第6話 つぐみ登場の巻
「おい、杏子。絶対に一人で練習に行くな。オレが迎えに行くまで教室で待ってろよ」
栞代は、朝わざわざ杏子の教室に出向き、釘を刺すように言い含めた。
相変わらず三年生たちは部室の隅でスマホを弄っている。あの日以来、特に絡んでくる気配はないが、気は抜けない。栞代は練習中も杏子のそばを離れず、冴子や花音、瑠月といった先輩たちも、さりげなく視線を配ってくれていた。
礼拝のあと、準備体操、ストレッチ、ランニング、筋トレ。
それが終わると、上級生は的に向かい、新入部員はそのまま基礎練習である徒手練習、足踏み・胴造りの徹底反復を続ける。休憩の時だけ、弓を引く先輩たちの背中を後ろから眺めることが許された。実際に弓に触れ、矢を放てるのは、まだずっと先の話だ。かろうじて、ゴム弓で、引き分け〜会の形まで進む日もある程度。壁立ち、鏡での姿勢矯正の仕方も学ぶ。
黙々と、何度も何度も同じ姿勢を繰り返す。
その単調な反復に耐えられず、すでに幾人もの新入部員が理由をつけては道場から姿を消していた。
だが、残った者たちは真剣だった。特に、経験者である小鳥遊つぐみと、杏子。素人の栞代の目から見ても、二人の所作は別格だった。
「小鳥遊さんと杏子さんは経験者だから、そろそろ的前に入ろう」
巡回していた拓哉コーチが二人に声をかけた。当然の指示だと栞代も思った。だが——。
「あの、コーチ。わたし、みんなと一緒に基礎練習の続きをやります」
杏子が一歩下がり、静かにそう言ったのだ。
コーチは真っ直ぐに杏子を見ると、一瞬の間を置いて、小さく頷いた。
そのやりとりを見ていたつぐみが、不思議そうに目を丸くする。
「え〜、あれだけ引けるんだから、的前に行った方がいいんじゃない?」
つぐみの言葉に、栞代も慌てて横から口を挟んだ。
「杏子、いいのか? オレに気を使わなくていいんだぞ。まさか練習中にはちょかいもかけないだろうし」
素人のオレに付き合わせては申し訳ない。そう思っての言葉だったが、杏子はふにゃりと優しく笑った。
「違うの。基礎はいくらやっても足りないから」
「……おばあちゃんが?」
栞代が冗談めかして尋ねると、杏子は屈託なく「うん」と明るく頷いた。
栞代は、ふうと息を吐き、改めてつぐみの方に視線を向けた。入部してから、まだほとんど言葉を交わしていない。
「ところで、つぐみも経験者だったんだな」
栞代がそう尋ねると、つぐみは待っていましたとばかりに、少し顎を上げた。
「栞代はバスケやってたから知らないだろうけど……杏子は私のこと、知らないの?」
振られた杏子は、少し肩をすくめた。
「あっ、ごめんなさい。わたし、中学の時、学校に弓道部がなくて、ずっと地元の道場に籠もってて……試合にも出なかったから」
つぐみはこれ見よがしに胸を張った。
「私、中学の時、個人で全国準優勝してんだよ」
「すごい……」
杏子が思わず身を乗り出す。
その隣で、栞代は口を半開きにしたまま固まっていた。
つぐみは、顔を上げ、真っ直ぐに杏子を見ている。ほとんど睨んでるに近い。口の端を少し吊り上げた。
「なんか、自己紹介の時から杏子に話題さらわれっぱなしだったけど、私もトップ目指してるんだ。杏子と違って私の目標は個人だけど……別に、団体戦を拒否してるわけじゃない」
そう言って、つぐみは栞代に向き直り、今度はその強い視線で真っ直ぐに射抜いてきた。
「だから、あとは栞代、あんた次第だからな。頼むぞ」
「ぬぐぐ……」
まさかの全国準優勝実績者からの、激しいプレッシャー。栞代は低く呻きながら、拳をギュッと握り締めた。
だが、今まで疲労で震えていたはずの腕の奥底から、熱いものが湧き上がってくるのを感じた。
「でもさ、杏子。めっちゃ強力な味方できたな」
「うん!」
「——なんか、燃えてきたわ~~~~っっ!」
栞代は大きく息を吐き出すと、的前に立つ先輩たちから目を逸らし、再び黙々と基礎練習の姿勢に入った。
まだ遠い雲の上だと思っていた『全国』という舞台が、急に手を伸ばせば届く場所にあるような気がして。
汗を拭う栞代の口元には、抑えきれない不敵な笑みが浮かんだ。




