4-1 道に迷う討伐者達
―とある村の教会の孤児院にて
二人の犬人族の兄妹は、肺が潰れそうなほどに息を殺していた。
山奥の街道近くの村で二人の兄妹が震え、壁越しにいる大人たちが立ち去るのを、息を潜めて待っていた。彼らは偶然忘れ物を取りに戻っていた。大人たちは、この教会には働きに出た子供の影がないものと断じ、密やかな、そして悍ましい談合を始めていた。
彼らは薄い木の壁越しから聞こえてくる、子供たちが聞いてはいけない話。いつものようにいたずら心で聞いていたが……会話が進むにつれ、その話の内容は彼らにとって振りかかる未来の災難だった。二人の顔から血の気が引いていく。
「……え? 追加で三人ですか?」
村長の声には、隠しきれない困惑と、震えるような怯えが混じっていた。
「ああ。特に、犬人族の少女が良いとのことだ。……それも『半獣』に近い形を、とな。毛だらけの獣じみた個体は美しくない、とあの方は仰せだ」
無機質で冷淡な声を返したのは、聖教王国の威光を背負った「聖従士」だった。その言葉には、獣人を生命あるものとして扱う慈悲など、微塵も含まれていない。
「そんな……これから働き盛りになると言うのに……」
「貴様、現状が分かっているのか?瘴気溜まりが発生し、作物は枯れ果てている。村ごと飢え死にするのを待つか、それとも口減らしをして明日を繋ぐか、選択の余地などあるまい?」
「ですが……この村にいる少女……年頃の娘は少なく……」
「少年は前回の供出で足りている。それとも何か、この状況で滞っている年貢を耳を揃えて払えるとでも言うのか?」
厳しい冬の到来を前に、村長は言葉を失い、ただ喉を鳴らして俯くしかなかった。
「くっ……」
「それに、其方にはしっかりとお代は払っているだろう?」
「……」
この村の村長が「聖従士たち」と話をしているようだった。話の内容からは年貢の取り立てのかわりに「人」で払えと言う事なのだろう。半獣の犬人族の兄は妹の事を見つめる。彼女は恐怖と絶望の表情で完全に染まっていた。
この村にいる犬人族の少女……奴隷としての適齢期に入っている者は彼女を含めて丁度「三人」だった。半獣人の女性をゴミのように使う聖従士たちの事は知っていたので、奴隷となったらどんな目にあわされるか……絶望に染まった妹の大きな瞳から、今にも熱い涙が溢れ出しそうになる。
犬人族の兄は意を決し、建付けの悪い木の壁の隙間から中の様子を観察する。
(!! あれは……『鷲獅子の三従士』……!)
「鷲獅子の三従士」……常に三人で行動し、三位一体となって、いかなる強敵、幽鬼すら屠っているという噂の猛者だった。聖教王国から見たら英雄の様な存在。獣人から見たら悪夢の様な存在……いい噂は聞かず、獣人を家畜のように扱う……その悪名高い姿が、すぐそこにいた。
二人は息をひそめ、音を立てぬよう慎重にその場を離れた。
「逃げよう……ここから」
兄の掠れた声に、妹は震える唇を動かした。
「逃げるって、どこに? 都に向かったら余計に聖教王国の人族が増えるよ?」
「……山を越えて……あちら側だったら獣人にはまだ「優しい」町がある……そう聞いている」
「でも、皆行かないのは知ってるでしょ? 瘴気溜まりのある……あの山を越えるのはとても危険だって……」
「そうだな。でも、やらないと……あいつら鷲獅子卿の領地で「獣人の奴隷」がどんな扱いをするか……聞いているだろ?」
「……うん……」
「……ここにいて理不尽に使い捨てられるよりはマシだ。行こう、夜明け前に村を出るぞ」
この村を出れば危険と隣り合わせの世界……二人は道中で死んでしまうことも考えるが、それよりも、命までを使い捨てるような奴隷の扱いを受け、理不尽な死を受け入れるよりはまし。そう思い準備を開始する。
翌朝。空の端がうっすらと白み始め、まだ太陽が地平線を越える前の、最も冷え込む時間。二人は、共に育ち、眠りに落ちている仲間を無理やり起こし、言伝をし「いなくなること」だけを告げる。理由を話せば彼らも罪に問われるだろう。
「行こう」
「うん……」
犬人族の兄妹は、最低限の干し肉と水筒を入れた古びた荷袋を背負い、村を囲む粗末な木柵を乗り越えた。険しい山道へと足を踏み入れた彼らの背中を、冷たい朝露が濡らしていた。
―山道を迷う二人
二人は迷っていた。
周囲を鬱蒼とした巨木に囲まれ、湿った苔の匂いが鼻を突く。ヴァルターは見晴らしの良さそうな平らな岩の上に登ると、手垢で汚れ、もはや境界線すら怪しくなった地図を広げた。その精度の低さを呪いながら太陽の位置を測り、現在地を必死で確認していた。
「ねぇ、ヴァルター……本当に大丈夫なの?」
ルディアが岩の下から、溜息混じりに問いかける。
「ああ、多分……見覚えがありそうな山道に……戻ったような気がする」
「気がする……さっきもその話を聞いたわ? 本当に近道なの? 私はこの辺りは詳しくないからわからないのだけれども……」
「……すまん。前回通った時は……道案内がいたな……あと……植物が、植生が妙だ……」
「……あなたはしっかり者だと思っていたけれど、時々、ひどく抜けたところがあるのね」「返す言葉もない……」
その時、ルディアの美しい眉がぴくりと跳ねた。彼女の表情が一瞬にして険しくなり、指先が腰に帯びた魔法の剣の柄にかかる。
「……また来たわね」
ルディアが腰から魔法の剣を抜き放ち、現れた相手の正体を悟ると、心底面倒くさそうな表情を浮かべた。彼女の視線の先、木々の暗がりから、十数体もの不気味な人影がずるずると引きずるような足取りで近づいてきていた。人の形をしてはいるが、よく見るとその筋骨は骨ばって異常に隆起し、爪は獣のように尖り、口は耳元まで裂け、隙間からは黄色い牙が覗いている。目は濁り、生物としての光を失い、周囲には腐肉を焼いたような異常な臭気を撒き散らしていた。
「すまんな……変な道に迷い込んだせいで ……」
ヴァルターも苦渋を滲ませながら背中の大剣を抜き放つ。人影の群れは二人の存在を認識した瞬間、それまでの緩慢な動きが嘘のように獣じみた瞬発力で走り出し、餓えた唸り声を上げながら襲い掛かった。幽世と現世の境界があいまいな生物「亡者」の群れだった。
だが、二人は動じなかった。容赦なく亡者の群れを舞うように切り裂いていく。普通の人間にとっては「脅威」、死を告げる程の群れだったが、彼らにとっては剣の練習にもならない相手だった。十数体の亡者があっさりと切り伏せられ動きを止めて行く。動く事の出来なくなった亡者は、体液を流し切ると煙の様なものを吹き出しながら骨や、腐った遺体へと還っていく。
「いつ見ても異常な光景だな……」
「「亡者」はこちらの世界の生物だったものを核として瘴気を媒介に「幽世」の肉体を生成する……とシルヴィは言っていたわね……肉体部分は「幽鬼」と一緒なのかもしれないわね」
「……マジか? 聖教では……ただの邪悪な存在……瘴気から生まれる怪物としか……」
「本当に、場所によって伝わっている事が違うのね……」
ルディアとヴァルターは、それぞれの剣についた不浄の血を大き目の葉っぱで丁寧に拭っていく。二人ともそのひどい臭気に顔をゆがめていたが、その忌まわしい匂いを残したまま愛剣を鞘に納めることなど、到底耐えられる事ではなかった。
「近くに「瘴気溜まり」が発生したのかもしれないわね」
「この地域には……存在の報告は無かったはずだが……浸食してきたのか?」
「そうなるわね。理が歪み始めているわ」
「……結構な数の村や町がこの周辺にはあるはずなんだが……」
「放っておけば、ここもいずれ亡者の森になって滅んでしまうわね。誰も消さないのかしら?」
ヴァルターが、信じられないものを見る目でルディアを思わず凝視してしまった。
「消す?聖職者でもないのにか? 浄化の術を使える司祭など、こんな辺境の守備隊には配属されていないぞ」
「聖職者じゃなくても、瘴気溜まりを消す仕事があるでしょう? 依頼しないのかしら?」
「……聖教王国では教会の聖職者……「聖人」たちだけの仕事だ。神聖な儀式をして、小さなものは消滅するかもしれんが、大きなものになると進行を遅らせる……くらいだな……討伐隊が亡者を倒すために援護に入ることはあるが……聖職者じゃなくても消せるのか?」
「え? 浄化して消すのよね? ……聖教王国の人間は「瘴気溜まり」は消せないってこと?」
「消せるのか? 争いの原因は「瘴気溜まり」による領土の縮小なんだぞ?」
「??」
二人はしばらく目を見合わせ、沈黙した。お互いの国や出自による常識の違いがあまりに深いことを認識し、戸惑っているようだった。ヴァルターはふと、遥か西方の光景を思い出していた。瘴気溜まりに飲み込まれ、地図から消えた国々が『呪われた大地』に今も眠っていることを。
「ヴァリアス共和国の都も瘴気に飲まれて亡者の町になったと聞くが……浄化できるのか?」
「それは本で読んだことがあるわ……シルヴィみたいな理を操る魔女がいないとそうなるのね……」
「消せるのか……瘴気溜まりが。マジか……。もしかして、あの教団が忌み嫌う魔女こそが、世界を救う能力を持っているというのか?」
「ええ、私もお手伝いを……あら?」
ヴァルターが聖教王国が積極的に「魔女狩り」をしているのは逆効果なんじゃと考えていると、ルディアが前方から近づいてくる気配に気が付く。
二人の、まだ小さな人影がこちらに向かって逃げているようだった。




