第27話 県大会 団体戦
全国大会への切符を手にするためには、ただ一つ『優勝』するしかない。その事実が、メンバー全員の心に静かな重圧を与えている。
午前中に行われた男子チームは、団体戦四位、個人戦でも二人がベスト10に入るという結果を出し、これから全国を目指す女子チームに立派なバトンを渡した。
女子の試合は午後からだ。
昼前になると、本部から昼食用として指定されたスペースに集まり、メンバーたちは輪になってお弁当を広げていたが、つぐみは栞代と共にあえて輪には加わらなかった。
「わあ、杏子ちゃん、すっごく美味しそうなお弁当だね!」
瑠月の明るい声に、つぐみは視線を向けた。
「えへへ。おばあちゃんが作ってくれたんですっ」
杏子が真っ赤な顔をして、幼稚園児のように自慢げに胸を張っている。色とりどりのおかずが綺麗に詰められた、愛情がたっぷりと詰まった弁当箱だということは、少し離れた場所にいるつぐみから見てもはっきりと分かった。
「ねえ瑠月さん、オカズ交換しましょう!」
杏子の無邪気な提案に、花音たちも「私も!」「じゃあこれと交換ね」と嬉しそうに乗っかり、さらには応援に来ているあかねたち一年生も花音に手招きされて、あっという間に賑やかな交換会が始まっていた。
「……」
つぐみは手元に視線を落とした。プラスチックの容器に入った、冷たいコンビニ弁当。
ふと横を見ると、栞代も同じように買ってきたおにぎりとサンドイッチの袋を開けているところだった。
「お前もコンビニか?」
栞代が、気だるげに声をかけてくる。
「ああ、そうや。自分で作る時もあるんやけど、さすがに今日は睡眠を優先した」
つぐみは面倒くさそうに肩をすくめた。あの色鮮やかな「手作りのお弁当」の輪の中に入ると気をつかわせるだろう。きっと、隣で自嘲気味に笑っている栞代も同じ目で笑ってる。意外なとこで似た者同志やな。つぐみは栞代と視線を交わした。
自分たちには、あんな風に交換できるような「家族の味」はない。
だから、遠巻きに眺めているのが一番居心地がいい。
「ちょっと、栞代ちゃん、つぐみちゃんも! なに離れたところで食べてるの、一緒に食べようよ!」
ふいに、花音がこちらに向かって大きく手を振った。瑠月も「こっちこっち!」と手招きしている。
「いやいやっ」
栞代が少しギャグっぽく両手を振って誤魔化した。
「オレら『コンビニ・コンビ』なんで! 交換するようなもん、ないんすよ」
栞代の敢えての軽い返答に、よくやるよ、とつぐみは半ば呆れた。
だが、瑠月はわざわざやってきて腕を引いた。
「そんなの気にすることないわよ。ほら、こっち来て」
つぐみと栞代は、半ば強引に賑やかな輪の中へと引きずり込まれた。
「つぐみ!」
輪に加わった途端、杏子が満面の笑みでお弁当箱を差し出してきた。
「この卵焼き、おいしいから、食べて」
「え……いや、でも私、交換できるものないからいいよ……」
いつもの強気がすっかり消えて戸惑うつぐみの横で、栞代がふっと優しい顔をして笑った。
「栞代はこっち。栞代はいつも卵焼き食べてるからね。ほら、つぐみっ」
「ああ、本当においしいぜ。オレは時々杏子んちにおじゃまして食べさせてもらってるから、つぐみ、食べな」
栞代の言葉に背中を押され、つぐみはおずおずと割り箸を伸ばし、その黄色い卵焼きを一口かじった。
「……っ」
ほんのりと甘く、出汁の効いた優しい味が口いっぱいに広がる。冷めているはずなのに、どうしてか胸の奥がじんわりと温かくなるような、不思議な味だった。
「……おっ。確かにこりゃ、美味しいな」
強張っていたつぐみが瞬間素直にこぼすと、杏子は「でしょでしょっ!」と目をキラキラさせて喜んだ。
まったくこいつは。いつもの顔に戻ったつぐみは、呆れながらも、自分とは全く違う杏子を少し羨んだ。
「よしっ!」
花音が、パンッと手を叩いて、全員の顔を見回した。
「これでみんなで杏子ちゃんの『力の源』も食べたし、全員でオカズの交換もしたね。これで私たち、名実ともに一蓮托生よ! 行くよっ」
「はいっ!」
いよいよ女子団体の予選が始まった。
一人四射、五人で合計二十射を引き、上位八校が決勝トーナメントに進む。
光田高校の予選は二十射中十二射、三位通過。杏子とつぐみは個人戦の出場権も手にした。
◆
第一試合(準々決勝)。相手は地元の青竹高校だ。
射位につき、つぐみは静かに息を吐いた。ここからは負ければ終わりのトーナメント。独特のプレッシャーが道場を包む中、大前の杏子が弓を構えた。
スパンッ!
小気味よい音が響き、杏子の放った矢が的の中心に吸い込まれる。
相変わらず、見事な射形だ。お弁当の卵焼きを自慢していたさきほどの幼稚園児と同じ生き物とはとても思えない。
プレッシャーの中、微塵の緊張も見せずに的を射抜くその背中を見ていると、つぐみはなんだかおかしくなってきて、思わず吹き出しそうになった。
まずいまずい、声を出したら無効になりかねん。集中、集中。
だが、杏子のおかげで、つぐみは自分の中にあった硬い緊張が綺麗に解けていくのがわかった。それは沙月や花音、冴子も同じだった。杏子が作る淀みのない流れに乗って、光田高校は二十射中十五射を的中させ、青竹高校に快勝した。
試合後、控室で円陣を組みながら、つぐみはジト目で言った。
「どーでもいーけど杏子、お前ちょっとは緊張しろよ」
「えっ?」
「でもねえ。杏子ちゃんが緊張して震えたりしたら、私たちパニックになって動けなくなるかもね」
花音が笑いながら言うと、全員がどっと笑ったが、杏子はきょとんとしていた。
ほんとにこいつはいつもいつも。
◆
準決勝の相手は、同じ地区のライバル、全国優勝の経験もある強豪・川嶋女子校。
二年生ながらチームを引っ張るエース、日比野希の存在が大きい。
この試合では、道場を吹き抜ける『強い風』が選手たちを襲った。
川嶋女子の選手たちも矢を流され苦労している。そして、それは光田高校も、つぐみも例外ではなかった。
……しまった!
風を気にしすぎ、つぐみは第一射を外してしまう。
落である自分が外した。
嫌な流れになったらマズイな。そう思った時だった。
スパンッ!
強風の中、大前の杏子の矢が、まるで風など存在しないかのように的を真っ直ぐに射抜いた。
周囲から感嘆の声が上がる。だが、杏子の所作は一寸の乱れもない。ただ無心に、正しい姿勢で引くことだけに集中している。
……『あたるかどうかは、ただの結果なだけ』、か。
杏子がいつも口にするおばあちゃんの言葉を思い出し、つぐみは落ち着いた。
ほんま、あいつは偉大やな。私の方が弓力強いはずやのに。あの姿を見せられたら、こっちも崩れるわけにはいかないな。
杏子の揺るぎない背中が嫌な流れを拒否し、落ち着きを取り戻した花音たちが辛うじて踏ん張る。つぐみも自らのミスを完璧に修正し、残りの矢を全て中てた。
結果、わずか一射差での辛勝。光田高校は、ついに決勝戦へと駒を進めた。
◆
決勝戦を待つ短いインターバルの間。
つぐみがふと応援席を見ると、緊張感に包まれた光田の応援団の姿が見えた。
両校接戦の展開に、栞代やあかねたち一年生が祈るように手を組んでいた。
さらにその後ろの席には、杏子のおじいちゃんとおばあちゃんの姿もあった。おじいちゃんはもうフラフラになってるが、対照的に、おばあちゃんの方は実に穏やかな顔で道場を見つめている。
あの穏やかすぎる笑顔……絶対、試合のことなんか考えてないな。まるで今晩のおかずでも考えてるみたいや。なんせ、杏子の血の元やからな。
『あたるかどうかは、ただ結果なだけ。正しい姿勢で引くことだけ』
あの祖母の教えが、杏子の揺るぎない射の骨格を作っている。大したもんだ、とつぐみは内心で舌を巻きながら、呆れと安心が混ざった小さな息をひとつ着いた。
◆
ついに決勝戦。相手は前年優勝高、海浜中央高校。
風は収まり、会場の視線は光田高校の大前――杏子に注がれていた。
杏子はまるでビデオテープを再生するように、同じ姿勢、同じタイミング、同じ息づかいを見せ、完璧に的の中心へ沈めた。
そして、勝負は規定の二十射では決まらず、同中による『競射』へともつれ込んだ。
全員が一本ずつ矢を放ち、その合計で勝敗を決する。極限のプレッシャーがかかる場面だ。
海浜中央高校は全体のレベルが高い。光田高校は杏子とつぐみに掛かる比重が重い。
海浜中央高校には、突出したエースはいない。だが、誰が立っても崩れない。
大前から落ちまで、全員が安定している。
対して光田は、どうしても杏子とつぐみにかかる比重が大きい。
光田が勝つには、杏子とつぐみが外せない。
そのプレッシャーの中、つぐみは興奮を抑えきれなかった。重圧が掛かれば掛かるほど楽しい。杏子の背中をちらりと見るが、相変わらずの空気を纏っている。
ま、あいつは心配ないな。頼みましたよ、先輩方。
この場面でも、杏子は全く動じない。花音、冴子が支える。優勝というプレッシャーはとてつもない。海浜中央高は、二人の的中に留まった。対して光田高校は部長である花音がギリギリで踏ん張った。
そして最後の一射。全ては、落であるつぐみに託された。
会場中が固唾を呑んで見守る中、つぐみはゆっくりと楽しんでいた。
弓を構えながら、口角が上がるのを必死に堪えている。
ここで決めてこその、私だ。痺れるなァ……っ!
緊張よりも、圧倒的な昂揚感が全身を駆け巡る。これ以上ないほどの愉楽を感じながら、つぐみは会に入った。
パーーーンッ!
放たれた矢は、文句のつけようのない軌道で的に突き刺さった。
その瞬間、光田高校の『優勝』と全国大会出場が決定した。
応援席の栞代やあかねたちの歓喜の悲鳴が聞こえる。
落ち着け、落ち着け。まだ第一歩だぞ。
つぐみたちは、最後まで礼を尽くし、対戦相手への敬意を忘れず、静かに静かに退場していく。
そして控室の扉が閉まった瞬間。
「……っやったぁあああああ!!」
五人は抱き合い、もみくちゃになって喜びを爆発させた。




