お祭り・他の人たち
「ちょっと、あんた何やってんだい。…まだ本調子じゃないんだから、そんな事しなくていいよ」
「いえ、お勤めですから……」
クーロンが自分の部屋から出て居間へ行くと、ロココが掃除をしていた。
枯れ木のような腕、蛍の光のような儚い女。
しかし、その顔の血色は柔らかく、肌にも潤いが出てきている。
「体を動かしてた方が楽なんです。もう寝てるのにも飽きてしまって」
「本当かい? 無理はするんじゃないよ」
「今お茶を淹れますから……。座ってね」
一応声は掛けたが、ロココが動いても平気そうな事は、クーロンにも分かっていた。クーロンは椅子に座り、窓の外から聴こえてくる音楽に耳を傾ける。
「……他の服買ってやるって言ったのに、あの子あの服着ていっちゃったねえ。別に遠慮しないでいいんだよ。あんた達はもう仲間なんだから」
「ありがとうございます。…本当に」
ロココがクーロンの前にお茶を置くとその傍に立つ。窓の外、聴こえてくる音楽にその三角の耳がぴょこんと動いた。
「あの服が良かったんでしょう。ジンが買ってくれたものだから」
「けどねえ……。あんな事があった時に着てた服だよ」
「その位、ジンの事が好きなのかも。ジンに買ってもらった物がいいんでしょ」
「あらあら。いじらしいじゃないかい……可愛いね子供の恋は」
「そうですね。けど良かった。ジンが良い子で」
「良い子? …あたしもそう思ってたんだけどねえ」
「違いますか?」
湯気が立つお茶を一口含むと、クーロンはロココに着席するよう目で促した。
クーロンは気にするなと言っているのに、ロココはいつも許可が出るまで座ろうとはしない。喋り方も普通で良いと言っているのに、いつも敬語混じりで喋る。
ロココが静かに対面に座ると、クーロンは頬杖をつき喋り出した。
「良い子だよ。それに、男らしい所もある。あれは多分大きな奴になるよ。ただ、…なんか不安にさせる」
「どういう意味ですか?」
「……よく分からない。うーん、あたしゃ考えるのは苦手だからね」
「けど、やっぱり良い子ですよ。…クーロンは分からないかもしれないけど、私は今まで色んな人間を見てきたから」
「おや? あたしだって色んな人間見てきてるさ」
「けど、私みたいなお金の稼ぎ方はした事ないでしょう」
ロココから見て、クーロンは恵まれた亜人だった。亜人の中でも際立って美しく、強く、楽園の顔役であるロックボトムの男達に対等な口をきく。
ロココはクーロンに特に感謝しているし、憧れのような気持ちすらあったが、その反面湧き上がりそうになる気持ちを抑える事も度々あった。
…憧憬。それについて回る、嫉妬。
「クーロンは、私みたいな事をしないでも生きてこれたでしょ?」
その言葉を聞いたクーロンは、一度目を伏せた。
「…そいつの痛みはそいつだけのもんだ。だから、本当はこんな事を言いたくないんだけど、……あたしに比べたらあんた達の方が恵まれてるよ」
「なにを、…私たちがここでどうやって生きてきたと思ってるの?」
「あたしは盗賊団に飼われてた。そいつらの愛玩用の玩具としてね。…見た目で言えばニコルと同じ位の頃だね」
「え……」
「……ま、生きてりゃ色々とあるさ。あたしはあんたが羨ましいよ。…子ども、可愛いね」
陽気な太鼓の音が、遠くの方でドンドンと。
南の国、王都ロンダルシアの祭の夜、亜人もヒトも遠くの方で笑っている。
…お互いがお互いをどう思っているのか、それは誰にも解らない。それでも、世界の中ではまだましな光景。
「……どうやって、その生活から抜け出したの。逃げ出したの?」
「あの頃はそんな事考えもしなかった。考える力なんて残してちゃ生きてられなかったからね。…助けられたのさ」
「誰に?」
「でっかい剣だよ。……凄く、でかい剣さ」
遠く響いてくる楽器に混じり、時折人々の大きな声が聞こえてくる。歓声であったり、時には悲鳴のような大きな声が。
テーブルの上のお茶から湯気が登らなくなった頃、クーロンは再びその顔に笑みを乗せた。
「さて。…祭の夜だよ。実はコルテが隠してる秘蔵の酒を見つけたんだ。女だけで飲むのも悪くないだろ?」
「……そうね。けど、コルテ様の物を」
「ん? なんだい? あんた飲まないのかい?」
「そうは言ってないじゃない。飲むに決まってるわ」
「はは。…良いね。喋り方もだいぶ慣れてきたみたいだ。病み上がりなんだからあんたは少しだけだよ」
「少しで済むわけないわ。男が隠してる酒なんて、どうせだったら全部飲み干してやりましょ」
「ははは。あんた倒れないでよ」
クーロンが席を立ち、ロココも食べる物を探し出す。どうせみんな酔っ払って帰ってくるし、細かな事など気付かれやしない。
皆が帰ってくるまで、二人は女だけの宴に花を咲かせた。
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「おっ……、おぅボゥエーーーッッ!!」
目抜き通りの脇道で吐瀉物を撒き散らしている男は、ほんの少し後悔していた。
「や、やべぇっ……!! 久しぶりだから、ハメを外しすぎた……!!」
その男はすぐ隣の宿屋の二階に先程まで居た。壁に囲まれていて誰からも見えないその二階の一室は、とんでもない有様になっていた。
しかし、二階の窓の外からその様子をずっと見ていた者もいたのだ。…その光の天使はふわふわと漂いながら、ゲロを吐き続けるクロウのそばに降り立った。
「……おまえ、あれなに? 何やってたの?」
「『王夏遊戯』。大抵二番と三番がキスする奥義だ」
「奥義……? おまえ、奥義の意味わかってんのかァ?」
イエリアは隣の館の二階を見上げた。
その部屋の中では、酔い潰れた女達がいびきをかいている。
「あいつら放っておいていいのぉ?」
「あ? 朝まではあいつらの自由だ。別に寝てりゃいいだろ」
「違うよ。…お前あいつら買ったんだろ?」
「気分じゃねえ。それに充分楽しんだ。くかかかかかか……。寸止め感がイイんだよ」
「お前って、なんかレベル凄いな。セリアには散々な事をしたらしいけどぉ?」
「ああ。そういやあいつ顔見せねえな。……ふん。あいつがいたら抱いてやっても良かったんだが」
「……へえ」
なにか、その言葉はイエリアには意外に聞こえた。
「……けど居ねえからな。よし、今日あたりそろそろ鉄拳女に『触手極楽地獄園』でも食らわせるか。あるいはロココに『昇天顔四本指』、……いや、やはりジンパチの前でアゼルに『地獄最果禁断果実』を」
「お、おまえ、クズじゃないか…! 本物の、クズじゃないか……!!」
「くかかかかかか……。あーくぅまだぁからなあァァァ……」
ひとしきり胃の中身をそこに吐き出すと、クロウは唾を吐いてから立ち上がった。
「それより、テメエなんでこんなとこにいるんだ? ジンパチのとこ行けよ」
「まあまぁ……。たまにはクロウと仲良くしようかなぁと思ってさぁ。へいへい、遊び行こうよぉ」
「なんなんだよ…。折角ジンパチのお守りから解放されてんだ。まとわりついてくるんじゃねえよ」
「ほらほらァ、水でも飲みなって」
イエリアが肩を貸すが、身長の差がありすぎて肘掛けのようになっていた。そのまま二人は夜の街を進んだ。
楽園の祭りは盛り上がりの頂点にあった。至る処で音が鳴り、酒が噴水のように撒き散らされ、酔っ払った娼婦が自分の着ている上着を脱いで、上半身裸のままそれを振り回している。周りからあがる下品な歓声と口笛の音。
「くかかかか……。良い景色だ」
「はっ。男はみんな喜んでるねえ。アホばっかりだ」
「これでいいんだよ。…はぁ。目覚めてから周りはどいつもこいつも腹に一物隠して面倒くせえ。俺様は楽しけりゃなんでもいいぜ」
「あははははっ。オレも楽しければイイっていうのは同感だぁ……。退屈と諦めはタチが悪い……」
嬌声が響く祭りの夜は、人の熱で加速する。男も女も大人も子供も。それぞれの楽しみ方で飲み食い歌い、享楽の都を楽しんでいた。
「くかかかかかかっやっぱりこうでなくちゃなっ!! 辛気臭ぇのはウンザリだぜ」
「ま、いんじゃないかなぁ。ところでさァ……」
「あん?」
「おまえさァ。なんでそんなに退屈が嫌いなのに、長い眠りについてたのォ……?」
「あ?」
「だって、別に生命活動の為に寝てた訳じゃないだろ? なんで長い眠りについてたのぉ?」
イエリアの表情はいつもと変わらない。人々を眺め、笑顔の形に目を歪めていた。
「…退屈だったからだろ。長く生きてりゃ何もしたくねえ時だってあるわ。よく覚えてねえよ」
「あはは。流石に数十年前の事位は覚えてるんじゃないのお? 辛い事があったりィ…?」
「はっ。一秒前の事すら興味ねえ。…それに、俺には悲しいもなけりゃさみしいもねえ。なんも辛い事なんかねえわ」
「あははははっ!! ごめんごめん、そうだったねえ。さ、祭りを楽しもう。……お、あいつら居るじゃん」
ふらつくクロウを支えるイエリアが指差す先には、商人ギルドのトムとキリエがいて、二人で仲良く祭りを賑やかしているように見えた。
「あ、クロウ様っす!! それとアレっす! 男の娘っす!!」
「…一応オレ十二使徒なんだけど、身も蓋もない呼び方するなあ」
「あ、イエールたーん!!」
「お、デブじゃないか。元気ぃ?」
「そっちこそ身も蓋もないっす!!」
「な……! デ……!?」
「おうデブ。なかなか良い祭りだ。てめえもやりゃあ出来んじゃねえか」
「お、おまえら……!! 普通、本人前にしてそんな事言うのか? 常識ないのか……!?」
「悪魔だからな」
「天使なもんで」
「それ言えば許されると思うなよ!!」
「トム、良いっす……! 凄く良いっすよ。この短い時間でパターン出来てるっす。ひな壇の中でも腕があるひな壇っすよ!!」
「キリエ、コメディアン目線で語るなっ!! こんなのはブロードウェイじゃ通用しないぞ!!」
「そういうの冷めるっす。笑いを分析とかキモいっす」
女子のキモいはあらゆる論理を超越する。そして、キリエはすぐにそれを持ち出す女だった。つまり、アレな女だった。
「お前が言い出したのにっ!? ジンが言ってた通りだっ、おまえは性格サイテーだ!!」
「クロウ様、折角だし一緒に見て回るっすよ。イエリアさんとも仲良くしたいっすねえー」
「あはははは。…そうだなぁ。どうせ付き合いは続くしなぁ」
「めんどくせえ奴らだぜ……」
一際目を引く派手な四人の周りに、次第に見物するように人の輪が出来ていた。行き交う人々を邪魔するように出来たその輪は、どんどんと人数を増してゆく。
すると、輪の真ん中でふらついていたクロウに、後ろから声が掛けられた。
「すいません。どいて下さい」
「……あ?」
…ガヤガヤとやかましい喧騒が一瞬だけ止んだ。道の真ん中で広がり騒いでいた四人の中でも一番目立つ男、クロウが不機嫌そうに出した声は、周りの人々の耳に届いた。
「ちょっと邪魔なんで……。どいてもらっていいですかねえ」
「てめえ、誰様に向かって…」
そこには男が立っていた。
鼠色の服を着て、頭に幅広のつばの帽子を乗せていたその男は、顔を隠すように下を向き、言葉を続けようとしたクロウの脇を通り過ぎようとした。
「……待て」
「なんですか?」
クロウが掴む肩。
肩の上に置いた手の向こうに、その男の目が見えた。片手で帽子を押さえている男の目は、クロウの事を真っ直ぐに見ていた。
「なんですか?」
「……いや、なんでもねえ」
クロウが手を離すと、男は掴まれていた肩をちらりと見た。
しかしすぐに視線を外し、帽子を押さえたまま喧騒の中に消えていった。
「……ありゃりゃ、転生者っすかねえ。普段からあんな格好してる人は珍しいっす」
「なんだあの服。流行ってんのか?」
「流行ってるっていうか……。ビジネススーツっす」
「あん? なんだそりゃ」
「うちらの世界の戦闘服っすよ。…あんな格好してたら商人ギルドっぽいっすけど、あの人見た事ないっすねえ。トム知ってるっすか?」
「知らないな……。それよりも、戦闘服なんて言ったらクロウが信じるぞ」
「嘘じゃないっしょ?」
クロウが出した不穏な空気は一瞬で消えた。
周りで見ていた人間達は、意味不明の安堵を感じると、再び辺りに散っていく。…クロウは男が消えた方角を見ていた。
「…今のも転生者か」
「そうじゃないっすかね。顔はよく見えなかったけど、現地人は理由無かったらあんな服着ないと思うんで。…それより、からんじゃ駄目っすよ。可哀想じゃないっすか」
「なに言ってやがんだ。別にからんじゃいねえだろが」
「けどクロウ様が怒り出さなくて良かったっす。冷や冷やしたっすよ」
鼠色のスーツを着た男は覇気を感じさせなかった。こんな衆目の中で明らかな一般人をクロウが殺したら、一緒に居るキリエとトムまでまずい事になる。
「はん。俺様は気が長えわ。てめえらの事を殺さないくれえにな……絶対強者」
「まだそれ引きずってるんすかあ? もうそれはお互い忘れるっす。…ところで、暇だったら一緒に『名無しの冒険』観に行かないっすか? 本人に解説して欲しいっすっ!!」
「今回の見所は、俺様の技の名前だ。
……怨殺邪炎聖皇霊牙、赤光魔断王流闘撃、天輪殲滅冥王白火、千古全葉封魔放神、紅蓮青洋緑界黄峰、秘技ッッ!! カウザルクロウ裏式『零の太刀・渇きッッ』だ」
「おい……! なんだよそれ。アッッメーーイズィン!! めちゃくちゃカッコいいじゃないかッッ!!」
「お、わかってるじゃねえかテメエ。息継ぎもしないでこのセリフは圧巻だぞ。覚えられねえとか抜かしてやがったが、ちゃんと言ってなかったら当然殺す」
「カッコいいっすか…? イエリアさんもそう思うっすか?」
「だっさ!! はははっ! だっっっっさ!!」
「「な、なんだとっっ!?」」
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「む。向こうが騒がしいぞ。…まさかあいつらか?」
テントの中で取り憑かれたように筆を走らせていたジークエンドは、ちらりと目を動かした。
テントのある広場から放射状に伸びている通りの一つから、怒号とも悲鳴ともつかない声が聞こえてくる。
「コルテ、止めてこい。集中出来ん」
「ほっとけばいいでしょ……。ハァ」
「……ふむ」
地底墳墓での一件以来、コルテはずっと消沈していた。なにしろ殺されかけたのだ。
ジークエンドはその事について特に触れていなかったのだが、その気持ちは想像出来た。
「しかし命が残って儲けものだな。相手の方が強かった。こんな事もあるだろう」
「違いますよ。……はぁーーっ」
「なんだお前。別の悩み事か? 言え。聞こう」
「なんて言ったらいいのか……」
「初めからだ。そして終わりまでだ」
吹きさらしのテントの中には時折涼しい風が入り込んでくる。
薄青の髪をさらさらと流したコルテは手元の酒を見つめた。
「初めてだったんですよ……」
「ふむ? …そうか? 今まで何回か死にかけてると思うが」
「違うっ。そうじゃなくて……」
「ハッキリ言え。なんの話だ」
「ほら、あの、アレ。シズが僕を、……助けたでしょ?」
「だからなんだ。ハッキリ言え」
「人工呼吸というか、なんというか、アレ、初めてで……」
「ああ、そうか。なるほど、普通初めてだろうな。…だから?」
「僕の、初めての接吻だった……!!」
「…………な、……に……?」
「あんな子供に…! 弟子ですよ!? ああもう、どうすりゃいいんだ……!!」
ジークエンドの瞳はコルテに釘付けとなった。
頭を抱えて手元の酒を見つめている表情、憂いのある目、下げられた眉、高い鼻、そして薄い唇。
…気が付くと、勝手に筆は動き出していた。
(悪くない……)
「……ほほう。で? 今の心境は?」
「もうなんかよくわかんねえですっ! なんで僕がこんな目に……!!」
「柔らかかったか? 覚えてるか?」
「なんにも覚えてねえです!!」
「で? ……どうするんだお前」
「どうもしねえっ!!」
(悪くないっっ……!! 新キャラッッ!!)
ジークエンドの手元の紙には、コルテらしき男と抱き合う、腰まで伸びた髪が美しい少女が描かれていた。
「いやいや良い話が聞けた。次の締め切りには間に合うだろう。……ところで、お前今年で幾つだ?」
「そりゃ別に関係ねえでしょうよっ!!」
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「おい、あっちが騒がしいぞ。 …もう何やってんだよあいつらは」
「お兄ちゃん、前、ですっ」
「あっ、ご、ごめんなさいっ!!」
「…………いえ」
アマレロ達と合流し、クロウが揉めていると聞いた迅八は騒ぎの方に向かう途中、道の真ん中で立っていた女とぶつかった。
修道女のような服を着た女。黒い頭巾をかぶり、彫りが深い顔立ちに浮かぶ、褐色の肌、茶色い瞳。
「大丈夫!? ご、ごめん、急いでたんだ」
「平気ですよ。すいません邪魔でしたね」
「本当にごめんなさい。じゃあっ」
通り過ぎようとした迅八の手を、その女が強く掴んだ。
「えっ、な、なに?」
「手。……血が出てますよ」
掴まれた迅八の手の甲から、薄く血が滲んでいた。女はそれをじっと見つめている。
「あれ、なんだいつの間に…。どっかで擦っちゃたかな」
「手当しましょう。…回復術をかけます」
「はは、この位平気だよ。…ほら」
空いた片手で迅八が滲んだ血をこすると、そこにはパックリと開いた傷口があった。
「うおっ…ええっ!? すげえ切れてる!! なんで!?」
「回復術をかけます」
「ありがとう。けどほんとに大丈夫だから…」
女が見ている前で、その傷口から血が押し上げられ、その奥から肉が盛り上がった。
傷口は引き攣れた傷跡に変わり、数秒後にはそれもなくなり綺麗な肌がそこにあった。
「…………」
「ほらね。もう自分で回復術かけたから……。じゃあ、ほんとにごめんなさい、急いでるから」
「そうですね。……ではまた」
その最後の言葉の違和感に気付く事なく、迅八はその場を離れた。
・・・・・・・・・・・・・・・
迅八が騒ぎの中心へと消えると、修道服を着た女のそばに、鼠色のスーツを着た男が立っていた。
「マルヤム。…千年の大悪魔を見てきたよ」
「私は少年を見ました」
「そうか。アレは見れたかい?」
「ええ。本当に回復します。噂が全て本当とは思えませんけど」
「腕を切り落としても生えてくるらしい。凄いねえ」
「やってみますか?」
「ほうっておいていいんじゃないかねえ。ただの子供だろう」
灰色のスーツを着た男は両手に飲み物を持っていた。その一つをマルヤムと呼んだ女に渡す。
「…これは、アルコールが入っていますか?」
「あ、戒律で駄目なんだっけ? 」
「それもありますが、私は厳格な教徒ではないので平気です。異性に顔を見せるのも禁忌とは思いません。戒律とは関係なく、アルコールを遠ざけてるだけです」
「味が嫌いなのかい?」
「好きです。自分を見失うのが嫌いです」
「じゃあ程々にしよう」
修道服の女、マルヤムは一口それを含むと、ゆっくり味わい飲み込んだ。
「千年の大悪魔はどうでしたか?」
「凄く強そうだったねえ。苦戦するかもしれない」
「冗談でしょう」
「祭りだ。…冗談交じりに楽しくいこうよ」
通りの向こうの空が光ると、轟音が響き渡った。その轟音の中に戦闘音が混じっている事に気付いた幾人かが、その場から逃げ出してゆく。
「…何をやっているのかしら」
「仲間内でジャレてるんだろ。楽しそうだねえ」
「混ざらないんですか?」
「やめておこうか。…しかしねえ、回復するか。まずいねえ。ひょっとしたら本当に脅威になるかもしれない」
「マリヤ。それはあり得ないでしょう」
「マルヤム。死なない奴とか復活する奴とか…。しつこいのは嫌いだ。デッドエンドイーストとかねえ」
「あれも哀しい魂ですね」
「哀しいねえ…。弱い存在が足掻くのは哀しいものだ」
「彼らは強者ですよ。あなたと比べれば全員弱いだけです」
「ああ、哀しいねえ……」
二人は静かに歩く。
その途中で騒動のそばを通りかかった時、壁に隠れるようにそれを見つめている二人の男女に気付いた。
「あれ、あの二人……。なんだっけ。思い出せないねえ」
「転生者ですよ。名もない存在です」
革鎧を着た女と板金鎧を着た男。
その二人は離れた場所から、ずっと騒動の中心を見つめていた。
「あんなのが舞台に上がったらすぐ死ぬのに」
「今日は祭りです。演者と仲良くなりたいんでしょう」
「ネームレスの冒険ねえ。…私たちが舞台に上がる日が来ない事を祈るばかりだ」
「楽しくなりませんか?」
「主役が一方的にやられる劇なんて誰も見たくないんじゃないかい?」
「現実は哀しいですね」
「ああ、哀しいねえ……」
祭りの夜は喧騒と熱気に彩られ、笑い声で満ち溢れている。
黒いマルヤムと鼠色のマリヤは、人に溶けるように見えなくなった。




