第98話:ニライカナイ
俺たちが楔国を出発し、早くも5日が経過した。
今は6日目の朝だ。
予定よりも、2日ほど早いペースで進んでいる。
ここまでの5日間、ニコラウスは3日目のあの雨の時にしか眠っていない。
あの時、夕方頃に雨は降り出し深夜の頃まで降り続けたわけだが、ニコラウスは途中で一度だけ目を覚ましながらも、そのまま朝まで眠り続けた。
まるでそこまでの数日間分の、足りていたない睡眠時間を補うように、ニコラウスはかなりの時間を眠った。
とはいえ、未だにニコラウスは食べ物を口にしていない。
飲み物は飲んでいるが、食べ物は相変わらず身体疲労の実感を理由として食べようとしない。
必死になってアクセルを踏み続け、眠ろうとも食事をしようともしなかったその姿は、何かに囚われているようにも生き急いでいるようにも見えた。
程なくして、ミニバンに揺られる体の感じる感覚というものが移り変わった。
平らな道を走っているという感覚から、傾斜の緩やかな坂道を下っているという感覚への切り替わりだ。
「そ……こ……ひ……だり」
「え、道路から外れるのかい?」
「……ん」
同時に、シロの舗装された道から降りろという指示があり、ニコラウスの驚愕の声が響いた。
どこか空回りをしているような明るい声だった。
再び車体がかなり揺れるようになり、俺は少しだけ気分が悪くなった。
外を見ると、周りの景色はいつの間にか荒野から草原へと戻っていた。
「み、みなさんアレ!」
身を乗り出すようにして前方を指差すポーラ。
何事かと思ってフロントガラスの向こう側の景色を見ると、緩やかな坂のはるか向こう、降った位置に背丈の低い木製の塀に囲まれた小さめの規模の街が見えた。
その町は多くの建物が木で作られており、街中の道も整備されていない様子だ。
そして街の向こう側には無限の貯水を誇る遥か彼方にまで続く湖……そう、海が広がっていた。
海というものがあり、そのものを映像記録で見たことはあったが本物の海を目にするのは初めてで、少し感動した。
ミニバンに揺られることでの吐き気など体は忘れてしまっていて、単に感動の吐息が溢れる。
海が本当にあったことにも驚いたし、これほどまでに多量の水が世界に存在していたことにも驚いた。
視界を海から街へと戻す。
街は街でかなり特徴的で、視線を引っ張られえずにはいられない。
塀が街の半分しかなく、塀がない側の半分の街並みな水上に作られている。
大きな丸太を連ねて結んだ巨大な筏のようなものの上に家々が経ち、その巨大な筏同士を結ぶように、小さな筏同士を並べて通路のようなものが作られている。
一番奥側には一際大きな正方形の筏があり、その中央には筏と同じような正方形の穴が空いている。
筏自体がかなりの大きさなのもあり、穴も大きい。
その穴の周辺に人々が集まり、何かをしている。
また、一番奥の筏の隣に二番目に大きな筏があり、そこには街で一番大きな建物が堂々と鎮座していて、その建物に寄り添う形で船が複数台停まっている。
「あれが目的地か」
随分と街らしくないな。と、レオは感心した調子でいう。
確かに、レオのいうとおり眼下に見える街並みはどうも街という感じはしない。
「ちなみに、さっきの道路を真っ直ぐ行ったところには何があったんですか?」
何気なくポーラが聞く。
「さん……ふらん……しす……こ?」
「じゃああの街は何なんだ?」
ふーんと相槌を打ちながら聞くレオ。
「はぐ……れ」
「なるほどなぁ」
まぁ、俺もそんなところだろうとは思っていた。
米国は残存する20の国の中でも割と警戒心が強く、自己防衛の意思が強い。
だから、安全の確保のために万全の準備を整えたがる。
当然のように街を取り囲むように巨大な塀を用意するわけだし、いくら街の半分が海上にあるとはいえ、そっち側にも塀を作るはずだ。
一部に塀が無かったり、塀があっても背丈が低くて木製だなんていうそんな防御力の低い街、国の管理で作るはずがない。
「それにしても、サンフランシスコか……」
アクセルを踏んだまま、ニコラウスが苦虫を噛むような調子で言う。
「あら。米国の流通拠点じゃない。どうしてそんなに苦手意識を持っている感じなの?」
「あそこはね。怖い街なんだよ」
それ以上、ニコラウスは語ろうとはしなかった。
海岸貿易都市サンフランシスコ。
カレンの言うとおり、米国の流通拠点だ。
と、いうよりは、別の国々との貿易が行われる拠点の都市だ。
街自体の規模は基幹都市となんら変わりはないが、街としての系統は大きく違う。
俺も祖父に聞いただけだが、サンフランシスコは蒸気と歯車の街だそうだ。
街のあちこちに蒸気が噴き出し、建てられている建造物の全てが何かしらの意味を持ち、機械システムの1つとして歯車の役割を果たし、稼働する。
そこかしこでコードがのびていて、ぐちゃぐちゃに絡まり合って建物同士を繋ぎ、高い塀と蔓延する蒸気のせいで日の光は遮られ、いつも暗い。
年中無休で夜が続き、年中無休で眠らないその街は、海沿いの大門から貿易船がやってきて常に街に出入りしている。
いろいろな食べ物、薬、衣類、機械類が運び込まれる中、人もついでで運び込まれる。
輸入品の中には冒険者が捕獲した生きた魔物も存在していて、まれにそれが暴れて死人が出たりもする。
搬入された品はすぐに米国中に輸送されるものもあるが、衣類や機械類は部品を仕入れているだけだからと、サンフランシスコの街の中で加工され、製品として完成させられる。
その加工の一連の工程は人ではなく機械が行っていて、人のやることは泥臭い運びいれの作業や取引交渉ばかり。
ラスベガスが西暦の時代に固執し、取り残されたような街並みであるのだとしたら、サンフランシスコはより昔の時代に取り残されている。
西暦の中でも中期に位置する、発展途上時代。
その様子を見せられているような街並みだそうだ。
まぁ、全部が祖父の受け売りだからよくわからないけどな。
まぁ普通に考えて、海岸貿易都市から船に乗り中国へと渡るのがベストなのだろうが、今ミニバンが海岸貿易都市ではなくはぐれへと向かっているのを見る限り、俺たちははぐれから船で移動するということだろう。
理由は聞かされていないが、サンフランシスコから出る船は貿易船ばかりだ。
あちこちを経由して進んでいくから、目的の場所にすぐに着くとは限らない。
ましてや貿易船はそれそのものが1つの街なんじゃないかと錯覚するほど大きい。
それだけ大きければ、当然進む速度も遅くなるってものだ。
きっと、緊急性を考えたが故にサンフランシスコの貿易船を頼るのではなく、はぐれの何かしらの船を頼ろうって考えたんだろうな。
などと考えている間にミニバンは坂を下り終え、はぐれの入り口の前に停車した。
人間の腰あたりまでしかないような低い塀の一角。
そこだけは塀が途切れていて、代わりに監視役のような色黒の人間が2人立っていた。
色黒と言っても、肌の地の色は俺やカレンと同じ黄色のようで、ものすごく日焼けをしたってくらいの黒さだ。
短パンにTシャツという少し季節外れの軽装で談笑をするその2人は、手に竹製の槍を持っている。
武装は本当にそれだけだった。
ニコラウスが運転席から降り、2人に話しかける。
3度ほど言葉の投げ受けを繰り返し、ニコラウスは監視役の2人と順に堅い握手をした。
「お待たせ。奥の方に見える建物で長に会って欲しいらしいから早速中へ行こうか。車は街に入ってすぐのところに停めないとダメらしいからそこからは歩きだよ」
監視役の片方、20代くらいで丸刈りにバッテンの刈り込みを入れてあるタレ目の男に先導され、ゆるゆるとミニバンごと街の中に入っていく。
街の入り口は思いの外狭く、ミニバンの車体が少し擦れた。
エンジンを止め、荷台のダンボール以外のいつもの荷物鞄をそれぞれが持ってミニバンから降りると、丸刈りの監視役は嬉しそうににへらぁと砕けた調子で笑った。
彫りの深い顔と、泣きぼくろ、それから垂れた目尻のせいでやけに色っぽく見える男だ。
「いやぁ、美人さんばっかりだね〜。この街は醜女しかいないから嬉しいよ。目の保養だ」
気づけばもう1人の40代くらいの監視役の姿が見えなくなっている。
きっと、長のところに話をつけに行っているんだろう。
「君たちどこから来たの? 海岸貿易都市? 基幹都市? オリジン? それとも楔国か遊宴絢爛都市かな」
180cmはあるだろう丸刈りの監視官は、ポーラに詰め寄り、顔を覗き込むようにして聞いた。
ちゃっかりとポーラの手を取って。
「えっと……え〜っと……えっと……」
困惑し、視線を泳がせるポーラ。
そんなポーラの様子を見て、丸刈りの監視役は微笑みながらポーラの手の甲に口付けをした。
「「お前何してんだよ!!」」
俺とレオは反射的に丸刈りの監視役に飛び蹴りをした。
俺の蹴りは見事に外れ、俺は地面に顔面から落ちる。
……痛い
一方のレオは飛び蹴りに成功し、その大きな足で監視役の顔面を蹴った。
レオはかなり怪力だ。体重もある。
だから、レオの全力の飛び蹴りはそれなりの威力になるわけで、それを食らった監視役は少しの距離ではあるものの、吹っ飛んだ。
「痛ぇな! 何すんだよクソガキ!」
怒っている様子はなく、あくまでもおちゃらけた様子で声を張り上げる丸刈りの監視役。
その文句に、レオは「お前こそ何してんだよ!」と怒鳴り返した。
「何って、一目惚れしたからキスしたんだよ。愛は伝えるものだからな」
当然だろといった様子の監視役の言葉を聞き、
「なっ……ひっ……なっ……ななななななな……な……なな……」
ポーラが壊れた。
そして、監視役の丸刈りの男は、蹴られた左上頬のあたりをさすりながら立ち上がり、懲りずにポーラに近づくと彼女の前で片膝をつき、整った、綺麗なポーラの顔を見上げた。
「俺の名前はアカミネ・ユウガだ。よかったら俺とこの街で……ニライカナイで暮らさないか?」
「え……は……え?」
キメ顔で言う丸刈りの監視役、アカミネ・ユウガに、ポーラは一層困惑した。
そして、助けを求めるように俺を見てきた。
あー。
うん。
いや……
うん。
仕方ないな。
「えーっと、その……アカミネ」
「なんだよモブ少年」
邪魔をするなよとでも言うように顔をしかめながら、俺に視線を移すアカミネ。
つーか、誰がモブ少年だ。
「モブ少年じゃねぇよ。俺は西園啓太だ。残念だがポーラはお前にはやれないな」
「西園っつーとあれか? あのハルアキの息子か?」
目を見開き、わかりやすく驚くアカミネ。
だが、俺にあの祖父の息子なのかと聞いてくるあたり、あまり物事を知らないようだな。
まぁ、俺が西園晴明の孫であることを知っている人間はそこまで多くはないだろうから、間違えて聞くのも無理はないか。
「俺はハルアキの息子じゃねぇ。孫だ」
「はぁ〜。あのハルアキには孫がいたのか。驚きだなぁ」
……なんか、晴明を知っているような口ぶりだな。
この街に関係しているのか?
確かアカミネはこの街をニライカナイって言ったよな……。
いや、晴明の口からそんな言葉は聞いたことないぞ。
「まぁお前がハルアキの孫であることには驚きだが……で、なんでこのお姫様を俺にくれないなんて言うんだ? この子は……えーっと、ポーラちゃんだっけ?」
ポーラに視線を移し、名前を確認するアカミネ。
別に答える必要はないのに、ポーラはパニックになった様子で「は、はひ」と答えた。
「ポーラちゃんはあれか? お前のオンナなのか?」
…………え、オンナ?
俺のオンナ?
何それどういう意味?
ちょっと言っている事がわからないんだけど?
「え、ちょ、は? 何言ってのお前」
「だーかーら! ポーラちゃんはお前のオンナなのかって聞いてんの」
「いや、ちょ……え? いやいやいや何言ってんの?」
「そ、そそそそそそそ……そうですよ。何言ってるんでででででしか?」
固まり、思考が停止してその場でよく分からないことを言う俺。
手をブンブンと振り回しながら顔を真っ赤にするポーラ。
2人揃って俺たちは壊れた。
「刺す?」
俺の服の裾をくいっと引っ張り、俺にだけ聞こえる声で聞いてくるシロ。
物騒なことを言うな。
「い、いや、いい」
「……ん」
シロは納得できないといった様子で少しムッとした表情になった。
なんでだよ。
困惑する俺たちを見て、レオはつまらなさそうにため息をつき、カレンは呆れたように額に手を当て、アカミネは面白がるようにニヤニヤと笑う。
もう、場はぐっちゃぐちゃだ。
「あれぇ〜? お前のオンナじゃないなら別にポーラちゃんは俺がもらってもいいよなぁ?」
「い、いやそれはダメだ!」
「え〜どうして〜? だって、ポーラちゃんは別に誰のオンナでもないんだろ? なら、一番ポーラちゃんを愛してる俺が、ポーラちゃんと幸せな家庭を作り上げても問題ないわけじゃないかぁ」
ルンルンとした調子で立ち上がり、今度は俺に詰め寄ってくるアカミネ。
もうびっくりするくらい顔を近づけてきやがる。
しかも、香水か何かをつけているのか、ミルクのような甘ったるい香りがしやがる。
「い、いや……でも……その……いや……」
詰め寄ってくるアカミネに戸惑っていると、
「いい加減にしろユウガ!」
という渋い声がして、アカミネの頭にごっつい拳が叩き落とされた。
「痛ぇ!」
げんこつを落とされた脳天を抑え、のたうちまわるアカミネ。
そんなアカミネを見下ろしながら、ついさっきまで姿がなかったもう1人の監視役が呆れのため息を漏らした。
「何すんだよウシジマさん!」
アカミネは、恨みがましくもう1人の監視役に言う。
ウシジマと呼ばれたもう1人の監視役は「客人を困らせるな」と短く叱り、すぐに俺に向かって「ユウガが失礼なことをした」と頭を下げた。
「い、いや……別に」
「いやいや。ユウガが失礼なことをした事実は変わらん。すまなかった」
「いや……いいけど」
「感謝する」
ウシジマはもう一度深々と頭をさげると、そのまま次はポーラへと謝罪をした。
アカミネにウシジマだと呼ばれたもう1人の監視役はアカミネよりも背丈が高く、小巨人を彷彿とさせるがっちりとした肉体を持っていた。
まさに筋骨隆々とでも呼ぶべきなのか。
縦にも横にもでかいその体は、無駄な贅肉などではなく、しっかりとした鍛え上げられた筋肉で構成されている。
あまりにも筋肉ががっちりとしていて、身につけている短パンとTシャツはパツンパツン。
今にもはち切れてしまいそうだ。
ウシジマはアカミネと同じように彫りが深い顔が特徴的で、眉も濃い。
髪の毛もぱっと見だが俺たちより太く、男にしては長く伸びた髪を掻き上げている。
米国国王と同じレベルで口髭と顎髭が発達していて、くっついて輪っかになっている。
もう顔の情報が多すぎて何がなんやらだ。
「改めて自己紹介をさせて頂く。ワシの名はキビトという。家名はウシジマだ。以後、よろしく」
うっわ〜。
しゃべり方もなんか独特だし、キャラ濃すぎだろ。
「あ、俺はさっきも言ったけどユウガね。アカミネ・ユウガ。よろしく〜」
早くも復活し、あぐらをかきながらポーラに向けて手を振るアカミネ。
そのアカミネから逃げるように、ポーラは俺の元にまで来て背後に隠れた。
「あ〜。逃げないでよ。可愛いなぁ」
逃げられたというのに、アカミネはなぜか嬉しそうだ。
きっしょ。
「うむ。では申し訳ないが、あなた方の名を伺っても?」
「僕はさっきも名乗りましたが、ニコラ・スミスと言います。ニコラでもニコラウスでも、好きなように呼んでください」
俺たちに自己紹介をするときはニコラウスと名乗ったニコラウス。
なのに、今はニコラ・スミスという俺たちに名乗ったことのない本名を名乗った。
それだけ、ニコラウスの中で何かの価値観が大きく変わったということだろう……。
「俺はレオだ。レオ・ガラードだ」
「私はカレン。コノエ・カレンよ」
「ポ、ポーラです」
「ニシゾノ・ケイタだ」
「……シロ」
順に名乗り終えると、ウシジマは大げさな動きで頷き、
「ニコラ殿。レオ殿。カレン殿。ポーラ殿。ケイタ殿。シロ殿ですな。覚えましたとも」
と、名前を繰り返した。
いやぁ〜。
やっぱりキャラが濃いなこの人。
「では早速だが、長が早くあなた方に会いたいと駄々をこねておられる。長旅で疲れているであろうが、どうか長の話し相手になっていただきたい」




