叫び
「……出にくい。あんのクソガキが」
第三階層大広間。
そこから響いてくる大声に、クロウはげんなりした。ウンザリした。
「だあ〜れが相棒だ。……おちょくってやがんのか。この俺様を」
千年の時を越えた大悪魔。対等な者など存在しない自分に。
「あ痛っ! ……クソッタレ。なんでこの俺様がっっ!!」
熱い。寒い。
千年の長い時の中で、クロウにとって『記憶』は忘れている事柄の方が多い。ただ、それでも断言できる。こんな状態になった事はない。
心臓を貫かれた事はある。内臓が傷付いた事もある。だが、臓器が丸々一つ無くなった事など一度もない。
「……どうやら、ねえからといってすぐに死ぬようなもんでもねえらしい。だが……」
不調。絶不調。
魂の再生で肝臓が生えてくるまでこの状態。
おまけに大広間の中では迅八が敵に向かい吠えている。命を賭けた戦闘中。
「…………クソッ。厄介なガキが」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「燃おおおおおえ尽きろオオッッ!!」
迅八に向かってまっすぐ走り出した男に火球を投げつける。男は一瞬で炎に包まれた。
「くかかかかかかッッ!! だあ〜れが相棒だと!? こんのクソガキが!! 見ぃろオッ、みなぎる超・俺様ッッ! ……くぉの俺様がチンケで哀れなガキに、ちっとだけ手を貸してや、」
……魔界の炎は燃える。
ごうごうと唸りをあげる炎の柱。
それが、クロウの方を向いた。
「……クロウ? おまえが、千年の、……大悪魔」
ずり。
その炎は進む。
ぶすぶすと煙をあげ、肉の焦げる匂いが。だが、何故か炎はすぐ消えた。
「……………あ、あ、あ、あ、あああああっ! クロウ、待ってた……探してたんだ……!! 会いたかったんだ!! クロウウゥ……ッッ!」
涙を流しながら笑い続ける男。
その瞳に浮かぶ。……ドス黒い歓喜が。
「……おいジンパチ、相棒。おめえさっき、なんかカッコイイ事言ってたな。確かこの道にはおめえが居るんだろ? いやいや、俺はおめえを信じてるから帰るぜ」
「…………やだ。帰っちゃやだ。俺一人であんな奴の相手すんのやだよ!! 助けてよ!!」
いつの間にか迅八から離れ、革鎧の少女を抱きしめているティーが叫ぶ。
「ちょっとあなた達!! イーストが来るわよ!!」
「 ……クロウ、あいつやばいぞっ!!」
「てめえに言われねえでもわかるわっ。来るぞ!!」
双剣を両手に下げて、形を持った地獄が動き出す。振るわれる漆黒と無垢、——叫びのような剣。
「『ブレイクビーツ。……ベイビーソング』」
「『ワルギリア』ッ!」
「『迅九郎』!」
ぎゃんっ! 鋼の撃ち合う音が響く。
壁から落ちた松明が、床を転がりその男の顔を映し出す。デッドエンドイースト。攻略組最凶、——地獄の中から来た男。
「……見せてくれ。見せろクロウ。……おまえの力を全部見せろ。持ってるんだろ? ……持ってるんだよ。持ってる。持ってるぞっ!!」
押される。闇に輝くワルギリアが。クロウが両手で撃ちかかった剣が、片手の白剣に押されている。
「なんだてめえ……。なぜ、俺様を!!」
「あ、あ、あ、あ、あああああ。クロウ……、はやく、早く見せろ……!!」
ワルギリアが自分の肩に食い込む。
ぎりぎりと押される。押され続ける。
(……クソッ! 調子が出ねえ!)
だが、それとは関係なく。
押し返そうと力を込めたワルギリア。その向こうに年齢不詳の男の圧力。ヒゲだらけの顔。
爛々と。
ぶしゅぶしゅと。
口からよだれを垂れ流し、涙を流し、笑っているその男。誰もがこう言う。
「……なんなんだてめえはっ!? オオオオオッッ!! カウザルクロウ!!」
振るわれる赤い右手。
クロウの拳がイーストに直撃し、その体を吹き飛ばす。今まで吹き飛ばされるだけだったイーストが、初めて受け身を取った。近くの柱に足をつき、魔獣のしなやかさでそのまま床に降りる。
「……今のは、違う。……もっと見せろ」
「なんで効かねえッッ!?」
クロウは自分の横に立つ迅八を見る。
(迅八と同じ……!? いや、何かが違うっ!!)
魂の気配を探ると、やはりどこか違う。イーストの体にまとわりついている力。
「……おめえ、邪神と契約でも結んでやがるのか? なんだ、その訳の分からん力は!! 忌々しい力は……!!」
迅八には、完璧に効かない。
イーストの場合、途中でかき消されるような感触。
「……俺にも分からない。元の世界にいる時からこうだったんだ。……死ねない。死ねないんだよ。車は俺を避ける。ロープが切れる。他にも、他にも……」
再びイーストが剣を握る。
イーストが走り出そうとする寸前に、迅八の呟きのような疑問が出た。
「おまえ、死ねないって。 ……自殺してこの世界に来たんじゃねえのかっ!?」
「……息を止めた」
「なに、どういう、」
「…………何をしても死ねない。だから、呼吸するのをやめた。……苦しかった。けど、それしか方法がなかったんだ。……それでも目を覚ました。この世界で」
戦いは再開される。
少年と大悪魔に迫り来る、形を持った地獄。——デッドエンドイースト。
第三階層大広間。
無音の叫びに支配される静寂の空間で、長い夜の戦いは佳境に入る。
————————————————
「フゥッ! ……フッ、フッ! は、はっ……」
地底墳墓最下層。——処置室の戦いも、佳境に入ろうとしていた。患者は覚悟を決めた。ならば医師も覚悟を決める。
(……この患者は死なないっ!!)
更に骨を切る。
ざり、ざり。ごり、ごり、ぼぎん。
……更に。
ざり、ざりと。
術式の成功率を上げる為に、幾らでも患者に負担をかける。その間にも触手はジャックに対し攻撃する。
腕にえぐりこみ、内部に潜り込もうとする触手。吸盤から放たれる粘液。痛みが走る。激痛が襲う。ジャックの体が溶けてゆく。
「……なんの問題も無いッ!!」
患者にこれだけの苦しみを与えている。医者がこの痛みに負ける訳にはいかない。
部屋の中は、やかましい静けさに支配されていた。
先程まで部屋に響いていた苦悶の叫びは鳴り止んだ。蓄音機のような女はその言葉を止めた。
部屋の隅、『発電機』から聞こえる唸り。ブウンブウンと音をたてるそれが静寂に拍車をかける。ときおり聞こえるその場の人間達の息遣いも。
——はあ、はあ
——ふう、ふう
緊張に支配された空間で、アゼルは狐人の少女を抱きしめる。しかし、すがりついているのは、立っていられないのは、アゼルとニコルのどちらか。
「……おかあさんっ。おかあさんっ!!」
ニコルの足は揺るぎない。
母親のそばからは離れない。目を背けたくなる酸鼻から、決して目を背けない。
その間もジャックのメスは動き続ける。……ぞぶ、ざぶ。
肋骨を更に切り取り、完全に腹を開かれたロココの標本のような姿。
溢れる結腸が、姿を見せた膵臓が。ブルブルと震える横隔膜の下に見える……異世界癌。
「かあさんっ、だいじょうぶ!? だいじょうぶ!?」
大丈夫な事など一つもない。
ロココの顔は全体がドス黒く変色していた。
歯を食いしばりすぎて、コメカミと口の周りの毛細血管が破裂している。何本か歯が砕けた。吐瀉物を、よだれを、小便を垂れ流した女は汚穢と血にまみれてその手をゆっくりと動かす。
……娘の頭の上で、ゆっくりとゆっくりと。
《……可愛い子。あなたの母親は凄い。美しい》
「たいしたものだ。……メスカル、我々も負けてはいられんぞ」
医師のメスは進む。
キャンサーはロココの肝臓と一体化していて、それを全て切り落とさなくては手術の成功はない。
前人未到の、肉体的、精神的苦痛。
「切除を開始する……!」
「あっ………」
ざばりっ。表面が硬質化した肝臓に、ジャックはメスを差し込んだ。器官の大きさは手のひらよりも少し大きい位。それほどの大きさの物が、体から失われる。
ステーキにナイフを滑らせるように医者のメスは進む。指揮者が振る棒のもと酸鼻の宴は踊る。
紫色の反撃が医師と助手を攻撃する。
しかし、彼らも揺るぎない。
己の肌を溶かし、体に食い込むその攻撃に目もくれず、ひたすら求める。……生命を。明日に繋げる事を。
十二使徒も戦っている。彼の結界の制動がなければ手術は全く進められない。
人間の体には、意識とは関係なく、体が動く『反射』がある。
ロココが不屈の精神で痛みに立ち向かっても、どうにもならない体の動きがある。イエリアは結界による不可視の拘束で、その全てを抑えていた。
一人だけ。この場で倒れそうな人間は、一人だけ。
(……はっ。はっ!! ああっ……はっ!!)
赤毛の少女はしがみつく。
幼い少女にしがみつく。
逃げ出したい
自分はこの場に居てはいけない。
自分はこの場に居る理由がない。
命を懸けて、立ち向かう人間達の中に居る資格がない。
「……ロココ。その調子だ。負けるなよ。 一緒に戦うんだ。……『運命』だと!? そんなものに、負けるなよ!!」
医師が命を懸けている。
涙を流して武器を振るう吸血鬼。
アゼルはそれを見て震えてしまう。
自分の涙と彼の涙は価値が違う。
……だって、自分がその気になれば、この手術を、全部茶番に出来る。
「……半分終わった。頑張れ。頑張れよッ! 負けるな、大丈夫だ。もうすぐ終わる……。どんな所も行けるさ。娘と一緒に行くんだっ!!」
光で満ちる部屋の中で、絶望に立ち向かう希望がある。この場に自分はふさわしくない。
逃げ続けるだけの自分達には似つかわしくない。
自分がその気になれば。
一瞬で、ロココの事を救える。
異世界癌に侵される前に、戻せる。
(……だめ。条件が、合わないッ……!)
紫と赤の霧が手術台の上に舞う。
混じり合った細かな液体はジャックの肌を灼きつける。
……切除が完了する!!
「十二使徒。……おまえさんイエリアって言ったか? それなりに出来るんだろう? おまえさんに仕事をやろう」
「これ以上なんかやらせる気!? おい、おまえあんまり調子に……」
「コイツを、……殺せえええッッ!!」
ばずんっ!! ……ひときわ硬い筋を切り取ると、滝のように血が溢れた。ここから先が、本当の時間との勝負。
——殺す戦いは終わった。ここからが本当の勝負……!!
「……移植を開始するッ!!」
「アッ…………!!」
抑えていた声がロココの口から漏れる。その叫びを消そうとしたロココに医師は言う。
「……ロココ!! 生きているなら叫べ!! ここからは、俺とお前の戦いだ……!!」
「アッ……アアッ!」
「叫べ!! 生きているなら叫べよッ!! 負けるんじゃない!! 運命に負けるな!! 痛かったら叫べ!! ……それでも、おまえは死なないッ!! そうだろうっ!?」
「……わたしは、……負けないッッ!!」
「そうだよ、そうだ!! ……その言葉があれば生きていけるぞ!! やせ我慢してやっていけるぞ!! 」
——闇の中、ずっと牙を研いでいた自分のように!!
「叫べああああああああああッッ!!」
医師は最後の戦いを開始した。
準備不十分で始めた戦いは、すぐそこに決着が迫っている。イエリアはそれをチラリと見てから視線を戻す。……もう、この戦いの結末は見えた。
「やるじゃないかよ人間。
……ジンよりこいつの方が強いんじゃないのォ? 不安になるんだけど……」
イエリアは宙に浮く紫色を見る。
うぞうぞと蠢く正体不明の物体。
異世界癌。
結界に囚われたそいつは紫色の粘液を撒き散らす。
「……まあ、ジンはいずれだ。あいつは一番強くなる……。ははは、クロウ。ワルギリア。……運命」
導かれるように、あの少年の周りに物事が集中している。目の前に浮いている訳の分らない物体。こんなものを、イエリアは見たことがない。
「ま、とりあえず、今日のオレの役目はこれで終わりかなア? ……潰れろ。肉塊」
ばぢゅんっ! 空中に浮かんだ肉塊は、見えない壁に押しつぶされる。手のひらよりも大きかったそれが、丸めた紙くずのように小さくなる。
「……よっと」
そのままそれは、しゅんしゅんと湯気をあげる竈の下、燃え盛る炎の中に投げ込まれた。
手術台の周りでは決死の戦いが続く。
イエリアはそこから視線を外した。
もうあそこに興味はない。
「アゼルゥ……」
赤毛の少女のもとへ。
「……どおおうしちゃったのかなァ? なんか悩み事オ? ……相談乗ろうかァ? はは、ははははは。……あはははははははは……!!」
運命が交差する、地底墳墓最下層。
それぞれの戦いを突き進む人間達の中で、一人だけ膝を抱える少女もいる。
(……たすけて。ジークエンド、フォルテッッ……!!)
————————————————
「ガアアアアアアッッ!!」
迅八は、イーストが振るった漆黒の剣を背中で受け止める。
それの標的になった少女達を守る為に。
「ジンッッ! あなた、なんで!?」
「……あっ」
「ぐっ! ……邪魔なんだよお前らは!! もっと下がってろ!!」
「……西方より来たれエエエエエッッ!!」
追撃を仕掛けるイーストが、素早く離脱する。
クロウが出した炎の玉は、イーストを捉える事なく通り過ぎた。
「くぉらクソガキ!! 俺にまで伝わるから余計な事をするんじゃねえっ!!」
「俺に出来るのは、これだけだ……」
クロウの背中に灼けた痛みが走る。
冷静にその傷を測る。
(深い……! ジンパチは大丈夫なのか!?)
「結局、俺はなんにも出来ない。……だったら俺は血を流す。大切な人を守る為だったら、俺が代わりに血を流す。 ……おれは死なねえッ!!」
「ちょっと待て。……てめえは、今までそいつらと戦ってたんじゃねえのか!? そんな奴らは大切じゃねえだろがっ、ふざっけんな小僧!!」
「それでもだ。……だって、仕方ないじゃないか。それが人間だ」
殺したくなる激情に身を灼かれ、意味もなく他人を助けたい。揺れ動く矛盾の中で戦い続けるのが人間だ。
「俺は人間代表だよ。……付き合ってもらうぞクロウ!!」
「ふざっっけ……畜生ッッ!! あのまま常夜で寝てればこんな事にはあああああッッ!!」
この技はやりたくない。
気が進まない。
伝説の元となった己だけの技、千年の大悪魔、究極の絶技。
「もう終わらせるッッ!! 根こそぎいけい『魂喰らい』ッッ!!」
獣の波動がクロウを包み込み、それは右腕から放たれる。——がおん! 空気を震わせ標的に迫るその顔が、デッドエンドイーストに喰らいつく。
「なっ……」
イーストの口から初めての感情が。
驚き。
身動きも取れず、その体は獣の波動に飲み込まれた。
静寂が。
大広間の中心で棒立ちになった男。
その体が。
「……なんだ今のは。……だが、これも違う」
(……お?)
カタカタと。
クロウの足が鳴る。
(こいつ……)
迅八に似ている。
「死ねないんだ。……死ねないんだよ俺は。あいつらが許してくれないんだ。俺が楽になるのを許してくれない。……生きて地獄を味わえって言っている。耳元でずっと言ってるんだ」
「てめえは、なにを、」
その時、クロウの視界の中で、イーストの周りに何かが見えた。
イーストの背中から、全身を包み込むような影が。その影がずっと言っている。何かを言っている。
《……死なないで》
(なんだ、あの影は!? )
「もっと見せろ。クロウッッ!!」
イーストは疾駆する。
突き出した二本の剣。クロウは己の体に突き刺さるそれを無視して、イーストの体を押さえつけた。
「ぐかっ!! ……ジンパチ、ソードオブハートをやれええい!! こいつを殺せッッ!!」
自分達の心臓を穿つ諸刃の剣を。
——このままでは負ける!
黒髪の少年は跳ぶ。
このままでは守れない。大切な人を守れない。
離れた場所で戦っている仲間達を。
「……オオオオオオオオオッッ!!」
背中から噴出した翼で宙に浮く。
左肩のナイフを躊躇わずに抜く。
少しの迷いもなく、その武器を己の心臓に突き立てた。
「ガッ! ……カッ、かかっ!!」
血を吐き出し、涙を流し、それでもやるのだ。離れた場所で戦っている仲間がいる。守らなくてはいけない仲間がいる。
「『ゾォド』……!」
淀んだ水のような毎日は終わりを告げた。
全力でやるのだ。そう決めた筈だ。
「『ソードオブハアアアアトオオオオオ』!!」
抜き出したナイフは長大な青い剣となる。
噴出する血に構わずその剣を構える。
己の全身全霊を。目の前の敵に叩きつける……!!
「俺は死なねえ!! 俺は絶対に負けねえ!! ……生きているから叫ぶ!! そうだろジャックッ!!」
「……迅八、死ねないんだ。……負けないんだよ。そんなのお前だけじゃないんだよ……!! 絶望の底で叫ぶのは、お前だけじゃないんだよ……!!」
大広間に炸裂する青い光が。
長大な剣が振り下ろされる先には、長い夜の最凶の敵が。
夜の幕を下ろす心臓剣は放たれた。
迫り来る青い光を見つめるイーストの顔は、やはり、涙を流しながら笑っていた。




