クーロンのおさらい
揺れる馬車の中で、迅八は小さな手を握っている。泣き疲れて眠ってしまった狐の少女の手。
「……すぅ、すぅ……、かぁ、さん」
きゅっと込められる力。迅八の手を握る力は頼りなく、か細い。
それでも、おそらくこの力がロココの魂を繋ぎとめた。痛みと戦う力となった。
「よく頑張ったな。偉いよニコ」
もう片方の空いた手で、ニコルの頭に手を伸ばす。すると、同時に横から伸びてきた手と迅八の手が重なった。
「「あ……」」
「……ど、どうぞどうぞ」
「ふふ……。可愛いな。本当に偉いよニコ」
横から伸びてきた、アゼルの手。
優しくやさしく、ニコルの頭を撫でる。
負傷した迅八達を乗せて、馬車はロンダルシアに向けてさほど急ぐ事なく進む。
馬車の中にはクロウとロココ、そしてイエリアの姿がない。
揺れる場所に差し掛かった時に、手術を終えたばかりのロココがどうなるか分からない。その為、クロウは一人で馬車と並走するように空を飛び、ロココの事を運んでいた。
馬車の壁に寄りかかるように座ったアゼルの腰に、ニコルが抱きつくように眠っている。ズボンから伸びるアゼルの白い足に小さな頭を載せ、その小さな頭の上で優しく動くアゼルの手。
「……どうした? なに見てるんだよ変態」
「い、いえいえ。なんでもないデス」
いつも通りの悪態に戻ったアゼルが迅八にキツい言葉を吐く。しかし、その顔はいつもよりも柔らかい。
「……だからなんだよ。なに見てんだよ」
「いや、見てない、デス」
「おまえシズの口調がうつってるぞ」
そう言ってアゼルは優しく笑う。迅八に向けて。
(……なんか、調子狂うんですけど。ってゆーか、ハッキリ言って緊張するんですけど)
御者台で馬車の手綱を握るアマレロ以外は、みんな馬車の中に居た。
ひどい怪我を負って、まだ意識を取り戻さないコルテの頬を、心配そうにさすり続けているシズ。横になっているジークエンド。二人で並ぶように壁に背をつけて、ニコルの枕になっているアゼルと迅八。
……そして、無言で馬車の中を観察しているクーロン。
(てゆーか、狭いよ。マジ狭いよ。ずっとアゼルの腕が当たってるんだよ……)
迅八とアゼルは、身を寄せ合うように壁に背中をつけている。馬車の振動で赤毛が揺れる度に届く香り。触れ合う肩。
(ニコが手を離してくんないから距離取れないし。……緊張すんですけど!!)
天井に張られた布の隙間から、日の光は差し込む。眩しそうに目をつぶったアゼルの顔がゆっくりと揺れ、迅八の肩に頭を載せる。
「……あ、ごめん」
「いやいやいやいや。いいよいいよ! 全然いいよっ!!」
皆、長い夜を乗り越え疲れている。
言葉数は少なく車輪の音だけが響く。
アゼルも疲れ切った様子でうつらうつらと頭を揺らし、迅八の肩に頭が触れて、すぐに離れてゆく。
そんな事を何度も繰り返していた。
「……………」
「あ、アゼル」
「……なに?」
「眠いの?」
「……うん」
「じゃあ、あの、いいよ。俺の肩を枕にしても」
「いいよそんなの。男同士でそんな事しないよ」
(こいつまだ言いやがるか……)
「け、けど、友達はするんだよ。だから気にしないでいいんだよ」
「……ほんとに?」
「ほ、ほんとうだよ」
こてん。
アゼルの頭が迅八の肩に載ると、伝わる温もりと同時に小さな声が聞こえた。
「じゃあ、ちょっと、だけ……すぅ、すぅ……」
車輪の音だけが、からからと馬車の中で回る。
(……ウソを、ついちまった)
しかし、しかし。
仕方のない事だったのだ。
先程までの状態は、迅八の精神に多大な負荷をかけていた。触れるか触れないかは心臓に悪すぎる。
迅八も疲れきっている。少しくらい精神的に落ち着きたかった。
……しかし、しかし。
(……めっちゃ見てる。めっっちゃ見られてる……!!)
ダークエルフの目。
切れ長の美しい目が。
クーロンの目は馬車内を常に交互に移動する。
右。迅八とアゼル。
左。コルテとシズ。
余すことなく、観察しているクーロンに向かい、迅八は馬車内の空気を揺らさないように、静かに声を出した。
「く、クーロン」
「……なんだい?」
「な、なに? どうしたのさっきから」
「いや、別に……」
——ニヤリと。ダークエルフの口元は歪むが、その間も常に目は動いている。
「な、なんか言いたい事でもあるの?」
「ん? 聞いて欲しいんだったら聞くけど、聞いて欲しいのかい? ……聞いても、いいのかい?」
「ひっ……!!」
美貌とあいまって、邪悪に歪むクーロンの顔は怖ろしいものだった。
(ダ、ダーククーロン……!! 黒いとこ出てる。絶対面白がってるっ!! 色々想像してる……!!)
「ねえ坊や。一つだけ、聞いてもいいかい……?」
「だ、だめ、や、やっぱだめっ」
「あらあら……。けどねえ、意外性で言えばあっちの方が興味深いねえ」
クーロンはその邪悪な微笑みでコルテとシズを見る。それにつられて迅八もそちらを見た。
……妹が、唇を尖らせて、ずっとコルテの頬を撫でている。薄青の髪の男はすやすやと寝息を立てていた。
「ねえ、いいのかい? お兄ちゃん?」
「な、なにが?」
「さあ……」
(ダーロン…… 黒すぎるっ。俺に何を言いてえんだっ!!)
その迅八の心の呟きを聞いていたように、クーロンは言った。
「だから、聞いてもいいのかい?」
「や、やめてっ、なんも言わないでっ」
「そうかい。んじゃ勝手に想像しようかね」
「そ、それもやめてよ……」
ねっとりと笑うクーロンは、中腰になり静かに馬車内を移動する。迅八の横に腰を下ろすと、小さな声で喋り出した。
「さて。けどちょっと聞いておかなきゃならない事もあるね。一体、なにがどうなったんだい? 」
「ああ、それは話した通りだよ。ジャックは良い奴だった。俺と同じ転生者で……」
「違う違う。なんていうかねえ。アゼルがしおらしくなっちまうような事、心当たりあるかい?」
すやすやと。静かな寝息を立てているアゼルの片手はニコルの頭の上にある。
そしてもう片方の手。それは身を寄せた迅八の服を、小さくつまんでいた。
「……俺が敵と戦ってる間、アゼルはジャックの手術をずっと見てた。ジャックは本当に凄い奴だったよ。クロウとかイエリアも力になってくれたらしい。……だから、その、なんていうか、何も出来ない自分が情けなくなったんじゃないかな。俺もそうだったから気持ち分かるよ」
「………………」
「けど、仕方ないよ。アレは、あの場に居ても何も出来なくて当たり前だ。アゼルは何も悪くない。……ジャックが居てくれて、本当に助かった」
「違う。違うよ坊や。……アゼルは何も出来ない自分に腹が立った訳じゃない。何もやらない自分に嫌気がさしたんだ」
「え?」
「坊や」
静かな声。
迅八の耳にだけ届く小さな声は、はっきりとした輪郭で吐き出された。
「おそらく。 ……ロンダルシアに帰ったら、あんたのこれからを変える決断を迫られる」
「……なんのことだ?」
「だけど、どうやらもう一個の決断をあんたは先にしなくちゃいけない」
「だから、何を? なんの話だよ」
「坊や、あんたはアゼルを守ると言った。本気かい? 」
「本気に決まってる……」
「聞きな。他人を守る。口で言うのは簡単だ。けど言葉を変えようか。——あんたがこの子の事を守るって事は、この子の人生に介入するって事だ。他人の運命に、自分から巻き込まれるって事だ」
クーロンの本気の目が、じっと迅八を観察している。
「簡単な事じゃないんだ。……この子は、この子も複雑な運命を背負っている。あんたは、それに巻き込まれる覚悟があるのかい?」
「クーロン、勘違いするなよ」
「勘違い?」
「アゼルの事を守る。そんなのは当たり前だ。……俺は、まだ全然弱くて頼りにならなくて、ダメかもしれないけど、」
「…………」
「俺は、クーロンの事も守るよ。強くなるんだ」
「ちょ……」
「みんなを俺が守るよ」
馬車の中にはからからと。
車輪の回る音だけが響く。
その中でクーロンは、横になっているジークエンドを見た。
(……聞こえたかいジークエンド。あんたは、あたし達は、凄い子供を拾ったよ)
「……そうかい」
「そうだよ。だから、」
「ううん。もういいよ。伝わった」
クーロンはあの日を思い返す。雨の中、この少年との出会いを。
死にそうになっていた少年は、僅かな時間で成長を遂げた。自分の事をまっすぐに見て、強い言葉を吐いてくる。
迅八は知らない。
確かに寺田迅八はおかしな力を持っている。爆発力も持っているし、ある程度の強さを持っている。
しかし、彼が「守る」と言った人間達は、この世界でも有数の実力者、世界に名を轟かせる大悪党だ。
他の人間達が聞けば笑い転げる言葉を、迅八はまっすぐ吐いてくる。
それが、子供の強さだ。
いつしか誰もが失ってゆくものだ。
「……あたしも歳取ったかねえ。やたら眩しく見えちゃうもんねえ」
「ん、どしたの? 歳って言えばさ、クーロンって幾つなの?」
「あらあら。別の部分も成長しなくちゃいけないみたいだ。女になんて事を聞くんだか。……けどそうだね、気になるんだったら確かめてみりゃあいい。自分の手で」
「え」
クーロンが青いコートの胸元を更に開くと、つややかな革のような肌が光を跳ね返した。盛り上がった胸が、半分ほどこぼれてしまっている。
「ほら、確かめてみりゃあいい。……頑張った坊やに、少しくらいご褒美をあげないとね」
「な、な、ななっ」
迅八の片手を掴み、クーロンは導く。
光沢のある褐色、張りのある谷間に。
「ほら。ご褒美だ」
「いや、ちょ、ちょちょ、ダメだって」
「あっそ。んじゃおしまいっと」
「え」
ひゅるりと。
その胸元は閉じられた。
「えっ!?」
「なんだい? なんか言いたい事でもあんのかい?」
ダークエルフは胸を隠すように膝を立て、膝頭の上に自分の頬を載せた。サラサラと流れる髪の下から、細められた目が迅八を見る。
「ぇ〜……」
「なんだい? 生意気なんだよ弟のくせに」
「は、弟?」
「あたしはお姉ちゃんだろ? お姉ちゃんの胸を高鳴らせるなんて生意気な弟だ。だから、……おしまいっと」
ニヤリと。
その唇は美しく歪む。
「は、はは……」
「なんだい? どうしたんだい坊や」
「ダーロン。黒いなあ」
「ちょ、やめなあんた。『名付け』が起こったらどうするんだ」
「あだ名みたいなもんじゃん。起こらないでしょ?」
「そもそもダーロンってなんだい全く……」
「ダークなクーロンだよ」
馬車の中は静かなままだ。
肩の力を抜いた迅八は、自分の笑い声を聞いて、今まで自分がどれだけ張り詰めた空気の中に居たのかが分かった。
「ま、なんにしてもおかしな名付けはしない事だよ。何があるか分からないからねえ」
「それだっていまいちピンと来ないんだよ。あだ名なんて誰だってあるもんじゃん。それが『名付け』とどう違うのか」
「想いだよ。想い」
「想い?」
「じゃあ、クーロンお姉ちゃんのおさらいだ」
迅八の前で、クーロンは頬に指をつけると語り出した。
「自分のお腹に子を身籠った母親は、お腹の中に毎日語りかける。未来を夢見る。名前を考える、付けるっていうのは特別な行為だ。思いつきのあだ名とは違う」
「……そうだろうね。男親だってそうだと思うよ」
「技や術、あるいは愛剣。そういうのだってそうだよ。必死な修行の末、あるいは食費を切り詰めて金貯めて。その間ずっと考えてる訳だ。『名前』をね。それでも上手くいかない事だってあるよ。想いの力が足りていなければ」
「なに? 想いの力って」
「何かを想うってのは、この世の中の全ての事に自分の中で意味を見出すって事だ。意味があれば力が生まれる」
「…………」
「なんだい? ポカンとしちまって」
「なんか、クーロンが難しい事言い出したから」
「人の事をなんだと……。まあいい。
でね。人はそれぞれ考え方が違うし、同じもんでも付ける名前が違うのさ。感情だってそうだよ。愛しいを、苦しいだと勘違いしちまうような奴だっているさ」
「そんな奴いないでしょ……」
「いるよ。全く珍しくないね。ま、あんたもそのうちわかるよ」
「そんなもんかねぇ。……で、それが名付けとどう関係するの?」
「言葉には力が宿る。『言霊』なんて言われたりもする。結実した想いが名前となれば、そこには力が宿る。その人間にとっての意味が生まれるんだ」
「難しい……。よくわかんないよ」
「物事は、意味があれば凄い力を持つって事さ」
「……よくわかんないけど、ロザーヌさん達はそんな事までは教えてくれなかったなあ」
「ああ、あんたが世話になった亜人だっけか。まあ、そりゃそうだろ。あんたこの世界に来たばっかりの時にこんな事言われたら、退屈で寝ちまうだろ?」
「今も寝そうだけどね」
「ふふ、全く……。仕方ない子だね」
クーロンが、迅八の頭を優しく撫でる。
迅八はむず痒いような気持ちになりながら、そのまま頭を撫でられていた。
「けどさあ、俺がクロウに名前を付けた時は、なんていうか、そんなに重くなかったけど。深く考えてもいないし」
「だから、時にはそういう事だってあるから名前を付けるんじゃないって言ってんだよ。特にあんたは尚更だ」
「尚更? ……なにが?」
馬車の中には二人の囁くような話し声と、寝ている者たちの呼吸の音だけが響いている。迅八の耳元で、すやすやとアゼルの寝息も聞こえた。
「……普通、名付けなんて滅多に起こらない。それが褒められた事じゃないから口にしないってのもあるし、それ以前に、うまくいかない」
「え、そう? 俺、結構やっちゃってるけど」
「それだよ。あんたはおかしな体を持ってるし、バンバン名前を付けて、それが成立している。あんた、今まで出会った連中で、目の前で名付けを成立させる奴なんて見た事あるかい?」
「ん、クロウ。なんか技に名前付けてたし、剣にも……」
「あいつは特別だよ。あんなのでも千年の大悪魔だからね。けど、他にはいないだろ?」
「そう、だな。……確かに」
「それもあんたの謎のひとつだね」
「なにそれ。……まさか、選ばれしチカラ的な?」
「ま、ただ単に、超人的に思い込みが激しいバカってだけかもしれないね……」
「ちょ、キツい冗談を」
「いや、あたしは結構本気で言ってるけどね。思い込みが激しいバカは、時々なにかをやらかすもんさ。なにか、大きな事を……」
「大きな事って、なに?」
「……たとえば、世界を救う、とか」
「は」
「ふふ」
「ははは。……なに言ってんのクーロン」
「あはは。なに言ってんだろね。ま、今のは冗談だ。けどねえ、ほら、ジジイの事が頭に浮かんじゃってねえ。……あんなのが、かつて世界を救った勇者だってんだからねえ」
「なんで俺の事でじいさんの顔が思い浮かぶんだよ。嫌だなあ……」
「あの人も思い込みが激しいバカだからねえ。なんせひとつの誓いだけで世界を救ったんだ。そういうのがバカの怖いところさ」
「だいたい、今は平和な時代なんじゃないの?」
「小競り合いはどこでもあるけど、歴史の中で言えば平和な時代だろうね。……けどねえ、どこにだって争いの種はある」
「……ん。にいちゃん……」
きゅっと。
眠ったままのニコルが、迅八の手に力をこめた。
「……戦は今でもある。それでも昔と違って、国と国との総力戦なんてなかなかない。それがなくなったのも転生者達の力が大きい。けどね、……何かがあれば、真っ先に犠牲になるのはこの子みたいなのだ」
「…………」
「あんたの世界は、違ったのかい?」
「…………ん、」
「お〜おめ〜ら。そろそろ着くぞ〜」
アマレロの言葉が御者台から届く。
その言葉を聞いたクーロンは、一度、背筋を伸ばした。
「んーーっ……。ふぅ、真面目に話すと疲れちまうね。さて、そろそろ着くよ」
「……ほんとにさ、クーロンっていくつなの?」
「亜人は見た目通りの歳じゃないかもしれないからねえ。……ほら、御者台に居る奴なんかもね」
「アマレロが? ……アマレロも亜人なの?」
「うーん。随分あいつとは長いこと一緒にいるけどねえ。外見あんま変わらないからそうだと思うよ」
「……ひょっとしてさ、二人ってさ、なんかあるの?」
「は? 男と女って事かい? ……はは、ないない」
「けどさあ、いつも一緒に居るよね」
クーロンは、戦闘で何かがあると真っ先にアマレロに声を掛ける。それに、誰かが怪我をすれば、真っ先にアマレロを心配する。
「男と女じゃない。それは本当だよ。けどねえ、まあ……アマレロとは一番長いから、……恩もあるのさ」
「……おめ〜ら聞いてんのか〜? そろそろ起こせよそいつらをよ〜」
「はいはい、わかったよ……。ほら、ジン。用意しよう」
「そうだね」
その時、横になっていたジークエンドがのそりと起き上がった。
「……ふむ。着いたか」
「おやおやあ? いつから起きてたんだいジークエンド」
「今だ」
低血圧の男は、寝起きとは思えない声で答えた。
迅八の隣のアゼルも目を覚まし、ストールの奥で可愛らしいアクビをした。少しずつ人が動き出す馬車の中で、迅八の口から呟きは出た。
「そういや、イエリアどこ行ったんだろ」
「さあねえ。けどどうせすぐに戻ってくるさ。……あんたの周りに物事は集中する」
「は? なんの話?」
「いや、なんでもない。……そんな気がするだけだ」
自分の手を掴んでいる小さな温もり。長い夜を終えたニコルの手。
それを、迅八はそっと握り返した。
「ん。……にいちゃん」
「……よく頑張ったね。ニコ」
地底墳墓の戦いは終わり、迅八は自分たちの家に帰る。『自分たちの家』に。
しかし、ロンダルシアでは迅八の運命が待ち受ける。
『愚王』アルトリウス・ロンダルシアは、——運命は、迅八の帰りを待つ。




