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第39話 ブロック大会個人戦の夜

夕食の宿舎の食堂には、ブロック大会個人戦の余韻がまだ残っていた。

夕食の席についた栞代たちの前で、拓哉コーチが立ち上がり、誇らしげに挨拶をした。

「杏子さん、優勝おめでとう。そしてつぐみさん、準優勝おめでとう。瑠月さんも六位入賞、本当におめでとう。冴子さんも、最後まで見事な射だった。

それから沙月さん。昨日の団体戦を含めて、君の支えがなければ、ここまで来られなかった」

「コーチ! 昨日はケーキだったけど、今日は何が出るんですか?」

あかねが食い気味に聞くと、コーチはもったいぶって頷いた。

「今日は昨日に負けない、素晴らしいものを贈ろう」

「えっ? なになに?」

あかねの声が響く。

拓哉コーチは、部員たちの期待に満ちた顔を一人ずつ見回した。

そして、片方の口角だけをわずかに上げる。

「……拍手だ」

そう言って、コーチが一人でパンパンパンパンと大きく手を叩き始めた。それに促され、栞代たちも苦笑しながら、杏子をはじめ今日戦い抜いた選手たちに大きな拍手を送った。

照れくさそうに笑う杏子や、誇らしげなつぐみたちに向けて、温かい拍手が響いた。


諦めきれないあかねが、もう一度聞いた。

「いやいやコーチ、もちろん他になんかあるんでしょ?」

「今日は『拍手』という最高のプレゼントだけで、他は何も用意してないぞ」

コーチが澄ました顔で言うと、あかねが不満げに口を尖らせた。

「えー! うちの高校が個人優勝したのに!? 団体でも優勝して、完全制覇したのにっ。デパートで、なんでも好きなもの選んでもいいのかと思ってたっ」

「あかね、地元帰ったら、たこ焼き奢ったげるから」

と、花音部長が慰めるも「えらい違いですやんっ。で、何個入りですか?」とあかねが返した。

そんなやりとりを引き取るように、拓哉コーチが口を開いた。

「その分、インターハイ前の合宿の初日の夕食の時、盛大な祝賀会を予定してるから」

部員たちから「えー」と軽い不満や笑いが漏れる中、栞代はあかねに続きツッコミを入れた。

「いやいやコーチ、今がまさに勝利の余韻のピークじゃんか! 合宿までお預けって殺生な!」

味方を得たとあかねが握手を求めてくる。

その場は一瞬笑いに包まれたが、コーチは慣れた調子で軽く受け流し「楽しみを取っておくのも良いもんだ。豪勢にいくから期待しててくれ」と口角を上げ、いかにも嬉しそうに目を細めた。



食後の宿舎のロビーには、家族が次々と訪れていた。

瑠月さん、冴子さん、沙月さんの両親たちが、それぞれの娘を抱きしめる。そして、個人戦優勝の杏子へと歩み寄り、祝福の言葉をかけていた。


瑠月さんのご両親は、誇らしさと穏やかな笑みを浮かべて杏子の前に立った。

「杏子さん、本当におめでとう。……瑠月と一緒に練習してくれて、ありがとうね。うちの子、杏子さんのおかげで本当に強くなったわ」

瑠月さんが「お母さんってば」と照れ臭そうに言うと、お父さんが落ち着いた声で続けた。

「いや、お母さんの言う通りだ。今日の試合を見ていて、私にも分かるくらい瑠月は成長していたよ。本当にありがとう」

その言葉に、杏子は慌てて首を振る。

「いえ、その、わ、わたしの方こそ、瑠月先輩が大好きで、あ、その……綺麗で憧れてて、優しくて、あの……その……」

顔は真っ赤だし、目は泳ぎまくっている。完全にキャパオーバーで本音がダダ漏れだ。見かねた瑠月さんが慌てて助け船を出しているのを見て、オレは思わず吹き出しそうになった。


次に冴子さんのお母さんも、感極まった様子で杏子の手を取っていた。

「冴子が杏子さんのことをいつも『特別だ』って言っていたのが、今日よく分かったわ。冴子も、あなたの姿から多くを学ばせてもらっているのよ」

「あ、あわわ、あ、あの、冴子先輩は、ずっと私を庇ってくれて……だから弓道部に残ることができて、だから優しくて……、でも、ちゃんと厳しいところもあって……あっ」

慌てて両手で口を押さえる杏子の姿を見て、冴子さんばかりか、ご両親も楽しそうに声を上げて笑っている。

そして沙月さんの両親も続き、杏子は同じように口ごもり、笑顔を招いた。


次々と向けられる家族からの感謝の言葉に、杏子は慣れることなく、ただただ目を白黒させていた。

その様子があまりに可笑しくて、そして少し誇らしくて、栞代はずっと見ていた。

杏子は、自分がどれだけのものを周りに渡しているのか、まるで分かっていない。

栞代は、改めて瑠月さんのご両親を見た。お母さんとは血がつながっていないと聞いている。

それでも、あんなに温かい関係を築けている。

「これからも瑠月をよろしくお願いしますね」

というご両親の言葉に、杏子が「あ、あ、あの、わたしの方こそ、これからも一緒にいていいですか?」と付け加えて、周囲の笑いを誘っていた。瑠月さんとお母さまが交わした温かい目配せに、栞代の胸の奥が少し疼いた。


一方、つぐみのお父さんは静かに現れ、短い挨拶だけを残してすぐに帰っていった。

「つぐみ、よく頑張った。すまん、仕事が忙しくてな。また今度ゆっくりな」

ぶっきらぼうで、それ以上何も語らず背を向ける父の姿を、つぐみは複雑な表情でじっと見送っている。お母さんの姿がないことを、誰も口にはしなかった。

つぐみは背中を向けたまま、何も言おうとしなかった。でも、その背中はいつもより小さく見えた。


そのうちに自然と、栞代たち一年生と、杏子のおじいちゃん・おばあちゃんで輪ができていた。

「いやー、今日の杏子の優勝は、ほんとにおばあちゃんの教え方が良かったってことだよな!」

オレが話を切り出すと、つぐみが冗談めかして応じる。

「いや、良すぎだよ。まさかこんなハイレベルなオバケになるとは。もう、ヤだ」

その言葉に、あかねが驚いたように目を見開いた。

「あの強気なつぐみが弱音吐いてる! よっぽど実戦での杏子は凄かったんだなぁ」

つぐみがあかねを真っ直ぐに見据えた。

「いや、マジで凄かったわ」つぐみは真剣な表情で続ける。「私、杏子のこと結構気にしちゃってさ。杏子に、自分のことだけ考えろって言ってたのに、自分がぶれちゃった。杏子に『相手を思うなんて余裕かますな、傲慢だ』って言っときながら、自分が同じことしちゃったわ。悔しくて悔しくてもう三年は寝られないわ」

だが、つぐみはもう引きずってはいないように栞代には思えた。

杏子は申し訳なさそうに首を振る。

「昨日のつぐみの言葉があったから。今日は夢中で姿勢のことだけを考えることができたんだ。心配させてほんとにごめんね。今日の結果は、ほんっとにたまたまだから」

「き〜っ! その言い方がまたムカつくんだよね〜!」

表面の言葉とは裏腹に、つぐみの声には優しい響きが含まれていた。

「ほんと、杏子のおばあちゃん! 時々は『違うことを考えて外してもいいのよって』言ってくださいよ〜!」

つぐみは杏子のおばあちゃんにすがるように言った。

「いや、わしは昨日、電話で『わざと外せ』って言ったんじゃよ!」

おじいちゃんが堂々と応えると、栞代はぴくぴくと頬を震わせた。

「いやー、残念っ。杏子はおばあちゃんの言うことしか聞かないからな〜!」

「な、なんじゃと……」

おじいちゃんが意外にもこたえたようだったが、すぐに、

「栞代〜〜! わたし、ちゃんとおじいちゃんの言うことも聞いてるから!」

真っ赤になって抗議する杏子を見て、みんながドッと笑う。


栞代は、ひとしきり思い切り笑って続けた。

「さっきからみんな、杏子の圧倒的な集中力はおばあちゃんの賜物だと思ってるけどさ。オレ、よく考えてみたら『おじいちゃんの存在』もめちゃくちゃ大きいと思うんだよな」

それまでおばあちゃんばかり褒められていて、少し拗ねていたおじいちゃんが、急に顔を輝かせる。

「おお! さすがは栞代じゃ、ちゃんと分かっとるのう!」


「だってさ」栞代は悪戯っぽく笑った。

「おじいちゃんの杏子にかけるちょっかいや構い方見てたら、もう『全国優勝レベルに手がかかる』じゃんか。それを毎日きっちりと対処してるんだぜ? そりゃあ、そんな煩わしさから唯一解放される『弓を引く時間』が好きになるってもんだよ。このしちめんどくさい環境こそが、集中力の秘訣ってやつだな!」

「ち、違うから! おじいちゃん、違うからね!?」

杏子が慌ててフォローするが、おじいちゃんはあからさまに拗ねた顔になっていた。小学生かよ。栞代は呆れつつも楽しく続けた。

「いや、お約束のツッコミだから、おじいちゃん、そんなに気にしないで、元気だしてよ。……紬、助けてくれ!」と投げかけた。

紬はいつも通り、静かにぽつりと呟いた。

「……それは、わたしの、課題では、ありません」

完璧な一言に、また爆笑が起こる。


そこで、まゆが静かにノートを取り出し、『また美味しい紅茶を淹れてくださいね』と書いておじいちゃんに見せた。

おじいちゃんの表情が一気に和らぐ。

「さすが、まゆさんはよく分かっとる! よし、今度差し入れに、まゆさん用に最高の茶葉を持ってこよう!」

「それはお断りします!」

あかねの即座の反応に、再び笑いが弾けた。あかねの人懐っこさと明るさで、もうすっかりおじいちゃんとも打ち解けていた。

「どんな男性も、まゆに近づくことは許しません。おじいちゃんでもですっ」

「お、おう」


楽しいひとときはあっという間に過ぎ、拓哉コーチが「そろそろ休もう」と声をかけた。



みんなが部屋へ戻り始めた頃、栞代は自販機でジュースを買おうとロビーの隅を歩いていた。

すると、照明の落ちたロビーの端で、拓哉コーチと顧問の滝本顧問が、帰る前のおじいちゃんおばあちゃんと挨拶を交わしているのが見えた。聞くつもりはなかったけど、夜のロビーは思ったより静かで、滝本先生の穏やかな声が自然と耳に届いた。


滝本顧問が、懐かしそうに目を細めていた。

「あの時の小さい女の子が、こんなに上手になるなんて。杏子ちゃんがまだ小さい頃、おばあさまと一緒に光田高校の文化祭にいらっしゃった時のことを、今でもはっきり覚えているんですよ」

「あら」と、おばあちゃんがクスリと笑う。「あの頃は、本当に光田高校に通うことになるなんて想像もしていませんでした」

おばあちゃんは懐かしそうに続けた。

「中田先生には、小学生の頃から本当にお世話になりました。わたしの恩師でもありますし、孫ともどもお世話になるなんて。中田先生の教えがなければ、杏子がこんなふうに成長することはなかったと思います」

「中田先生もお喜びになっておられました。当時から、『あの子なら絶対に花を咲かせる』と、よく仰っていましたね。今日も直接見たかったと思いますが。結果を連絡すると、一言『知ってた』とだけ返されました」

滝本顧問がいかにも愉快そうに微笑むと、拓哉コーチが力強く口を開いた。

「中田先生や滝本顧問の教え、そしておばあさまの思いが、杏子さんの中で確実に生きています。私もその思いを引き継いで、杏子さんが自分の弓を見失わないよう、精一杯支えていきます」


「どうか、ぱみゅ子をよろしく頼みます。あの子が、元気で弓を引いていられるように。本当に、お願いします」

おじいちゃんの真剣な願いに、コーチと顧問が深く頷いた。

おじいちゃんとおばあちゃんがゆっくりと宿舎を後にする背中を、栞代は静かに見送った。


まったく、愛されすぎだろ。あの幸せものめ。

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