2-9 解放される探索者
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ー 惨劇後の書庫で
ラザルスは、拭いきれない不安を背負いながら砦の一室の木の椅子に座る。壁面には飛び散った血がべったりとついたままだった。おそらくルディアが魔術師の頭を吹き飛ばしてしまったのだろう。
その惨状の中、ルディアが何やら薬剤やらを用意して魔術の媒体を「魂魄の魔女」が残した資料を片手に混ぜ合わせ始めていた。異形の姿はすっかりと元に戻り、紅の瞳と白銀の髪以外は普通の人間のようになっていた。帝国の探索者たちは彼女の一挙一動を物珍しそうに観察していた。なぜか彼らの瞳に宿っているのは「恐怖」よりも純粋な「興味」であった。
「その魔術はどういった……」
ラザルスが恐る恐る尋ねると、ルディアは魔導書に目を落としたまま、無機質な声で答えた。
「制約が軽いから命を取る事は出来ないみたいね……この砦のことを話したり、誰かに伝えようとすると体の一部が不能に……子供が作れなくなる呪い……みたいね……なんでかしら?」
ルディアの素朴な疑問に対し、ラザルスは一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。
「死ぬわけじゃないのか……話そうとすれば話せる感じか」
ラザルスが一瞬ほっとした表情を浮かべるが、探索者の仲間たちはかなり焦った感じになっていた。
「ラザルス様、ダメです! 絶対ダメですからね!」
「……そうだな、子供ができないのも……世間的に厳しい目で見られると思いますが……」
「ラザルス様は絶対に喋ってはだめだな……」
「それ、女性にも適用されるんですよね……お嫁にいけませんね……話しちゃいけないのはこの砦の場所だけでいいの?」
弓を背負った狩人の女性が、切実な表情で念を押す。ルディアは調合の手を止め、少しの間だけ考え込むように視線を彷徨わせたが、傍らに立つヴァルターと一度目を合わせると、すぐに答えを出した。
「……そうね。制約が多いものは今の私には無理だし……どちらにしろ私たちはすぐここを離れるから。ここが安全なら……生き残った仲間たちも助かると思うわ」
ルディアがシルヴィの魔術書を片手に魔術をかけ始める。帝国側の探索者が諦めたようにしてルディアの魔術を受け入れて行く。全員が魔術をかけられた後、ミュカが不思議そうにしていた。
「私には必要ないっすか?」
「必要ないでしょう? ミュカは「この場所の事」を話していないでしょう? シルヴィの魔術が発動していない様に見えるわ?」
ミュカが「魂魄の魔女」にかけられた魔術の内容を思い出している間にも、代わりに仲間が質問に答える。
「……ですね。彼女は話していない」
「引き返すように何度も警告をしてくれましたね……」
「そういえば……この砦の事は一言もしゃべってなかったなぁ……」
「ミュカはそういうところでは真面目だからな」
「ギャンブルに熱くならなければねぇ……」
仲間たちの言葉には、呆れと、それを上回る確かな親愛の情が籠もっていた。ルディアは彼らのやり取りを眺め、少しだけ目を細めた。
「……愛されているのね。あなた」
「よくしてもらってるっす……」
ミュカは照れ隠しに尻尾を揺らす。本来、罪人に与えるべき「言葉を縛る魔術」が使われた直後とは思えないほど、室内には穏やかな空気が流れていた。
そこへ、ヴァルターが探索者の認識票や彼らの荷物を持ってくる。刃こぼれと至る所が凹んで歪んだ「繋がった」大剣と直剣を渡される。訓練で折れ曲がったり普通の人間が振るった損傷の仕方ではなかった。強烈な圧力でひしゃげ、二振りが食い込むようになっていた。鉄と言うより粘土細工に見えた。
「これが必要だろ?」
帝国側の探索者の一行は一様に驚き、不可解なものを見る表情を浮かべていた。普段武器を使う彼らから見ても剣の曲がり方が異様だった。人外の力、まるで巨漢の妖魔同士がこの剣をぶつけ合う様に振るった……そう思えるものだった。
「これは……」
「余計かもしれんが……口止め料とも思ってくれ。探索者認識タグと、お前らが言っていた「騒音」の原因だ」
「……なるほど」
ラザルスはヴァルターの意図を汲み取り、深く頷いた。
「大型の妖魔が人間の武器を拾って……打ち合ってた……ってことですね」
「そうなるな」
「すげぇ曲がり方だな……剣ってめり込むのか……」
「金属って折れるかと思ってたわ」
探索者たちは、もはや芸術的ですらある「繋がった剣」を慎重に手に取り、それから静かにヴァルターとルディアの二人を見た。
この鋼鉄の塊をこれほどまでに無残に叩き潰した人物が、一体誰と誰であったのか。その答えを口にする者は、ここには一人もいなかった。
ラザルスは、かつての友であるヴァルターに感じたあの「正体不明の違和感」を、信じることを選んだ自分自身の直感に、心から安堵していた。
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― 『魔瘴気の森』を抜けた先で
ミュカと帝国の探索者たちは帰路についた。帰りの「魔瘴気の森」の行軍は驚くほど平穏なものだった。森の主が見守るように距離を取って、魔獣を威圧してくれるおかげで接敵はほとんどなかった。
「……もう安全か?」
「そうですな。距離も十分ですし「言葉」も魔狼に届かないでしょう」
「森の主」の気配も感じられなくなったところで、斧戦士がラザルスの問いに答える。いつもの様な粗暴な素振りは見せずに随分と固い言葉に感じられた。
ミュカは隣を歩きながら、胸を締め付けるような申し訳なさに、ぴんと立った耳を力なく垂らした。彼女が隠していた事情、そして予期せぬ形で仲間を危険に晒してしまった事実は重かった。
「……申し訳ないっす……」
消え入るような謝罪に、ラザルスは穏やかに首を振った。
「「魔術」をかけられていたんだろ? それじゃしょうがないな」
「でも「任務」はしっかりと達成ですからね。金貨四枚……八枚になるとかですか?」
「その辺は交渉次第だな。ま、この剣の状態を見れば……出し渋りは無いとは思うが……」
ミュカは斧戦士が背中の荷物に背負った「折れ曲がった剣」二振りを思わず見てしまう。全員が彼女を責めるような空気が無いのが救いに思えた。
「我々の任務も、これで一区切りですかね?」
斧戦士の質問に、アルガスはちらりとミュカを見るが、かまわず会話を続ける。
「そうだな。目的の人物の存在は確認した……まさか本当にいるとはな」
「ですね。一旦、自由都市ボローラスに戻ります?」
「そうですね。至急の報告案件になりますね」
ミュカは、彼ら帝国出身の探索者仲間が分かり合った感じで話をして、蚊帳の外にいる感覚になっていたので思わず質問をしてしまう。
「……なんの話っすか?」
「とぼけなくてもいいぞ、ミュカ」
「だから、なんの話をしてるっすか??」
ミュカの困惑が本物であると察し、ラザルスは心底驚いたように彼女の瞳を覗き込んだ。
「……え? ミュカは「反聖教王国組織・自由の楔」のメンバーじゃないのか?」
聞き覚えのある名だった。酒場の隅や裏路地の噂で、まことしやかに囁かれる地下組織。だが、彼女にそんな組織との心当たりなど微塵もなかった。
「え、え?「自由の楔??」あれって……秘匿されている組織っすよね?」
「驚いた……」
「旗頭になろう方に近しいのに……」
「違ったのか……」
「「狩人のおっちゃん」とやらがそうなのではないか? ジーク殿だろ?」
「「魂魄の魔女」がメンバーなのは聞いていたが……」
次々と投下される衝撃的な事実に、ミュカの頭は飽和状態に陥った。彼女は本気で混乱していた。混乱すると同時にさっきの質問は「藪蛇」だった事に気が付く。知らないフリをしておけばよかったと後悔する。彼女は耳を塞ぎたくなるがラザルスは構わずに話を続ける。
「ああ、我々帝国……とはいっても西部にいる勢力だけだけど、彼らに協力するか否か意見が分かれていてね……」
「……なんだか、話が大きくなりすぎてて怖いっす……」
「ほんと、言い伝えと……予言の通りだったわね」
「神が我々に祝福を与えてくれるのでしょう」
気心の知れた仲間と思っていたが、いつもの砕けた口調は演技……どちらかと言うとお堅い方の職業の人間の集まりだと認識し始めていた。
「……それで……なんで、そんな大事な話を私にしたっすか?」
ミュカが震える声で尋ねると、仲間たちは代わる代わる彼女に微笑みを向けた。
「信頼できるから」
「あと、ルディア様と親しいからかしらねぇ……」
「まぁ、あれですな。逃げられない感じになってますな。心中お察しします」
「ラザルス様にも気に入られていますしね」
最後に余計な一言を添えられ、ラザルスは耳まで赤くして顔を背けた。
「……おい、そういうことを言うなよ」
ミュカはここまでの情報が頭の中でつながり始め、自分がかなり厄介な事に巻き込まれていたことを知った。
その後、帰還までの道中は、さながら熱烈な宗教勧誘のようだった。組織への関与を促され、知ってしまった以上は一蓮托生であると諭される。
(……赤狐族の里のみんなは、大丈夫っすかね……)
止まることのない説得を右から左へと受け流しながら、ミュカは遠い故郷の空を思い浮かべていた。それにしても、なぜラザルスはこれほどまでに必死になって自分を誘うのか。
夕闇に染まる街道を歩きながら、ミュカの受難はまだ続く……その予感だけが確かにあった。
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― 隠し砦の裏手にて……
隠し砦の裏手でヴァルターは死体の処理をしながら呟く。強化された肉体だと簡単に地面が掘れるうえ、息切れが全くしない。重労働中に難なく話せるのが不思議だった。主であるはずのルディアも率先して墓を掘っているのは彼にとっては意外だったが……
「まさか、あいつらを解放するとは思っていなかったんだが」
ヴァルターがスコップを土に突き立て、背後の砦を見やりながら呟く。ルディアは手を止めることなく、淡々とした調子で言葉を返した。
「そう? 門の中に入ってこなかったでしょう? 彼らは」
「まぁ、そうだが……いいのか? 何やら君の事を……物珍しそうに見ていたが。広めるかもしれん」
その懸念に対し、ルディアは顔を上げ、記憶を辿るように空を見上げた。
「そうね。たまにあるのよね……帝国の紋章をつけた人と……獣人の人たちに……あの奇妙な視線……」
「……そちらの交流はあるのか」
「あら? これでもこの近隣では「凄腕の狩人」で通っているのよ? 良い肉を取って来てくれてありがとう! ってよく褒めてもらえるのよ?」
「……そうか」
自慢げに胸を張る彼女を見て、ヴァルターは内心で驚きを隠せなかった。彼女はこの森の奥深くに世間から隔絶され、ただ秘匿されているだけの存在だと思い込んでいたからだ。意外にも彼女の生活は、この地の営みの中に溶け込んでいたらしい。
「それに義母……シルヴィの魔法書によると、追跡の魔法がかけられるらしいわ。どこでも居場所が分かるみたいだし……」
「……不妊の呪いをかける上に、常に所在まで筒抜けになるのか。恐ろしい魔女の知恵だな……」
ヴァルターは黙々と墓を掘り死体を埋めて行く。彼の考えもまとまり、ひと段落したところでスコップの泥を払う。
「これからどうするんだ?」
「そうね、そろそろ旅立ちましょうか。一番近い……鷲獅子の紋章の聖騎士の元へ」
「……承知した。近いと言っても大分距離はあるな……あ、それと聖教王国ではあまり「変異」しないでくれると助かるのだが……」
ルディアが不思議そうな表情をするが、先ほどの事を思い出した様で、若干視線が伏せがちになる。育ての親たちにもあまり「変異」するなと言われていたのを思い出していた。
「……相手次第だわ……まだ……うまく制御できないの……」
「……そうか……」
ヴァルターは、重い沈黙を飲み込んだ。
赤き瞳、白銀の髪、そして禍々しき鱗を持つ魔の姿……それは、彼が育った聖教王国の神話や、子供たちが怯える古い御伽噺の中に登場する『世界を滅ぼす悪魔』の描写と、あまりに瓜二つだった。
この返り血まみれの美しい少女が、その伝承の体現者であるという残酷な事実を。今、彼女に伝えるべきか否か。
ヴァルターはスコップの柄に置いた手にわずかな力を込め、静かにその迷いを胸の奥へと沈めた。
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