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第26話 県大会前日

県大会の前日。練習を終えた光田高校弓道部の道場には、独特の緊張感と静かな熱気が漂っていた。


部員たちがミーティングの準備をする間、拓哉は一人、これまでの道のりを思い返していた。

地区予選は確かにトップ通過を果たした。だが、それは上位三位までに入ればよい、という条件下でだ。だが、県大会から全国大会への切符は『優勝』の一つのみ。プレッシャーは比べ物にならない。

就任前、滝本顧問と事前に立てた計画では、全国を狙うのは来年からのはずだった。去年の新人戦を経験した冴子、沙月、瑠月の三人に、全力で勧誘したつぐみを加え、冴子たちが最上級生になる来年こそが最初の勝負の年だと思っていた。

だが、杏子の入部――それは完全に予想外だった。

まさか、あれほど圧倒的な努力を重ねられる実力者が来るとは……。

天才肌で勝ち気なつぐみと、努力の天才なのに、どこかのんびりしている杏子。個人で全国に通用する二つの強烈な才能が噛み合い、チームの目標は一気に『今年』へと塗り替わった。


瑠月には、レギュラーから外れるという可哀想な展開になってしまったが、彼女は見事に個人での出場権をもぎ取った。明日は思い切ってやってほしい。

そして男子チームも、劇的ではないが丁寧な努力を重ねてきたいいチームだ。全員が持てる力を発揮してほしい。


「……自分の現役時代より、よっぽど緊張するな」

拓哉は静かに目を閉じ、小さく息を吐いた。それぞれの成長と、同じ目標に向かう姿を見るのは、まさに指導者冥利に尽きる。

「……以上で、明日のスケジュール確認を終わります」

視聴覚室でのミーティング終盤。チームの士気は最高潮に達していた。


「あの、いいですか」

ふいに、おずおずと手が挙がった。マネージャーのまゆだ。

普段、ノートでの筆談やささやき声でしかコミュニケーションを取らない彼女が、全員の前で発言しようとしている。部員たちは少し驚き、静まり返った。

あかねが心配そうに隣で見守る中、まゆは真っ赤な顔をして、震える声で懸命に言葉を紡いだ。


「……みんなの練習を見てて、本当にすごいって、思いました。努力する姿に、毎日感動してます。わたしも……すごく勇気をもらいました。勇気を出して、マネージャーになって良かったです。マネージャーにしてくれて、ありがとう……! 明日は、全力で手を叩いて応援します。頑張ってくださいっ!」


普段は喉をかばって囁くようにしか話さない。そんなまゆから発せられたとは信じられないほど、芯のある、震えるほど真っ直ぐな声が栞代の耳を打った。

場が一瞬、水を打ったように静まり返る。

「まゆちゃん……っ。まゆちゃんが正確に記録してくれたから、いろいろとはっきりと見えたの」

瑠月が目を真っ赤にしてまゆを抱きしめ、花音も涙ぐみながら「ありがとう」と続いた。栞代も、胸の奥が熱くなるのを抑えられなかった。

部屋は温かい拍手で包まれた。


「これでやらなきゃ男じゃねえな!」

男子部員の一人が照れ隠しのように叫ぶ。すかさず、つぐみが「男の専売特許じゃねえ」と返し、張り詰めていた部室は一気に和やかな笑い声に包まれた。


「よし。じゃあ、みんな荷物持たずに、ちょっと外に出てくれ」

拓哉コーチに促され、部員たちがぞろぞろと校舎の外に出る。

すると、そこにはまるで想像もできない光景が広がっていた。

「えっ……」

栞代は目を丸くした。三年生たちが、きちんと列を成して立っていたのだ。しかも全員が頭に鉢巻きを巻き、どこから借りてきたのか、女子も男子の詰め襟(学ラン)を着込んで、ガチガチに表情を固めている。白い手袋が夕暮れに映える。


「光田高校弓道部っ! 県大会突破を願って、三三七拍子を贈ります!」

リーダーの西門理子が声を張り上げ、三年生たちが一斉にエールを送り始めた。

「フレー! フレー! コ、ウ、ダッ!」

そして、一人ずつの名前が呼び上げられ、最後は不器用ながらも力強い校歌斉唱。そして、全員が深々と頭を下げた。


同じ三年生である花音は、たまらずその場で涙をこぼしていた。

だが、栞代たち下級生の間には、少し戸惑う空気も流れていた。特に一年生のあかねや紬たちは、入部初期に杏子へ嫌がらせをしてきた彼女たちが、今更こんな熱いエールを送ってくることに、感情が追いついていないようだった。


栞代は小さく息を吸い、一年生にだけ聞こえる静かな声で言った。

「嫌なこともあったけど、ちゃんと受け取ろう。……あそこまでプライド捨ててここに来るのに、相当勇気が要ったはずだから」

その言葉に、あかねはハッとして、表情を和らげた。

一切表情を変えない紬を見て、栞代はそれでも納得したように肩を叩き、鋭い視線を崩そうとしないつぐみには、あえて触れようとしなかった。


その時だった。三年生の咲宮さくらが、列を離れて杏子のもとへ駆け寄ってきた。

「杏子ちゃん……今まで、本当にごめん」

さくらの声は震えていた。

「私たちも真剣に弓道に向き合うようになって、やっと少し分かったんだ。弓道ってこんなに楽しいんだって。難しいんだって。そして……杏子ちゃんがどれだけ凄い努力をしてきたかも、改めて分かった気がするんだ。嫌なことして、本当にごめん。明日は、全力で頑張って!」


栞代は隣で息を呑んだ。杏子はどんな顔をしているだろうか。慌てて杏子を見つめる。

杏子は特に表情を変えず、ただ真っ直ぐにさくらを見つめていた。何を思っているのか、その横顔からは読み取れない。

そして、杏子の視線が、少し離れたところに居るほかの三年生たちに移った。少し離れた場所で、リーダーの理子が気まずそうに、けれど祈るような目でこちらを見つめている。

さくらが代表して来たのは、理子が来たら杏子が怯えるかもしれないと配慮したからだろう。――本気で、後悔してるんだな。栞代は、彼女たちの痛いほどの誠意を肌で感じ取った。全員、杏子を見て、頭を下げた。


その瞬間、杏子の唇がふっと綻んだ。

「はい。ありがとうございます」

杏子は深く頷き、柔らかく微笑んだ。

その笑顔を見て、さくらも泣き笑いのような顔になった。あかねたち一年生もようやくほっとしたように表情を崩した。

そして、杏子は、三年生たちにも同じ笑顔を向けて、丁寧に頭を下げた。


明日、最高の結果を出すために。現役部員も、学ラン姿の三年生たちも、誰もが同じ熱を帯びた瞳で互いを見つめ合っている。栞代は熱くなる目頭を誤魔化しながら、力強く何度も頷いた。


「明日、ここに戻ってくる時には、優勝旗を持ってる。――優勝旗、見えるか?」

拓哉コーチの言葉に、部員全員が顔を見合わせた。

そして、声がひとつ、大きく響いた。

「はいっ」

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