夜の残滓 転生者の独白
朝焼けは、キラキラと地獄を映す。
迅八はアゼルと手を取り合い、赤黒い乾いた大地の上を進んだ。
「……んっ、」
迅八の喉の奥に広がる酸味。
吐き気にまでは至らなくとも、口の中に広がる嫌な味。迅八は喘ぐように空気を食った。鼻の奥を閉じ、口から食う。
「ジン、……平気?」
「ああ。ありがとう」
アゼルに手を引かれた迅八は、地底墳墓 入り口へと歩いていた。
さっきまでは迅八が彼女の手を握っていたはずなのに、いつの間にか、握られる側になっている。
「……ごめん、お前もキツいはずなのに」
「大丈夫だよ。誰だって仲間の死体を見るのは辛いよ」
「別に仲間って訳じゃねえけどな」
「元の世界の仲間だよ?」
「俺の仲間はお前だ。クロウとか、ジークエンドさんとかだよ。クーロンも、アマレロもコルテも。みんなが俺の仲間だ」
そこかしこに転がる死体から迅八は目を逸らす。元は生きていた塊から。
この場所で死んでいるのは、迅八と同じ世界の住人だ。だが、迅八は本当に、その死体達に仲間意識は感じなかった。
「けど、わたし達とこの人達は、違うんじゃないの? 」
「……元の世界に居た時から、こうだったような気もする。俺、おかしいのかな?」
隣に住んでいる人間と言葉を交わす事もなければ、例えその隣人が死んだとしても、「ああそうか」と思うだけだ。迅八はそういう場所で暮らしていた。
「……じゃあ、この人たちはどうでもいいの?」
虚ろな目で転がる生首を見る。
ぽっかりと開いた口の奥、奥歯には銀がかぶせてあった。迅八とたいして歳も変わらない少年。
「どうでもいい、……とかでもない気がする」
「もしも、この人たちが死ぬ時にそばにいれたら、助けたいって思った?」
「わかんない。けど、敵じゃないなら、きっとそう思うよ」
「それでも、この人たちがニコを傷付けようとしたら殺そうとするの?」
「……うん。きっと」
迅八の手をアゼルは柔らかく包んでくれる。その手にきゅっと力が込められた。
「大丈夫。……おまえは正常だよ」
地底墳墓 入り口前、ぽっかりと空いた闇への玄関。しかし、この遺跡の最下層では光に最も近い戦いが繰り広げられている。
「手術はどうなったんだろう。行こう、アゼル」
「うん」
迅八は己の手に力を込め、手を引いてくれていたアゼルよりも前に出る。
しんとした空気、露に濡れる壁に手をつけながら、奥へと向かう。
「……やべ、そう言えば明かりがないぞ」
「わたしランタン持ってるし、簡単な術なら出来るから大丈夫だよ」
迅八の手を離したアゼルが両手で空中に円を描く。
その手が円を描きながら胸の前で握りこまれ、ゆっくりとその手を開くと、……ほわり。そこには拳大の光球が浮かんでいた。
「ほら……」
光の玉に透けてアゼルの顔が見える。
ストールで隠された口元。——赤い髪の奥、緑色の瞳。深い深い碧。
「……どうしたの?」
「お、おう」
アゼルがその手を伸ばすと二人を先導するように光球は浮いた。
迅八がふわふわと漂うそれを見ていると、迅八の手をアゼルが握った。特に何も言わずに。
「お……」
「……なに?」
「い、行こう!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(……やばい。なんかよくわかんないけど、やばい事だけはわかる)
迅八の肩の辺りに頭がある小柄な少女は、特に何も言わずに歩いている。
赤い髪の下から、ツンと突き出すように出ている耳。
(耳、かわい……やばいって! 話を、なんか話を……!)
すがるように、迅八は自分達の前を漂う光球を見る。それが照らしている通路、光と闇の境界線。
(……あれ?)
はっきりと見通せる通路を歩きながら、その疑問は迅八の口から出た。
「……そういやさ」
「なに?」
「魔術は生者にだけだろ? これってさ、なんなの? 物理的に照らしてるのとは違うの?」
「どういう意味?」
「なんていうんだろ。……松明は、モノだろ? 物理的に明るくしてる訳だけど、これ、それと変わらないような……、なんていうんだろ」
ガリガリと頭を掻く。迅八自身にもよく解ってはいないのだ。
「……ジンが言ってる事はよくわからないけど、転生者達の方が魔術には詳しいんだ。詳しいとは少し違うけど、探求してる。こんな話を聞いた事があるよ。『見えるようにしてるだけ』だって」
「見えるようにしてるだけ? ……どういう事?」
「聞いた事があるだけだよ。なんか、本当は暗いままなんじゃないかって。わたし達に明るく見えてるだけなんじゃないかって」
暗闇の中で漂う光球を、迅八は見る。
そして、それが照らしているアゼルの顔を。
「……おまえ、なに言ってんの?」
「だから、わたしにはわからないよ。だってどっちにしても見える事には変わらない。なんで転生者がそんな事を気にするのかが理解出来ないもん」
「まあ、そりゃそうだな。俺もそう思うけど……」
「そんな事よりも、わたしはジンの翼や空を飛べる事の方がよっぽど気になるよ。そんな奴見た事ない」
アゼルが迅八を振り向くと、その瞳には怪訝な光があった。
「え? だって、魔術当たり前だろ? 空飛ぶとか普通じゃない? よくあるじゃん」
「ジンの世界の常識は知らないよ。けど、空を飛べるヒト族なんて、たぶん、世界中でジンだけだよ」
「え? 世界中で俺だけって事はねえだろ!」
「ジンの世界じゃ人間が空を飛べるのか?」
「飛べる訳ないだろ。人間なんだから……」
「同じだよ。人間なんだから飛べる訳ないよ」
「だって、風の魔術とかをなんたらすれば、出来るんじゃないの?」
「風の魔術でそんな事は出来ないよ。少なくともわたしは見たことない」
「へ〜……」
ポカンと口を開ける迅八を見て、アゼルがくすりと笑った。
「……前から、言おうと思ってたんだけど」
「なんだよ。間抜けに見えるって? クロウからしょっちゅう言われてるよ」
「なんで、何も聞かないの?」
「……何を?」
「気になる事いっぱいあるだろ。わたし達のこと」
そう言った赤毛の少女は、顔を覆っているストールを、一度さするように触った。
「……アゼル」
「…………なに?」
「なにが好きなの?」
「……は?」
「食べ物。なにが好きなの?」
「なんだよそれ。……そんなことは別にどうでもいいだろ」
「どうでも良くないよ。クロウはさ、シャケが好きなんだよ。悪魔のくせして、生肉とかよりもシャケの方が好きなんだよ」
「だから、どうでもいいだろそれ」
「そうかなあ……。どうでも良くないと思うよ」
「……ラーメン」
「え?」
「そういう食べ物があるんだ。……ロンダルシアは暑いからあんまりないんだけど。あったかいスープの中に、」
「いや、知ってるよ。俺も好きだよ。ていうか、ラーメン好きなの?」
「うん。けど、あの、ストール巻いてると食べにくいから、あんま外では食べない」
「……そっか。他にはなんかないの? シズも連れて、今度一緒に食べに行こうよ」
「ジン」
「……なに?」
「聞きたいこと、あるだろ?」
「……アーゼルフィアも、アゼルスタンも、アゼルだよ。俺の友達だ。シズも絶対そう言うよ」
暗い通路に響いていたアゼルのブーツの音。それがゆっくりとなり、いつしか止まった。
「……どうしたのアゼル。行こう」
「なんで……」
「なんでも知りたいのが友達じゃないよ。けど、聞いて欲しいんだったらなんでも聞くし、俺はそばに居るよ」
光球が切り取る闇の中、ぼんやりと少女はそこに立っている。
「なんだよ。なんか、急に……ずるいよ」
「なにがだよ。なんもずるくないよ。さ、行こう」
迅八が再び足を進めようとしたその時、光球が作り出す光と闇の境界線が軋んだ。
「な……」
——ざわざわと。
深い闇の奥が蠢く。
「アゼル!!」
「きゃっ……」
迅八は咄嗟にアゼルの体を庇うように包み込む。抱きしめた体は柔らかい。伝わる温もり。
「……翼ッッ!!」
ざばんっ! 迅八の背中から鮮血の翼は広がる。流動しながらそれは動き、アゼルの体を包み込む。
「なんだコレっ!! 生き物!?」
「ジンッ!」
突然襲ってきた、光球の明かりを遮る物理的な暗闇。アゼルの頭の向こうに迅八は見る。
ばさばさと自分の体を何かが叩いてゆく。同時にひっかかれるような感触。
「ジン、おまえが……!」
「大丈夫だ、俺は死なねえっ!!」
キィキィと軋む音。
やがてそれが鳴き声なのだと気付く。
身を叩く、数十——数百の軽い衝撃。
それが生き物の羽根なのだと気付く。
自分達を通り過ぎる数多の生き物。
「コウモリ……? ジャック!!」
目を閉じた迅八が叫ぶと、その音と衝撃は止んだ。
迅八が気が付くと、その場にはもう一人立っていた。暗闇の中、光球の明かりに浮かぶ真紅のローブ。
「ジャック……」
「……終わったようだな」
「ロココさんは、手術はどうなったんだ!?」
「こちらも済んだ。……手術は成功だ。大した患者だった」
「あ……!」
「待て迅八。地上に行きたい。そこで話そう」
そう言うと、ジャックは出口に向かい歩き出した。
遠ざかってゆくローブが曲がり角に消えたあと、迅八の腕の中から声が聞こえた。
「……ジン、苦しいよ」
「あ、ごめんっ」
「ううん、……ありがと」
「とにかくジャックを追おう」
「あ……」
踵を返し、歩き出した迅八の耳にアゼルの声が聞こえた。首だけで振り返ると、アゼルの右手が宙に浮いていた。
「……早く行こうっ。どうした?」
「む。……別に」
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朝焼けが吸血鬼を照らす。
明るい光の下で見るジャックは美しい男だった。真ん中で分けた黒い長髪の下、生気のない白、赤い瞳。真紅のローブの下は素肌。黒いズボンを履いている。
「……遅かったな」
「ジャックが速すぎるんだよ。なんで暗い場所なのにスタスタ先に行けるの? 俺たちと違って明かりも無かっただろ?」
「一部の生物にはそういう機能が備えられている。元の世界で言えば深海に住む魚とかな。実際には暗いが、その場所に適応する為に、自然界に存在する細かな光を増幅する機能だ。……私の場合はそれと少し違うが、視覚とは別に超音波で並行して視る。超音波も光も電磁波の一種だ。この体にはそういう機能が、」
「難しい。ジャックの喋ってる事はよくわかんないよ……」
「『実際には暗いが、明るく見える』。見通せるんだ。そういう機能が生物にはある。……ひょっとしたら、人間の体にもそういう機能が秘められているかもしれないな」
「へ〜……」
「フ……。まあ気にするな。全部私の推測だ。世間話だと思っておけ」
「ジャック、ロココさんは…」
「さっきも言ったが手術は成功した」
迅八がその声に安堵するよりも先に、アゼルの口から言葉が出た。
「ほんとに!? もう平気なの!?」
「手術は成功した。だが本当に危険がないのかは分からん。予後の方が重要だ」
「なに? これからって……」
「免疫の問題や感染症の危険もある。しかし、彼女は亜人だ。ヒトと比べて極めて生命力や抵抗力が強い。それに関しての心配は少ないだろうが、なにせ初めてだからな。データがなにもないんだ」
アゼルよりもジャックの言葉が理解出来る迅八は、言葉を変えながらアゼルに説明した。アゼルはそれを黙って聞いていた。
「しかしあまり心配はするな。……聞いたが、クロウが自分の体から取り出したのは『患者自身』の肝臓らしいな。それなら免疫や抗体の問題はないし、感染症は恐ろしいが、何かが起きても私が処置をすれば平気だろう。問題が起きたらまた連れてこい」
「クロウが取り出したって……なにそれ? 」
「今、ロココの腹の中には、クロウが変化した自分から取り出した肝臓が入っている。あいつはなかなか大したヤツだ」
ティー達と対峙した時の急激な不調。吐血。その時の事を思い出し、迅八は青くなった。
「……あの時、俺、肝臓無くなってたの!?」
「おまえさんの事も聞いた。目茶苦茶だなおまえらは……。医学をバカにしている」
そう言ったジャックは、迅八の肩に手を置いた。
「だが、……助かった。よくやった。そのふざけた体に感謝しろ」
「肝臓なくなっても平気なんだね。人間って」
「平気なはずあるか。長期的に見れば必ず死ぬ。だが、その前に再生するんだろう? ……本当に、医学をバカにしている」
吸血鬼のひやりとした手からはなんの熱も感じないが、それでも伝わる温もりがある。
「よくやった。おまえさんが助けた」
「そんな……。俺はなんもしてないよ」
「それでもだ。それでも、日本人。おまえさんが助けた。クロウが助けたぞ。そして、あの母親の娘が助けたんだ。……私がやった事は、技術さえあれば誰でも出来る事だ」
「そんな事はないよ。あんたがいなかったら……ジャック、本当に、本当にあり、」
「……待て迅八。その言葉は言うな」
「え……」
迅八の視界で、朝焼けは輝きを増してゆく。その光の波の中で、吸血鬼は消えてしまいそうに細く見えた。
「……そう言えば、日光大丈夫なの?」
「短時間ならな。おそらく、この体はヒトと比べると、先天的にメラニンが欠乏している。長時間日光に当たると、」
「もういいよ医学は……。難しいんだよ」
迅八のその言葉で、初めて吸血鬼の顔がほんの少しだけ緩んだ。
「この世界では知識を披露できん。少しくらい付き合え」
「簡単な話ならいいよ。医学はもう勘弁してよ……」
本当に小さく。消えるような笑い声が吸血鬼の口から聞こえた。
黄金の朝は枯れた大地を照らす。
その上に広がる地獄を照らす。
ジャックは訥々と喋り出した。
「昔の話だが……」
「もういいよ、難しい話は」
「大きな戦いがあった。……戦争だ」
迅八はそこで言葉を止めた。
おそらくジャックは、この世界の事ではない話をしようとしている。
「……久しぶりの、元の世界の人間だ。少しくらい話に付き合え」
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……戦争末期に生まれた俺の育った場所は、町とも呼べない小さな村だった。他国との国境にあるその村は、当時にしては珍しいちゃんとした学校があった。
いくつもの民族が住む国。
その中でも外れに位置する俺の村は、ほとんどが主流民族の奴らで占められていた。
もっと大きな村や町なら人口の比率も変わる。その小さな村では俺の民族は少ない。いじめられた。
それでも学校の先生は良い人だった。
俺の人生に啓示をくれた。
『暴力ではなくて、ちゃんと見返してやりなさい』
俺は勉強をした。頑張った。
いじめっ子達は心底から嫌な奴らではなかった。
他民族の奴にも凄いやつはいる。
そう認めてくれた。
俺の人生は光に包まれていた。
村一番の天才。俺は良い学校に進学した。
先生は泣いて喜んでくれた。
かつて俺をいじめていた友達。
付き合ってみるとすぐに仲良くなれたそいつらと、固い握手をして別れた。
俺は、人の役に立つ事がしたいと思うようになった。人に褒められたかった。尊敬される仕事につきたかった。けれど、俺は色んなハンデを背負っていた。
人種、経済面、誰もが諦める『運命』。
……運命を。
俺はそれを乗り越えた。
俺は、夢を叶えた。
人を救う人間。
医者になるという夢を叶えた。
……医者になりたての俺はまだまだ修行中の身だった。熱意だけはあった。人一倍に。
そんな俺を見出して、当時としては珍しい分野に俺を誘う先生がいた。今思えば、あそこが俺の人生の分岐点だった。——癌医療。
癌の歴史は古い。遥か昔から存在は確認されていた。しかし、理由が分からない。
俺がその分野に踏み込んだ時でも、何も分かっていないような状況だった。
人々の間で「癌」の認識が広まり患者が増えた。それに伴い研究者も増えた。
幾つもの失敗を繰り返し、俺の医者としての素養はこの頃に作られた。
——1960年代に入り、現場の俺は目まぐるしい日々を送っていた。幾つもの失敗。たまにある成功。
研究者達の間でも、遅々として成果は上がらない。効果的な薬などなく、発見された癌をただただ切り取るだけの日々。
切り裂いて、切り裂いて、縫って縫って。……自分の心も傷付けられる。
そんな日々を何年も過ごした頃に、一つの素晴らしいニュースが届けられた。——発癌性ウイルスの発見。
それが正式に認められ、ずっと昔からその存在を主張していた研究者に、ある賞が贈られる事になった。誰でも知っている世界最高の賞が。
その日の夜、俺と先生は涙を流しながら祝杯をあげた。異端者呼ばわりされていた研究者の主張が認められた事に。癌医療が前進した事に。
理由がわかれば方針が出来る。研究者も増える。切り取るだけではなく抜本的、根本的な治療へのアプローチが取れる。薬の開発も進むかもしれない。
すぐに成果が出るものではないが、そこまでの光が見えたんだ。
1966年。発癌性ウイルスが世間で認められ、研究者に賞が贈られた年。
俺達みたいな現場の医者が、微かに見えた希望に涙を流したその年に。
……俺の国では絶望が幕を開けた。
『……先生。なんで俺たちがこんな事を』
『患者は患者だ。出来る事をしろ』
俺の仕事場には、毎日毎日、怪我人が運び込まれてきた。癌とは全く関係ない患者。……暴行を受けた跡。
骨折した男の腕に添え木をしてやる。
経験した事もないのに薄い知識を頼りに出産に立ち会い、赤子を取り出した事もあった。
——私の息子が連れて行かれた
泣きじゃくる老婆の話をただ聞いてやるだけの時間。医療ですらない。……いや、そういう医療だった。話を聞くという治療。
朝から晩までそれらは続く。まるで戦場医のような日々。分野も何も関係ない。
あの年。希望に涙を流した年。
その年を境に全国から減っていく医者。俺や先生みたいにまだ残っている医者の元に、救いを求める人々はやってくる。
『……革命の波はすぐそこまで来ているようだ。ここも安全ではないかもしれん』
夜。食事をしている時に先生がそんな事を言った。革命。俺達の国を襲った革命。……知識人や富裕層を主に対象とした、革命という名の嵐が。
『先生……。俺達はどうすればいいんですか?』
仲間の医者はどんどん少なくなってゆく。
話によると、連行された者は農村部で強制労働に従事させられる。この時の俺はそんな事は眉唾だと思っていた。
けどな、後になってから知ったよ。
もっと酷い結末もあったんだ。
『私にツテがある。おまえはこの国を出ろ。そこで医療を学べ。先進医療を学んでこい』
『先生はどうされるんですか』
『私はここに残る。患者が居るんだ』
『だったら俺も……!!』
『おまえは行け。未来を学んでこい。そして、この国に帰ってこい。学んだその技術で、沢山の人を救うんだ』
先生はこの時、覚悟を済ませていたんだろう。
……先生のツテを頼りに医療先進国に逃げた。暗い船の底で揺られて、ゲロにまみれながら。
辿り着いたそこで、俺は更に努力した。語学の壁。人種の壁。……そんなものには慣れていたしな。幾つもの運命を乗り越えて、俺は医者として成長した。
——俺の国はどうなっているのか。
時々、……時々じゃないな。毎日思っていた。
先生は、どうしているんだろう。
小学校の頃の恩師はどうしているんだろう。
友達は……。
革命の詳細は、何も伝わってこなかった。
1977年。革命は終わりを告げた。
俺はすぐに自分の国に帰った。
帰ろうとする俺を引き止めてくれた人たちが大勢いた。その人たちに別れを告げて。
……戻ってきた時、もう、そこは俺の知らない国だった。
先生は死んでいた。
小学校の恩師も死んでいた。
友達の何人かに会った。彼らの身内や知り合いも、大勢大勢死んでいた。
弾圧と粛清。革命が通り過ぎた跡。
俺達の仲間は、……俺達の仲間に殺された。
自分の力を。医療の力を。
人間の光と闇を。その全てを疑った。
……幾つもの失敗が俺を切り刻む。
その頃に出会った隣の国の一冊の本。
戦争末期に生まれた俺は、その国が好きじゃない。それでも、他民族にだって凄い奴はいる。
その本は俺の人生の聖書になった。
俺も、この本の主人公のようになりたい。
失敗はする。泣くこともある。
しかし、主人公は負けない。
そして、大抵誰かを助けるんだ。
闇を乗り越えた俺の人生は、光に包まれていたはずだった。
————————————————
黄金の夜明けは、地底墳墓近辺を照らす。そこに転がっている幾つもの死体。
「……昔あった戦争で、俺の国とお前の国は敵同士だった。こんな光景がどこでもあったんだろうな」
迅八は、その言葉に何も返せなかった。
「革命の時はこんな光景はなかったんだろうが、……戦争と同じ位に人が死んだよ」
赤黒い光景。もう、どうにも出来ない残骸。
「戦争も革命も昔の事だ。何が正しくて誰が悪かったのかもよく分からない。……ただ、人は死んだよ」
ジャックの目は凄惨な光景を余す事なく見つめている。真っ正面からそれを見る。
「……迅八、こいつらは、おまえが殺したのか?」
「違う。けど、ジャック、ごめん。俺、なんも出来なくて」
「なら、別にお前のせいじゃないだろう。それにな、私もこの世界は長い。綺麗事だけで済まないのも知っているよ。……ただ、それでも私は死体を好かん」
真紅のローブの男は静かにその光景を見つめている。何も言えずにその男を見ていた迅八の手を、そっとアゼルが握った。
「ジャック。……あんたは、なんでこの世界に。理由は知らないのか?」
ジャックはその場で腰を下ろした。黒いズボンの片膝を掴み、握りしめたシワを強く見た。
「さあ……。理由は分かる筈がないが、元の世界で最後にあった事は覚えているよ。あれがきっかけとなったんだろうな」
「聞かせてくれ。俺は、この世界の事を知らなくちゃいけない」
迅八は、もう元の世界に戻るつもりなどない。明日、目が覚めたら、シズを置いて、アゼル達を置いて、自分だけあの世界で目が覚める。
そんな事を考えただけで、迅八は震えてしまう。
「……お前の国の本。あの本に出会い、革命後に打ちひしがれていた俺は、なんとか戦場に戻る事が出来た。医療という戦場だ。負けても、立ち向かう気になった」
「俺みたいな外科医にとって、分野や程度にもよるが、失敗というのは患者を死なせる事だ。……そして、失敗しない人間はいない。心のどこかを麻痺させないと続けられん」
「ある時だ。……失敗してしまった。
いや、失敗ではなかった。医療は、完璧にやってもどうにもならないときがある。その時がそれだった。医者にとっての地獄はその後で襲ってくる」
「患者の両親が俺を訪ねてきた。
俺は覚悟していた。罵倒される。胸ぐらを掴まれる。そんな事は何度もあった。……麻痺させた心で事務的に頭を下げる俺の前で、その両親は、予想外の事をした。涙を流して土下座した。——『ありがとう』」
「……息子の為に全力を尽くしてくれてありがとう。あなたは世界で最高の医者だ。あなたに無理だったら世界中の誰にも無理だと聞いた。私達の息子の為に全力を尽くしてくれてありがとう」
「……息子が召されたのは、仕方ない事だった」
「……運命だった」
いつの間にか。
迅八の事を支えるように繋がれていたアゼルの手が、ひどく震えていた。
「……今なら分かる。あの両親は俺を気遣って、自分達の心が壊れないように、その言葉を使った。人間は、強くはいられない。何かのせいにしないと立てなくなる時がある」
気が付くと、立ち込める血の匂いに引きずられる。地平線を見つめるジャックの目は昏い。
「だがな、迅八。そんな運命、あるのか……?」
「あ……」
「きっかけは多分あそこだな。心が砕かれた。気が付いたらこの世界にいた。元の世界とは違う体、——吸血鬼となり転生した」
ジャックは立ち上がる。
その体には跡が見える。
命を懸けた戦いで負った傷。キャンサーから攻撃された跡が。
そしてその傷とは違う日光による火傷が、新たに出来始めていた。
「そろそろ時間切れだ。話に付き合わせたな」
「ジャック、……」
「あと、聞きたい事がある」
「……なに? なんでも答えるよ」
「何故ここに来た? まさかアルトリウスか?」
「え? 王様のこと知ってるのか?」
「あの男……。これだから日本人は」
ジャックは口に手をやりブツブツと呟いている。その時、いじっていた唇から煙があがった。
「これ以上は本当に怪我するな。……迅八、患者を連れて帰れ。近い内にまた会うだろう。向こうにお前らの仲間の気配がある。クロウもそっちに行ったようだぞ」
「あの、ジャック! 待ってよ、まだ俺も聞きたい事があるんだ。あの発電機は……この世界に、電力が」
「迅八、それも今度だ。……大丈夫だ。本当にすぐに会う事になる」
話を打ち切ろうとしたジャックの目を見て、迅八は言葉を止めた。そして、一番伝えたい事だけを口にした。
「ジャック、あんたが居てくれて良かった。本当に……」
「なんだ? もう勘弁してくれ。火傷が広がる。私は休むが最下層の処置室にメスカルが居る。患者を引き取れ」
「本当に、ほんとに」
——ありがとう。
迅八がそう言おうとした時。
「やめろ。今の話を聞いていなかったのか? 私にその言葉は禁句だぞ」
ジャックの胸がひび割れる。
一瞬でそれは全身に広がり、その体は爆散した。
「うおっ、こうもり……!」
《……迅八。すぐに会う事になる。考えておけ。おまえさんがこの世界に居る意味を》
「え?」
《私はジャックだ。地底墳墓のジャックだ。この世界に来た時、絶望と共に歓喜も襲った。……永遠に近い体で医療を追求出来る》
コウモリは不思議な音を鳴らしながら渦を巻く。
《おまえさんの使命はなんだ? おまえさんがこの世界に来た理由は知らんし、きっかけも知らん。だが、なにも見つけられないのなら……繰り返しになるぞ》
「ジャックッ!」
迅八の返答を待たずにコウモリは宙高く舞い上がる。無数の羽音を響かせながら地底墳墓に消えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ジン……」
「すげえなあいつ……」
「……うん」
「俺達にもやる事が出来たみたいだな。王様になんて報告すりゃいいんだ? ジャックを守らなくちゃダメだ。それは絶対だ」
数え切れない死体と、そしてジャックの事も。『愚王』アルトリウス・ロンダルシアにどう説明し、納得させればいいのか。
「そういや、アマレロとクーロンも来てるんだ。みんないるらしいよ。馬車に行ってニコ達を連れて帰る為に手伝ってもらおう。……ロココさんは強く動かせないだろうし、動かして平気なのかな……」
「ジャックが平気だって言ってるんだ。きっと大丈夫だよ。……それと、クーロン達がいるのか? なんで?」
「だから、それも詳しく確かめよう。行こう」
「うん」
アゼルの手を迅八は引く。
長い夜の様々な事に頭の整理が追いつかない。
地底墳墓のジャック。
そして、デッドエンドイースト。
あの意味不明の男の事も。
「……時を、遡る」
「なっ」
イーストが言っていた事を思い出した迅八の声に、何故かアゼルはひどく反応した。
「ん? どうしたんだよ」
「今、なんて……」
「いや、敵が言ってた。なんか、得体の知れない奴だった。二度と会いたくないよ」
「…………」
きゅっと、強くしがみつくようなアゼルの手に、迅八は困惑した。
「アゼル? ど、どうしたの?」
「……別に。なんでもないよ」
朝焼けを背景に二人の影は伸び、運命が交差する長い夜は終わりを告げる。
敵も居る。味方も居る。
この世界には色んな奴が居る。
迅八は考える。
己の使命を。
(俺は……)
夜の帳はとうに消え、近くの小高い丘の上から、自分達に手を振る影が見えた。
「とりあえず行こう。アゼル」
「うん……」
「ほら、誰か手ェ振ってるぞ。クーロンか? ……おーい!!」
迅八も手を振り返す。
アゼルと結んだその手を。
長い夜、アゼルが女の子みたいだった夜の、ほんの少しの残滓を。
「ちょ、ちょっとやめろよ!」
「え? なんで?」
「見られちゃうからっ……!」
「なんでよ。友達は手くらい繋ぐよ」
「おまえ、ジークエンドの前でそれ言えるのか?」
迅八はすぐにその手を離し、長い夜の残滓も消えた。




