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日の光は完全に消え、夜の腕が町を包み込む。そこから逃れるように、ポツリ、ポツリと。
初めは少なく、やがて大きく、魔光石やガス灯の明かりが広がり出す。
ぼんやりと滲む光の渦は、音に揺らされ動き出し、迅八達が橋を越えると、その光も音も賑やかさをどんどんと増していった。
「あれ? …ガラスの中、今日は人がいないんだな」
「なんでだろ……。せっかくのお祭りだから、商売繁盛のはずなんだけど」
迅八と手を繋ぐニコルが不思議そうにそんな事を言う。ガラス張りの娼館を見て、幼い少女がそんな事を言うのだ。
ニコルは娼館に対する嫌悪感もないようだし、客として楽園を訪れる者にも、それが普通の客なら悪感情は持っていないようだった。
頽廃と悦楽の楽園。
ここでは当たり前の仕事の一つであり、それすら出来なければもっと危険な事をする他ない。
「…………」
「どうしたのにいちゃん?」
「なんでもないよ。…それより、ニコ大人しいな。どうしたの?」
「なんか、恥ずかしいもん…」
左手でずっと迅八の手を掴んでいるニコルは、空いている手で常に髪を触っていたり、ひらひらとしたワンピースの裾を押さえたりしていた。
「なにが恥ずかしいんだよ?」
「だって……」
「なに言ってんだよ。ニコはとっても可愛いよ」
「嘘だよ! そんなの…」
「ほんとだよ。…ほら、あそこの男の子、ずっとニコの事見てるよ」
「え?」
迅八がアゴで示す先には、ニコルよりもほんの少し年上の少年と少女がいた。
王都からこちらに遊びにきた風な、仕立ての良い服を着たヒト族の少年は、ニコルと目が合うと恥ずかしそうに目を伏せた。その男の子とよく似た顔立ちの女の子は、満面の笑みでニコルに手を振っている。
「ほら、ニコ。手を振ってあげてみな」
「やだよ! 恥ずかしいもん!」
「いいから。やってみって」
視線の先では、少年がチラチラとこちらを見ている。ニコルがおずおずと右手を振ると、その少年の体がビクンと跳ねた。
それから一度周りを見渡し、手を振られているのが自分なのだと気付くと、ぱあっと顔を輝かせた。
「あ……」
「ほらね。ニコが一番可愛いからだよ」
「……う、ぅぅっ」
迅八の手を離し、腰の部分にニコルが抱きつく。
「どうしたんだよ。ほら、二人ともこっちに手ぇ振ってるぞ」
「もうやだ……。恥ずかしいよぉ…」
「はぁ……はぁ……、です……!」
「おいやめろ。お前ほんとやめろよ。妹でも俺はやる時はやるよ」
「む。なんかお兄ちゃんが最近えらそう、です」
「お前がおかしいからこっちもキツくなるの!!」
娼館が並ぶ楽園の目抜き通りとも呼べる場所には、幾つもの屋台が出ていた。
何かを焼いている煙、調味料の焦げる匂い、それらの隙間を縫うように、酒場の中から給仕が外に出て通行人に酒を渡す。
ほとんどの者が右手に食べる物を、左手に酒を、食べ、飲み、笑い、音楽に体を預けている。
「しっかしほんとにこの町は芸術家が多いんだな。何人位いるんだよ」
「数え切れね〜ほどいるぜ〜。それがココの売りだからな〜」
「あ。アマレロ」
迅八がそちらを向くと、アマレロが酒を片手に立っていた。
「あれ? もうそっちはいいの? ジークエンドさん達は?」
「祭りの為に動いた奴らと一緒に飲んでるぜ〜。なんかしんね〜が俺たちが主催で金出したって事になってっからよ〜」
「ほんとに金出した窃盗犯はなにしてんの?」
「聞きて〜のか〜?」
「いや、いいや。想像できる」
「ま〜……。悪魔だからな〜」
「けどあいつも気の利いた事するよね。全部おごりで祭りやるなんて」
商人ギルドに壺を売った金を全て使い、クロウは祭りをやると言い出した。無料で催しを出来ると言われた楽園の商店主達は、喜んでその話に乗った。
今楽園に出ているあらゆる飲食店は、全てが無料で商品を提供している。それとは関係ない商店主達は、いつもとは違う客としての楽園の夜を楽しんでいた。
辺りは暗いが、まだ夜とも言い難い時間なのに、すでに酔いつぶれて寝ている者もいる。
「ところでよ〜。そこのチビ共は誰だよ坊主。そんなちっこいのにこんなとこに来て、将来有望な奴らだな〜」
「は?」
迅八がそちらを見ると、先ほどの子供たちがつかず離れず、ニコルの事を見ていた。
「…ニコ、あの子達と遊んできたら?」
「え? …だって、あの子たちヒト族だし、怖いよ」
「俺だってそうじゃん。俺の事怖いかい?」
「けど……」
「お? んじゃ俺が一緒に行ってやるか〜。おうチビ助〜。お前らちょっとこっち来いよ〜」
「じゃあわたしもあそぶ、です!!」
「え、だってにいちゃんが」
「いいから行っておいで。アマレロ、ニコとシズの事頼むね」
「お〜? おめ〜はなにすんだ坊主」
「ちょっと一人でふらふらしてみようかな……。君たち、ニコと仲良くしてやってな」
その少年はニコルのそばに来ると、顔を真っ赤にして迅八に勢い良く返事をした。少女は優しくニコルの手を引いた。
「はは。元気でいいなあ。…また後でなニコ」
その子供たちの、まだなんの裏もない笑顔。
可愛らしい狐の女の子に純粋に興味を持った二人の子供は、ニコルの手を引いて雑踏の中に消えていった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「さてさて。みんなはどこに居るのかな……」
そうは言ったものの、迅八はゆっくりと町を見て回っていた。見ているだけで心が浮き立つ、自分の知らない世界。
小麦色の肌を晒して陽気に騒いでいる美しい女や、たくましい体に酒をかけあう男達。
腰に剣を下げた者や、頭に耳を生やした者。慣れてきたようでふとした瞬間に、ここは違う世界なのだと思い出す。
「なんか、信じられねえなあ」
元の世界、淀んだ水のような毎日を、時々思い出す。その思考を続けようとすると、迅八の中で嫌な音が鳴る。
警戒を促す音。それを考えてもいい事などなにもない。
「……あ。アゼルーーっ!」
「お、居た。もうトム達との話は終わったのか?」
人混みの中でも目立つ真紅の髪が、風に流れて揺れている。アゼルは肉を刺した串を両手に持って、迅八の方に歩いてきた。
「シズもお前も戻ってこないから探しちゃったよ……。ニコはどうしたんだ?」
「アマレロとシズが一緒に遊んでるよ。アマレロが居るんだったら大丈夫だろ」
「アマレロは何気に子供好きだからな」
「ところで、お前うまそうなの持ってるな。それどこにあったの?」
「向こうで焼いてたよ。……はい」
「え。くれんの?」
「だから二つ持ってきたんだろ」
「俺に!?」
「…お前なに言ってるんだ? そんなに驚く事か?」
「いや、……けど、なんか優しくない?」
「だって、友達だろ?」
迅八が内心の驚きを抑えてアゼルの顔を見ると、その目が不安そうに揺れた。
「……友達、だよね?」
「う、うんっそう!! すうううげえ友達だよ!!」
「そっか。……じゃあ、はい」
……差し出された肉は香辛料の香りが食欲をそそるものだったが、どれだけ前にもらってきた物なのか、肉は冷めてしまっていた。
迅八はそれを一口かじる。
「おいしい? 冷めちゃってるかも」
「……おいしい」
「ほら、ついちゃってるよ。けど、良かった」
迅八は聞いた。自分の中で鳴る色々な音を聞いた。
「た、助けてクロウ……! 俺こういうのダメなんだ。慣れてねえんだ……!!」
「……? 変な奴だな。クロウを探してるのか?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど……」
「じゃあ行こうよ。色々な出し物が出てたよ」
アゼルは嬉しそうに迅八の横に並ぶと、同じように肉を頬張った。
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楽園広場に差し掛かると、そこには大きなテントが貼ってあった。屋根だけの造りのテントの下で、商店主達が酒を酌み交わしている。
「もうさ、なんかさ、ノリが町内会だよね…」
「まさに町内会なんだけど、ジンはこの世界をなんだと思ってるんだ?」
今日の楽園にはいつも以上に人がいる。
いつもと違うのは、年代も性別も種族も多様であるという事だけだ。
祭りが開かれる時だけはなんの問題も起こらないように、至る所で屈強な男達が目を光らせている。
「…祭りは誰でも参加出来る娯楽だから時々やってるよ。と言ってもここはお祭り好きのロンダルシアだからな。普段やってる事が大げさになってるだけさ」
いつも王都の噴水広場で大道芸を披露している者や、楽器を鳴らしている者達が、今日は楽園のそこかしこで自分達の技を見せている。
いつもは仕事の為に朝から晩まで町に立っている女達が、仲間達と笑っている。
「けどさ、やっぱり、お祭りの方が楽しそうでいいよね」
「そうだな。…ほら、ジークエンド達も居るぞ」
テントの中ではしかめ面で酒を飲んでいるコルテが椅子に座り、ジークエンドがイライラと歩き回っていた。
「……なあ。あの人たち、めっちゃ機嫌悪そうなんだけど。近寄りたくないんですけど」
「ジークエンドはいつものアレだろ。…締め切りが嫌だなんて言うんだったら漫画なんて書かなければいいのに」
ザッ。奥まで行って立ち止まったジークエンドは、アゼルの呟きを聞き漏らさなかった。
振り返ると怨念のこもった目で、アゼルの事を睨みつける。
「アゼル。…随分と言うようになったものだな。お前は分かってない。ああ分かってない。そういう事じゃないんだ……!!」
「嫌だったらやめればいいのに」
「貴様、それを言ったら戦争だぞ……。なにも聞こえんっ、なにも浮かばん!!」
赤毛の男は血走った目で逆立ちしようとした。
「ちょっ、ちょっとやめてよジークエンドさん!! 人がいるからっ!!」
「はっ! …そう言えば」
ジークエンドを止めようとした迅八の首が、屈強な腕に引き寄せられた。
「な、なに!?」
「お前、そう言えば異世界人じゃないか。…あるだろネタ。言え」
「は? なんもないよ面白い事なんて!」
「ジン、今日は祭りだな。……好きか? 血祭り」
「きょ、脅迫されてもないもんはないよ!! ……向こうの生活で、楽しい事なんてほとんどなかったんだ」
「む」
ジークエンドの手から逃れて迅八が距離を取ると、赤毛の男は困ったように腕を組んだ。
「しかし、お前なんのアイデアも提供出来んのだったら困った事になるぞ」
「困った事ってなに?」
「具体的に言うと、明日からお前の食事だけ、コルテが作る『食事』から、アゼルが作る『エサ』に変わる」
「ジークエンド。…言ってくれるじゃないか」
「アゼル料理下手なの?」
「へ、下手じゃないけど、どうしてもコルテと比べたら……」
「そっか。じゃあさ、今度食わせてよ」
「え」
「いいじゃん。俺食ってみたいよアゼルの料理」
「や、やだよ! ……やだよっ」
「む。…む、むむっ!!」
「ど、どうしたのジークエンドさん」
「新キャラだ……!! お前だ、変身ヒーロー……!!」
「は?」
「ジン、動くな」
懐から紙と筆を取り出すと、ジークエンドはさらさらと何かを描き出した。
「出来た……!! 浮かぶっ、浮かぶぞ!!」
「そ、そう。なんかよくわかんないけど、良かったね」
「ジン、もう行こうよ。…このジークエンドは相手にしちゃダメだ」
虚空を見つめブツブツと喋り出したジークエンドを放ってテントの外へと出る。途中でコルテに話しかけたが、彼は無愛想に返事をしただけだった。
「なんか最近コルテおかしくない? どうしちゃったの?」
「さあ……。よくわかんないしどうでもいいよ。クーロン以外は理解しようとしても無駄だ」
「ひどいなおまえ…。そういやクーロンにお土産買っていかないとな」
「ロココさんの事見ててくれてるからね。けど、ロココさん今日は凄く気分が良いって言ってたよ。順調に快復してる。……ジャックは凄いな」
テントから離れ人混みに乗り、他愛もない事だけを選んで喋りあう。
未来に待つ不安を乗せず、とりあえずの今日を楽しむのだ。そして、この日は迅八にとって、そしてアゼルにとっても、そうするのが一番良い日だった。
「ジン、あっちでなんかやってるよ」
「お、なんだろ。行ってみようか」
「劇団が来てるらしいから、ひょっとしたらそれかもしれないな」
「え。……劇団?」
「ほら、早く行こうよ」
「ちょ、ちょっとちょっと、嫌な予感が……!」
「ほらっ」
迅八のコートをちょこんとつまみ、アゼルが足早にそちらに向かう。
これから向かう先の光景がなんとなく見えた迅八は、ため息をつきつつも後を追った。
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『うっっおおおおおおおおおっ!! 生えろ翼あああああああ!!』
『其が名は飄謳、焔獄の饗者よおオオオ……!! 食らえっ、怨殺邪炎聖皇霊牙、赤光魔断王流闘撃、……はぁ、はぁ』
「……おい、息継ぎしてんぞあの役者」
「ちょっと黙ってろよっ、いいとこなんだからっ」
『……千変万化一騎当千、疾風迅雷疾風怒濤、激烈激励激勝激変、この愛に全てを捧げるゥゥアッ!! ……カウザルクローーーウ!!』
きゃーーーーーーーっっ!!
わあああああああああああっっ!!
「……かっこいい」
「おまえアレかっこいいの!? ぜんっぜん違うよアレ!! …なんで愛の要素が入ってきたの!?」
「こまかい奴だなあ……」
その大きな酒場には立派なステージが作られていた。溢れんばかりの観客が舞台へと詰め寄せ、中に入りきれなかった者たちも酒場の外から歓声を贈っていた。
「けどさあ、この酒場、よくこんなステージがあったね。演劇用に作ったみたいだな」
「演劇用に作ったんだろ。急だからあちこちが荒いな」
「へえ……。よく知ってるねアゼル」
「おまえこの酒場覚えてないのか?」
「え?」
「サグラダと戦った時におまえが壊したとこだよ。トム達が直してたんだけど、今日の為に急に作り変えたんだろ」
「あっここだっけ!?」
迅八が周りを見渡すと、店主が奥から迅八の事を睨んでいた。
「アゼル、もう出ようよ……!」
「ちょっと待って、もう少しだけ……」
舞台の上では転生者と魂食の大悪魔が『森の主』と戦っている。森の主は禍々しい扮装に身を包んだ偉丈夫が演じていた。
「もうぜんっぜん違うじゃん……。ほんと嫌だよもう……」
「そんなに違うの?」
「なにもかも違うよ……」
「けどお前翼生えるし、森の主とも戦ったんだろ?」
「この時は翼なんて生えなかったよ」
「はは。けど良いじゃないか。かっこよく脚色してもらってるんだろ?」
「やりすぎなんだよっ!」
舞台の上では森の主が大森林の姫君を攫った場面だった。
天を突くような高い場所にある牢屋から、転生者は翼を広げて飛翔する。
実際に飛翔してるように見せる、この劇の最大の見せ場。
「……じゃあ、このシーンは嘘なのか? だって翼がなかったら出られないもんな」
「いや、嘘じゃないんだけど……。随分かっこよく脚色してあるよ」
「本当はどうだったんだ?」
「ん、飛び降りたよ」
「……は?」
「だから、飛び降りたよ。だって翼なんてなかったから」
……舞台の上では流麗な衣装を着た役者が、傷を負わずに敵を倒す。魔剣を振るい、雑魚どもをなぎ払う。敵を寄せ付けずに自分だけが勝つ、圧倒的な主人公。
「と、飛び降りて、どうなったの?」
「どうなったって……。そりゃまあ、死にかけたよ」
「な、なんで飛び降りたんだよ」
「牢屋の鍵が開かなかったから……」
「そ、そういう事じゃなくて、普通、飛び降りるか!?」
「飛び降りる」
「……普通、飛び降りないだろ…!」
「アゼル、それは違うよ。……だって、俺死なないもん。死なないんだったら誰にだって出来るよ。大切な人を守る為だったら当たり前だ」
「けど、痛いんだろ……?」
「そんなのは痛くねえ」
「誰にでも出来るって……。お前、本当にそう思ってるのか!?」
「アゼル」
迅八は、ぼんやりと劇を眺めている。
舞台の上で暴れている、魂食の大悪魔と『名無し』の転生者。名前の無い二人は圧倒的なヒーローだった。
「俺もさ、いつかこんな風になりたいなぁ」
「え?」
「元の世界でずっと思ってたんだ。…力がないのは悲しいよ。だから、強くなりたいな」
「おまえ、けど、」
「シズがあんな事になる前に、…俺があんな事になる前に、なんで俺は出来なかったんだろうな」
…そのぼんやりとした目に少しずつ昏い色が乗る。この少年が時々見せる目つき。
「助けてって。誰かが言っても、俺の世界じゃ誰も助けてくれないんだ。自分でやれってさ。みんな自分でやってるんだから、テメエの事はテメエでやれって」
「……」
「けどさ、だって、怖いんだよ。出来ないんだ。『助けて』って言えないんだよ。だって、恥ずかしいし、情けないじゃん」
「…………」
「だからさ。…やっぱり、俺もこんな風に強くなりたいなぁ。かっこいいよ。弱い人間が勇気を振り絞って助けてって言ったら、助けに来てくれるんだ。……クロウみたいだ」
「あの悪魔がかっこいいって?」
「かっこいいよ。俺の事も助けてくれたし、シズなんてあいつが居なかったら……。想像するだけで怖くなる」
舞台の上では大悪魔と転生者が弱い者の為に戦っている。助けて。…その声に応えて戦っている。
自分達をモデルにして作られたその劇を、迅八は憧れの目で見ていた。
「俺も、こんな風になりたいなぁ……」
……理由がわからない寒気は、ずっとアゼルの背筋を刺している。
(……こいつは)
意味不明の体を持ち、得体の知れない力を持っているが、技術はなにも持っていない、平和な世界から来た人間。
(……けど)
初めぶつくさと文句を言っていた少年は、いつの間にか目を輝かせて舞台に見入っている。
しかし、その目の奥に見える昏い色。
(こいつが、この世界で経験を積んだら……)
……いつの間にか、舞台に幕は降りていた。
再び幕が開くと喝采の中から演者達は現れ、観客に向かい深々とお辞儀する。
「あの人すげー綺麗だね」
「ああ……。亜人の姫君役か」
美しいドレスの裾をつまみ、深々とお辞儀する女を見て、アゼルの口からなんとなしにその疑問は出た。
「そう言えばさ、大切な人を守る為って……。この時は、あの子の事?」
「ん? フィレットの事?」
「フィレットって言うのか? …まあ、その子」
「ん、そうだな。フィレットだけじゃなくて、ロドさんも、おばさんも……。大切な人だよ。凄くお世話になったんだ」
「……友達?」
「うん。友達だよ」
……もわりと。
アゼルの胸の奥で、沈殿する泥から湧き上がったようなおかしな気持ち。
(……あれ? なんだこれ)
「シェリーとかロザーヌさんとか……。けど、この世界で初めての友達はフィレットかな……。みんな何やってんのかなあ」
……もわりと。
「……ん? どうしたのアゼル。変な顔して」
「いや、なんかよくわかんない。なんだろコレ」
「どうしたの? 気分悪いの?」
「気分悪い……、気がする」
「だ、大丈夫かよ。…のぼせちゃったのかもしれない。とりあえず外に出よう、空気の良い所に行こう」
アゼルの手を握った迅八が、酒場の外へと向かう。
「ごめん、通してっ、ごめんなさい、通して!」
(……あれ?)
……ふわりと。
湧き上がった泥は再び見えなくなった。
————————————————
祭りの喧騒から離れて光から逃れるように。
迅八はアゼルの手を引き休める場所を探していた。
「なんか良い場所ないなあ……。アゼル、大丈夫?」
「いや、なんかもう平気だよ。あれえ?」
「あ、ほんとに? …良かった。ちょっと座ろっか」
周りには長椅子などという気の利いたものはない。草が生えた綺麗な場所に、アゼルの手を引き座らせた。
「ほんとに大丈夫かよ?」
「うん。なんだ? なんだこれ? …今度クーロンに聞いてみよう」
「はぁ? 何言ってんのおまえ」
その隣に迅八も座り、離れた場所から祭りを見る。
「ところで、クロウなにやってんのかなあ…」
「知りたいのか? さっきちょっと見かけたぞ」
「あ、そうなの? なにしてた?」
「至る所で女を引っ掛けて浴びる程酒を飲んでたよ。右手に三人、左手に二人、上に一人かついでたぞ。数メートルおきにゲロを吐いてた」
「…………………………」
「なあ、あいつ、ほんとにかっこいいと思うか?」
「ほ、ほら。あいつ犬みたいなもんだし、縄張り行動だろ?」
「こんなとこにいた、です!!」
どーんっ! 衝撃とともに迅八の妹が、突然アゼルに襲いかかってきた。
「いたっ! ……シズ、痛いよ。嬉しいけどやめてくれ」
「アゼル、です!」
「あ、ちょっと……!」
座っているアゼルにシズがまとわりつくと、アゼルはため息を吐きながら、嬉しそうにその頭を撫でてやっている。
それを見て思わず笑ってしまった迅八の腰を、小さな手が引いた。
「お、ニコ。さっきの子たちどうした? …遊んでも、つまらなかったか?」
「ううん。楽しかったし良い子達だったけど…」
「けど?」
「だって、にいちゃんとお祭り見たいもん…」
きゅっと。ニコルはその手で迅八のコートを掴んでいる。
「……あー、もうなんか父親の気持ちがわかるわ」
「にいちゃん……」
「よしゃよしゃ。一緒にお祭り見て回ろっか!」
迅八はニコルの小さな体を担ぎ上げ肩車しようとして、今日はワンピースなのに気が付いた。
そのままお姫様を扱うように、胸の中に抱いてやる。
「あ……」
「よしゃよしゃ! どこ行くニコ? 腹減ってるか?」
「にいちゃん…」
「ん?」
「色々ありがとね。……だいすき」
「俺もニコの事大好きだよ」
「ん……んー……。うぅ……」
「ん? どした?」
「……なんでもない」
「お〜坊主。さっきクロウがあっちで揉めてたぞ。ほっといていいのか〜?」
「え、マジで!? もーなにやってんだよあいつは!!」
……こうして祭りの夜は続いた。
迅八は喧騒の中に入り仲間たちと笑いあい、その夜は長く続いた。
日本からこの世界にやってきた二人の兄妹は、なにも考える事なくその日を楽しんでいた。
……その途中で、兄がこんな事を呟いた。
「『名無し』の冒険、かあ」
「どうした、です?」
「なあ。……元の世界、帰れるとしたら、」
「……………………」
「……なあ、静」
「シズ、です」
「……もうお前は答え出してたな」
「とっくのとう、です」
————————————————
……祭りから何日か経ち、迅八はその狭い室内で、自分を囲む幾つもの目を見ていた。
愚王 アルトリウス・ロンダルシア
救国のサジタリア
太陽のジークエンド
様々な理由を持つ、この世界の有名人達。
「……さて、本当はこんな所じゃなくて、明るい所で華々しくやりたいんだけど、まあ仕事の性質上な」
「別に構いやしねえよ。さっさとやってくれ」
「クロウはどうした?」
「俺に全部任せるってよ」
「じゃあ、手早くいくか……」
宮殿の国王執務室。
限られた人間しか入れないその場所で、机の上で指を組んでいるアルトを前にして、迅八は一度室内の二人を見渡した。
サジタリアもジークエンドも、特に何も言う事なく迅八の目を見ていた。
「……これから、お前には間者として世界中を回ってもらう。その中には遺跡の探索もあるだろうし、ジークエンド達に頼んでいるような仕事もあるだろう」
「誰かを殺せって事か?」
「寺田迅八。余はお前に情報を渡し、どうにかしてくれと言うだけだ。殺すか殺さないかはお前次第だな」
「汚ねえ言い方しやがるなお前」
「人の命令で人を殺すな。……殺す時は自分の意思で殺せ。余はそうしてきたし、これからもそうする」
華美な宮殿の最奥に位置するその執務室は、粗末な造りだった。特に変わった調度品などなにもない、普通の部屋。
「聞いてると思うが、商人ギルドの絶対強者がお前らのサポートにつく。必要な物や情報はあいつらに用意してもらえ」
「俺とクロウだけでやるのか?」
「基本はお前らの二人一組だが、ロックボトムの助けが必要ならジークエンドに言え。力になってくれるだろう」
「んじゃ今までと変わらねえって事だな」
「変わる。…余がお前に頼んだ任務中に、決断を下すのはお前だ。その場に誰が居ようがお前の言葉が優先される。ジークエンドが居たとしてもだ」
「え?」
「ふむ。……当たり前だな。ジン、人に責任を押し付ける権利は、もうお前には与えられない」
「ヒヨコ、……子どもじゃいられねえぞって事じゃ」
「無責任な言葉を奪われ、責任が伴うぞ。……全部お前が背負う事になる」
「あれ、なんか思ったよりもつまんなそうなんだけど」
その軽い言葉にアルトは眉をひそめた。
不謹慎だなどと言うつもりはない。
なにか、迅八の雰囲気が、吹っ切れたようになっている。
「……ま、これから時々指令がいくからさあ。お前どうせ死なないから結構無茶な事も頼むかもしれないけど、金はたんまりやるし、暇潰しに良いだろ」
「そうだな。……俺は死なねえ」
ジークエンドは一度目を瞑ると迅八の方に一歩動いた。
「ジン、正直な。お前がこんな事になるとは思っていなかった」
「俺だってそうだよ」
「アゼルの、俺達の事だが……」
「別にいいよ。聞かない」
「気にならんのか?」
「みんな、俺の大切な人達だよ。それだけで充分だ」
「よし、そういうのはお前らだけの時にやってくれ。もう暑いし終わらすぞー」
椅子から立ち上がりアルトは机の前に出た。
国王としての正式な装い、暑苦しい格好。汗をかきながら腰の剣を抜くと、迅八の肩に置いた。
「では。…寺田迅八、正式に任命する。アルトリウス・ロンダルシアの名において……」
「あ、ちょっと待って」
「ん? なんだよ」
重たい剣を持ったままのアルトが不満そうに声を出す。その剣をコツコツと叩いて、迅八がアルトに言った。
「名前。俺、違う名前名乗ろうかなって」
「はあ? なに言ってんだお前」
「もうこの世界で生きていくって決めたんだ。違う名前名乗る事も出来るんだろ?」
「……そうか。んじゃ丁度いいから結魂師呼んでロンダルシアを名付けてやろうか? 社交界でモテモテだぞ」
「名前は決めてある」
迅八はジークエンドの顔を見てから言った。
「俺はジンだ。…ジン・ロックボトムだ」
「……ふむ」
「好きにすりゃええ」
「よし。わかった。そう名乗るんだな」
「これってなんか問題起きたりしないよね?」
「平気だぞ。偽名みたいなもんだからな。……しかし、なんの意味がある?」
「気持ちだよ。……名前を付ければ意味が生まれる。意味がありゃ力が生まれるんだってさ。姉ちゃんが言ってたんだ」
「おまえ、肉親は妹だけじゃないのか?」
「姉ちゃんいるよ。兄貴もいるし、娘もいる。…ひょっとしたら口うるさいジジイもいるかもな」
「は……、このヒヨコ」
「わかった。では……」
窓から差し込む光は国王の剣を照らす。
寺田迅八はこの時、アルトリウスに対する忠誠ではなく、この世界で生きる意思を己の心に刻み込んだ。
「……では、ジン・ロックボトム。
汝を王属間者としてロンダルシア王家で召し抱える。……世界を見てこい。ジン」
…この時この場に居た者達は、それぞれの目的、それぞれの運命を抱えて、違う方向を向きながら同じ場所に集っていた。
運命は静かに動き出している。
物語は一度幕を閉じ、時は流れる。
本編終了




