サイレントウィスパー
迅八は、岩場の陰でへたり込んでいた。
山場は終わった、そんな直感がする。
静けさが戻り始めた夜の中で、パキパキと小さな音を立てながら、肉体は理由も判らず回復する。
しかし、それに精神が追いつかない。
「ジンッ、大丈夫だったかい!? ……あぁもうっ、クロウ、あんたなにやってたんだいっ、この良いとこナシッ」
「おい、もうそのガキはほとんど無傷だろが!! もっと俺様を労われや!!」
クーロンは迅八に駆け寄ると、その胸に優しく頭を抱いた。
「坊や、大丈夫っ!? 痛いとこないかい!?」
「いや、ちょ、ちょちょっ……」
クーロンは、アマレロから奪った青いコートを着ていた。大きく開かれた襟から見える胸の谷間。
その下の薄く割れた腹筋を露出させ、ヘソの下だけコートのボタンを留めている。身を包む青いコートは、高い位置にある腰の部分だけを隠していた。
そしてコートから外に出ている部分。顔も、手も、谷間も、ヘソも、長い足も、全てが美しく、血に濡れている。
とろりと。それを見ていた迅八の鼻から、血が流れ出た。
「やっぱり怪我してるんだね!?」
「……お〜。突っ込む気も失せるぜ」
「いや、怪我だよ。これは怪我だからっ、ほんとだから!!」
「ほらほら、大丈夫かい?」
クーロンはコートの袖を伸ばし、迅八の顔を拭いた。
「おいおい、おめ〜、それ俺の服……」
「コラ小僧。テメエ、なにをこんな状況で、」
「……黙りな」
——ギラリと。
アマレロは黙った。
クロウも黙った。
・・・・・・・・・・・・・・・
「クーロン、二人はなんでここに? なんで、サグラダと戦ってたの?」
「あたし達もジジイの使者から命令を受けてここに来た。ジークエンド達も来てるよ」
「お〜、サグラダの野郎は急に襲ってきやがったな〜。『大物』と一緒に来てやがったのか〜?」
「大物? ……イーストの事を言ってるのか?」
迅八は思い出す。
今は去っていった脅威。
形を持った地獄のような男を。
「さあ……、それが誰かはあたしらは見ちゃいない。けど、とんでもない奴がこの戦場に来ていた。クロウ、あんたらは会ってないのかい?」
「いいや、会ったぜ。二度と会いたくねえな。……おかしなモンを持ってやがった。アレは厄介だぜ」
「ところでよ〜、アゼルはどうした? あいつらはどこに居やがる?」
迅八は、クーロンとアマレロに説明した。
ロココの病、異世界癌。
それを治す為には『回復術』ではなく『外科手術』が必要であった事。
そして、地底墳墓のジャックはヴァンパイアロードだが転生者でもあり、その為の技術を持っていた事を。
「人間が魔物になる病……?」
「……ほ〜」
「二人とも、なんか知ってるのか?」
「いや、ただ、……やめておこうか。今じゃなくてもいい話だよ。それより、アゼル達の事を放っておいていいのかい?」
「俺たちは地底墳墓に戻るよ。二人はどうするの?」
「お〜、ジークエンド達が気になるな。一足先に馬車に戻るぞ〜」
「じゃあ、頼みたい事があるんだけど」
迅八は、自分が来た方向を振り返った。
その先には地底墳墓の入り口があり、おそらく、ティー達はまだそこに居る。
「……坊や、そいつらを回収して欲しいって事かい? それは無理だね」
「え、なんで、」
「おめ〜は知らね〜が、俺たちもそいつらと今まで戦ってた。そりゃ難しいんじゃね〜のか〜?」
迅八はすがるようにクーロンを見た。
その視線を受けたクーロンは、困ったように眉根を下げた。
「……そんな目で見るんじゃないよ。いいかい? 別にあたしらは平気だよ。本当の敵って訳じゃないからね。……けど、誰も殺しちゃいないが襲ったのはこっちからだ。向こうにとってはあたしらは本当の敵だよ」
「待てジンパチ。あの女共は平気だろ。……ま、俺様にとっちゃどうでもいいこったが」
「なに言ってんだよクロウっ、平気なはずないだろ。あんな怪我してるんだぞ!!」
「テメエがなに言ってんだ。さっきまで戦ってた相手に……。まあそりゃいいわ。大丈夫だよ。『平気』だ」
クロウは空を見る。
星の明かりと月の光。——それとは違う、遥か遠く白銀の輝きを。
「この魂の匂いは……。多分、あいつがどうにかすんだろ」
「あいつ? 誰の事?」
「覗き野郎だよ。いや、覗き女か。似合わねえ趣味だ」
クロウは、空を見上げて顔をしかめる。
その横で、クーロンが口を開いた。
「坊や、とにかくあたし達は馬車に戻る。あんた達も、出来るだけ早く戻ってきな」
「そういえば、シズは? まさかあいつも来てるのか!?」
「来てるよ。だからそれの確認もするんだ。……大丈夫さ。シズにはジークエンドとコルテがついてるから」
「行くぞ〜クーロン。お〜坊主、ウダウダやるより動け。話すのは後でもいいぞ〜」
その言葉を最後に、二人は丘を登っていった。
「……クロウ、シズがどこに居るか分かるか? あいつは無事なのか!?」
「平気だ。魂を感じる」
その言葉だけで、迅八の足から力が抜けた。
「そっか、良かった……」
「さて。俺は行くぞ。おめえは地底墳墓に戻るんだったら、これ以上の傷を作るんじゃねえぞ」
「お前はどこに行くんだよ?」
「上」
クロウが空に向かい指を立てると、魔人形態のその背中から皮膜の翼が広がった。
「ちょ、お前どこにっ」
「だあ〜かあ〜ら、上。……覗き女に会いに行く」
——バサッ。
音を鳴らし、翼が風を叩く。舞い上がる砂埃から迅八は顔を庇う。
再び前を見た時には、クロウは消えていた。
————————————————
「急に一人にされちゃったよ……」
地底墳墓 入り口前。篝火は闇を揺らす。迅八はティー達の姿を探したがどこにもいない。場所を移動したようだった。
「ふう……疲れた」
意識して空を見上げる。
地上には、惨劇の跡がある。
「……マジかよ」
迅八は自分の心を探り、驚きの声をあげた。
落ち着いている。慣れてきている。
星の明かりは地上を照らす。
目をこらせば広がる光景は目に入る。
しかし、無視しようと思えば、無視する事も出来るのだ。元の世界の人間達の死体に囲まれて、自分の心を守るための行動が取れる。
もしも、同じ光景を、元の世界で見ていたのだとしたら。
「……は。こんなの、普通に小便漏らすだろ」
それよりも強く疲労を感じる。
肉体は癒されても精神が追いつかない。この場に横になったら立ち上がれなくなりそうな精神的疲労。死体に囲まれた場所であったとしても。
「ニコ達のとこに戻る前に、少しだけ、休みたい……」
迅八は血を流す戦いをしていた。
暴力。その果てには人を殺す戦いを。
しかし、地底墳墓 最下層ではそれ以上の戦いが繰り広げられているはずだ。生命を繋げる為の戦いが。
「今戻ったら、倒れるぞ……」
本当に、少しだけ。
どこかに座り、休息がしたい。
迅八が辺りを見渡した時、その影に気付いた。
「……アゼル?」
「あっ……」
篝火は照らす。赤毛の少女の震える体を。
迅八はその様子を見て、何故か心が震わされた。
「……どうした? 下でなんかあったのか? ロココさんは、ニコは……」
「いや、もう大丈夫だ。あのヴァンパイアは、ジャックは凄いな。平気だよ」
「じゃあおまえ、こんなとこで何してんだ?」
「ん、外の空気……吸いたくて」
辺りには血の匂いが立ち込めている。
地底墳墓 最下層の酸鼻、それにも負けない地獄が広がっている。とてもではないが、こんな場所で新鮮な気分にはなれない。
「下の方がまだ良いんじゃ、」
「……あそこは嫌だ」
要領を得ないアゼルの言葉。
その顔はずっと下を向いている。
「分かった。じゃあ、ちょっと向こうで休憩するか?」
やはり、地底墳墓 最下層でも戦いは続いていた。命を懸けた戦いが。
——ほんの少しだけ休息を。目の前で憔悴しているアゼル、そして自分にも、それが必要だと迅八は思った。
篝火の明かりから逃れる様に光の外へ。戦場から離れ、小高い岩の上へ。星空の下へ。
迅八は、アゼルを隣に座らせた。
力なくうなだれる少女の顔は見えない。その膝の上に、ちょこんと両手が置かれている。
「……どうしたのアゼル。本当に、ロココさん達は大丈夫なのか?」
「それは本当に大丈夫。心配しないでいい。ジャックはやり切る。……わたしとは違う」
「え?」
——遠く。ずーっと遠く。
どれだけ遠いのかもわからない位に遠く。
空に輝く星は地上を照らす。
篝火は遠くなり、目は星空に慣れる。
自分達が座っている岩の、ザラザラとした質感。
かなり離れた場所にある、転がっているなにか。
その、『なにか』から目を逸らし、迅八は自分の隣の少女を見た。星が照らすまつ毛。そこから落ちる雫。
いつの間にか、無音の夜。
————————————————
「は? ……ど、どうしたんだよ。ちょっと待てよ。なんで泣くんだよ」
「うるさいな」
「……どうしたの? アゼル」
「別に」
「別にって事ないよ。……どうしたの?」
「うるさいんだよお前。黙ってろよ」
「え〜……」
「……おい」
「ん?」
「なんか喋れよ。気が利かないなおまえ」
「……ていうかさ、おまえマジなんなの? それ本当に? 友達少ないでしょ?」
「そんなもんいない」
「あ、そ、そうなんだ……」
「……本当に、どうしたのアゼル。聞かせてくれなくちゃわからないよ」
「だからっ。なんもないって言ってるだろっ」
「なんもないって……。俺、あんま慣れてないんだよこういうの」
「だったら黙ってろよ」
「いや、おま……」
「……えと、アゼル」
「なんだよ。なにすんだよ。……手、握るなよ」
「なんもしないよ。けど、そばにいるから」
「うるさいっ。気持ち悪いなっ」
「おまえ、可愛げなさすぎじゃない……?」
「……昔ね」
「…ん?」
「昔ね」
「うん」
「……姉さんみたいな人が居た」
「優しくて、面白くて、……優しい人だったんだ」
「優しい二回言ってんぞお前……痛っ、手、痛いって!!」
「でね。わたしを凄く可愛がってくれてたんだけど、死んじゃった。殺された」
「……ん」
「わたしを守って殺された。わたしの代わりに殺されたの」
「……そっか」
「……なんだよ。そっかって」
「ごめん。なんて言ったらいいのかわかんないよ。……けど、聞くし、そばにいるよ」
「……気が利かないな」
「アゼル」
「……なに?」
「よく分からないけど、俺、転生者だから、よく分からないんだけど、うまいことも言えないんだけど」
「…………」
「俺もシズも、お前の友達だから、……そばにいるよ。だから、平気だよ」
「………………」
「友達……かな?」
「ち、違うかな? そうじゃない? ……そうだろ? そうだって!!」
「……そうかも」
「え」
「……あ、あの、アゼルさん。ちょっと、手が、俺汗ばんで、気持ち悪いだろ」
「いいよ。……友達なんだろ」
「お……、うん」
「……ともだちだったら、そんなの気にしないから。いいよ」
「ん……」
「……ところで、お前、この汚い布ずっと巻いてるけど、なにこれ? 外せよこんなの」
「嫌だよ。大切なもんだから」
「大切って、汚いなあ……。ボロボロじゃないか」
「ん。けど、嬉しかったから」
「嬉しかったって……誰かに貰ったの?」
「お前がくれたんだろ」
「……え?」
「大草原でアゼルがくれたんじゃん。本当に、嬉しかったんだ。ありがとな」
「…………え?」
————————————————
突然、その手は離れていった。
「ど、どうしたのアゼル」
「な……、いや、別に」
さっきまで顔を下に向けていた少女は、何故か横に顔を背けた。
「いや、そんな……なんか急に手ぇ振り払われると、ちょっと傷付くんだけど」
「べ、別に……。そういう意味じゃないからっ」
星が落ちる。
夜の天幕の向こう側にはもう朝が来ていて、流星がそこに穴を開けると静かな光を撒き散らす。
そこから零れる光の雫が、そっと少女の顔を照らす。その顔は、どことなく赤く見えた。
「……け、けどそうだな。まあ、友達はいいかもな。はははっ」
「前から言ってるじゃん。お前とかクロウはやたら嫌がるけどさあ。仲間だし友達でいいじゃん」
「そ、そうだな。……けど、あれだろ!? 友達は、手は繋がないんだろ!?」
「うーん。男同士は繋がないけど、女同士とか異性とだったら繋ぐんじゃないかな」
「だ、だって俺たち男同士だろ!? 繋がないよっ!!」
「お前、それまだ続けるつもりなの? もういいじゃん。人いない時は」
「うるさいっ!」
「ぐふっ!?」
「あ、ご、ごめん! つい……」
「ついって……。ついで手ぇ出すんじゃねえよ……!!」
無音の夜に、いつしかくすくすと笑う声が聞こえた。どちらからだったかは分からないが、気が付くと、迅八とアゼルは二人で笑いあっていた。
二人の上を流星は流れる。
迅八達の事を見ているように、幾つも幾つも流星は流れる。
「流星群かあ……」
元の世界で聞いた事はあるが、実際に目にするのは初めてだった。迅八が横を見ると、アゼルも星を見ていた。
「さてと……。そろそろ戻るか。混乱してニコを放って置いて来ちゃったよ。行こうジン」
「……そうだな。あーもう腹痛いんだけど」
「笑いすぎてか?」
「お前に殴られてだよ!!」
「じゃあ行こう。……ほら、早く行くぞ」
「じゃあ、じゃねえよ! ……おまえ、おまえ!」
「どうせすぐ治るだろ」
笑いながら迅八の肩をバシバシと叩いてくるアゼルの力。先ほどまでの弱々しさがない。
顔の赤みも抜けて、いつもの顔で迅八を見ている。
「……どうしたんだよ。わたしの顔になんか付いてるか?」
夜の天幕は引き剥がされ、向こう側から朝が。地平線の彼方から光は差し込む。
迅八の前では、背中から光を受けた少女が、優しく笑っている。
自分を助けてくれた、赤毛の女の子。
日の光を浴びて光っている。
「……まあ、いっか」
「なんだよ、おかしな奴だな」
「いや、なんでもないよ。……アゼル、ほら」
「ん?」
「友達でも、手くらい繋ぐよ」
迅八が手を差し出すと、アゼルは固まった。
「お……え……」
「ほら」
「え? ……なんで?」
「いや、なんとなく……だけど。ダメかな?」
「え? え!? ……わかんない。わたし、友達いないから、わかんないよ」
顔を赤くしているアゼルを見て、我に返った迅八の顔も赤くなった。
寺田迅八には悪癖がある。
感情が高ぶると、思った事を口に出して誤解される。誤解ではないかもしれないが。
(……これ、俺、完璧に口説いてるんじゃねえのか!?)
差し出した手を引っ込めるかどうしようか迅八が迷っていたその時。朝は、光と一緒に現実を連れてやってきた。
自分を助けてくれた特別な女の子。その向こう側には赤黒い川が流れる。
その景色を見て思い出す。麻痺していた嗅覚、この場所にずっと漂っている匂いを。
——ふぃ〜ん……
ハエのような虫が耳元を通り過ぎる。虫が向かっている先には花が咲く。
枯れた大地は大量の水分を浴びて赤黒く染まる。
苗床に撒かれた絶望の種は、光を浴びて発芽する。日の光を浴びて地獄は芽吹く。
「お……!!」
目が合った。
数メートル先に転がっている頭と、目が合った。
元の世界の人間、見慣れた顔立ちの生首。戦場のそこかしこに点々と残骸は落ちる。
吹き飛ばされた手足が、それを守っていた鎧が。匂い立つ生々しい戦闘の跡、数十メートル先に獣の姿が見えた。……食っている。『日本人』を。
迅八の目の前で、食われている。日本人が、動物に。
「な……」
「……ん?」
アゼルは振り返ると、息を止めてから静かに言った。
「ジン。……よくある光景だよ」
迅八が差し出した手が震え出す直前、アゼルはその手を優しく握った。
こうして、二人は友達になった。




