第16話 遠征最終日、その夜
食事を終えた女子部員たちは、宿の大部屋に集まっていた。
すでに布団は敷かれているが、部屋の空気にはまだ、強豪・鳳城高校との練習試合の熱と余韻が漂っている。極度の緊張から解放され、心地よい疲労感とともに、みんなが布団へ潜り込もうとしたその時だった。
「みんな、今日は本当にごめんなさい」
唐突に、瑠月は畳に正座をし、深く頭を下げた。
「わたしが……わたしがもっとしっかり中てていれば、あの鳳城に勝てたのに」
自責の念から出た突然の行動に、部屋の空気が一瞬で凍りついた。
「い、いや、瑠月さん、やめてください!」
「そんなこと、言わないでください!」
部員たちが慌てて制止の声を上げ、瑠月の肩を抱き起こす。
「でも、私が外してしまったせいで……」
「何言ってるの、瑠月さんたら。私だって外したんだから」
花音が俯きながら声を絞り出した。その声に込められた励ましは痛いほど伝わってきたが、瑠月は少し微笑んで、ゆっくりと首を横に振った。それでも、周囲の仲間たちが自分を優しく、気遣うように見つめてくれていることに気づき、瑠月は少し顔を上げた。
「私が足を引っ張っちゃったから……」
「そんなことないって」
瑠月の言葉を遮るように、栞代が静かに、そして力強く微笑んだ。
「みんなで力を合わせて頑張ってるんだから、誰がどうとかじゃないよ。今まで瑠月さんが支えてくれたから、今こうして私たち、ここにいられるんだよ」
「そうだよ、瑠月さん」
つぐみも同意するように頷く。
「私は今まで、団体戦って特に興味無かったんだ。でも、ほんとにみんな一丸となって練習して。杏子のピクセル単位の陰険極まる指摘に黙って従って、めちゃくちゃ短期間で上達したよ。ま、私も悔しいけどその一人。その結果だもん。全部みんなの成果だよ。一人で責任感じちゃうのは、むしろずるいよ」
つぐみは、瑠月の自責の念を力ずくで叩き割るような、鋭く熱を帯びた瞳で、真っ直ぐにこちらの目を見つめていた。
「だって、考えてみてよ。今回は杏子流に言うと『たまたま』負けちゃったけど、これがもし勝ってたら、瑠月さん、自分一人だけの手柄だって言う?」
「え?」
瑠月は、完全に逆方向からの言葉に、その瞬間、自分一人で背負い込み、全身をがんじがらめに縛りつけていた自責という鎖が、つぐみの言葉のハンマーでガツンと打ち砕かれた気がした。
「団体戦の結果に、誰か一人だけの責任とか、あるわけないよっ。だから、一人だけで責任を感じるのは、ずるすぎるってことだよ」
普段は誰よりも強気で突き進むつぐみが、今にも泣き出しそうな顔で、必死に自分を怒ってくれている。
「そうだな」
冴子も続く。「なんだか試合だけじゃなく、最近は、普段から一年生に随分と助けられてるけど、本当にその通りだよね。そんなの、団体戦じゃないでしょ、瑠月さん」
「う~ん。そういうことは本来、部長の私が言わないといけないよね~」花音がわざとおどけたように言い、張り詰めていた空気がふっとほどける。
「ね、杏子。何かある?」突然話を振られた杏子は少し戸惑ったようだったが、すぐに真剣な瞳で瑠月を真っ直ぐに見つめた。
「わたしは、今日、たまたま中っただけって、思ってます。ほんとに。だから、瑠月さんも、たまたま外れただけだって。わたしは一番前だから、みんなの姿は見られなかったけど。二巡目の弦音は確かに乱れてたと思います。けれど、三巡目からはそれもなくなりました。みんな見事に立ち直って。それは瑠月さんも同じです。その気持ちが伝わってきて、わたしを支えてくれました。……だから、三巡目からの瑠月さんの矢は、ほんとに『たまたま外れただけ』だと思います」
杏子のその淀みない言葉に、瑠月の胸の奥がじんわりと熱くなった。
(杏子がこんなに話すなんて……)
必要とされていることが確かに伝わり、瑠月の表情が、ゆっくりとだが、安堵に解けていく。
そこから、つぐみが「中るかどうかは結果論」という杏子の射形至上主義について語り始め、「中らない時こそ射形を崩してはいけない」と宣言したことで、部屋の空気はすっかり明るさを取り戻した。
「じゃあ、今からは逆に、今日どれだけ凄かったか、お互いに褒めあおうか!」
花音の提案で、皆が互いを褒め合い、笑顔が弾ける。
「なんで誰も私の服装がチャーミングって言わないんですかあ」つぐみが分かりやすく不満げにぶーたれる。
「あほか、つぐみ。弓道着は、チームみんな一緒やろが」
栞代が突っ込むも、つぐみは負けていない。
「そこは同じやけど、逆に私だけ、輝いてたやろ?」
「そんなわけあるかいっ」
その温かい空気に背中を押されるようにして、瑠月は決意を口にした。
「暗くならないで聞いてよ。私は今回の結果で、次の公式戦のメンバーからは外れることになったけど……予備メンバーとして、ちゃんと準備はしておくから。みんなに何かあった時はすぐに出場できるように、まだまだ頑張るから、心配しないでね」
その言葉に、花音、冴子、沙月が、弾かれたように言葉を飲み込み、やり切れないようにスッと視線を伏せた。
不思議そうに首を傾げたつぐみが、明るい声で言う。
「でも、瑠月さんには来年があるじゃないですか! 来年こそ、また一緒に試合に出られますよ!」
その無邪気な言葉が通りすぎた瞬間、部屋にふたたび重い沈黙が漂った。
花音たちの表情が曇ったまま動かない。
「あれ? どうしたんですか?」
「実は……」
花音が小さく息を吐いて、つぐみたち一年生へ向けて静かに答えた。
「瑠月さんは事情があって、入学が二年遅れたんだ。だから高体連の年齢制限で……今年が、最後のインターハイになるんだよ」
「え……」
誰かの小さな声が、静かな部屋に響いた。
瑠月は、一年生たちの顔から一気に血の気が引いていくのを静かに見つめていた。中でも、杏子の反応は痛ましいほどだった。普段のぽんわかした空気は完全に消え失せ、限界まで見開かれた大きな瞳が小刻みに震えている。ひゅっ、と引き攣ったように息を呑んだまま硬直している。絶望的な現実を全身で拒絶するかのように、今にも涙がこぼれ落ちそうな青ざめた顔で、力なく首を横に振り続けていた。
(杏子ちゃん……)
このままではいけない。
「あ、やだな。まだまだこれからだよ!」
瑠月は努めて明るい声を作り、沈黙を破った。
「さっき、団体戦はみんなで、って話したばかりじゃない。まさか予備メンバーだからと言って、仲間外れにしないでよね。わたしもまだまだ頑張るし、地区大会突破して、県大会も突破して、全国に行こうよっ!」
瑠月がそう励ました直後だった。
「それは、わたしの、課題では、ありません」
今まで黙って聞いていた紬が、いつもの平坦なトーンで呟いた。
「紬、つぐみと杏子のさっきの言葉はみんなの胸に響いたけど、今のセリフはいまいち意味が分からんな」
栞代が涙目を拭いながら、思わず笑ってツッコミを入れる。
いつも通り、冷静でどこかズレている紬の姿に、今までの重たい空気がどこか迷子になったような、不思議な空間になった。
「紬、分かりやすいように言ってくれよ」
栞代がもう一度話を紬に振った。
紬は、一瞬俯き、意を決したように顔をあげた。
「わたしの課題は、みなさんの応援をすることです。だから――」
紬はそこで一度言葉を区切り、顔を赤くしてぽつりと呟いた。
「わたしを、全国に連れてって」
その一言が一瞬にして全員の心を捉えた。部員たちは一斉に「おおお~」と歓声をあげる。空気が沸いた。そして全員が吹き出した。
「任せとけって!」とつぐみが自信満々に応え、ガッツボーズを作る。栞代が「よしっ。ちゃんと連れてってくれよっ」と言った瞬間に「あ、いいや、オレはやっぱり杏子に頼むから!」と茶化す。「きーーっ!なんですって~~!」とつぐみが冗談か本気か分からない調子で噛みつき、部屋中が笑い声に包まれた。
「うん。絶対にみんなで一緒に」杏子が小さく呟いた。
「さあさあ、明日に備えてもう寝ようか」
花音に促され、みんながそれぞれの布団に潜り込む。試合の緊張からくる疲れも手伝って、すぐに穏やかな寝息がいくつも重なり始めた。
窓の外では、月が静かに輝いている。
瑠月はまだ眠れず、布団の中から澄んだ月を見上げながら、心の中で静かにみんなへ感謝を伝えた。
「瑠月」という名は、亡き母が想いを込めてつけてくれた名前だ。どんなに暗い夜でも、月はそっと人々を照らし、寄り添い、希望をもたらす。その光が道しるべとなるように――母は、瑠月がそんな存在になることを願って、この名を贈ってくれた。
瑠月はその名前に恥じない自分であろうと、どんなに辛いことがあっても、これまでひたむきに歩んできたつもりだ。今日、自分は結果を出せなかった。それでも、こんなにもたくさんの仲間たちから支えられ、その温かさに包まれている。
年齢の壁にぶつかりながらも、頑張って高校に進学して本当に良かった。勇気を出して、弓道部に入って本当に良かった。
瑠月はそっと目を閉じた。
窓から差し込む優しい月の光は、まるで母の温もりのように、深い眠りについた少女たちを静かに包み込んでいた。




