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第13話 練習試合直前

静かな朝食だった。

白い湯気の立つ味噌汁。

焼き魚。小鉢。海苔。卵焼き。

いかにも合宿所らしい、丁寧な朝食が並んでいる。

けれど、箸の進みが遅い。

沙月は魚の身をほぐしたまま、しばらく箸を止めていた。

冴子は茶碗を持ったまま、こちらの箸も動いていない。

沈黙の中、花音部長がパンッと大きく手を打った。

「ちゃんと食べとかないと、最後までもたへんよ」

いつもよりワントーン高くひときわ大きな声が響く。

「そんなん言いながら、部長もまだ味噌汁残ってますやん」

お茶碗を綺麗にした栞代がつっこむ。

「おい栞代、お前は試合にでえへんから、気楽やけどなあ」

強気で鳴るつぐみが被せた。

そのとき、空になっている栞代のお茶碗に気がついた瑠月が、おかわりをよそおうとしていた。その姿を見て、栞代はガタッと音を立てて慌てて椅子から立ち上がった。

「あ、あ、瑠月さん、後輩のおかわりを先輩がよそうなんて、辞めてくださいっ!」

「あら。でも、強い部は、雑用は上級生がするものだって、本に書いてあったわよ」

「あばば!だ、だめです、ストップ!やめてっ。おねがいっ。先輩にしゃもじを持たせたなんて、中学の時ならグラウンド百周の刑です!」

栞代は血相を変えて、瑠月の手からしゃもじを奪い取ろうと空中で手を泳がせた。

その栞代の手をひらりひらりと交わす瑠月。

「ふふっ」

瑠月がその追いかけっこに小さく吹き出した。その笑いとふわりとした空気が入り込んできた。花音が、先ほどからつついているだけだった卵焼きをようやく口へと運ぶ。それを合図に、沙月と冴子のお箸も動き出した。

「ふーっ」

ようやく和らいだ空気につぐみが短く息を吐く。

拓哉が杏子に目を向けると、杏子の手は、膝の上でピタリと止まっていた。


「おい、秘密兵器。そんなんじゃ、秘密のまま終わっちまうぞ」

つぐみは眉間にシワを寄せ、一段低い声を出した。

その言葉が届いているのかいないのか、杏子の焦点の合わない瞳は、ただぼんやりと宙を漂っていた。

「おばあちゃんの卵焼きが食べたいなあ」

杏子の呟きを耳にしたつぐみは

「幼稚園児かよっ。たくっ!」

そう言いながらも、唇の端は隠しきれずに緩んでいた。

ふにゃりと笑った杏子の手が動き出し、箸を持った。

拓哉はそれを確かめると、少し冷めた味噌汁を飲み始めた。


「全員、食事は終わったか?」

拓哉コーチは、部員たちを見渡しながら声をかけた。

男子は滝本顧問の元へ、女子は拓哉の元へと集まる。

「今日は、男子の試合を先に行い、女子はその後だ」

拓哉は、女子部員たちの顔を見わたした。


「立ち順を発表する。基本は練習通りだが……」

拓哉が告げると、女子部員たちの背筋がスッと伸び、喧騒が遠くなる。つぐみの唇が、真一文字に固まる。

団体戦における立ち順は、ただの順番ではない。最初の矢を放ち、チームの『流れ』を決定づける一番手【大前】。そして、どんな状況でも揺るがず、最後の矢で勝敗を背負う最終番手【落ち】。

この二つのポジションに、誰を置くか。今回拓哉が優先したのは、つぐみのプライドだ。

安定した射を見せる杏子と、中学時代に全国準優勝という実績とエースの自負を持つ小鳥遊つぐみ。

団体戦の勝負と性格を考えれば、勝ち気なつぐみを大前にして勢いをつけ、どんな場面でも動じない杏子を落ちにするのが理想的だとは思う。だが、もしつぐみを落ちから外せば、彼女に不必要な動揺を与えかねない。

二人が組むのは今日が初めてだ。つぐみの持つ実績とプライドは、まだ尊重するべき段階だと拓哉は判断した。それに杏子は、順番など全く気にしていないだろう。


「一番、杏子さん。二番、瑠月さん。三番花音さん。四番、沙月さん。五番、冴子さん。そして六番、落ちにつぐみさん。以上の順番で挑む。試合はうちの『先立ち(先攻)』だ」


発表を聞いて、杏子は表情一つ変えずに真っ直ぐ前を見つめていた。どこで射つかなど彼女の頭にはなく、ただ「正しい姿勢で射つ」ことだけを考えているのだろう。

一方で、つぐみの唇には色が戻り、真っ直ぐな視線を拓哉に向けて、小さく顎を引いた。


※※※

男子の試合は順当に終わった。二巡目までは現在無名校の光田が同中で食らいつくという予想外の健闘を見せたものの、終わってみれば鳳城の圧勝。当然の結果だ。

喧騒を背に、麗霞たちは道場の裏手で不動監督を囲んでいた。

「メンバーに変更はない」

不動監督は普段と全く変わらない。

「ただし、分かっていると思うが、鳳城高校の名前で試合をする限り、無名高校に負けることは許されない。万が一、今日の試合を落とすようなことがあれば、メンバーを入れ換える」

監督の低く冷たい声が響いたが、三年生の先輩たちの表情には微かな余裕が張り付いたままだった。

不動監督の背中が見えなくなるやいなや、羽山春菜がふぁぁあと大きな欠伸を噛み殺す。

「不動さんも大げさだがね。相手は伝統はあるかもしれんけど、今じゃ県予選も通っとらん高校でしょう。寝とっても勝てるがね」

主将の草葉冬花がそんな春菜に釘を刺した。

「でも、春菜。不動さんが一度言ったことは絶対に曲げんって、去年で分かったでしょう」

横に立つ二年生の圓城花乃が、呆れたように小さく息をつき、麗霞へ耳打ちしてきた。

「去年、鳴弦館高校との練習試合で互いに複数のチームで争ったの。監督が上位のチームを総体のチームにするって言って、春菜さんたち2年生が勝ったの。3年生がチームごと外されて。ちょっと騒ぎになったのよ」

なるほど。先輩たちは去年の下剋上から負け知らず。すでに総体、選抜と全国大会二連覇を達成している。彼女たちが『鳳城の四季』と持て囃され、自信が慢心に変わるのも無理はない。無名校など、相手にならない、ということか。

不快感に思わず眉をひそめた麗霞の気配を察したのか、主将の草葉冬花が、春菜へ冷ややかに繰り返した。

「相手が誰かは関係ない。それが弓道でしょう?」

「はいはい。相手が誰でも全力、ね。……だったら、全力で“自分の射型の研究”させてもらうわ。ぶっちゃけ、私らが本気で中てにいかんでも、花乃と麗霞がおるでしょ。マジメなお二人さんが。余裕だがね。試合の形はちゃんと整うんだで、今日くらい気楽に好きに引かせてよ。公式戦じゃないんだし、試したいこともあるしさ」

これ以上言っても無駄だと悟ったのか、冬花が小さく首を振る。

「……つぐみって子、かなりやるんだわね、麗霞」

ふいに、黙っていた秋音から話題を振られた。

「ええ。気持ちが強い子です。それに、うちもスカウト断ってます」

「なんで来なかったん?」

「私を倒したいからだそうです」

やりとりを聞いていた春菜が、片方の口角をわずかに吊り上げた。

「そりゃ光栄だがね、麗霞。相手してやりやあ。ま、返り討ちやろうけどね」

確かに去年はつぐみに完勝した。だが、あの時の悔し涙を滲ませた目。あの強烈な闘争心は決して侮れない。

それに麗霞が引っかかっているのは、あの負けず嫌いなつぐみが「秘密兵器」と呼んだあの子だ。紹介された時は、顔を真っ赤にして俯いて震えていただけの子供のような娘。とてもまともに弓を引けるとは思えないのだが……。

あれは、私を混乱させるためのブラフなのか。

……らしくないな。

先輩たちの緩んだ空気に当てられたのか。珍しく相手のことを探ろうとしている自分に気づき、麗霞は足元を確かめるように、重心を置き直した。

私がやるべきことは、ただ自分の弓を引くだけだ。

麗霞は静かに目を閉じ、己の内側に張り詰めた気持ちをハチマキに込めた。

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