギーラの顔だった。
ふと、村長の犬人族特有の鋭敏な耳が、夜の静寂を切り裂く微かな音を捉えてぴくりと動いた。
「ん? なんか騒がしいか?」
「……なんだ?……この匂い、血の匂いか……?」
村長が異変を完全に認識した瞬間、その首筋からドッと鮮血が噴き出した。声を上げようにも、焼けるような激痛が喉を焼き、肺に空気が入らない。急速に遠のく意識の混濁とは裏腹に、膝から力が抜け、崩れ落ちていく。
「あ、あ……」
「え?親父……っ!?」
リギーラは突然の惨劇に、狼狽えながら村長に駆け寄ろうとした。だが同時に、自らの首筋にも強烈な熱気を感じる。床に前のめりに倒れ伏した彼の、薄れゆく視界の端に、冷たい月明かりと魔照石の光を背負った「女の影」が落ちた。
「……そう、裏切りで殺されたのね……大変だったわね……あなたも誘い出されて……なるほど、彼がこの村から逃げ出すことを止めてたのね……」
ルディアは亡霊たちの怨嗟に耳を傾けながら、罪状を紙に「血のインク」で刻んでいく。そして犬人族の証である腰の短刀を引き抜き、彼らの胸に紙を突き刺した。特にリギーラに関しては用意した紙では書ききれないほどになっていた。
犬人族の兄妹から「両親」と呼ばれていた霊も苦痛から解放された様で安らかな表情で姿を霞のように消していく……その後ろには同族であるはずの犬人族が並ぶように列をなして待っていた。地面からは無数の黒い怨霊の手が、死を認識していない新たな霊体にまとわりつき、今すぐにでも地の底へと引きずり込もうとうごめいていた。
「あなた……相当な恨みを買っていたのね。バレずに殺せば済むと思っていたの?」
ルディアは溜息をつき、もう一枚紙を取り出した。インクの代わりに血を使って霊から聞いた恨みの内容を記述していった……彼女の瞳は、月の光を撥ね除けるほどの真紅に染まっていた。
§ § § § § §
― 村の豪華な館で
聖従士たちは、村長から貸し出された「村の中では豪華な部屋」で深い眠りについていた。ただ、汚れた部屋を嫌ったのか、彼らはマントにくるまり、鎧すら脱がずに横たわっている。
そこへ、音もなく影が忍び寄った。月光を反射した短刀が、寝入る聖従士の喉を一突きにする。骨を貫く鈍い音と共に、短い呻きが漏れた。体が一度だけ跳ね、すぐに物言わぬ肉塊へと変わる。彼の周りからは溢れるように怨霊と化した様々な種族の亡霊が出現し、ルディアにつき纏い始め、濁流のような負の感情を伝えてくる。
(……罪状……多いわね……殺人・強姦・無抵抗のものを虐殺……強盗殺人……やりたい放題だったみたいね……え? なんですって?)
ルディアが眉をひそめると、霊が耳元で何かを囁いた。
「……『局部を切り刻め』ですって?嫌よ、悪趣味だわ」
傍目には、死体の横で独り言を呟く不気味な光景。その声で眠りから覚めた聖従士が目をこすりながら起き上がってくる。
「……どうした? 何か言ったか……え?な、なっ!! 曲者っ!!」
もう一人の聖従士が、反射的に枕元の剣帯に手を伸ばそうとした瞬間、その首は鮮やかに宙を舞った。壁一面に、熱を帯びた鮮血が扇状に飛び散る。
(弱い……『聖気解放』を使う前はただの人間並みなのね。首を刎ねればそれでおしまい?幽鬼よりずっと呆気ないわ……)
ルディアが全く手ごたえの無い相手に疑問を抱きつつ、剣の血を彼らの衣服で拭うと、待ってましたと言わんばかりに亡霊がこぞって彼女に苦情を伝えてくる。彼女はそれを記述しながら顔をしかめていた。
「……聖従士とやらは……悪人の集まりなのかしら? 野盗よりタチが悪いわね」
彼女の呟きに、亡霊たちが満足げに嘲笑した。彼らは薄緑色に輝いた後、霞のようになって霧散していった……
(……満足して自分で輪廻に戻ったのかしら……三従士……だったわよね? 一人足りないわ)
ルディアは五感を研ぎ澄ませ、周囲を探る。だが、もう一人の聖従士の気配は館の中にはなかった。覚えたての探知の魔術を試してみるが、魔力の反応は村の外、かなり遠い場所を指していた。
「ずいぶん遠くね……後回しかしら……」
難敵であるはずの「聖従士」を、一滴の汗もかかずに暗殺した彼女は、そのまま一般兵たちが集まる宿舎へと足を向ける。
彼女の背後には、突然訪れた「自らの死」を未だ受け入れられず、呆然と立ち尽くす聖従士の亡霊が残されていた。だが、彼らが何かに気づく前に、地面から生えてきた怨霊たちの無数の黒い手が、その足首を掴む。驚愕と畏怖に顔を歪めた霊たちは、成すすべなく地の底へと飲み込まれ、吸い込まれるように消えて行った。
§ § § § § §
― 村の大きな館で
鷲獅子卿の一般兵たちは、死が近づいていることも知らずに熟睡していた。村人から「無理やり献上」させた心もとない質の悪い酸っぱい酒を飲み、大きな家で雑魚寝をしていた。本来、警鐘を鳴らすべき見張りの命はとうになく、血の文字で書かれた罪状の紙が額に短剣で無造作に縫い付けられていた。
そんな静まり返った部屋の中で、ルディアは迷っていた。彼女自身、悪と決めつけていた鷲獅子卿の兵士たちにもいろいろな人間がいる事を「霊」たちに知らされていた。
(この人には怨霊がついていないのね……え?助けてくれって?)
暗殺しようとした兵士の前に、一人の幽世の住人が守るように立ちはだかった。
ルディアは霊の要求に無言で頷き、仕方がないので怨霊が大量についている隣の兵士の首の骨もろとも一撃で短剣で突き刺しひねり上げる。彼女は暗殺に慣れてきたのか、血が飛び散らない様に布をかぶせた後に「とどめ」を刺すようにしていた。
違和感を覚えて目覚める兵士もいたが、目覚めと同時に、怨霊の導きに従いこの世から意識を無理やり切り離されていた。
(……数が多いわね)
犠牲者が二十人を超えたあたりで、ルディアは数えるのをやめた。罪状を書くのも面倒になり、文字は次第に簡素なものへと変わっていく。ついに、ある兵士の命を奪ったところで、亡霊たちの騒ぎが止んだ。
「あとは生かしておいた方が良いと言うの?」
ルディアは霊たちに問いかける。最後に残った亡霊は彼女の問いに答える事はなく、光の粒子となり霧散していく……彼女は目の前ですやすやと眠る兵士を不思議そうに観察する。
(……ちょっと「魔」が混ざっているから……かしらね?)
ルディアから見ると「生かした兵士」には何かしらの共通点が見える気がした。だが、残りの一人の聖従士の行方の方が気になり、早々に血生臭い館から退出した。
(……悪夢だ……これは悪夢なんだ……)
奇跡的に生き残った「鷲獅子卿」の兵士の一人は、震えが止まらなかった。目の前で起きた事が信じられなかった。一人の女性が大量の黒い悪霊をまとわりつかせたまま、独り言を呟きながら次々に同僚を殺していった……彼の心の中で「死んだはずの親」が「起きてはダメだ!」……と彼に告げてきたのを信じて必死で寝たふりをしていた。死神の気配が部屋の外に移動したのを確認してから飛び起き、周囲を見渡す。薄目で見た通り、同僚の死体がそこら中に転がっていた。血の匂いが充満した部屋が現実のものとは思えなかった。
「……俺はどうすれば……国には……帰れないなこれは……」
隣で寝ていたはずの同郷も、表情をこわばらせながら彼を見ていた。彼も寝たふりを続けていた様だった。
「……赤目の死神……本当にいたんだな……」
「あ、ああ……お前も無事だったか……光の神エルテナ様のご慈悲があったんだ……」
「はは……それ、この領土じゃ禁忌だぞ?」
二人は「聖教王国」での禁忌の神の名……ヴァリアス共和国での神の名を言葉に出し、生き伸びられた事への礼を天にささげた。
§ § § § § §
ルディアが何食わぬ顔で兵士たちが泊まっていた館の正面の入り口を開けて出てくる。ヴァルターが入り口付近でルディアの荷物を抱え、いつでもこの村を出発できる状態で待っていた。
「……順調そうだな」
「ええ、だけど一人の聖従士が村の外に出ているみたい。こんな夜更けなのに」
「……ま、待て。聖従士も既にやったのか?」
「ええ、もちろんよ」
ヴァルターは絶句した。意外過ぎるほどあっさりとした答えに、思わず深く考え込む。聖従士の訓練も過酷だと聞いている。殺気の塊が近づいてきたら飛び起きるはずだと思っていた。
「……寝込みが襲えるような……人間ではないと思えるのだが……」
「獣を狩るよりは楽だったわ。お酒を飲んでぐっすりと眠っていたようよ?」
ヴァルターは意外過ぎる答えに目を見開き、ルディアの事を凝視する。彼の常識では亡者のいるような土地では酒を飲むと死ぬ……という認識だったため、相当気が緩んでいたと納得する。
「……そうか。……館には人の気配が残っているようだが……」
「怨霊がついていない兵士たちは生かしてあるわ。幽世の精霊たちが「殺すな」!……って言うの。不思議よね」
ヴァルターは更なる驚きを伝えられ……完全に思考が止まる。精霊……見る者はこの世界でも稀。魔術師でも完全に見える人は少ないという……伝説の存在だった。
「……そ、そうなのか……精霊……いるのか……精霊……」
「あら? 見えるでしょう、ほら、ここに」
「……それが精霊だったのか……人魂かと……」
ヴァルターの眼帯で隠した片目からは、輪郭のない亡霊……くらいにしか見えていなかった。精霊も御伽噺の世界の話だと思っていた。彼女と出会ってから「御伽噺」の世界が現実になった気がした。
館の窓から黒い悪魔の様な触手がチラチラと見えていた。だが、彼はこれ以上、何にも巻き込まれたくなかったので、あえて深くは考えず、意識的にそれを視界から外すことにした。




