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第43話 肝試し

試合が終わり、休憩が告げられた。

部員たちは大きく息を吐き、次々と宿舎へ戻っていった。

だが、杏子は栞代と紬、あかねの三人と一緒に、的の前に残っていた。

「あの、少し練習していいですか?」

拓哉コーチは、その申し出に小さく頷いた。見学席では、おじいちゃんとおばあちゃんが、目尻を下げてこちらを見守っている。


せっかくおばあちゃんたちが見に来てくれてるんだ。自分の引く姿を見てほしいんだろうな。

栞代は、静かに弓を撫でる杏子の気持ちを察し、ポンと肩を叩いた。

「オレも少し居残り練習していくわ。あかねはどうする?」

「付き合わんとしょうがないやろ。チームワークが一番やからな」

「紬は?」

「……それは、わたしの、課題では、ありません」

いつもの涼しい顔で応えた紬は、言葉とは裏腹に用意を始めた。

試合結果をまとめていたまゆも、後方から見つめている。

「あかねさん、少し肩に力が入っているわ。もっと抜いて」

「紬さん、呼吸を整えて」

今日が最終日となる神矢コーチと稲垣コーチの指導の声が飛ぶ。言葉のタイミング一つ一つに、経験が滲み出ていた。



夕食の時間が近づき、練習を終えて食堂へ向かうと、そこには約束のプレゼントが用意されていた。

「今日の夕食は、牛肉食べ放題だ!」

拓哉コーチの力強い宣言に、「うおおおっ!!」と男子部員たちの歓声が上がる。

男子の歓声に比べれば、女子側の反応は控えめだった。喜んではいるものの、何人かはすでにデザートの話を始めている。

「えー、肉ねぇ……」

「試合で疲れてるから、そんなにガッツリはちょっと……」

「とにかく、早くデザート食べたい」

あかねが呟くと、拓哉コーチは視線を伏せ、ゴホンと咳払いをした。栞代には、口元が緩みかけたのを、咳払いでごまかしたように見えた。


「いただきまーす!」

賑やかな夕食が始まった。おじいちゃんは、当然のように栞代たち一年生のテーブルに陣取り、すっかり上機嫌だ。

……ていうか、おじいちゃん、食べ放題の肉を何度も何度も取りにいってるけど。あのー、それ、部員のためのご褒美なんですけど? おじいちゃんはちょっとは遠慮という言葉を知るべきでしょ。いや、でも待てよ。今日の勝利には杏子も大いに貢献したわけだし、おじいちゃんにもちょっとは権利がある……のか?


男子連中は、焼肉食べ放題に釣られて限界まで食べたのか、お腹が三倍ぐらいに膨れて完全にダウンしている。女性陣は、いつものように普通に食事を楽しんでいた。たしかに美味しいお肉ではあった。

だが、女性陣の本命はここからなのだ。


「コーチ、そろそろデザートの出番なんですけど」

あかねが空になった皿を脇へ押しやり、身を乗り出した。


「そうだな。そろそろデザートを出そう。デザートは、信濃菓寮雪代堂の『千重林檎』だ」

「えーっっまさかと思ったけど、マジですかっコーチっ」

あかねがいきなり立ち上がり、興奮して叫んだ。

「あかね、なんか有名なんか?」

「栞代、めっちゃ有名やねん。予約せんと買えないんやで。私なんか仮病を使ってでも買いに行きたかったんやけど、考えたら足ないねん。そいえば、パティスリー・エトワールのガトー・オ・フレーズといい、拓哉コーチって意外と甘党なんかな? 心は女子高生か?」

あかねが興奮のあまり、意味不明なことを口走っていた。

三年生と二年生の女子からも割れんばかりの大歓声が上がってる。まったく、現金なことだ。栞代は天を仰いだ。

それにしても、一年生はあかねを除いて大人しい。いや、まゆは良く見ると頬を紅潮させている。しかし、杏子はぽかんとし、紬は相変わらずだ。どうやらオレたちは、スイーツに関してはまるで世間知らずなようだった。


「ふふふふふふ」

その時、おじいちゃんが急に不気味な笑い声を上げた。

「まさか、コーチがアップルパイを用意しているとは知らなかったが、偉大なこのわしが、手ぶらで杏子の愛する弓道部におじゃますると思っているのか?」

いったい、どういうことだろう? 

杏子を見ると、杏子は先程からずっとぽかんとした表情を変えていない。

おじいちゃんが神楽木さんに合図をすると、神楽木さんが、今日の焼肉のためのお手伝いさんと一緒に箱をいくつも持ってきた。

その箱には

『峰澄堂謹製 こがねのひと匙』

と立派な筆文字で書いてある。


なんだこれ? あかねに聞こうとした瞬間、

「うおおおおっ!! 杏子のおじいちゃん、神っ!! 峰澄堂のこがねのひと匙やんっ。」

女子部員たちから、アップルパイに負けじ劣らぬ大歓声が巻き起こる。「お礼を言うように」というコーチの言葉を待たずして、あちこちから「ありがとうございます!」の声が飛んだ。

おじいちゃんは鼻高々で胸を張り、おばあちゃんも隣でニコニコしている。

男子には一個ずつ。女子の前には、なぜか二個ずつ並べられた。


コーチが用意したのが、華やかな『千重林檎』。

事情を何も知らないおじいちゃんが持ち込んだのが、『こがねのひと匙』。どちらも地元が誇る予約必須の銘菓らしい。


「なんで今日だけ菓子博覧会みたいになってんのかなあ。ちょっと明日に置いとこうよ」

あかねが恍惚とした表情でプリンを味わっている。栞代にとってみれば、コンビニのプラスチックケースじゃなく、ガラス瓶に入っているから『いい品』なんだろうな、程度の感想でしかなかったが。

ところが、ひと匙すくって口へ運ぶと、形を保っていたプリンが舌の上ですっとほどけた。

栞代は黙って二口目をすくった。どうやら、評判の理由は瓶だけではないらしい。



熱気が落ち着いた頃、拓哉コーチがパンと手を叩いた。

「本日は夜のミーティングは中止にする」

部員たちが驚いて顔を上げる。

「その代わり……レクレーションとして、肝試しを行う」

「えっ!?」「うそっ!」

食堂がどよめきに包まれる。

「肝だめしと言っても、朝のランニングコースを一周して帰ってくるだけだけど。途中にあるほこらの前に箱を置いておく。そこに、光田高校弓道部のオリジナルキーホルダーを入れておいた」

そこでコーチは、マネージャーのまゆに視線を送った。

「デザインはまゆさんが考えてくれた。作成費用は滝本先生と我々コーチ陣の奢りだ。合宿の記念として、必ず一人一つ、持って帰ってくるように。……ちゃんとチェックするから、いくつも取るなよ」

コーチの冗談に、栞代はすかさず声を上げる。

「いや、たくさん持って帰る奴なんておらんやろ!」

「いやいや栞代、ネットで高値で売るやつがおるかもしれんぞ」

あかねがニヤニヤしながら応戦する。

「だって、まゆのデザインやで? 今はただの合宿記念でも、将来絶対にプレミアつくって! まゆが有名なデザイナーになるかもしれんし、アイドルかもしれん!」

「それに、これからインターハイで雲類鷲麗霞を破った『小鳥遊つぐみ』が所属している光田高校弓道部のキーホルダーだからな! 大会後に価値は爆上がり間違いないわ!」

相変わらず強気なつぐみの発言に、部員たちから「おーっ!」と拍手と笑いが起こった。


「女性は二人一組のペアになってもらう。抽選を行うが……まゆさんは車椅子で参加するため、あかねさんとペアになってもらう」

あかねが「任せとけ!」と胸を叩く。

「それから、女子チームは特典がある。男子部員でもコーチでも、好きな者を『用心棒』として一人選んで同行させていい」

歓声と悲鳴が入り混じる中、夜の新たな冒険への期待が、静かに膨らんでいった。



集合場所は、道場前。足元を照らす懐中電灯を手に、ペアが順番に出発していく。

道の両側には反射材が置かれ、要所にはコーチ陣も待機していた。

冴子さんや花音部長たちは男子部員を用心棒に指名し、あかねとまゆのペアには、安全に配慮して深澤メンタルコーチが同行することになった。

栞代とつぐみの強気コンビは、当然のように用心棒を断った。

「私たちだけで十分です」

言い放つつぐみの横で、栞代も頷く。


「じゃあ、わたしと紬は、おじいちゃんをお願いします」

杏子がそう言うと、隣で紬がブルブルと震えながら杏子のジャージの袖を力強く握りしめていた。

「おじいちゃんは、全然怖がらないから、大丈夫だよ、紬……?」

杏子が優しく微笑みかける。

「そ、そ、それは、わ、わ、わたしの、か、課題では、ありません」

声の震えが半端じゃない。普段のあの鉄面皮はどこにいったんだよ、と栞代は心の中でツッコんだ。一応セリフ自体は間違っていない。まだギリギリ自我を保っているようだ。


「さあ、ワシらも行くかのう!」

おじいちゃんが豪快に笑い、杏子たちのペアが出発する。少し時間を空けて、栞代とつぐみペアもその後を追った。

田舎ならではの暗闇と、鬱蒼とした木々のざわめき。

臨時コーチたちがコースの途中に潜み、安全を確認しつつさりげなく驚かす演出をしてくれているらしいのだが……。虫対策、大変だろうな。


強気でガンガン歩くつぐみに付き合っていると、いつの間にか、前の三人組に追い付いてきた。どこか様子がおかしい。

「ほら、あそこに何か光るものが……」

「ひゃああっ!?」

おじいちゃんが適当なことを言って脅かすたびに、紬が短い悲鳴を上げて杏子の後ろに隠れる。

「もうおじいちゃんっ。紬、大丈夫?」

「わ、わたしの、課題……っ」

ついにセリフが壊れてきた。

杏子の袖を絶対に離そうとしない紬。栞代とつぐみは、二度とない光景だと目に焼き付けていた。

突然、草むらから『ジージーッ!』と巨大な虫の羽音が鳴った。

「きゃああっ!?」

紬が悲鳴をあげて杏子に抱きつき、その杏子はおじいちゃんに抱きついている。

この古典的な役得。栞代は、この肝試し企画はおじいちゃんが言い出したんじゃないかと思った。

いつの間にか五人はひとかたまりになって歩いていた。結局、最後まで紬は杏子の腕にしがみついたままだし、おじいちゃんは杏子にしがみつかれ、暗闇の中で一人顔を輝かせていた。

栞代は疑うのをやめた。まあ、プリンもあったし、役得なら、それはそれでいいか。

全てのペアが無事にコースを終え、手にしたキーホルダーを月明かりに透かしてみる。まゆがデザインしたという弓と矢の意匠は、洗練されていて本当にかっこよかった。それに。

「まゆ、これ、今日の月の形やんっ」

あかねが声を上げた

「これに価値を付けていくのは、オレたちだぜ」

男子部員の一人が誇らしげに言うと、全員が深く頷いた。

あかねが「まゆのサイン欲しい人は早めにね! 私、専属マネージャーだから!」と茶化し、またドッと笑いが起きた。

栞代は笑いながら、もう一度キーホルダーを月へ重ねた。

月がぴたりと重なる。

もしも将来、どれほどの値段が着いたとしても。

ただ、これは絶対に手放せないな。

栞代はそう思いながら、キーホルダーを掌の中に包んだ。

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