第35話 ブロック大会団体戦決勝トーナメント
いよいよ決勝トーナメントが始まった。
観客席に座っていても、道場の空気が変わったのが分かる。予選とは違う。ここから先は、負ければ終わりだ。
一回戦の相手は、城南学院高校。
静まり返った弓道場の中、大前の杏子が一巡目の最初の矢を番えた。
オレは、思わず息を止める。
杏子の矢は、迷いを感じさせない軌道で的へ向かい、中心を射抜いた。
これが今の光田高校だ。そう思わせる一本だった。
対する城南学院の大前はエースの宮崎澪だ。彼女の放った矢も、杏子に負けず劣らず正確に中心を射抜いた。
宮崎は的中を続けチームを引っ張る。
光田自慢のダブルエース、つぐみも一歩も引かない。どちらのチームも譲らない展開が続いたが、やはり杏子とつぐみという二人の存在は大きかった。
最終的に光田高校が、城南学院を二本差で振り切った。
◆
準々決勝の相手は、県大会でも相まみえた川嶋女子校。
二年生ながらエースの日比野希は、杏子と同じ匂いを持つ相手だ。県大会でも、光田高校の前に立ちはだかったことは忘れられない。そして杏子、つぐみと同じように、一年生ながら安定している前田霞。
一巡目。杏子の矢が見事に中心を捉える。川嶋女子は県大会と立ち順を変えてきており、日比野を大前にして、光田の流れに対抗してきた。
さすがに出来過ぎた予選のようには行かない。それでも安定した矢を見せている。だが、川嶋女子も気迫に満ちた矢で、的中を重ねていく。
栞代は一つ一つの動作を真剣に見守っていた。
悔しいが、いいチームだ。
オレはまだ試合の経験がない。選手たちは、途中経過を把握しているのだろうか。まあ、杏子は絶対に気にしてないだろうが、逆につぐみは絶対に把握してるな。
だが、観客席から見ていると、一本一本確実に手に取るように分かる。
ジワジワと押されながら進んだ。両校、ほぼ同ペースで進み、三巡目終了時点で二本差をつけられていた。
まずいな。さすがに一巡で二本差は厳しいんじゃないか。
胸の鼓動が激しくなる。
杏子は最後まで普段通りだが、日比野も譲らない。
追い込まれた光田高校だったが、最後に踏ん張り、横皆中(全員的中)を見せた。対して川嶋女子は、一本外して、勝負のかかった落ち、前田霞に繫いだ。だが外す。的中数が並び、競射へと突入した。競射は、五人全員が一本ずつ引き、その合計で決着をつける。並べば、また繰り返しだ。
ふーっと、オレは息を吐き出した。
いつもつぐみが当たり前のように的を射抜いているから忘れそうになるが、『最後の一本』のプレッシャーは尋常じゃないんだろう。あの前田でさえ外した。改めて、強気で鳴らすつぐみの精神力に感心する。あいつ、口だけじゃない。
競射は、五人全員が一巡ずつ行い、その合計で決着がつくまで繰り返される。
杏子が的の中心を射抜き、日比野もそれに続いて命中。この極限の緊張感の中でも、杏子と日比野はお互い一歩も譲らず、狂気的なまでの無心を貫いている。
当たり前のように勝負は互いに譲らない。
栞代は呼吸を忘れるほど集中していた。
弓道は中るか外れるか。極限に単純だ。勝負に勝つには、相手が外すしかない。
だが、それを祈ることは、弓道精神に悖る以上に、杏子を傷つける気がした。
ふと横を見ると、真っ青な顔であかねの手を握りしめているまゆが目に入った。一方、紬はいつも通りの無表情。
弓道でも、やっぱり追い付かれた方が追い込まれるのか。彼女たちの気持ちは推し量ることしかできない。
最後は前田が外し、一本差で光田高校が辛うじて勝利した。
前田、かわいそうに。
栞代は、あかねとまゆに応え、そして無言で頷く紬とハイタッチをしつつ、呼吸の存在を思い出した。
◆
準決勝の相手は、桜台高校。もはやここまで来ると、どこと当たっても全国トップレベルだ。彼女たちの特徴は、エースの桑原美香を筆頭に『闘争心を前面に押し出す』ことだ。気力でも的中数でも相手を圧倒する。それを目指し、激しいトレーニングを積むことで有名な高校だ。その鋭い視線から、圧力がビンビンに伝わってくる。
対するうちの光田高校は、伝統はあるものの近年は無名だ。だからだろうか。道場に立つ桜台の選手たちの佇まいに、ほんのわずかだが『勝って当然』というような『慢心』の空気が透けて見える気がした。
一巡目、杏子と桑原のエース同士の激突。本来なら意地の張り合いになるところだが……杏子はどこ吹く風。まるで相手のことなど眼中になさそうだ。
桜台はたぶんもう一気に決めるつもりで、エースを大前に持ってきたんだろうな、などとオレは観客席から想像をたくましくしていた。
それにしても杏子は、相手が誰だろうと、いついかなる時もまったく興味はなさそうだ。究極の自己中ってことか。
桜台の選手たちも、さすがに完全に舐めてはいないだろうが、微かな驕りであっても影響はするんだろう。光田がじわりと差を広げていく。うちには正反対の異常者が二人いる。オレはさきほどとは違い、余裕を持って試合を見ていた。
桜台は最後まで圧をかけ続けたが、光田高校は一度つかんだ流れを渡さなかった。
ついに決勝まで来たのだと気づいた瞬間、遅れて足元に震えが来た。
退場時、桜台の落ち、近藤香がつぐみを睨み続けていた。
◆
そして、ついに迎えた決勝戦。相手は鳳泉館高校。
道場に漂う空気が、これまでの試合とは明らかに違っていた。伝統校。エースの矢野慧は、昨年の全国大会の個人戦で鳳城高校の帆風秋音と二年生対決と騒がれた。流石に、その姿は、佇まいから圧倒的だった。
鳳泉館の大前は、その矢野慧だった。
まただ、とオレは思った。
川嶋女子の日比野も、桜台の桑原もそうだった。
ここまで来ると、どの学校も分かっているのだろう。光田高校の流れは、大前の杏子から始まる。
そこで流れを渡せない。だから、エースをぶつけるしかない。
だが、肝心の杏子は、そんなことなど少しも気にしていないように見えた。
それに、光田にはつぐみもいる。
横で手を握りあっているあかねとまゆと違い、オレは、むしろこれからの勝負が楽しみになってきた。
「インターハイへの思いを、残すことなく表現してほしいな、紬」
「それは、わたしの、課題では、ありません」
杏子は、やはり相変わらず、まるで別世界にいるかのように、少しも動じていなかった。いつもと変わらぬ美しい射形で、淡々と的中を重ねていく。
だが、つぐみは違う。表情には出していないが、オレには分かる。
矢野さんが中てたあとの、つぐみの目元。ほんのわずかな間。唇を結び直す、その小さな動き。
あれは、燃えている。麗霞を越えるつもりなら、ここで足を止めている場合ではない。
そう言っているように、オレには見えた。
オレは呆れ半分、感心半分で、その勝負を見つめていた。
鳳泉館も名門校の名に恥じず、エースが示した高いレベルに他の選手たちが応え、見事な射を重ねていく。完全な互角の戦い。
だが三巡目。わずかなリードを奪ったことで、逆に名門校特有の重圧がのしかかったのか。重圧からの開放を望んだのか。鳳泉館の選手たちの矢が、わずかに乱れた。
対する光田高校は、杏子の別次元の安定感、瑠月さんの冷静な射、冴子さんと沙月さんの、切磋琢磨感満載の姿、そしてつぐみの力強い矢で追いつき並んだ。
そして、最終四巡目。
杏子と矢野慧の最後の矢は、まさに一糸乱れぬ完璧な射の応酬となった。
杏子が流れを作る。瑠月さんが静かに支える。沙月さんと冴子さんが、互いに競うように的を射抜く。そして最後につぐみが立つ。
つぐみの手から放たれた矢は、まるで時間が止まったかのような極限の緊張の中、的の中心へと吸い込まれていった。
「よしっ……!」
抑えたつもりの声が、喉の奥から漏れた。
一瞬、道場が静まり返る。
そして次の瞬間、張りつめていたものが弾けるように、光田の周りから歓声が上がった。
◆
試合後、緊張から解放された各校の選手たちは、会場の外でそれぞれ一塊になっていた。
光田高校のすぐ横には、準決勝で当たった桜台高校が固まっている。
その中から、近藤香が一歩前に出た。準決勝のあと、つぐみと何度も視線をぶつけていた選手だ。
「団体では負けたけど、明日の個人戦を見ときなさいよ!」
近藤は、まっすぐつぐみを睨みつけていた。
ああ、まずい。つぐみが、そんな挑発を黙って見過ごすわけがない。
「……あ? なんだ? 悪いけど、あんたらなんか眼中にないんでね」
つぐみの目に、危険な光が宿る。一触即発の空気になった。
「お、おい、つぐみ、落ち着けよ」
オレは慌てて間に割って入った。そもそも、お前が睨み返してたんやろ。ったく。
慌てて桑原美香が「やめなさい」と味方を窘め、非礼を詫びてくれた。瑠月さんも「いえ、こちらも喜びに我を忘れ、礼を失しました」と大人な対応で場を収めた。
だが、つぐみの興奮は冷めやらなかった。
気色ばむつぐみに、冴子さんと沙月さんが「落ち着けって」と宥めている。
オレは杏子に声をかけた。
「おい、杏子も宥めてくれよ」
すると、杏子はきょとんとした顔で、言った。
「あ、ごめんなさい。……あの、ちょっとおばあちゃんのこと考えてて……なにかあったの?」
「……は?」
つぐみの興奮は、文字通り一瞬で消え去ったようだ。
やっぱり杏子は、完全に違う世界に生きてるな。その圧倒的なマイペースっぷりに、オレたちはあっけにとられた。やがて、つぐみが噴き出した。
「お前……ほんっとにお前ってやつは……っ」
つぐみも完全に毒気を抜かれ、呆れたように肩を落とした。
杏子の肩に力なく手を置き、
「お前、試合終わったの、把握してるか? よくここまで歩いて来られたな」
と声をかける。
それを受けて瑠月さんが「なんかぼんやりしてたから、ちゃんと手を繋いでました」と、どこか自慢げに反応していた。
オレは、笑いながら、心の中で最高の賛辞を送った。
杏子のことを理解し、杏子を支える部員たち。この四ヶ月弱で、見事なチームになった。
ゆっくりと実感が湧いてきた。いかん。ちょっと泣きそうになってきた。慌てたオレは、紬に声をかけた。
「紬、優勝したぞ」
オレの言葉に、隣の紬は相変わらずの無表情で、静かに呟いた。
「それは、わたしの、課題では、ありません」




