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アゲイン×2 《クロスツー》  作者: 紺堂 悦文
第六章 地底墳墓のジャック
126/140

夜の残滓 転生者の独白

 



 朝焼けは、キラキラと地獄を映(うつ)す。

 迅八はアゼルと手を取り合い、赤黒い乾いた大地の上を進んだ。


「……んっ、」


 迅八の喉の奥に広がる酸味。

 吐き気にまでは至らなくとも、口の中に広がる嫌な味。迅八は喘ぐように空気を食った。鼻の奥を閉じ、口から食う。


「ジン、……平気?」

「ああ。ありがとう」


 アゼルに手を引かれた迅八は、地底墳墓 入り口へと歩いていた。

 さっきまでは迅八が彼女の手を握っていたはずなのに、いつの間にか、握られる側になっている。


「……ごめん、お前もキツいはずなのに」

「大丈夫だよ。誰だって仲間の死体を見るのは辛いよ」

「別に仲間って訳じゃねえけどな」

「元の世界の仲間だよ?」

「俺の仲間はお前だ。クロウとか、ジークエンドさんとかだよ。クーロンも、アマレロもコルテも。みんなが俺の仲間だ」


 そこかしこに転がる死体から迅八は目を逸(そ)らす。元は生きていた塊から。


 この場所で死んでいるのは、迅八と同じ世界の住人だ。だが、迅八は本当に、その死体達に仲間意識は感じなかった。


「けど、わたし達とこの人達は、違うんじゃないの? 」

「……元の世界に居た時から、こうだったような気もする。俺、おかしいのかな?」


 隣に住んでいる人間と言葉を交わす事もなければ、例えその隣人が死んだとしても、「ああそうか」と思うだけだ。迅八はそういう場所で暮らしていた。


「……じゃあ、この人たちはどうでもいいの?」













 虚ろな目で転がる生首を見る。

 ぽっかりと開いた口の奥、奥歯には銀がかぶせてあった。迅八とたいして歳も変わらない少年。


「どうでもいい、……とかでもない気がする」

「もしも、この人たちが死ぬ時にそばにいれたら、助けたいって思った?」

「わかんない。けど、敵じゃないなら、きっとそう思うよ」

「それでも、この人たちがニコを傷付けようとしたら殺そうとするの?」

「……うん。きっと」


 迅八の手をアゼルは柔らかく包んでくれる。その手にきゅっと力が込められた。


「大丈夫。……おまえは正常だよ」






 地底墳墓 入り口前、ぽっかりと空いた闇への玄関。しかし、この遺跡の最下層では光に最も近い戦いが繰り広げられている。


「手術はどうなったんだろう。行こう、アゼル」

「うん」


 迅八は己の手に力を込め、手を引いてくれていたアゼルよりも前に出る。

 しん(・・)とした空気、露(つゆ)に濡れる壁に手をつけながら、奥へと向かう。


「……やべ、そう言えば明かりがないぞ」

「わたしランタン持ってるし、簡単な術なら出来るから大丈夫だよ」


 迅八の手を離したアゼルが両手で空中に円を描く。

 その手が円を描きながら胸の前で握りこまれ、ゆっくりとその手を開くと、……ほわり。そこには拳大の光球が浮かんでいた。


「ほら……」


 光の玉に透けてアゼルの顔が見える。

 ストールで隠された口元。——赤い髪の奥、緑色の瞳。深い深い碧(あお)。


「……どうしたの?」

「お、おう」


 アゼルがその手を伸ばすと二人を先導するように光球は浮いた。

 迅八がふわふわと漂(ただよ)うそれを見ていると、迅八の手をアゼルが握った。特に何も言わずに。


「お……」

「……なに?」

「い、行こう!」




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・




(……やばい。なんかよくわかんないけど、やばい事だけはわかる)


 迅八の肩の辺りに頭がある小柄な少女は、特に何も言わずに歩いている。

 赤い髪の下から、ツンと突き出すように出ている耳。


(耳、かわい……やばいって! 話を、なんか話を……!)


 すがるように、迅八は自分達の前を漂う光球を見る。それが照らしている通路、光と闇の境界線。


(……あれ?)


 はっきりと見通せる通路を歩きながら、その疑問は迅八の口から出た。


「……そういやさ」

「なに?」

「魔術は生者にだけだろ? これってさ、なんなの? 物理的に照らしてるのとは違うの?」

「どういう意味?」

「なんていうんだろ。……松明(たいまつ)は、モノだろ? 物理的に明るくしてる訳だけど、これ、それと変わらないような……、なんていうんだろ」


 ガリガリと頭を掻(か)く。迅八自身にもよく解ってはいないのだ。


「……ジンが言ってる事はよくわからないけど、転生者達の方が魔術には詳しいんだ。詳しいとは少し違うけど、探求してる。こんな話を聞いた事があるよ。『見えるようにしてるだけ』だって」

「見えるようにしてるだけ? ……どういう事?」

「聞いた事があるだけだよ。なんか、本当は暗いままなんじゃないかって。わたし達に明るく見えてるだけなんじゃないかって」


暗闇の中で漂う光球を、迅八は見る。

そして、それが照らしているアゼルの顔を。


「……おまえ、なに言ってんの?」

「だから、わたしにはわからないよ。だってどっちにしても見える事には変わらない。なんで転生者がそんな事を気にするのかが理解出来ないもん」

「まあ、そりゃそうだな。俺もそう思うけど……」

「そんな事よりも、わたしはジンの翼や空を飛べる事の方がよっぽど気になるよ。そんな奴見た事ない」


アゼルが迅八を振り向くと、その瞳には怪訝な光があった。


「え? だって、魔術当たり前だろ? 空飛ぶとか普通じゃない? よくあるじゃん」

「ジンの世界の常識は知らないよ。けど、空を飛べるヒト族なんて、たぶん、世界中でジンだけだよ」

「え? 世界中で俺だけって事はねえだろ!」

「ジンの世界じゃ人間が空を飛べるのか?」

「飛べる訳ないだろ。人間なんだから……」

「同じだよ。人間なんだから飛べる訳ないよ」

「だって、風の魔術とかをなんたらすれば、出来るんじゃないの?」

「風の魔術でそんな事は出来ないよ。少なくともわたしは見たことない」

「へ〜……」


 ポカンと口を開ける迅八を見て、アゼルがくすりと笑った。


「……前から、言おうと思ってたんだけど」

「なんだよ。間抜けに見えるって? クロウからしょっちゅう言われてるよ」

「なんで、何も聞かないの?」

「……何を?」

「気になる事いっぱいあるだろ。わたし達のこと」


 そう言った赤毛の少女は、顔を覆っているストールを、一度さするように触った。


「……アゼル」

「…………なに?」

「なにが好きなの?」

「……は?」

「食べ物。なにが好きなの?」

「なんだよそれ。……そんなことは別にどうでもいいだろ」

「どうでも良くないよ。クロウはさ、シャケが好きなんだよ。悪魔のくせして、生肉とかよりもシャケの方が好きなんだよ」

「だから、どうでもいいだろそれ」

「そうかなあ……。どうでも良くないと思うよ」






「……ラーメン」

「え?」

「そういう食べ物があるんだ。……ロンダルシアは暑いからあんまりないんだけど。あったかいスープの中に、」

「いや、知ってるよ。俺も好きだよ。ていうか、ラーメン好きなの?」

「うん。けど、あの、ストール巻いてると食べにくいから、あんま外では食べない」

「……そっか。他にはなんかないの? シズも連れて、今度一緒に食べに行こうよ」

「ジン」

「……なに?」

「聞きたいこと、あるだろ?」

「……アーゼルフィアも、アゼルスタンも、アゼルだよ。俺の友達だ。シズも絶対そう言うよ」



 暗い通路に響いていたアゼルのブーツの音。それがゆっくりとなり、いつしか止まった。


「……どうしたのアゼル。行こう」

「なんで……」

「なんでも知りたいのが友達じゃないよ。けど、聞いて欲しいんだったらなんでも聞くし、俺はそばに居るよ」


 光球が切り取る闇の中、ぼんやりと少女はそこに立っている。


「なんだよ。なんか、急に……ずるいよ」

「なにがだよ。なんもずるくないよ。さ、行こう」


 迅八が再び足を進めようとしたその時、光球が作り出す光と闇の境界線が軋(きし)んだ。


「な……」


 ——ざわざわと。

 深い闇の奥が蠢く。


「アゼル!!」

「きゃっ……」


 迅八は咄嗟(とっさ)にアゼルの体を庇うように包み込む。抱きしめた体は柔らかい。伝わる温もり。


「……翼ッッ!!」


 ざばんっ! 迅八の背中から鮮血の翼は広がる。流動しながらそれは動き、アゼルの体を包み込む。


「なんだコレっ!! 生き物!?」

「ジンッ!」


 突然襲ってきた、光球の明かりを遮る物理的な暗闇。アゼルの頭の向こうに迅八は見る。

 ばさばさと自分の体を何かが叩いてゆく。同時にひっかかれるような感触。


「ジン、おまえが……!」

「大丈夫だ、俺は死なねえっ!!」


 キィキィと軋む音。

 やがてそれが鳴き声なのだと気付く。

 身を叩く、数十——数百の軽い衝撃。

 それが生き物の羽根なのだと気付く。

 自分達を通り過ぎる数多(あまた)の生き物。


「コウモリ……? ジャック!!」


 目を閉じた迅八が叫ぶと、その音と衝撃は止んだ。


 迅八が気が付くと、その場にはもう一人立っていた。暗闇の中、光球の明かりに浮かぶ真紅のローブ。


「ジャック……」

「……終わったようだな」

「ロココさんは、手術はどうなったんだ!?」

「こちらも済んだ。……手術は成功だ。大した患者だった」

「あ……!」

「待て迅八(シュン バー)。地上に行きたい。そこで話そう」


 そう言うと、ジャックは出口に向かい歩き出した。

 遠ざかってゆくローブが曲がり角に消えたあと、迅八の腕の中から声が聞こえた。


「……ジン、苦しいよ」

「あ、ごめんっ」

「ううん、……ありがと」

「とにかくジャックを追おう」

「あ……」


 踵(きびす)を返し、歩き出した迅八の耳にアゼルの声が聞こえた。首だけで振り返ると、アゼルの右手が宙に浮いていた。


「……早く行こうっ。どうした?」


「む。……別に」






 ————————————————






 朝焼けが吸血鬼を照らす。

 明るい光の下で見るジャックは美しい男だった。真ん中で分けた黒い長髪の下、生気のない白、赤い瞳。真紅のローブの下は素肌。黒いズボンを履いている。


「……遅かったな」


「ジャックが速すぎるんだよ。なんで暗い場所なのにスタスタ先に行けるの? 俺たちと違って明かりも無かっただろ?」


「一部の生物にはそういう機能が備えられている。元の世界で言えば深海に住む魚とかな。実際には暗いが、その場所に適応する為に、自然界に存在する細かな光を増幅する機能だ。……私の場合はそれと少し違うが、視覚とは別に超音波で並行して視(み)る。超音波も光も電磁波の一種だ。この体にはそういう機能が、」


「難しい。ジャックの喋ってる事はよくわかんないよ……」


「『実際には暗いが、明るく見える』。見通せるんだ。そういう機能が生物にはある。……ひょっとしたら、人間の体にもそういう機能が秘められているかもしれないな」


「へ〜……」


「フ……。まあ気にするな。全部私の推測だ。世間話だと思っておけ」


「ジャック、ロココさんは…」

「さっきも言ったが手術は成功した」


 迅八がその声に安堵するよりも先に、アゼルの口から言葉が出た。


「ほんとに!? もう平気なの!?」

「手術は成功した。だが本当に危険がないのかは分からん。予後(これから)の方が重要だ」

「なに? これからって……」

「免疫の問題や感染症の危険もある。しかし、彼女は亜人だ。ヒトと比べて極めて生命力や抵抗力が強い。それに関しての心配は少ないだろうが、なにせ初めてだからな。データがなにもないんだ」



 アゼルよりもジャックの言葉が理解出来る迅八は、言葉を変えながらアゼルに説明した。アゼルはそれを黙って聞いていた。



「しかしあまり心配はするな。……聞いたが、クロウが自分の体から取り出したのは『患者自身』の肝臓らしいな。それなら免疫や抗体の問題はないし、感染症は恐ろしいが、何かが起きても私が処置をすれば平気だろう。問題が起きたらまた連れてこい」

「クロウが取り出したって……なにそれ? 」

「今、ロココの腹の中には、クロウが変化した自分から取り出した肝臓が入っている。あいつはなかなか大したヤツだ」


 ティー達と対峙した時の急激な不調。吐血。その時の事を思い出し、迅八は青くなった。


「……あの時、俺、肝臓無くなってたの!?」

「おまえさんの事も聞いた。目茶苦茶だなおまえらは……。医学をバカにしている」


 そう言ったジャックは、迅八の肩に手を置いた。


「だが、……助かった。よくやった。そのふざけた体に感謝しろ」

「肝臓なくなっても平気なんだね。人間って」

「平気なはずあるか。長期的に見れば必ず死ぬ。だが、その前に再生するんだろう? ……本当に、医学をバカにしている」


 吸血鬼のひやりとした手からはなんの熱も感じないが、それでも伝わる温もりがある。


「よくやった。おまえさんが助けた」

「そんな……。俺はなんもしてないよ」

「それでもだ。それでも、日本人。おまえさんが助けた。クロウが助けたぞ。そして、あの母親の娘が助けたんだ。……私がやった事は、技術さえあれば誰でも出来る事だ」

「そんな事はないよ。あんたがいなかったら……ジャック、本当に、本当にあり、」

「……待て迅八。その言葉(・・・・)は言うな」

「え……」






 迅八の視界で、朝焼けは輝きを増してゆく。その光の波の中で、吸血鬼は消えてしまいそうに細く見えた。


「……そう言えば、日光大丈夫なの?」

「短時間ならな。おそらく、この体はヒトと比べると、先天的にメラニンが欠乏している。長時間日光に当たると、」

「もういいよ医学は……。難しいんだよ」


 迅八のその言葉で、初めて吸血鬼の顔がほんの少しだけ緩んだ。


「この世界では知識を披露できん。少しくらい付き合え」

「簡単な話ならいいよ。医学はもう勘弁してよ……」


 本当に小さく。消えるような笑い声が吸血鬼の口から聞こえた。


 黄金の朝は枯れた大地を照らす。

 その上に広がる地獄を照らす。

 ジャックは訥々(とつとつ)と喋り出した。


「昔の話だが……」

「もういいよ、難しい話は」

「大きな戦いがあった。……戦争だ」


 迅八はそこで言葉を止めた。

 おそらくジャックは、この世界の事ではない話をしようとしている。


「……久しぶりの、元の世界の人間だ。少しくらい話に付き合え」







 ————————————————







 ……戦争末期に生まれた俺の育った場所は、町とも呼べない小さな村だった。他国との国境にあるその村は、当時にしては珍しいちゃんとした学校があった。


 いくつもの民族が住む国。

 その中でも外れに位置する俺の村は、ほとんどが主流民族の奴らで占められていた。

 もっと大きな村や町なら人口の比率も変わる。その小さな村では俺の民族は少ない。いじめられた。


 それでも学校の先生は良い人だった。

 俺の人生に啓示をくれた。



『暴力ではなくて、ちゃんと見返してやりなさい』



 俺は勉強をした。頑張った。

 いじめっ子達は心底から嫌な奴らではなかった。

 他民族の奴にも凄いやつはいる。

 そう認めてくれた。


 俺の人生は光に包まれていた。

 村一番の天才。俺は良い学校に進学した。

 先生は泣いて喜んでくれた。

 かつて俺をいじめていた友達。

 付き合ってみるとすぐに仲良くなれたそいつらと、固い握手をして別れた。


 俺は、人の役に立つ事がしたいと思うようになった。人に褒められたかった。尊敬される仕事につきたかった。けれど、俺は色んなハンデを背負っていた。


 人種、経済面、誰もが諦める『運命』。

 ……運命を。

 俺はそれを乗り越えた。


 俺は、夢を叶えた。

 人を救う人間。

 医者になるという夢を叶えた。













 ……医者になりたての俺はまだまだ修行中の身だった。熱意だけはあった。人一倍に。

 そんな俺を見出して、当時としては珍しい分野に俺を誘う先生がいた。今思えば、あそこが俺の人生の分岐点だった。——癌医療。


 癌の歴史は古い。遥か昔から存在は確認されていた。しかし、理由が分からない。

 俺がその分野に踏み込んだ時でも、何も分かっていないような状況だった。


 人々の間で「癌」の認識が広まり患者が増えた。それに伴い研究者も増えた。

 幾つもの失敗を繰り返し、俺の医者としての素養はこの頃に作られた。






 ——1960年代に入り、現場の俺は目まぐるしい日々を送っていた。幾つもの失敗。たまにある成功。

 研究者達の間でも、遅々(ちち)として成果は上がらない。効果的な薬などなく、発見された癌をただただ切り取るだけの日々。


 切り裂いて、切り裂いて、縫って縫って。……自分の心も傷付けられる。


 そんな日々を何年も過ごした頃に、一つの素晴らしいニュースが届けられた。——発癌性ウイルスの発見。


 それが正式に認められ、ずっと昔からその存在を主張していた研究者に、ある賞が贈られる事になった。誰でも知っている世界最高の賞が。


 その日の夜、俺と先生は涙を流しながら祝杯をあげた。異端者呼ばわりされていた研究者の主張が認められた事に。癌医療が前進した事に。

 理由がわかれば方針が出来る。研究者も増える。切り取るだけではなく抜本的、根本的な治療へのアプローチが取れる。薬の開発も進むかもしれない。

 すぐに成果が出るものではないが、そこまでの光が見えたんだ。


 1966年。発癌性ウイルスが世間で認められ、研究者に賞が贈られた年。

 俺達みたいな現場の医者が、微かに見えた希望に涙を流したその年に。

 ……俺の国では絶望が幕を開けた。













『……先生。なんで俺たちがこんな事を』


『患者は患者だ。出来る事をしろ』



 俺の仕事場には、毎日毎日、怪我人が運び込まれてきた。癌とは全く関係ない患者。……暴行を受けた跡。


 骨折した男の腕に添え木をしてやる。

 経験した事もないのに薄い知識を頼りに出産に立ち会い、赤子を取り出した事もあった。


 ——私の息子が連れて行かれた


 泣きじゃくる老婆の話をただ聞いてやるだけの時間。医療ですらない。……いや、そういう医療だった。話を聞くという治療。

 朝から晩までそれらは続く。まるで戦場医のような日々。分野も何も関係ない。


 あの年。希望に涙を流した年。

 その年を境に全国から減っていく医者。俺や先生みたいにまだ残っている医者の元に、救いを求める人々はやってくる。






『……革命の波はすぐそこまで来ているようだ。ここも安全ではないかもしれん』


 夜。食事をしている時に先生がそんな事を言った。革命。俺達の国を襲った革命。……知識人や富裕層を主に対象とした、革命という名の嵐が。


『先生……。俺達はどうすればいいんですか?』


 仲間の医者はどんどん少なくなってゆく。

 話によると、連行された者は農村部で強制労働に従事させられる。この時の俺はそんな事は眉唾だと思っていた。

 けどな、後になってから知ったよ。

 もっと酷い結末もあったんだ。



『私にツテがある。おまえはこの国を出ろ。そこで医療を学べ。先進医療を学んでこい』


『先生はどうされるんですか』


『私はここに残る。患者が居るんだ』


『だったら俺も……!!』


『おまえは行け。未来を学んでこい。そして、この国に帰ってこい。学んだその技術で、沢山の人を救うんだ』



 先生はこの時、覚悟を済ませていたんだろう。






 ……先生のツテを頼りに医療先進国に逃げた。暗い船の底で揺られて、ゲロにまみれながら。


 辿り着いたそこで、俺は更に努力した。語学の壁。人種の壁。……そんなものには慣れていたしな。幾つもの運命を乗り越えて、俺は医者として成長した。


 ——俺の国はどうなっているのか。

 時々、……時々じゃないな。毎日思っていた。

 先生は、どうしているんだろう。

 小学校の頃の恩師はどうしているんだろう。

 友達は……。

 革命の詳細は、何も伝わってこなかった。



 1977年。革命は終わりを告げた。

 俺はすぐに自分の国に帰った。

 帰ろうとする俺を引き止めてくれた人たちが大勢いた。その人たちに別れを告げて。


 ……戻ってきた時、もう、そこは俺の知らない国だった。

 先生は死んでいた。

 小学校の恩師も死んでいた。

 友達の何人かに会った。彼らの身内や知り合いも、大勢大勢死んでいた。


 弾圧と粛清。革命が通り過ぎた跡。

 俺達の仲間は、……俺達の仲間に殺された。



 自分の力を。医療の力を。

 人間の光と闇を。その全てを疑った。






 ……幾つもの失敗が俺を切り刻む。

 その頃に出会った隣の国の一冊の本。


 戦争末期に生まれた俺は、その国が好きじゃない。それでも、他民族にだって凄い奴はいる。

 その本は俺の人生の聖書になった。


 俺も、この本の主人公のようになりたい。

 失敗はする。泣くこともある。

 しかし、主人公は負けない。

 そして、大抵誰かを助けるんだ。



 闇を乗り越えた俺の人生は、光に包まれていたはずだった。







 ————————————————







 黄金の夜明けは、地底墳墓近辺を照らす。そこに転がっている幾つもの死体。


「……昔あった戦争で、俺の国とお前の国は敵同士だった。こんな光景がどこでもあったんだろうな」


 迅八は、その言葉に何も返せなかった。


「革命の時はこんな光景はなかったんだろうが、……戦争と同じ位に人が死んだよ」


 赤黒い光景。もう、どうにも出来ない残骸。


「戦争も革命も昔の事だ。何が正しくて誰が悪かったのかもよく分からない。……ただ、人は死んだよ」


 ジャックの目は凄惨な光景を余す事なく見つめている。真っ正面からそれを見る。


「……迅八(シュンバー)、こいつらは、おまえが殺したのか?」

「違う。けど、ジャック、ごめん。俺、なんも出来なくて」

「なら、別にお前のせいじゃないだろう。それにな、私もこの世界は長い。綺麗事だけで済まないのも知っているよ。……ただ、それでも私は死体を好かん」


 真紅のローブの男は静かにその光景を見つめている。何も言えずにその男を見ていた迅八の手を、そっとアゼルが握った。


「ジャック。……あんたは、なんでこの世界に。理由は知らないのか?」


 ジャックはその場で腰を下ろした。黒いズボンの片膝を掴み、握りしめたシワを強く見た。


「さあ……。理由は分かる筈がないが、元の世界で最後にあった事は覚えているよ。あれがきっかけとなったんだろうな」

「聞かせてくれ。俺は、この世界の事を知らなくちゃいけない」


 迅八は、もう元の世界に戻るつもりなどない。明日、目が覚めたら、シズを置いて、アゼル達を置いて、自分だけあの世界で目が覚める。

 そんな事を考えただけで、迅八は震えてしまう。



「……お前の国の本。あの本に出会い、革命後に打ちひしがれていた俺は、なんとか戦場に戻る事が出来た。医療という戦場だ。負けても、立ち向かう気になった」



「俺みたいな外科医にとって、分野や程度にもよるが、失敗というのは患者を死なせる事だ。……そして、失敗しない人間はいない。心のどこかを麻痺させないと続けられん」



「ある時だ。……失敗してしまった。

 いや、失敗ではなかった。医療は、完璧にやってもどうにもならないときがある。その時がそれだった。医者にとっての地獄はその後で襲ってくる」



「患者の両親が俺を訪ねてきた。

 俺は覚悟していた。罵倒される。胸ぐらを掴まれる。そんな事は何度もあった。……麻痺させた心で事務的に頭を下げる俺の前で、その両親は、予想外の事をした。涙を流して土下座した。——『ありがとう』」













「……息子の為に全力を尽くしてくれてありがとう。あなたは世界で最高の医者だ。あなたに無理だったら世界中の誰にも無理だと聞いた。私達の息子の為に全力を尽くしてくれてありがとう」



「……息子が召されたのは、仕方ない(・・・・)事だった」






「……運命だった」













 いつの間にか。

 迅八の事を支えるように繋がれていたアゼルの手が、ひどく震えていた。


「……今なら分かる。あの両親は俺を気遣って、自分達の心が壊れないように、その言葉を使った。人間は、強くはいられない。何かのせいにしないと立てなくなる時がある」


 気が付くと、立ち込める血の匂いに引きずられる。地平線を見つめるジャックの目は昏い。


「だがな、迅八(シュン バー)。そんな運命、あるのか……?」













「あ……」


「きっかけは多分あそこだな。心が砕かれた。気が付いたらこの世界にいた。元の世界とは違う体、——吸血鬼となり転生した」


 ジャックは立ち上がる。

 その体には跡が見える。

 命を懸けた戦いで負った傷。キャンサーから攻撃された跡が。

 そしてその傷とは違う日光による火傷が、新たに出来始めていた。


「そろそろ時間切れだ。話に付き合わせたな」

「ジャック、……」

「あと、聞きたい事がある」

「……なに? なんでも答えるよ」

「何故ここに来た? まさかアルトリウスか?」

「え? 王様のこと知ってるのか?」

「あの男……。これだから日本人は」


 ジャックは口に手をやりブツブツと呟いている。その時、いじっていた唇から煙があがった。


「これ以上は本当に怪我するな。……迅八、患者を連れて帰れ。近い内にまた会うだろう。向こうにお前らの仲間の気配がある。クロウもそっちに行ったようだぞ」

「あの、ジャック! 待ってよ、まだ俺も聞きたい事があるんだ。あの発電機は……この世界に、電力が」

「迅八、それも今度だ。……大丈夫だ。本当にすぐに会う事になる」


話を打ち切ろうとしたジャックの目を見て、迅八は言葉を止めた。そして、一番伝えたい事だけを口にした。


「ジャック、あんたが居てくれて良かった。本当に……」

「なんだ? もう勘弁してくれ。火傷が広がる。私は休むが最下層の処置室にメスカルが居る。患者を引き取れ」

「本当に、ほんとに」


 ——ありがとう。

 迅八がそう言おうとした時。


「やめろ。今の話を聞いていなかったのか? 私にその言葉は禁句だぞ」



 ジャックの胸がひび割れる。

 一瞬でそれは全身に広がり、その体は爆散した。


「うおっ、こうもり……!」

《……迅八。すぐに会う事になる。考えておけ。おまえさんがこの世界に居る意味を》

「え?」

《私はジャックだ。地底墳墓のジャックだ。この世界に来た時、絶望と共に歓喜も襲った。……永遠に近い体で医療を追求出来る》


 コウモリは不思議な音を鳴らしながら渦を巻く。


《おまえさんの使命はなんだ? おまえさんがこの世界に来た理由は知らんし、きっかけも知らん。だが、なにも見つけられないのなら……繰り返しになるぞ》


「ジャックッ!」


 迅八の返答を待たずにコウモリは宙高く舞い上がる。無数の羽音を響かせながら地底墳墓に消えた。





 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「ジン……」

「すげえなあいつ……」

「……うん」

「俺達にもやる事が出来たみたいだな。王様になんて報告すりゃいいんだ? ジャックを守らなくちゃダメだ。それは絶対だ」


 数え切れない死体と、そしてジャックの事も。『愚王』アルトリウス・ロンダルシアにどう説明し、納得させればいいのか。


「そういや、アマレロとクーロンも来てるんだ。みんないるらしいよ。馬車に行ってニコ達を連れて帰る為に手伝ってもらおう。……ロココさんは強く動かせないだろうし、動かして平気なのかな……」

「ジャックが平気だって言ってるんだ。きっと大丈夫だよ。……それと、クーロン達がいるのか? なんで?」

「だから、それも詳しく確かめよう。行こう」

「うん」


 アゼルの手を迅八は引く。

 長い夜の様々な事に頭の整理が追いつかない。


 地底墳墓のジャック。

 そして、デッドエンドイースト。

 あの意味不明の男の事も。


「……時を、遡(さかのぼ)る」

「なっ」


 イーストが言っていた事を思い出した迅八の声に、何故かアゼルはひどく反応した。


「ん? どうしたんだよ」

「今、なんて……」

「いや、敵が言ってた。なんか、得体の知れない奴だった。二度と会いたくないよ」

「…………」


 きゅっと、強くしがみつくようなアゼルの手に、迅八は困惑した。


「アゼル? ど、どうしたの?」

「……別に。なんでもないよ」


 朝焼けを背景に二人の影は伸び、運命が交差する長い夜は終わりを告げる。

 敵も居る。味方も居る。

 この世界には色んな奴が居る。

 迅八は考える。

 己の使命を。


(俺は……)






 夜の帳(とばり)はとうに消え、近くの小高い丘の上から、自分達に手を振る影が見えた。


「とりあえず行こう。アゼル」

「うん……」

「ほら、誰か手ェ振ってるぞ。クーロンか? ……おーい!!」


 迅八も手を振り返す。

 アゼルと結んだその手を。

 長い夜、アゼルが女の子みたいだった夜の、ほんの少しの残滓(ざんし)を。


「ちょ、ちょっとやめろよ!」

「え? なんで?」

「見られちゃうからっ……!」

「なんでよ。友達は手くらい繋ぐよ」

「おまえ、ジークエンドの前でそれ言えるのか?」


 迅八はすぐにその手を離し、長い夜の残滓も消えた。




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