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第47話 合宿最後の練習

合宿の全日程が終わった。明日は朝食を取り、館内を清掃したら、バスで学校へ戻るだけだ。

五日間は、短かったようにも、ずいぶん長かったようにも思える。それでも杏子の中に残っているのは、毎日たくさん弓を引けた楽しさだった。

栞代と並んで道場から宿舎棟へ戻る途中、杏子は振り返った。

もう少し、ここで引きたい。

その気持ちが、急に胸の中へ湧き上がってきた。


「杏子、どうしたん。ぽーっとして。ま、弓握ってない時は、基本ぼーっとしてるけどな」

「ひどーい」

「今のぼー、は、なんか考えてただろ」

「え?」

「目が動いている時は、なにか考えてる時だからな。ぼーの中にも種類がある」

「何よ、それ~」

栞代はひとしきりケラケラと笑ったあと、もう一度真面目な顔で聞いてきた。

「で、何考えてたんだ? 帰っておじいちゃんと何をして遊ぶかってこと?」

「あ、それ完全に忘れてた」

「ははははっ。おじいちゃんかわいそー」

「いや、だって、おじいちゃんの希望通りにするだけだもん」

栞代は楽しそうに肩を揺らした。

「で、本当はなんだ?」

「いや、その~、あの~」

栞代を上目づかいでちらちらと見ていると、笑ってた栞代が大きく溜め息をついた。

「は~。分かった分かった。先に部屋に帰っといて」

「え?」

まだ何も言っていないのに、栞代はそう言って、くるりと背を向けてスタスタと行っちゃった。


杏子は、引き戸をそーっと開ける。戸車が小さく鳴り、先に部屋に帰っていたつぐみが声をかけてきた。

「あれ? 栞代は? 一緒じゃなかった?」

「いや、さっきまで一緒に居たんだけど、急にどっか行っちゃった。先に帰っといてって」

「珍しいな。一心同体だろ、お前ら」

そう言ってつぐみは笑った。

「もう荷物はできてんのか?」

「うん」

「お前、整理整頓能力結構あるよな。弓しかできないのかと思ったけど。合宿はいろんな発見があって面白かったよ」

そんなたわいもないことを話してると、栞代が戻ってきた。

「栞代、お前どこ行ってたんだよ」

「ああ、拓哉コーチのとこだ」

「なにしに?」

「いや、明日もう練習の予定無かっただろ。だから、早朝練習させてくれって直談判してきた」

「えーっ。お前明日はせっかくゆっくりと寝られるんだぞ」

「いや、だから自主練習だって。つぐみはゆっくり寝てたらいいんだよ」

「ああ、私は寝かせて貰うよ。なんだよほんと。……杏子~。言い出しっぺはお前だろ?」

「つぐみ、杏子は何も言ってないよ」

「嘘つけ。寝るより弓が好きなのって、世界探しても杏子しかおらんわ」

「だから、つぐみは寝てていいってば」

「当たり前や。絶対起きるかいっ」

「で、杏子、どうする? 何時からする? いつもの時間でいいかな?」

「あ、栞代。分かってたんだ」

「まあな。杏子があの顔する時は、だいたい弓道のこと考えてるからな。明日は返ってから中田先生ところに行く予定だろうけど、バス遅れる可能性もあるし、不安になるのも分かるよ」

「私には全く分からんけどな」

「で、いつも通りでいいか? もし早くするなら、連絡してくれって言われたからさ」

「あ、うん。起床時間はそのままでいいんだけど、道場には早めに行っていいかな?」

「でたよ」

「だからつぐみ、お前は寝てればいいんだってば。それじゃ、もう一回それ、言ってくるわ」

「まて、栞代。予定にない練習なんだから、ちゃんとあかねたちと冴子さんたちにも一言言っておけよ。朝突然言われても、心の準備が間に合わないだろ」

「え? いや、杏子とオレだけでするつもりだけど」

「あほか。お前はチームワークというものが分からんのか。ちゃんと言って休むのはそりゃ自由だけどな。抜け駆けはあかん、抜け駆けは」

「ああ、分かった分かった。ついでに言ってくるわ」

そう言って栞代はまた出て行った。

「ほんまに、杏子、お前も迷惑なやつやで」

「あ、う、うん。ごめん」

「じゃあ、私はもう寝るから。栞代が帰って来ても静かにしてくれよ」

「う、うん分かった」

そう言ってつぐみは布団をかぶった。


杏子は、寝ることと起きることに、特に困ったことは無かった。起きたいと思って、寝る前に起きる時間を思い浮かべたら、だいたいその時間に起きることができた。


合宿でも、起床時間の前には大抵起きていて、栞代たちを起こす役だった。合宿から帰るこの日も、杏子は一足先に起きた。いつもは二人を起こすところだが、今日はつぐみは起こさないように注意しないと、と思ってゆっくりと布団から起き上がった。

「おはよう、杏子」

声をかけられて、ビクンとした。

「あ、つ、つぐみ。今日は寝てるんじゃ?」

「杏子、お前はチームワークというやつが全く分かっていない。さあ、顔洗いに行くぞ。ほら、栞代、さっさと起きんかいっ」

つぐみは栞代の布団をひっぺがすと、さっさと先に顔を洗いに行った。栞代が

「お、もう朝か。さっき寝たばっかりな気がする」と言いながら身体を起こした。


栞代と二人して洗面所に行くと、一年生が揃ってた。つぐみが文句言ってる。

「まったく、杏子どうにかしてや。私は眠たい言うてんのに、蹴り起こされたんやで」

もう、そんなことしてないのに。

杏子はちょっと頬を膨らませ、口を尖らした。あかねが続く。

「ほんま、今日は、ゆっくり寝られると思ったのになあ。ええ迷惑やでまったく」

「そやから、自主練習や言ってるやん」

栞代が突っ込むと、あかねはつぐみとまったく同じ顔をして、

「栞代、お前、チームワークって知ってるか?」と言い返していた。まゆは眠そうに目を細め、紬はいつもと変わらない顔で歯ブラシを動かしていた。

瑠月さんや沙月さん、冴子さんたち二年生も同じようにやってきた。

「あら。冴子さんたちも来たんですか? 寝てていいんですよ?」

今度はあかねがそう声をかけると、冴子さんは言った。

「あかね、お前、チームワークって知ってるか?」

あかねが返事に困っていると、花音部長たちまでやってきた。

冴子さんが訊ねた。

「三年生も、参加されるんですか?」

「冴子、チームワークって知ってる?」


拓哉コーチから話を聞いた臨時コーチたちも、いつの間にか道場へ集まっていた。一通りの基本をチェックし、それぞれが的に向かった。最後は、一人ずつ四射みんなの前で引くことになった。

「最後は、言い出しっぺの杏子にする? それともつぐみが引く?」

花音部長が声をかけた。

杏子は、やはりここはつぐみが相応しいと思い、「つぐみで」と応えた。

仕方ないなあ、と顔に表しながら、つぐみが頷いた。

つぐみの最後の矢が的を鳴らすと、誰からともなく全員が笑った。


朝食をいつも通りに取り、そのあとは全員での館内掃除。コーチのチェックを受けたら、シャワーを浴びる許可が出る。


「杏子、手、止まってるぞー」

栞代が雑巾を動かしたまま、横目で杏子を見た。

「あ、ごめんなさい」

杏子は慌てて雑巾を絞り直した。

早く仕上げたらシャワーをゆっくりと使うこともできたが、頭にはおじいちゃんの顔が浮かんでいた。

わたしはいつもみんなが居てくれたから楽しかったけど、おじいちゃんとおばあちゃん、いや、おじいちゃんは寂しかっただろうな……。帰ったら、きっと大変だ。


五日間も家を空けたのは、生まれて初めてだった。

中日に面会に来たおじいちゃんは、本気で一緒に帰ろうとしていた。あのあと届いたLINEは妙におとなしかったから、きっとおばあちゃんに釘を刺されたのだろう。

途中のパーキングエリアで、お土産も探そう。

そんなことを考えながら手を動かし続ける。

「また杏子は、ぼけーっとして~」

栞代にまた注意された。

「早く終わってシャワー行こうや」

栞代がそう言った時、紬がやってきた。

「あれ? 紬どうしたん? 先シャワー浴びててええんやで。手伝いに来てくれたん?」

「それは、わたしの、課題では、ありません」

そう言いながらも、まだ残ってる床の雑巾がけを黙々と手伝ってくれた。

「チームワークやなあ」

栞代の声が嬉しそうだった。



洗髪はできないが、シャワーを浴びるとやっぱり気持ちが違う。

宿舎の玄関で、神楽木さんと挨拶。そして、後半組の臨時コーチたちへの感謝の言葉と、メッセージの交換が行われていた。前半組のコーチたちを見送った時と同じような光景なのに、人が違うとまた全然印象が違う。

花音部長が、部員を代表して深く頭を下げた。

「本当にありがとうございました!」

部員たちもそれに続いて声を揃える。

徳永コーチが少し照れたように微笑んだ。

「みんなの熱心さに、私たちもたくさん刺激をもらいました。インターハイでは、君たちらしい弓を引いてきてくださいね」

江原コーチも深く頷く。

草林コーチは陽気に手を振りながら、「君たちの射を忘れることはないよ。今度会う時には、みんなが新しく覚えたことを、俺にも教えてくれよ!」と明るく言い、温かい笑いに包まれる。

その横で大和コーチが静かに頷きながら、杏子たち一人ひとりに、小さな封筒に入ったメッセージカードを手渡していった。


コーチたちとも別れ、光田高校の弓道部は、バスに乗り込んだ。

滝本顧問が声を上げた。


「朝から練習で眠たいことでしょう。すぐに寝てもいいんですが、三年生の皆さん。インターハイでの目標を聞かせてください」

滝本顧問の問いかけに、スッと静まり返る。

「三年生にとって、高校生活最後のインターハイです。まずは後悔しない射をすること。そのうえで、団体予選を突破して、決勝トーナメントへ進みます」

拍手に包まれた。

花音先輩が目を輝かせている。他の三年生たちも力強く頷いた。

「瑠月さんは?」

花音部長が話を振った。

「はい。わたしも最後のインターハイ。思い残すことがないようにしたいと思います。目標は、団体、個人とも、予選突破ですね」

「つぐみは?」

「私の目標はずっと決まっています。打倒・雲類鷲麗霞うるわし れいかですよっ!」

入部時から全くブレないつぐみの目標宣言は、聞いていてとても気持ちが良かった。がんばれ、つぐみ。壁はとてつもなく高いけど。この世に絶対なんてない。



「インターハイが終わったら、盆明けにまたここに来るんだよね」。

宿舎も見えなくなった頃、杏子は振り返って栞代に呟いた。

今度は絶対に、おじいちゃんが『ワシも一緒に行く!』って言い出すだろうな……。それより、おじいちゃん、家、出してくれるかな?


インターハイに向けて、まずは一旦、光田高校へ戻って解散・再調整となる。

静かに揺れるバスの座席で、杏子は先ほどもらった四枚のメッセージカードをゆっくりと開いた。


【草林吾朗コーチより】

合宿お疲れ様!

杏子さんの落ち着いた笑顔には、周りを安心させる力があります。これからも、弓を楽しむ気持ちを忘れないでください。

追伸:インターハイが終わったら、みんなで流しそうめんをしよう!

拓哉には嫌がられたけど、勝手に予定へ入れておきます。

君の心意気に乾杯!


ふふっ。

杏子が思わず笑いをこぼすと、周囲の席からも、栞代たちの笑い声が聞こえてきた。きっとみんなのカードにも、同じような追伸が書かれているのだろう。

「心意気に乾杯」は、おじいちゃんがよく口にする「君の瞳に乾杯」に少し似ていた。

あと少しだね、おじいちゃん。もうすぐ帰るよ。

杏子は次のカードを開いた。


【大和慎吾コーチより】

「正しい姿勢」を大切にする姿から、私も多くを学びました。

これからも、杏子さん自身が楽しいと思える弓道を続けてください。

追伸:いつか「弓道における時間知覚と精神集中」について話しましょう。

な、なんだか難しいことが書いてある。

杏子は首を傾げ、三枚目のカードを手に取った。


【徳永由実コーチより】

初心者へ助言する時、答えを押しつけず、相手が自分で気づくまで待っていましたね。

その優しさと誠実さを、これからも大切にしてください。


【江原順子コーチより】

自分が出場することより、チームに必要な選手を選んだ判断に驚きました。

次に全国の舞台へ立つ時は、今度こそ杏子さん自身の射を見せてください。


四枚のカードを封筒へ戻し、杏子は胸元でそっと重ねた。朝、もう一度だけ弓を引きたいと思った。けれど、道場へ集まったのは杏子一人ではなかった。

栞代も、つぐみも、あかねも、紬も、まゆも。二年生も三年生も、眠そうな顔で弓を持ってきた。

杏子は隣の席を見る。

栞代はもう眠っていて、窓に頭をぶつけるたび、小さく揺れていた。

一人で引いているんじゃない。

そのことは、カードを読まなくても、今朝のみんなが教えてくれていた。

杏子は四枚の封筒を鞄へしまい、栞代の頭をそっと自分の肩へ寄せた。

窓の外で、青嶺の山が少しずつ遠ざかっていった。

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