どんっ
迅八が暖簾をくぐり抜けると、一目で機械と分かる物が目に入った。クロウは大草原でこれを目にしていたが、迅八は初めて見るものだった。
「なんだよこれ……」
映画やゲームで何度も見た、転移装置によく似ている。その円形の台座に立つと、どこかに飛ばされるのだ。
しかし、実物など見た事ある訳がないし、形が似ているからといって現実にそんな物が存在するはずはないが、ここは元の世界ではない。
「これじゃ、ファンタジーって言うよりSFじゃねえか……。動くのか?」
この事もアルトに聞かなくてはならない。
頭の隅にそれを置き、台座の横を通り入り口の扉を開ける。すると、迅八の耳に、さわさわと水流の音が届いた。
顔を巡らすと、自分達が降りてきた長い階段が、地上の宮殿へと続くのが見える。朽ちた壁に点々と灯されている電球。そこから放たれる光が、黒い水面をゆらゆらと揺らす。
迅八は、膝をつくとその水流に手を差し込んだ。
「つめたっ。……こわ、落ちたら流されちゃうよ」
「はい、どんっ」
「ど、っっだああああああああっっ!!」
後ろから響いた声に心臓が飛び跳ねる。
そのまま川面に落ちそうになった迅八の黒いコートが、後ろから引っ張られた。
「本当に落ちられたら困ります」
「リネンっ!? 危ねえなっ。何すんだよ!!」
「声を出しただけです。私、触ってません。触ってませんもの。私は悪くないです」
「それでも落ちたらお前のせいだよ!! 法律はそんなに甘くねえぞ!!」
その言葉を聞いたリネンが、キョトンと眉を上げた。迅八は、リネンが『法律』を知らない——あるいは、この世界にはその言葉が無い可能性もある事に思い至った。
「……ああ、法律ってのは」
「知ってます。さすがに律法は存在します。それに、北のランドワースではあなた方の世界に近いと思われる、複雑な法律も存在しています」
「じゃあなんで面食らったような顔してたの?」
「いえ……。迅八さんは、なんというか……、オツムがアレな感じを……ほんわかと」
「お前、言葉選んでるようで、全く選んでねえな」
「すいません。あなたが法律とか言い出したんで驚きました」
「ハッキリ言うの!?」
グルグル眼鏡の奥は見えず、リネンはくすりとも笑わない。迅八は水で軽く顔を叩いた後、地上へと続く階段に座り込んだ。
「はぁ。話を聞いてたら疲れたよ。……リネンは中に入らないのか?」
「迅八さん、あなたはよく分かっていないようですが、この中の方たちの会話に加わる事など恐れ多くて出来ません。緊張します」
「……俺だって嫌だよ」
迅八が川の流れを目で追うと、その流れの先は、光が届かない深い闇へと続いていた。
「……ランドワースって北の国だっけ。そこでは法律が出来上がってるの?」
「北の国は転生者達の本部があり、最も転生者に縁がある国です。その影響が強いのでしょう。……迅八さん。世界の状況はお聞きになりましたか?」
「なんとなくは聞いたよ」
「ランドワースの『法律』は、アルトリウス陛下やサジタリア閣下が危惧しておられる事の一つです。国の根幹に関わる部分に、転生者の影響が見て取れます。……ひょっとしたら内政に深く関わる者や、あるいは北の皇帝そのものが転生者なのではないか。そういう疑いも出ています」
「お前らの喋ってる事はほんっとに疲れるよ。だからなんなんだよ。なんの問題があるんだよ……」
「あなたの国では、他の世界から来た人間が自分の国の王になっても問題ないのですか? ——普通、それは『侵略』と呼ぶのです」
突然出てきたその強い言葉に、迅八は息を呑んだ。
「侵略って……。いやいやいやいや。そんなつもりないだろ」
「決めるのはこの世界の住人です。いいですか? あなたが思っているよりも世界の状況は不安定ですよ」
「……じゃあ、リネンとかじいさんはなんであいつの仲間なんだ? 好き放題、無意味に金を使ってる転生者が国王なんて、嫌じゃないのか?」
「嫌に決まっとるじゃろ。……だがなヒヨコ。あいつがバカなのは確かじゃが、無意味に金を使ったりはせんぞ。無意味な政策もない。バカじゃけどな」
扉を開き、出てきたのはサジタリアだった。
その老人は一度腰を伸ばしてから、迅八と同じように川面の水で顔を洗った。
「じいさん。……中は? まだ話してんのか?」
「魂食様がアルトリウスと話しとるぞ。……あー、もう歳なんじゃからワシゃ早く帰りたいわ」
リネンから差し出された布で顔を拭くと、サジタリアは迅八に向き直った。
「……あのバカは、別に無意味な事なんてしとりゃせんぞ。気に食わんがな」
「いや、無意味な事だらけだろ。楽園の話もそうだし、この豪華な宮殿になんの意味があんだよ。……川の向こうには困ってる人たちが、」
「人の上に立つ奴にみすぼらしい荒屋に住めと? 権力者は見せつけてなんぼじゃろ。誰が自分より弱い人間が上に立つ事を認めるんじゃ。……他の国の使者と会う時に、粗末な場所に通すんか? お前の世界だとそれが美徳なのか?」
「俺の世界じゃ権力者が贅沢するのは悪い事だって思われてたし、俺は別に贅沢するなとは言わないけど、やっぱり他の場所に使った方がいいだろ」
「そりゃお前の世界が本当に平和だからじゃろ……。力よりも人気が上の世界だから成立しとんじゃ。……上に立つのに民からの信頼が欠かせないのは確かじゃがな、力を見せるよりご機嫌取り優先してどうすんじゃ。この世界でそんな事しても、誰も言う事聞きゃあせんわ……」
「けど、ここにかけてるお金を少しでも楽園に回せば……」
「お前が知らんだけで充分に回しとるわ。お前な、あそこはぜーーんぶアルトリウスのもんじゃ。そこに勝手に人が住みついとるじゃろ。家を提供しとるじゃないか。
それにな、あそこは国王が認めとる世界一の歓楽街じゃぞ。体を売る事しか出来ない弱い者を守っとるのが誰だと思ってんじゃ。力がない人間からそれすら取り上げたら、あいつらどうすんじゃ? あいつらに仕事を与えて悪評かぶっとるのはアルトリウスじゃろ」
「けど、治安だって悪くなってんじゃねえのか!? サグラダ……盗賊団が、中に入り込んでたんだ。ひどい事をしようとしてたんだ!!」
「だから、あそこを仕切る悪党の親玉までアルトリウスが用意してるじゃろうが。……あいつらは、そんなに酷い奴らか?」
「……は?」
「ジークエンドが居るじゃろが。悪所にさえ馴染めないアホはあいつらが始末しとる」
迅八がサジタリアの顔を見ても、そこには淡々と事実だけを言う表情があった。何も嘘は言っていない顔。
「……もちろんアルトリウスにも旨味はある。いいか? あそこには色んな者が流れてくる。ただの悪党じゃなくて、理由がある奴らじゃ。
どこかの国の王に逆らって追放された者、なにかの秘密を知って逃げてきた者、政変で負けて落ち延びた者、そんなのがいっぱいいる。そいつらを保護する事で、アルトリウスが得る利益がある」
「……利益? どんな利益が?」
「情報じゃ。消される位の国家機密を知ってる奴らが、勝手に向こうからやってくる。
……そして、あいつは表だっては保護していないからな。もしも他の国から文句言われても、そんなもん知らねえの一言で終わりじゃ。勝手に住みついてる奴らの素性を調べる義務なんてアルトリウスには無いし、もしも他国から追っ手が来たとしてもその時は当然ぶっ飛ばす。ロンダルシア国王の直轄地でなにするつもりだってな。……ほんっとにあいつは気に食わん」
「それに、ジークエンドさん達も関わってるのか!?」
「……元は、あいつらも守られる側だったがな。まあそりゃいいじゃろ。あいつらは自分達の価値観で好き放題やっとるし、ワシからの命令があった時にも相手をぶっ飛ばす。それに加え、もう一つの役割もある。
国の金の流れには、表と裏がある。どうしても悪党は出てくるし、無法の金の流れが出来る。そこで、裏の頂点にジークエンド達を置いた。
ジークエンドを通して洗浄された金は、アルトリウスの懐に転がり込む。表と裏、両方の頂点に国王を置く事に成功した国なんて、世界中でここだけじゃ。
……この国では皆に知られないように悪事さえも管理されとる。度を越えたアホが始末されるのはお前も知っとるじゃろ? オズワルドで見たはずじゃ」
「……ベドワウ? まさか、ジークエンドさん達は元からあいつを殺しに?」
「アルトリウスが証拠を掴んだから、ワシがあいつらに命令した。ちょっと遊びに行ってこいってな。
……あのアホ共は火なんかつけおって。たんまり溜め込んでたモンがほとんど焼けてしもうた。それでも後から相当回収したがな」
サジタリアが、己の顔を拭った布をリネンに放り投げると、リネンは無言でそれを受け取った。
迅八の目には、一瞬だけグルグル眼鏡の奥が見えた。鋭い目。
「だからな、……まあ認めるのは気に食わんが、あいつはこの世界の為政者の中では並外れとる。発想が違う。ほんとに転生者は鬱陶しいわ……」
さわさわと流れる地下水脈の音に混じり、チリチリと鳴る音が迅八の上から聞こえる。
——電球。この世界には存在しなかったテクノロジー。
「そこで出来た金で、そういうのを作ったりしとるんじゃ。……確かに、もしも次に大戦が起きる時は、その技術が勝敗を分けるじゃろ。民が巻き込まれる戦の為に、今から金をつぎこんどるんじゃ」
「ひょっとして、あいつ良い奴なの……?」
「お前なに言っとんじゃ?」
「え?」
「優れた為政者じゃ。だがな、ジークエンド達のやり口はお前も知っとるじゃろ。『アレ』を許す人間が、良い奴だと?」
迅八は思い出す。
ベドワウの館で、ミゼリという名の娘を殺そうとした時のジークエンドを。
いつも優しいクーロンが戦う時の顔を。
世話を焼いてくれるコルテが線を越えるとどうなるのかを。
呑気な大男が表情も変えずに人を殺すのを。
そして、赤毛の少女。
酷いヤケドの跡を持っているその少女は、酷いヤケドの跡を持っているのに、ベドワウの館に火をつけた。他の人間を焼き殺そうとした。
風に巻かれて嬉しそうに踊っていた髪。ストールを巻かれた顔から覗く、緑色の美しい目。
「……アルトリウスはほんとに鬱陶しいバカじゃ。あんな悪党は中々いねえわ」
「良い奴なんだか悪い奴なんだかどっちなんだよ……」
「良い奴だなんて一回も言ってないじゃろ」
「けど、やってる事には全部意味があるんだろ? 女官さんが着てる服とかも、何か秘密が……」
「そんなもん無いわ。あいつの趣味じゃ。……この宮殿は、王宮なのかハーレムなのかよくわかんねえ場所じゃからな。ほんっっとに気に食わん」
「ええ〜〜……」
混乱する迅八の横で、リネンが口を開いた。
「……迅八さん。そろそろ戻られてはいかがでしょうか。まだ陛下の本題を聞いていないはずです」
「もう頭の中がぐちゃぐちゃでよく分かんねえよ!!」
「うるさいのう。さっさと話を聞いてこんか」
座り込んでいた迅八の前に立っていたサジタリアが道を開ける。その横を通る前に、迅八は一つ気になる事を思い出した。
「……そういや、俺を試したってどういう事だよ」
「だから、それもあいつに聞けばいいじゃろ」
「違うよ。じいさんにも理由があったんだろ?」
サジタリアは、目を瞑ってから己の腰に手をかけた。そこには世界最高の聖剣、『ただ一つの誓い』がある。
「…………行ってこい」
サジタリアは何も答えず、押し出すように迅八の肩を叩いた。
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「……という事でだ。是非クロウとも友好を築きたいと思ってるんだよ。名付けによる結魂解除は余の方でも当たってみるし、見返りはその他にもいっぱいあるよ。……クロウ、聞いたけど相当アレなんだろ? 好きなんだろ? いやあ、クロウみたいな良い男は、この宮殿の女達は放っておかないぞ。さっきも女官達の囁きがうるさくてうるさくて……」
「よし。……おめえに協力しようじゃねえか」
ズコーーッ。
迅八の頭は床に突き刺さった。
「おお、寺田迅八。いやあ、クロウはさすが千年の大悪魔だ。頭の回転が早いんだな。顔も良いしセンスも良いし……こりゃあ女達が放っておかないはずだよ」
「おうアルトリウス。褒めろ、もっと褒めろ。目覚めてからというもの、周りの奴らはどうもこの俺様の偉大さが理解できてねえ」
「はぁ? まさか。それは違うぞクロウ。みんな分かり切ってる事は口に出さないだけだろう」
「くかかかかかかかっ!! いいぞアルト!!」
「クロウッ!! お前こんな見え透いたお世辞でいい気分になってんじゃねえよっ!!」
迅八の前で、ちゃぶ台の上の麦茶を飲んでいるクロウは、どこまでも幸せそうだった。
クロウが湯のみをちゃぶ台に戻すと、その横でジャックが立ち上がった。
「……下らん。私の要件は終わったから帰らせてもらうぞ。迅八、あの親子はどうだ? 異状はないか?」
「ああ、平気だよ。少しずつ食事も取れるようになってきたんだ」
「食欲がなくても、無理してでも食わせろ。消化の良いものをな」
「ニコルがジャックに会いたがってるよ。俺たちの家に来て欲しいんだけど……」
「どうせあの言葉を言われるんだろう? 好かん」
ミチミチと白い肌に亀裂が入る。
ジャックが右手を掲げると、突然その体は爆散した。
「うおっ!! おいコラヤブ医者!! てめえこんな狭い部屋で変化なんぞするんじゃねえわっ!!」
「ジャック、待って!! 本当にニコルとロココさんが……!!」
《……フン。五千万が用意できたら会いに来いと言っておけ》
その言葉を最後に、コウモリの群れは部屋から出て行った。
「……かっっこいい〜〜」
開け放たれた扉から闇へと消えたコウモリに、迅八はそんな言葉を投げかけた。
「それと比べて……」
迅八は上機嫌に笑い続けている大悪魔を見た。
さっきまで怒っていたはずなのに、見事にお世辞に乗せられている。
「もー……。もっとかっこよくなってよクロウ」
「てめえ気持ちワリィな……。女房みてえな事を言ってんじゃねえぞ」
「はーあ……まあいいや。アルト、ジャック帰っちゃったけど良かったのか?」
「うむ。もうジャックとの話は終わった。協力を取り付けられた」
「協力って、つまり、この国に医者として招かれるって事か?」
「ジャック自身、吸血鬼が一人でやっていくのに限界を感じていたようだ。発電機もこの国のとある貴族から盗み出した物だしな」
「あ、そうなの? ……はは、ジャックも悪いな。その貴族は大変だったね。多分アレ高いんだろ?」
「高い事は高いが、お前がそれを言うのか?」
「は?」
「……ああそうか。まだ知らないのか。ま、その内わかるだろ。恐らく接触してくるぞ」
「は? 誰? 俺に関係ある人?」
「その話はいいだろ。本当に大した事じゃないからな。……それよりもだ。クロウは協力してくれるらしいぞ。同じ事だがお前にも答えがもらいたい」
アルトが、扇風機の台座に取り付けられているボタンを押すと、四枚のプロペラは静かに速度を落とし、やがて止まった。三人だけになった部屋の中で、水流の音だけが扉の外から静かに聞こえる。
「……外でじいとリネンから聞いたか? 余がお前に求めている事を」
「いや。……その前に、お前はなんで俺達を試した。それを聞かせろ」
「うむ。それに対する答えこそ、余がこれからお前に求める事に直結する。……まずはこの世界の国々のパワーバランスを簡単に説明する」
アルトがちゃぶ台の下から袋を取り出すと、中から黒い棒と紙の束を取り出した。
ちゃぶ台の上に紙を広げると、そこに色々な図を書き始めた。
「……冷蔵庫はあるのに鉛筆もないの?」
「あるよ。これはその前の段階だな。黒鉛と硫黄をなんたらしてるらしいが、余は技術者じゃないからよくわからん」
「あるのになんで鉛筆使わないの?」
「だから言ってるだろ。節約節約……。金っていうのは使うべきところにドカッと使うんだよ」
……黒鉛を握った国王の手は、黒く汚れている。
迅八は色々と気になる事はあるものの、とりあえずはアルトの話を聞く為に、紙を覗き込んだ。




