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第42話 合宿中日

五日間の合宿も折り返し、三日目の朝を迎えた。

早朝練習を終えて食堂へ集まった部員たちは、初日より明らかに口数が少なかった。肩を回す者もいれば、座るなり机に肘をつきかけ、慌てて姿勢を戻す者もいる。それでも、拓哉コーチが前に立つと、全員の顔が一斉に上がった。

「今日から、新しい臨時コーチの方々に来てもらった」

朝食前、拓哉コーチの言葉に、栞代たちはコーチの横に並ぶ見慣れない顔ぶれに視線を向けた。

「私の大学時代の同級生である、草林先生、大和先生。そして滝本先生の弓道仲間である、徳永先生、江原先生だ」

草林、大和の両コーチが軽く会釈する。続いて、徳永コーチと江原コーチが穏やかに頭を下げた。

……なんだか、既視感のある光景。まさか今までの出来事は夢で今からもう一度合宿の最初からやり直し、なんてことはないよな。想像しただけで、栞代は頭がクラクラしてきた。

「深澤剛先生にも来てもらった」

深澤コーチが穏やかに頷くのを見て、張り詰めていた空気が和らいだ。見慣れた顔が一人混じっただけで、栞代の肩から力が抜けた。

「さて」拓哉コーチが軽く咳払いをする。「本日は、合宿の中日ということで、特別な練習メニューを用意した」

食堂内が、水を打ったように静まり返る。

「午後から、試合を行う」

「試合?」

栞代は思わず声を漏らした。

「ああ。コーチ陣チームと、部員チームとの対抗戦だ」

その言葉に、食堂がにわかにざわめき始める。「コーチと対決?」「勝てるわけない」という戸惑いの声があちこちから上がる中、コーチはにやりと笑った。

「コーチチームが出した高い方の的中数を、部員チームのどこか一組でも上回れば、部員全員の勝ちとする」

「勝ったチームには、特別なプレゼントがある。しかも、君たちが一つのチームでも勝利すれば、全員にプレゼントする」

「いやいやいや! コーチと試合して勝てる訳ないやん!」

プレゼントと聞いて一度は目を輝かせたあかねが、すぐさま現実に戻ってツッコミを入れる。

「大丈夫だ、ハンデは考えてある」

コーチの説明によれば、チーム編成はこうだ。

コーチ陣は「男性チーム」と「女性チーム」の二組。

部員側は「インターハイ出場チーム」「女性チーム」「男性チーム」「混成チーム」の四組。

「コーチ陣は『二十四センチの的』を使用する」

その言葉に、栞代たちは顔を見合わせた。二十四センチ的と言えば、定期的に杏子とつぐみが練習している的だ。……でもあれ、杏子やつぐみは練習で普通に中ててたよな。コーチたちなら二十四センチ的でも普通に中ててくるんじゃないか。栞代の顔が曇る。

「プレゼントの内容は、試合後のお楽しみだ」

拓哉コーチが意味ありげに笑い、朝のミーティングは解散となった。


練習は、試合に向けた調整も兼ねて、栞代たちの体力系のメニューはほぼ省略された。

道場の奥では、コーチ陣も順番に練習をしていた。

「……すごい」

栞代は思わず手を止め、その光景に見入ってしまった。

的前に立っているのは、拓哉コーチだ。普段、コーチが部員の前で自ら弓を引くことはなく、栞代たち一年生にとっても初めて見る指導者の射だった。

弓が力強く押し開かれ、圧倒的な気迫とともに矢が放たれる。

「あれは、樹響流じゅきょうりゅうという武術系の射ね」

栞代の視線に気づいた徳永コーチが、優しく教えてくれた。

「みんなが習っている正面打起こしとは型が違うけれど、伝統のある由緒正しい流派なのよ」

その言葉通り、杏子の射が静かに的へ届くものなら、拓哉コーチの射は、最初から的を貫通させるための矢のように見えた。杏子もその射から目を離せずにいる。

「インカレを二度制した力は、全然衰えてないわね」

「えっ」

栞代と杏子の声が揃った。

「休学して無かったら、もっと勝っていたかもしれないけど」

徳永コーチの言葉に、栞代と杏子は、ただただ、呆然としていた。

「な? 私がコーチを慕って、わざわざ光田を選んだ理由が分かっただろ?」

つぐみが、どこか誇らしげに杏子に耳打ちしていた。


午前の練習が終わり、片づけをしていた時、道場まで声が届いた。

「ぱみゅ子ーっ! 元気かーっ。もう三日も顔を見てないんじゃぞっっ。随分大きくなったやろのう!」

「あ、おじいちゃんだ」

杏子の口元がほどけ、今にも駆け出しそうだ。小学生かよ。

おじいちゃんも、まるで道場破りの勢いじゃねーか。

栞代が入り口へ目を向けると、おばあちゃんが「静かにっ。道場よ」と注意していた。

徳永コーチの目元が、ふっと柔らかくなった。

まるで、自分の娘でも見るような温かい顔だった。


片づけを終えて道場から出てきた杏子を待ちきれないように、おじいちゃんはまた叫んでた。

「ぱみゅ子ぉぉぉ!」

おじいちゃんは杏子の姿を見つけるなり、両腕を広げて駆け寄ってきた。

「お、おじいちゃん?」

次の瞬間、杏子は肩ごと抱き込まれていた。

「三日も会えんかったんじゃぞ! もうわしから離れんでくれええ!」

「おじいちゃん、く、苦しい……」

杏子が困ったように笑いながら背中を叩く。

「いや、まだ足りん。もう少し充電させてくれ」

「何を充電してるんだよ」

栞代が呆れて口を挟むと、おじいちゃんは杏子を抱えたまま言った。

「わしゃぱみゅ子パワーが無いと、死んでしまうんじゃ」

おじいちゃんの必死な顔を見ていると、意外と本当かも、と思わせる切実さがあった。

とはいえ。

「おじいちゃん落ち着けって」

栞代はそう言い、おじいちゃんの背中をポンポンと軽く叩いた。


滝本顧問と拓哉コーチも呆れつつ、昼食は同じテーブルで食べることを認めた。神楽木さんや臨時コーチたちへの挨拶もそこそこに、おじいちゃんはずっと杏子に話しかけ離れようとしない。どうやら杏子しか目に入らないようだ。おばあちゃんが横で丁寧にフォローしてる。


だが、おじいちゃんは、初対面を初対面のままにしておけないようだ。食事が進むにつれ、臨時コーチにも三年生にも遠慮なく話しかけ、いつの間にか大きな輪ができていた。

まったく、どこへ行っても居場所を作ってしまう。杏子もその隣でしっかり楽しそうに笑っている。


食事を終えると、午後二時までは完全休養だ。弓道場は施錠され、ゴム弓も拓哉コーチに回収されている。

栞代は、手持ち無沙汰になると徒手練習を始めようとする杏子を抑え、昼寝に誘って、短い昼寝をするのが杏子のパターンだった。

談話室では、おじいちゃんが臨時コーチたちを相手に、昔からの知り合いの顔で話し込んでいた。コーチ陣も杏子の歴史に興味があるらしい。

杏子はその隣に腰を下ろしている。


そこへ、まゆがあかねに付き添われ、記録用のファイルを抱えてやってきた。

「おじいさん、杏子さんの合宿での様子です。良かったらどうぞ」

「おお、まゆさん。かたじけない。気が利くのう。紅茶飲みにおいでよ。見せて見せて」

まゆはファイルを開き、杏子の欄を指さした。練習の様子だけではなく、食事をきちんと取れているか、睡眠を取れているか、体調管理の記録もしっかりと記されている。『わたしは三年生を中心に見ているので、杏子さんの矢数は全部ではありません』

ノートにそう書き、おじいちゃんへ見せる。

「でも、中っとるんじゃろ?」

おじいちゃんが首を傾げると、拓哉コーチが横から覗き込んだ。

「中っている時ほど、丁寧に、ですね」

コーチ陣からの指摘も記入されている。

拓哉コーチは杏子を見た。

「二時までは完全休養。分析するのも禁止だ。午後は、俺と初めて試合をするんだからな」

拓哉コーチの口元が、わずかに緩んだ。

おじいちゃんが、自分の肩をぽんぽんと叩く。

「ぱみゅ子、ちょっと寝い~」

「寝ないよ。もう子供じゃないんだから」

そう言い張っていた杏子だが、十分後には、おじいちゃんの肩にもたれかかり、寝息をたてていた。

「ほほほ。この寝入りの良さは、わしの遺伝じゃな」

おじいちゃんは、世界で一番大事な役目を任されたとばかりに幸せいっぱいな顔をしている。身動き一つせず、杏子を支えていた。



午後の道場。

深澤コーチの進行のもと、コーチ陣との対抗戦の幕が上がった。

道場には、公式戦さながらの特別な緊張感が漂っている。順番は抽選で決められた。


「まずは、三年生チームから」

最初の組として、花音部長をはじめとする三年生たちが的前に立つ。一番手としての重圧の中、花音部長が二本、理子さんが二本。内容はまるで違ったが同じ的中数。他の三年生が一本ずつなんとか的中させ、合計七本で終えた。五月までまともに同じ方向を向けなかった人たちが、今は確実に積み上げている。栞代には、その七本が、華やかな数字ではないが、三年生がここまで重ねてきた時間そのものに見えた。


「次は、男性コーチチーム」

マネージャーのまゆが、マイクでアナウンスを入れる。

「コーチチームは、直径二十四センチの的を使用します」

改めて見ると確かに小さい。栞代にはまだまだとても無理な、別次元のものに思われた。

でもあれ、杏子やつぐみは、練習で普通に当ててたけど。栞代はイヤな予感がした。

一方あかねは「よっしゃ、ハンデでっか! プレゼントもらった!」と小声ではしゃいでいる。


だが甘かった。悪い予感の的中だ。

コーチたちが放つ矢は、次々とその小さな「的」に吸い込まれていく。草林コーチが二本外したが、稲垣コーチ、神矢コーチ、大和コーチの三人は三本、拓哉コーチに至っては、四本すべての矢が的を貫いた。皆中。結果、男性コーチチーム、計十五本。

あかねの顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのがわかった。


続く男子チーム。二年生だけでは五人に足らず、一年生との混成チーム。プレッシャーに耐えながら全員的中を出し、七本を記録。


そして栞代たちの、一年生の男女混成チーム。当初は、出場予定ではなかった。けれど、せっかくの機会だから試合の形を経験したい。的前に立って三日目の、ド素人チームがそう申し出た。拓哉コーチも、最後は頷いてくれた。

女子からは、栞代、あかね、紬。

あかねは、かなり緊張しているようで、同じ側の手と足が出そうになっていた。動きがロボットだ。

だが、紬は違った。普段から強心臓というか、周りに興味がないというか、完全に練習通りの動きだ。

的中は無かった。それでも、惜しい矢ばかりだった。二本は的のすぐ下。一本は右縁のわずか外。最後の一本も、安土へ深く突き刺さった。杏子の言う「たまたま」が外れる方向に振れただけのように栞代は思った。だが、栞代は、そんな紬の淡々とした姿を見て、徐々に落ち着くことができた。順番の妙だ。あかねも紬を見ることができれば、少しは落ち着けただろう。

練習通りに。その思いが栞代を包んだ。そして最後の一射

今の感覚は、かつて全国大会の決勝で、残り数秒のボールを任された時のあのヒリヒリした感覚に重なった。あかねからのボールを、紬が繫いで、栞代に託された。

足踏み。

胴造り。

弓構え。

栞代の最後の矢が、的を鳴らした。

一拍遅れて、歓声が上がる。

栞代は的を見たまま、ゆっくり息を吐いた。


続いて、女性コーチチームの出番となった。

変更された的を見て、白石コーチが声を上げる。

「やっぱり、二十四センチ的、小さいなあ」

だが、女性コーチ陣の射も、そのプライドを証明するかのように圧巻だった。コーチチームに加わった滝本顧問は、柔らかく美しい姿を見せたが、まだ戻りきっていないのだろう、二本的中。その分、徳永コーチが皆中し、ほかは惜しくも一本ずつ外したが、計十五本。男子コーチチームと並ぶ。

「やっぱり……」

プレゼントが遠くなったとばかり、あかねがその場に崩れ落ちた。


そして、最後に、本来なら主力と言える女子の下級生チーム。

ブロック大会を制した優勝メンバー。

瑠月をメンバーに入れた五人で試合をするのは最後になるかもしれない。

栞代たち一年生も含めて試合前に円陣を組んだ。

冴子さんが「最後かもしれない。最高の姿を見せよう。結果は『たまたま』だから、そこじゃない」

その言葉に全員が頷いた。

おばあちゃんの前でいつも通りの杏子。

杏子に劣らぬ美しさを見せる瑠月さん。

チームを明るく支える沙月さん。

チームを引っ張る冴子さん。

そして、つぐみ。

全員が、素晴らしかった。

ブロック大会の予選で見せた最高のパフォーマンスを再現して見せた。

杏子が皆中、瑠月さんが三本、沙月さんが二本、冴子さんが三本、そしてつぐみが最終矢を残して三本。つまりここまで十五本。コーチたちと並んだ。

そして最後のつぐみ。コーチ陣を凌ぐかどうかの勝負のかかった最後の一射。

道場の空気が、肌を刺すほどに張り詰める。

ここでつぐみが外せば引き分け。中てれば、女子下級生チームの勝利だ。

栞代は、祈るように両手を握りしめ、つぐみを見つめた。

蝉の声も遠くなり、つぐみの衣擦れの音と自分の心臓の鼓動だけが聞こえる。

つぐみはゆっくりと弓を持ち上げ、引き絞る。

その横顔は真剣そのもの。しかし、一瞬口元が微かに確かにあがった。つぐみ、楽しんでるな。

打起こし。

引分け。

乾いた弦音つるねが道場を弾き、矢が空気を切り裂いた。

「パンッ!」

的が射抜かれる甲高い音が響き渡る。

矢は、的のど真ん中に突き刺さっていた。

「的中!」

深澤コーチの宣言とともに、道場が歓声に包まれた。

十六本。女子下級生チームの勝利、そして部員全員がプレゼントを獲得した瞬間だった。


「やったーっ!!」

あかねが叫びながら、栞代に抱きついた。

「……さすが、つぐみやな」


「それで! プレゼントは何なんですか!」

興奮冷めやらぬまま、あかねは拓哉コーチに向かって声を張り上げた。

拓哉コーチが、満面の笑顔で告げる。

「今日の夕食は、牛肉食べ放題だ!」

うおおおっ、と男子たちの野太い歓声が上がる。

だが、女子ウケはイマイチだ。

「あ、それと、デザートには地元で評判のアップルパイも用意してある」

「それを先に言ってくださいよっ」

あかねが拳を突き上げた。

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