第97話:手遅れのラブレター
「ようやくだぁ〜」
と、ミニバンを止めて満足そうにニコラウスが言ったのは楔国を出発して3日目の昼ごろのことだった。
この時、ずっと荒野を突き進み続けてきた俺たちは、西暦の遺物にたどり着いた。
そう。舗装された道路だ。
「これでかなり運転しやすくなるし、到着までの時間がかなり短縮されるよ〜」
良かった良かったと繰り返し、ミニバンのエンジンを止めたニコラウス。
空模様は生憎で、だがギリギリのところで保っているという様子だ。
そのおかげもあり、冷房を抜いていても車内は涼しく、当然のように外も涼しくてかなり過ごしやすい気候だった。
予想でしかないが、きっと数時間後には雨が降って湿度が上がり、また幾分か涼しくなることだろう。
冷房をつけなくても良くなるってことはそれだけガソリンの節約にもなるわけだし、助かるな。
休憩しようと言ったニコラウスに促され、レオとカレンの後に続いてポーラと2人でミニバンから降りると、いつもよりも低い位置を、いつもよりも速い速度で流れる薄い雲が目に入った。
その薄い雲よりも上空の位置では、黒色の厚い雲がこれまた異常な速度で流れている。
「結構な天気の崩れ方をするだろうな」
曇天の空を眺めながら、レオがぽつりと言った。
「あら、わかるの?」
「ああ。家が農家みたいなことをしていてな。天気に関しては敏感なんだ」
なにそれ。初めて聞いたんだけど?
後付け設定か何か?
激しく天気が崩れるのだというのなら尚のこと休めるうちに休んでおこうと、俺たちは各々、伸びをしたり座り込んだり水を飲んだりと休憩をした。
とはいえ、俺たちはただ座っていて体が多少凝り固まっただけだ。
単純に疲労がたまっているのはニコラウスだけだろう。
ニコラウスは初日と2日目と、眠ることなくミニバンを走らせ続けた。
途中途中で休憩はしたが、その間、伸びをして水を飲むだけで、ろくに食べ物も食べやしなかった。
体調が崩れたら元も子もないからと、少しでも食べ物を口にして睡眠を取れと説得したのだが、ニコラウスは拒絶した。
今は少しでもはやく海沿いの街に行く必要があり、休む時間があるのなら車を走らせる必要があるのだと。
不測の事態はいつ起こるか分からない以上、動けるうちに可能な限り動いておく方がいいのだと。
同じような考えの元、ニコラウスは食べ物を口にしなかった。
理由は満腹感を得ると体が疲労を実感し、睡眠欲求に苛まれるから。
会っていなかったこの数ヶ月で、ニコラウスは随分とストイックになっていた。
いや、もともとストイックな性格だったがそれを理由があって誤魔化していたのかもしれない。
なんにせよ、ニコラウスがひたすらに焦っているのはよくわかった。
10分ほど休憩をすると、ニコラウスはすぐにミニバンのエンジンをかけた。
それがもう出発するからの無言の合図だった。
道路脇に停めていたミニバンを動かし、舗装された幅広の道へと乗り込む。
ミニバン8台分はありそうなものすごく広い道は、後方もそうだが、前方も行く末が見えないほどずっと続いていた。
泥砂の凝固混合物であるコンクリートは、製造が非常に困難なことで知られている。
何よりも、作るのが難しいという問題よりも資源の問題だ。
今の時世、コンクリートを作るための素材はなかなか手に入らない……と、聞く。
まぁなにが使われているのか興味がないから調べていない俺は、その話が本当なのかどうかは知らない。
けど、今の技術じゃあ作るのにかなりの労力がかかると言われているコンクリートで、こうも延々と続くような幅広の道を作ることができるなんて、考えれば考えるほど、西暦の技術が恐ろしく感じる。
そして、西暦の技術を実感すればするほど、今の俺には疑問が生じてくる。
どうして西暦の時代の人々は天撃を防ぐことができなかったのか。
どうして西暦の時代の人々は魔王軍の襲撃によって壊滅に追い込まれたのか。
天撃が本当に神による制裁の一種で、魔王軍の能力も人間の技術力を遥かに凌駕していたからこそ、天撃は防げずに魔王軍の襲来で壊滅に至った。
そう考えることもできる。
だが、バベルであの本を読んでしまった俺は、天撃を防げなかったのも、魔王軍の襲撃によって人類が壊滅に追い込まれたのも、どちらも、西暦の時代の人々が生み出したものであるからこそ、防ぎようがなく壊滅に追い込まれたのだとしか考えることができない。
それか、再編を目的としていたからこそ、防ぐことのできた天撃や堪えることのできた魔王軍襲撃を看過し、あえて食らった。
全部全部、理解できない西暦の人々の、人類の国同士の争いをなくすための施策でしかなかった。
……………………。
…………。
……。
舗装された道路を走り始め、ミニバンの揺れはほとんどなくなった。
まれに路上に落ちている大きめの石を踏んで揺れるくらいだが、それもほとんどない。
ニコラウスも走りやすくなったと言っていて、現に、荒野を進む時よりもかなり速度が速い。
車窓を次々と同じような景色が流れていく。
道路の両脇は荒野が広がっているが、不思議なことに道路の上にイワガメが出てくることはなかった。
ちなみに、道路に乗るまでのおよそ2日と半日の間、俺たちは合計で26回もイワガメに遭遇している。
途中で一回だけイワガメの討伐をさせてもらったが、本当に随分と簡単に倒せた。
まぁ、イワガメを手で持ち上げてひっくり返そうとして、流動する泥に指を巻き込まれてへし折られそうになったけど、それは愛嬌というやつだな。
うん。
人間、多少の可愛げがあった方が好感が持てるというし。
__________
やがて、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
舗装されたコンクリートの道を走り始めてから、実に1時間後のことだった。
最初の頃は本当に弱い雨で多少視界が悪くなる程度だったが、時間が進むにつれ、促されるように雨は強くなっていった。
雨粒は次第に大きくなって行き、轟音とともにミニバンの車体を叩く。
車内には水が打ち付けられる音が響き、一層黒く染まってしまった厚い雲の影響もあってか、かなり肌寒く感じられた。
「暖房、つけようか?」
ニコラウスはそういったが、耐えられないほどじゃあなかったから俺たちは必要ないと言っていた。
後々になって気づいたが、シロはいつの間にか毛布をぐるぐるにかぶって、細く華奢なその身を温めていた。
シロが体の内側がぐちゃぐちゃになっている第一世代で、ある意味触覚が異常に敏感になっていることをすっかりと忘れていた。
雨脚は強くなる一方で、フロントガラスに打ち付けられた雨たちによって視界は最悪だった。
飛沫と流れる水で視界は白く染まり、1メートル先すらも見えないという状況。
何度も何度もかなりの頻度で空がまばゆく光り、轟音が鳴り響く。
外は、落雷が複数発生しているという本当に危険地帯のような状態になっていた。
ニコラウスも流石に運転は不可能と判断したようで、道路から少し外れた位置にミニバンを止め、暖房をつけた。
「熱かったらごめんね。ただ、シロさんが寒そうにしていたから」
疲れたように笑いながら、ニコラウスはいう。
「この状況で車を走らせ続けるのは厳しいから、少し休もうか。荷台から毛布を取ってもらえるかい?」
言われた通りに毛布を取り、ニコラウスに投げると、ニコラウスはそれをかぶってあっという間に寝息をたて始めた。
「寝た……のか?」
「そうみたいね……」
あまりにも突然のことでレオとカレンすら困惑している。
けど、運転を寝ずに続けていたニコラウスだ。
それだけ疲れが溜まっていたわけだし、今は休むべき時間なのだろう。
だから、ニコラウスが眠りにつくのは悪いことじゃない。
「俺たちも寝ておくか」
レオのその言葉に、反論をするやつはいなかった。
何せ車からは出られない状況で、他にやることなどは特にない。
むしろ寝ることしか俺たちにはできなかった。
荷台から毛布を取ってレオとカレンに渡す。
ポーラはいつの間にか自分で毛布を取ってそれをかぶって寝ていた。
俺も毛布をかぶって寝ようかと思っていると、シロが寒いから毛布がもう一つ欲しいと言った。
毛布は人数分しかなかったから、仕方なしに俺の分の毛布を渡した。
「ありがとう」
いつもの途切れ途切れの話し方ではなく、ハキハキとした口調でシロは礼を言う。
わずかにだが笑みを浮かべているシロのその表情は、彫刻みたいで凄く綺麗だった。
けど、その美しさに僅かに差し込むように不気味さのようなものも感じた。
そういえばシロが普通の調子で話せることをみんなは知らないんじゃないか? と思って周りを見回すと、気づけば、俺とシロ以外の全員がすでに寝ていた。
「そんなに寒いのか?」
ガタガタと震えながら体に毛布を巻きつけ、顔だけ出す形でダルマみたいになるシロに聞くと、シロは毛布に隠れた口から少しも張り上げることなく、声を発した。
「寒いというより……痛い?」
「なんだそれ」
「身体中がピリピリする」
「温めれば治るのか?」
「少しは楽になる」
「そうか……」
第一世代は色々と大変なんだなと思った。
それからしばらく、俺は寝付けなかった。
なかなか寝られなくて、頭の中で羊を数えたりもした。
けれど寝られなかった。
全く寝られなくて悶々としていると、バックミラー越しに俺を見ながら、シロが言った。
「寝ないの?」
「いや……寝れないんだよ」
「そう」
素っ気なく返すと、シロは毛布の下で何かをガサゴソともがき、小さく息を吸った。
瞬間、カチリというスイッチを押すような音が車内に響いた。
次いで、シロは言葉を紡ぐ。
「寝ていいよ」
「いや、寝ていいって……」
「大丈夫。私がいるから」
その時のシロの声は、不思議な声だった。
基幹都市の塀の外で聞いた時のような、幾重にも重なって聞こえる声。
男にも女にも聞こえ、子供にも老人にも聞こえる不思議な声。
まるで何人もの人間がタイミングを完璧に合わせ、同時に話したような声。
そんな不思議な声が耳に届いてきた瞬間、俺は猛烈な眠気に襲われた。
「なん……これ……」
「おやすみ」
クスリと微笑みながら、シロは言う。
車の外は不思議なことに、大粒の雨に紛れて大粒の雪が降っていた。
雪が半ば雨に変わった状態の霙とは違う。
本当に、大粒の雨と大粒の雪が、混在していた。
それぞれが混ざり合うことなく、まるでそれぞれが違う空間にあるかのように、互いに干渉し合うことなく降っていた。
その摩訶不思議な光景に見惚れているうちに、俺はいつの間にか深い眠りに落ちていた。
目を覚ましたのは深夜。
すっかり雨が止み、雲も多くが消え去った月の綺麗な夜だった。
目が覚めた時、俺はポーラと互いに肩を預け合うように寝ていた。
だから少しだけだが飛び上がって驚いた。
嘘だ。飛び上がってというのは表現の1つで、それほどまでに驚いたということだ。
どうにかポーラを起こさないように肩から退けると、ニコラウスの姿が見えなかった。
外の空気が吸いたくなり、周りの奴らを起こすのも申し訳ないと思って荷台に移動してそこから車外に出た。
雨上がりの空気は湿っていて、涼しかった。
程よく吹く風に煽られ、空に浮かぶ満月を清々しい気持ちで見ていると、すすり泣くような声が聞こえてきた。
やめておけば良かったのだが、案外不躾な俺はそこで声のする方へと歩み寄って行ってしまった。
途中、助手席の脇を通り過ぎ、シロが気持ちよさそうに寝ているのが見えた。
初めて見るシロの寝顔に少しだけドキッとしたのはみんなに内緒だ。
声は、ミニバンから少し離れた位置から聞こえてきていた。
すすり泣く弱々しいその声はニコラウスのもので、俺は、蹲って涙を流すニコラウスを見て息が詰まった。
「うぅ…………どうして……ホノカ……どうして……」
よく見ると、蹲るニコラウスの手には手紙のようなものが握られていて、あまりにも力強く握るものだからへしゃけてしまっていた。
「僕を……僕を置いて行かないでくれ……」
震える声で、涙声でひとりでに話し続けるニコラウスの言葉は、全部が全部、ホノカへのものだった。
今まで歴代の仲間がいたはずで、最後の仲間にはバクとキャロルもいたはずだ。
なのに、ニコラウスの吐き出す弱々しい言葉は全てがホノカに宛てられたものだった。
「僕は……そんな……もっと早く知っていれば」
僅かに体を持ち上げ、手紙を握っていない方の、にもかかわらず握りしめている方の拳を解くニコラウス。
そこには、月光を浴びて青く輝く、銀の指輪が2つあった。
「……も。……僕も……。僕も君のことが好きだったのに」
喉を握りつぶされているような、そんな錯覚を覚えた。
聞きたくないことを聞き、脳が拒絶反応を起こし、顎関節が震えた。
口蓋垂が刺激され、吐き気が込み上げてきて、その場にいるのが辛くて辛くてどうしようもなくなった。
だから、俺はニコラウスに声をかけることはせず、踵を返して車内に戻った。
途中、雨上がりだというのにすっかり乾ききった地面に、1枚の紙切れが落ちていることに気がついた。
それを拾うと、感情の込められた意味のある言葉たちが羅列されていた。
拾った紙切れがついさっきニコラウスが握っていた手紙のうちの1枚であることなど、少し読めばすぐにわかってしまった。
そこに書かれた内容を見て、また胸が苦しくなった。
『
この手紙を読んでいるということは、私はもう、この不条理な世界から脱落をしているということになります。
だって、この手紙は私が死んだら貴方に渡すよう、カナリスさんにお願いしてあったものですから。
こういった形で手紙を書くと、少し緊張しますね。
何を書いていいのか分からなくて、困ってしまいます。
私は候補勇者として旅立ってから、何度も何度も仲間を失いました。
目の前で嬲り殺され、人間の形を失っていく様を、何度も見てきました。
弱い弱い私は、仲間が殺されるのを助けることもできず、ただ、自分だけが助かってしまっていました。
やがて心が折れ、死んでしまおうかと思っていた時、私は貴方に出会いました。
同じような境遇にいながらも、強く生きる、貴方に出会いました。
最初はどうしてこんなに強く気高く、皆に優しく生きれるのだろうと疑問に思っていましたが、それは貴方が弱い人間であるからだと、ある時に気がつきました。
その時からです。
私は、貴方のことが気になって気になって仕方がなくなりました。
いつの間にか、貴方に救われている私がいました。
いつの間にか、貴方に手を引かれて前を向けるようになった私がいました。
全部全部、貴方のおかげです。
今の私がいるのは、全て貴方のおかげです。
貴方は自分がリーダーには向いていないからと、私に勇者役を渡しましたね。
ですが、私はずっとずっと、私なんかよりも貴方の方がリーダーに向いていると思っていました。
私なんかよりも、ずっと勇者に向いていると思っていました。
』
俺が拾った手紙は、そこまでで途切れてしまっていた。
宛名も書かれていないその手紙がホノカからニコラウスに宛てられたものである事は、読めば容易に分かった。
だからこそ、俺の胸は締め付けられた。
かつて、ホノカがニコラウスに対してだけは女の子らしくなっていたことを思い出した。
強く気張りながらも、ニコラウスには甘え、弱い部分を見せていた彼女のことを思い出した。
ニコラウスに良いところを見せようと、博識なふりをしたり積極的に戦いに行ったり、あれこれをアピールしていたことを思い出した。
俺が拾ってしまい、見てしまったこの手紙は、きっとホノカからニコラウスへのラブレターだったんだ。
しかも、残酷なことに死んでから届けられるラブレター。
想いを伝えられない状況になってから、それでも尚、相手に好きだったと伝えるための手紙。
こんな手紙を用意していたという事は、きっと、ホノカはいつか自分の口で想いを伝えようとずっと考えていたはずだ。
だからこそ、こんな手遅れになってからの手紙を保険で用意しておいた。
世界は残酷だ。
正確には、この世界が残酷だ。
西暦の人々の勝手な考えのもと、天撃で国々は滅ぼされ、生き残った国々も魔王軍によって蹂躙された。
その魔物を倒すために無知な少年少女が候補勇者として送り出され、死んでゆく。
自分よりも圧倒的に強い、学校教育では学ばないような魔物たちに踏み潰され、捩じ切られ、食われ、死んでゆく。
皆が皆、どんな感情を抱いていたのか、何を考えていたのかなんて関係ない。
誰が誰にどんな想いを抱いていようと、無関係に殺されていく。
今のこの世界は、あまりにも残酷すぎる。
俺たちは……誰1人欠けることなく魔王を倒すことができるのだろうか。
…………。
拾った手紙は、運転席の座席にそっと置いておいた。
そのまま俺は再び荷台から車に乗り込み、元の場所で毛布も使わずに瞳を閉じて寝たふりをした。
気づけば、再び眠りに落ちていた。




