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アゲイン×2 《クロスツー》  作者: 紺堂 悦文
第六章 地底墳墓のジャック
117/140

形をもった地獄

 



光が満ちる部屋の中で、悪魔は大きく手を広げた。

魔人形態のみなぎる魔力——チカラに溢れた体。

己の彫り込まれた腹筋に、悪魔は手を伸ばす。

ジャックは、それをただ見ていた。


(……こいつは何をしようとしている!? )



「……はん。ニコル、てめえから対価を貰うのは十年後だ。せいぜい小汚ねえ母親と安っちい店でメシでも食って色々とデカくしろ」


 ぞぶり。

 クロウは己の爪で腹を割る。

 鍛え抜かれた腹筋はその爪の侵入を阻む。……力を込める。その鋼のような腹筋を破り、中に手を入れる為に。


「……く、く、く、くかかかかか……」


 広げる。

 外に出ようとする横行結腸、収縮している胃が。その横にある巨大な器官——肝臓。

 つやつやとした赤いそれを、抉(えぐ)り取る為に伸びる爪。入り込む手。……その手が肝臓の横の胃を傷つけた。中から垂れる胃液。じゅうじゅうと音を鳴らし、それが他の器官を傷付ける。


「くかかかかかかっ!! ゲラゲラゲラゲラ!! ……ガアアアアアアアアアアアッッ!!」


 ばちゅんっ!!

 飛び散る血がジャックの顔にかかる。

 放心したジャックは、血を拭う事もせずにそれを見ていた。


(……こいつ、なんの麻酔もなく、痛みを感じる状態で、己の意思で、肝臓をえぐり出した……!!)


 肝臓内部には痛覚が存在しない。

 表面の神経だけが痛みを感じる。

 だが、そんな問題ではない。痛みは心にも襲いかかる。恐怖がそれを倍増するのだ。


「……ほれヤブ医者、手段(・・)。さっさとやれやこのバカ共が。くかかかかか……。ゲラゲラゲラゲラ!! くかかかかかきききかくくくくかかか、……あいッ」













(……なんて凄い奴なんだ)


 ジャックは思った。尊敬した。






(……だ、だめ。私には主が)


 メスカルは思った。キュンとした。






(……やるじゃないかよ。この悪魔)


 イエリアは思った。本気でやったら秒殺できると思っていたが、その印象を改めた。






(……かみさま)


 ニコルは思った。色々と勘違いした。






(こいつ……!!)


 アゼルは思った。


(……汗、だらっだらだけど)


 一人だけ真実に近付いた。






「……おうコラ。要らねえのかコレ。捨てちまうぞ」


 ジャックの目の前、悪魔が差し出す手のひらの上に酸鼻がある。血まみれの臓器、悲鳴の象徴。——手段。


《……主。ここからは時間との戦いです》


 その場で最初に己を取り戻したのは、象牙のような骨——下位不死族メスカル。


《ついにこの日が来ました。勝利の日です》


 ジャックは銀盆にそれを受け取る。

 新しい武器。生命を明日に繋ぐ為のものを。


《主。……やりましょう》



 ジャックの人生は、かつて光に包まれていた。

 1966年。——そこから絶望は始まった。

 自分の力を。人間の光と闇を。

 医療の力を。全てを疑った。


 己の国を捨て、自分を高める為、医療先進国に逃げた。


 時が経ち、悲劇が終わった己の国に戻った時、そこはもう知らない国だった。

 戦う。それでも戦う。勝つ、負ける、勝つ、負ける、負ける!!

 幾度となく己を切り刻む失敗。

 ……その頃に出会った一冊の本。


 昔、大きな戦いがあった。

 かつての敵の国の本。

 戦争末期に生まれたジャックはその国が好きじゃない。それでも、他民族にも凄い奴はいる。

 生命の尊さを知っている人間が。


「……ジャック」


 膝を掴む力。

 小さなちいさな手が。


「おかあさんをっ……!」


 この手の重さを知っている人間は、人種を越えて存在する。



「……おうジャック」


 大悪魔の声。


「俺様は怖がりでな。別に恥ずかしいとも思わねえ。面倒臭えと思ったらすぐ逃げる。だが、やるって決めたらやるぜ。……さっさとな」



 ……手段は、ある。

 ……技術も、ある。

 ……患者は、覚悟を決めている。


《主。……戦う時です》



 銀盆を持ってジャックは部屋を見渡した。……ひどい部屋だった。外科手術を行う場所ではない。そんな中で行うのだ。高難度の『移植』を。


 しゅんしゅんと沸き立つ原始的な煮沸。

 患者の腹を開く手製のバンド。

 ハサミとノコギリ、自分の髪で作った糸、自分の手から出てくるメス。なんにもない。それでもやるのだ。



(……あの本の主人公がやっていたようにっ!!)



冥府魔道を突き進む男は自分の『助手』に声をかけた。


「……メスカル、私の名前を呼んでくれ」


《あなたは『切り裂き(ヴラッド)』ジャックです》


「ならば、この患者は救われるッッ!!」






 ジャックは己の戦いへ進む。

 膝を掴むちいさな手を。


「おいおまえさん。母親の手を握っていろ。一緒にやるぞ。……あいつを倒す!!」

「……ゔんっ!」


 開腹された術野には紫色の触手がうねる。どんどん広がる。こいつは患者の身体中に広がり、最後には表に出てくる。時間との戦い。


「私ならやれるぞ……」

《主、あなたなら出来ます》


「私だったら救える……!!」

《もう言葉は要りません》



 ざばんっ!

 先駆けの一閃。触手はジャックの手に伸びる。攻撃してくる医師に反撃しようと紫色は膨れ上がる。

 吸盤からジャックに向けて放たれる液体。それがじゅうじゅうと肌を焼く。煙をあげて顔が溶ける。


「私ならやれる……この患者を救えるッッ!」


 ——まだこの世界にない技術、元の世界の外科医療で!!



「……これより、肝臓移植を開始する。負けるなよロココ……戦うぞっ!!」


 光の下、生命を繋げる為の、ジャックの戦いは再開される。






 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・






「……おいクロウ」


(……いいいっっだああああいいっ!! し、しぬ……マジでしぬっ。……やべえ、これヤバいやつだ。わかんだ俺、俺わかんだよ!!)


「おい」


 ぽすんと。

 赤毛の少女の握り拳が大悪魔の胸に。


「ありがとう……」

「……ああ? うるせえ死ね」

「八つ当たりするなよ。……痛いんだろ?」


 アゼルが回復術をかけると柔らかな光がそこに広がった。


「……おう。おめえのあの力。あれでさっさと治せねえのか? やれ。もったいぶってねえで早くやれよ」


 回復術では傷口を塞ぐ事しか出来ない。


(いだいいだい痛いいたい!!……死にそうなんだよ!)


 大悪魔はその言葉を必死で抑えた。


「……あれ、は。……使えない。条件がある」

「はーん」


 確かにあんな常識外の力には幾つもクリアしなくてはいけない条件があるのだろう。クロウはそれ以上、何も追及しなかった。それよりも気になる事があったからだ。


(しかし……)


 クロウの目に入る、涙の跡が残るアゼルの顔。













 ……と、その下にある胸の膨らみ。


(ほほう……。8(はちじゅ)……、チッ、服が厚すぎる)


 千の技を持つ大悪魔の108ある極技の一つ『透視三範囲万華鏡(スリーサイ・スカウタ)』。

 赤毛の少女はいつも体の線が分からないダボついた上着を着ている。……しかし、その下から伸びる足。


(……こいつ。くかかかか……。いっそあのクソガキに貯まってる対価を、こいつから貰っちまっても……。いや、あのクソガキの前でこいつを……!!

俺様の超奥義『地獄最果禁断果実(ネトラレインフェルノ)』を食らわせて……くかかかかかききききき、あ痛ッ!!)


 やはり、彼はクズだったのだ。

 悲しい程に。



「……ちょっと。クロウ、アゼル」


 イエリアが二人に声をかける。

 その声に混じる雰囲気。


「おい、感じないのか? ……変な感じするよ。なんだよコレ……」


 その言葉を受けたクロウは、魂の気配を探る。その時、この遺跡の中には多くの魂が渦巻いていた。

 その中に感じる。

 異質なものが二つ。


(一つはジンパチだ。……なんだ? もう一つ……)


 耳の裏がチリつく感覚。

 イエリアは言う。


「……気持ち悪い。なんだよコレ」






 ————————————————






 第三階層大広間。

 相対(あいたい)する敵は広がる。

 すでに、ここでは敵と味方が分けられた。

 敵——約五十人。

 味方は己のみ。


 それでも迅八には仲間がいる。

 離れた場所で戦っている仲間達が。


「なんっだ、これ……!」


 腹から血が。途轍もない痛みが。

 食道を逆流する血と胃液、収まってきたそれをなんとか飲み下す。


「チカラが……入らねえっ!!」


 疲れる。異常に疲れる。

 痛みは酷い。しかし、それよりも明らかな体の不調(・・)。


(熱い……! 寒い……! なんだよコレ!?)


 指一本も動かせないような気だるさ。

 自分の体の中から重要な何かが失われた。……クロウの身に何かがあった。


「……かはっ! ……必要な、ことなんだよな」


 ならば自分のする事は決まっている。

 ——目の前の敵を押し止める!!


「ちょ、ちょっとあなた……。急にどうしたの!?」

「なんの問題もねえ。戦う……うおっ、おぶっ、おううううううううぼゔぉえええええ……!」




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 痛みをこらえ、体を引きずり、迅八は大広間を見渡す。


「ふっ、ぐっ! は、あっ……!!」


 痛みはかなり収まった。

 異常な回復。しかし体の不調が。


(……疲れる(・・・)! なんだコレ)


 敵の数は一向に減らない。

 圧倒的に押されている。

 その時、迅八の体を雷鳴が貫いた。


「うおっ! ……ビビったっ!!」

「……ダメだ。属性耐性じゃない。こいつ、魔術だったらなんでも無効化するぞ!!」

「メチャクチャじゃねえか……。下がれ。術師は下がれ!!」


 大きく広げた翼で宙に浮く。

 迅八の六枚の翼の内、四枚が翼となり、二枚が腕となる。二本の腕から乱打を繰り出す。


「当っ……たらねえ!!」


 迅九郎(カタナ)での接近戦はすぐに放棄した。

 敵の数が多すぎる。すぐに囲まれるので迫る事は出来ない。そして、それ以上の問題。


「……『バーンストライク』!!」


 迅八が気が付くと、宙を飛ぶ自分の前に、革鎧を着た女が浮かんでいた。その女が掲げる剣。赤く光る刃。


「おっ……! ぐあっっ!!」


 ——ダシュンッ!! 自分の肩を痛烈に叩く、敵の剣の峰(みね)。刃はついていなくても、砕けるような痛みをもたらす。

 迅八を攻撃した赤く光る剣が、元の鋼の色に戻る。地に降り立ったその女は、すぐに仲間の元に跳んだ。


「バーンストライクの特殊効果が発動しない……。魔術の要素は全部効かないっ。単純に、物理しか効かないわコイツ!!」


 眼下に迫る冒険者。

 圧倒的に、全員が、迅八よりも戦いに慣れている。


「……うっ、おおおおおおあああああ!!」


 拳の乱打を。やたらめったら撃ち出す巨大な拳を、敵は難なく避ける。

 そしてこちらに深く踏み込む事もなく、仲間達同士で話し合っている。


 ——魔術は効かないっ

 ——物理は効くぞ!!

 ——だが、あの回復はなんだ……?

 ——あの翼は……


 ————十三番目の使徒?






(なに言ってんだ。コイツらは……!)


 敵は、迅八の事を、天使に転生した人間なのではないかと話し合っている。

 知らない。迅八にはわからない。

 ただ。


(……ちょっとおかしいぞコイツら。十三番目の使徒ってなんだよ。よくありそう(・・・・・・)だぜっ!)


 ジャックは言っていた。

 この世界に来た人間は、己の言葉でこの世界を翻訳する。


 ティーは言っていた。

 恐怖とは、不明から生じる。


(……こいつらは、なんでもかんでも自分の知ってる言葉で説明しようとしてねえか!?)






そこまで考えた時、迅八の事を再び雷撃が貫いた。迅八は魔術を無効化する。それが分かってなお繰り返す。それこそが、彼らが歴戦の冒険者たる理由だった。


「そんなものは効かねえっっ!!」


雷撃が襲ってきた方向を見ると、離れた場所では術師が笑っていた。その笑いの意味。

雷撃の閃光に隠れ、迅八に迫っていた物理的攻撃。

投擲(とうてき)された槍が。

射出された弓の矢が、迅八に迫る。


「……おあっ!!」


——ざす、どすどすっ!

迅八の肩を、腹を、腕を、貫き食いちぎろうとする痛み。


「があああああああああっっ!!」


鮮血の翼は霧散する。

広間の高い天井、その近くに浮いていた迅八は、そのまま床に叩きつけられた。そこに更に追撃は加わる。


「『ミリオンソード』!!」

「がっ……カッ!! 迅九郎っっ!!」


立ち上がろうとした迅八を冒険者が襲う。反撃の為に切りつけた黒刀は、次第に防御の為だけに振るわれる。

敵が繰り出す終わる事のない連撃が、迅八の体をじわりじわりと削いでゆく。そこに新たな敵が加わる。


「『テンションバースト』!!」


——ブォンッ!! 新たに迫りくる敵の体が光の柱に包まれる。可視できる程に魔力で強化された体が、ハンマーによる単純な打撃を迅八に繰り出した。


「あっ……!!」


——ドンッ!!

その音を、迅八は耳と体の内部、両方から聞いた。

強烈に叩きつけられた鋼の塊。それだけでも致死的な重み、信じられない程の痛み。


「が、あっ……はっ! 痛えええなコラッ!! てめえっ!!」


怒りで濁る視界の中、ハンマーを振るった男に黒刀の斬撃を見舞う。しかしその斬撃は遮られる。横にいるもう一人の敵の剣撃によって。


「ちっ……!! 多すぎだろおおおおっっ!!」


再び翼を噴出させて宙に浮く。

敵の数はまだ四十以上。

地上にいるだけで、圧倒的な不利。


(せめて、場所だけでも優位に立たなくちゃ戦えねえ!!)


そして、先程と同じ事が繰り返される。魔術を目くらましに使い、その陰からの物理攻撃。

迅八と敵の間では、絶望的に経験の差で広がりがあった。


「ぎっ、いいいいいっっ!!」


撃ち落とされる。

叩きつけられる痛み。

地上からの追撃が再び始まろうとしたその時、その場に声は響き渡った。



「……ジン。退(ひ)きなさい」


その声が聞こえると、冒険者達は道を開けた。

隊列を割って出てきた少女——ティー。


「あなた、何を考えてるの? ……勝てる訳ないでしょう? あなたは英雄じゃないの。……本当に、何を考えてるの? それとも何も知らないだけなの?」


「がっ、はっ、ぜっ……ぜっ!!」


「ヴァンパイアロードを私達の世界に例えれば、ゾンビ映画の『始まりの奴』よ。放っておいていいはずがないでしょう? 」


「違う……。だから、ジャックは違うんだ!! あいつは……!!」


「ジン……お願いだから聞いて。心配しているのよあなたを……!!」


迅八は口をつぐんだ。ティーの目。

本当に、そこには心配が浮かんでいる。


「あなたの体も異常よ。マコトだったら何かが分かるかもしれない。その超回復もおかしな翼も……なんの対価もないと? ひょっとしたら、あなたは何かをすり減らしているかもしれないわ……」



今まで迅八が考えないようにしていた事。

ファンタジー世界ならある。

あまり深く考えないようにしてきた事。

自分だけが、なぜ特別なのか。

そこには、なんのリスクもないのか。



「……ジン、私達の所に来なさい。ロックボトムからも千年の大悪魔からも離れ、元の世界の人間の所に来なさい」


「お……」



迅八は、一瞬だけ、奇妙な感覚に襲われた。

この道を通ろうとする者が、自分にとっての敵となる。その決意は変わらない。

しかし、おかしな世界に飛ばされて来た少年に、優しい言葉をかけてくれる日本人(・・・)。


(あ…………)



「ジン……。私達と一緒に行きましょう」


伸ばされた手。ティーの、日本人の手が。



「ほら。私の手を掴んで……」


「むり、だよ。ダメだ……!!」


「私と、行きましょう」


「だから、無理だ。ジークエンドさん達は……」


「やってあげる(・・・・・・)。……ジン、大丈夫よ。私たちが、みぃんな、やってあげるから」


「……あ?」













「……恩があるの? そんなの関係ないわ。あなたが私達の仲間になるんだったら、ロックボトムも千年の大悪魔も、あなたに降りかかる火の粉は私達が払ってあげるわ」


「なにを……」


「だから、ね……? ほら」


「やめろっっ!! 寄るんじゃねえっ!!」



近寄ってきた女が吐いた言葉——心に忍び寄る毒を、迅八ははねのける。そのまま足を動かし後ろに跳んだ。


「ジン、どうしてっ」

「うるせえ……喋るんじゃねえ!! 勝手な事ばかりウダウダと……。俺の仲間になにするつもりだテメエッ!!」

「……ジン、もうあなたを無視する訳にはいかなくなった。無理矢理でもマコトに会ってもらう。……その為に、邪魔な人達がいるなら」


ティーの目、優しい目が。


「ね? ……大丈夫。うまくやるから(・・・・・・・)」

「……っっ!! 寄るんじゃねええっ!!」



無意識のうちに魔剣の握りを確かめる。

目の前の少女、日本人、今まで迅八が見た中で、一番普通の喋り方。可愛らしい日本人。


「ねえジン……大丈夫よ。あなたは悪くないの。私達が、やってあげるから……」






広間には、チリチリとした匂いと心地の悪い静寂が満ちていた。冒険者達は油断なく見すえる。赤い翼の転生者を。

彼らは決めあぐねていた。

迅八を殺していいのかどうか。


元から殺すつもりはないが、結果、死ぬのは仕方ない。しかし、この転生者は異常すぎる。そして、貴重すぎる。


ティーは必死で懐柔しようとしているが、どう転ぶかは分からない。

戦闘続行となった時、自分達はどの位の気構えでやっていいのか。

殺さないようにやらなくてはいけないのか。殺してもいいのか。そして、そもそもコイツは死ぬのか。

推移を見守る冒険者達の前で、ゆっくりとそれは起こった。


「お……」


赤い翼の形が変わる。

ぞぶぞぶと波打つ赤い脈動、それが広がる。

手のひらのように。


「……てめえ、『うまくやる』だと? 俺の仲間に何をするつもりだ」


押し殺した声が響くとその場に緊張が走った。


「ジン、落ち着きなさい。あなたは、」

「うるせえんだよ。聞かれた事に答えろ。何をするつもりなんだ……!!」


広がる。その鮮血の手が。

脈打つ巨大な手はその指を動かす。

すると、伸びる。

流動する赤がナイフのように尖る。ギザギザと動きながらノコギリのように動く。

爪を伸ばし、敵の喉笛に食らいつく為の腕が、迅八の背中から伸びる。


「俺の仲間にィィ……!! 俺の仲間に何をするつもりなんだテメエエエエエエエエッッ!!」


「ッッ、迎撃しなさいっっ!!」

「『爪(クロー)』ッ!!」


————ざんっ!!

暴風を伴う巨大な爪撃(そうげき)。

赤い爪は伸び、闇で包まれた大広間を切り裂く。


「なっ……!? ティーを守れ!!」


ティーが指示を出すよりも先に動き出した冒険者がその爪を受ける。受け止めた爪の質量、物理的暴力。——鮮血で出来た鋭利な刃は、冒険者達を吹き飛ばす。

弧を描くように。

振るわれる鞭(ムチ)のように、その爪は走る。


「おおおおおおおああああっっ!!」


直線的に振るう拳は避けられる。

弧を描く打撃も先端に当たらなくてはダメージを与えられない。

翼はその形を変え、全体を鋭利な刃に変えて冒険者達に襲いかかる。どの場所にでも、触れれば切れる。刃で出来た五本の指。

その巨大な爪撃を振り回す。


「ジンッッ!! あなた……!!」

「うるせえ、さっき言ったはずだ。言葉は要らねえ!!」


——ブォンッ!!

巨大な爪は何も考える事なく振るわれる。冒険者達はそこから逃げ惑う。


——拳とは違う。こんなに巨大な爪に当たればただでは済まない。寸前で爪をかわした冒険者が冷や汗を流し声を出す。


「……リーダー、どうするんだ!! こいつを殺すつもりでやってもいいのか!? もう手加減は出来ねえぞっ!!」

「……待ちなさい。ジン、あなたもよ!!」


 迅八の体から失われていた活力は、徐々に戻りつつある。体の内部の空白。それが埋められてゆくのが分かる。

それでもまだ、疲れる(・・・)。


(ぐうっ……、本当に、なんだよこの不調はっ!!)


 敵は心を決めかねている。しかし相手が本気になったら自分は勝てないかもしれない。それでも。負けないのだ。



「……負けられねえんだっ!!なんの問題もねえっ!! 戦う時だっ!!」

「ジン、待ちなさいっ!! 本気の殺し合いを、私達がする訳にはいかない!!」


 ティーが両手をあげる。

 戦意を納めるその仕草を。


「ねえジン……、あなた、ほんとに…、」


 そこでティーの言葉は止まった。


迅八の視界の中で、両手をあげたティーの姿がかすむ。それ以外にもあらゆるものが、闇に紛れるように見えなくなった。


「これ、なん……だ?」


 ……辺りが暗くなった(・・・・・)。













 松明の明かりは広間を揺らす。

 揺れる明かりは数十人の敵と迅八を飲み込み、幾つもの影が伸びる。

 冒険者達は、皆が迅八を注視していた。おかしな体をもつ異常な転生者を。


 だから、そいつの事に気付かなかった。



 そいつは、いつの間にかティーの後ろに立っていた。

右手には剣を下げている。すると、その剣——右手に握る漆黒の剣を振り上げた。


「……ティー!! あぶっ」


 迅八の叫び。そして、それを全て口に出す前に、迅八は己の言葉に疑問を感じた。


(危ない? ……なんでだ? コイツは俺の敵だ!!)


 しかし、その声に止められたかのように、振り下ろされた漆黒の剣は静止した。


 ティーは体をビクリとさせた。

 自分に危険を知らせる迅八の叫び。

 そして、迅八は自分の後ろを見ている。寒気が。


(……気持ち悪い。なに、これ)


 ゆっくりと振り返る。




 ……そこに男は立っていた。

 生きている気配がしない。

 錆(サビ)色の髪の毛。

 目はどこも見ていない。

 右手に下げている漆黒の剣。

 体中を覆うマントから右手だけを出し、首の辺りが常にモゾモゾと動いている。左手で、首のあたりを触っている。


すると、そいつは呟いた。


「……頭が痛い」

「デッ……デッドエンドイーストッッ!!」


 ティーのその言葉で、冒険者達の一部がすぐに後ろに跳んだ。一刻も早くその場から離れるように。

 残された者達はポカンとそいつの事を眺めていた。この場に不似合いな闖入(ちんにゅう)者を。



「……おまえが『ティー』か。 ……おまえ、俺の邪魔をするのか」

「イーストッ!? なんであなたがここに……地上のリョウマ達は……!!」

「……どかないのか?」


 再び漆黒の剣が。

 二度目のそれは、迷わずに振り下ろされた。



「……爪エエエエエエエッッ!!」



漆黒の剣を迅八の爪が迎撃する。

そしてそこでまた迅八は思う。


(なんで俺は、ティーを守る!?)



イーストの目が迅八の方を向いた。


「……おまえ、邪魔するのか?」

「なッッ……!!」


 目が合った。


(……目が合った? こいつは、俺を見ているか?)


なぜか、迅八は目をそらした。


「気っ……持ち悪(ワリ)い! なんだテメエは!?」


「…………うん」


「なに、なん」


「……ごうん ごうん ごうん ごうん ごうんごうんごうんごうんごうんごうんごうん……頭が」


「……あ?」


「ジン、離れなさい!! 汚染(・・)される!!」



 とすっ。

 その音は迅八の腹から内部に響き渡った。


「え……」


離れていたはずの男。

その男は、いつの間にか迅八の目の前にいた。

そして、その男はなんの殺気もなく真っ直ぐに伸ばしてきた。左手、マントの下にあった無垢な白剣を。


「痛(イタ)っ! ……えっ。なんで、」


 ぐりぐりと押し込まれる。

 迅八は動く事も出来ずにそいつの目を見て、やはりすぐに目をそらした。


「な……なんだコイツは!?」

「離れなさいっ! ジンッッ!」


 迅八の腹から抜かれる白剣。

 吹き出す赤い血が。


 ついさっき、迅八の体の内部から失われていたなにか。……再生しかけていたそれを抉るように、剣は打ち込まれた。

無意識の内に腹を探る。溢れ出す血、おかしなぬるみを持つ胆汁。

押さえた手の隙間から、指を滴り落ちてくるぼたりぼたりと黒い血。……なぜか、痛くない。

 痛みを感じるよりも先に、迅八は目の前の男に意識が引きつけられた。


「おまえがジン……。迅八(・・)か。サグラダが言っていた。千年の大悪魔の相棒か?」


 その男の昏い目が。

 ほんの少しの感情を覗かせる。


「おまえを痛めつければ出てくるか? 千年の大悪魔は」

「なんなんだッ!! テメエはああああ!!」


 恐怖。

 自分の内に湧き上がる感情。

 認めたくない迅八は、全力でそいつに撃ちかかった。


「……え」


 ——ドッ!! そいつは防御せずにそれを受けた。

肩から入り込んだ刀は、男の鎖骨を叩き割り抉りこむ。

迅八の手に伝わる肉の感触。伝わってくるはずの生命の脈動。……それすらも感じない。

 男——イーストは、自分の肩に入り込む刀を、無造作に握った。


「あっ……!!」


 引っ張られる。イーストの手から血が流れる。

それに構う事なく迅八を引き寄せると、迅八のすぐ目の前に、イーストの顔が近付いた。


長く伸びたヒゲ。

カサついた肌。

ひび割れた唇。

そして、そこからなんの匂いもしない。生きている匂いがしない。そいつと迅八の目が合った。

それでもそいつは、やはり、迅八の事を見ていなかった。


「……あの能力を持っているのか? 千年の大悪魔は」


「なに、なんの事を……!!」


「時を、……遡(さかのぼ)る」













「あるだろ? あるんだろ? ……あるんだよ。こういう世界には。絶対あるんだ。よくあるんだ。必ずあるんだ。……あるんだ。……あるんだよ」


「……お、」


 迅八は、全力でイーストの腹を蹴りつける。その反動で後ろに跳ぶ。

 攻撃する為ではなく、少しでもそいつから離れる為に。


「……失ったんだ。自分で手放した。愛する人を。俺は地獄に落ちる。……それでいい」


 ざり。イーストは、足を一歩、前に出す。


「…………それでも、助けなくちゃいけない。絶対だ。何人、何十人、……何百何千何万何億、全員殺しても、そこに辿り着く。あいつだけが、…………」


「だ、だから、……テメエは何を言ってんだっ!?」


「フォーエバーだ。俺たちは、……絶対に、会いに行く」


「ジン! そいつと話すのをやめなさいッ!!」



 いつの間にか構図は変わっていた。

 広間の中心。囲まれている人間。

 迅八がそれではなくなっている。


 イーストが動いた。

 ゆらりと動いたかと思うと、そこには人が倒れていた。

 切断された頸動脈。どくどくと流れる生命。何が起こったのかも理解できない顔で、その冒険者はすぐに死んだ。



「千年の大悪魔は………、ありとあらゆる……、全ての力を持ってるんだろ? 持ってるんだよ。持ってるんだ。……持ってる。持ってるぞ……」


 イーストは双剣を手に下げる。

 構えるのではなく、ただ下げる。


「ブレイクビーツ。ベイビーソング。

 ……迅八。お前だけ残せばいいって事だな。あとは、なんでもいい……」



 その男は形を持った地獄。長い夜の最凶の敵。


 地底墳墓 最下層ではジャックの戦いが続いている。

 第三階層 大広間——負けられない迅八の前に、絶対に負けない敵は現れる。




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