戦いの始まり
——はぁ……、はぁ……
それは、ジャックの口から漏れていた。
しかし、それを見ていた迅八は、その音がすぐそばからも聞こえてくる事に気付く。アゼルの口から。
「は、はっ……!」
自分やシズを救ってくれた、赤毛の女の子。その彼女の手を強く握り締める。
そして、音は更に近くからも聞こえた。自分の喉から。
それだけではない。部屋中の至る所から、全ての者の口からその音は漏れていた。
「……レトロウイルスの注入から始める。メスカル、押さえろ。……小日本人。絶対に手を出すな。仲間に徹底させろ!!」
迅八は答える事が出来ない。
しかし、ジャックの心配は杞憂に終わった。その場には、誰も動ける者がいなかった。
ジャックが口を大きく開けると、犬歯が鋭く尖り出す。その先から滴る液体。
ぴしゃり、ぴしゃり。ジャックは紫色の液体が滴る牙を隠さず、そのままロココの首筋に囓りついた。
「……アッ、アアアアアアアアアアアッッ!」
「おがあさんっ!!」
絶叫が。
消えそうだった生命の光——そこから、振り絞るような叫び声が響く。
「可愛い子。……ニコル。我が主を信じなさい。あなたのお母さんを救えるのは、この世界で彼だけです」
必死で母の手を握るニコルをいたわるように、包み込むようにメスカルの手が。
熱湯の中を何度も潜った、真っ赤にただれた不死族の手。
「信じなさい。ニコル」
「……ッッ、あ、はあ、ゔゔゔッッ!」
ジャックはロココの首に囓りつき、迅八達からは見えないその目はギョロギョロと動いている。
首を押さえる手。動脈の上に置かれた指。それで何かを確認するように。
「……フッ! は、こんなものか……?」
ロココの瞳は、再び痙攣を始め混濁する。
ジャックはその目を覗き込む。まぶたを開き、光を当てて、その反応から何かを確かめようとしていた。
「な、なにしてんだジャック。……レトロウイルスってなんだよっ」
「待て」
ロココの荒い息が部屋に響く。
やがてその音の波は緩やかになり、小さくなった。
蛍の光のような女。元から血色を失くしていた肌の色が、ハッキリと白くなってゆく。
「おい、それ……!」
「待てと言ってるッ!!」
メスカルの片手は常にニコルの手の上にある。しかし、残ったもう片方の、ロココの切り裂かれた腹を押さえる手。そこに握られた布。
それをそっと動かすと、出血の勢いは弱まっていた。
「フゥ……、フゥ……。少し話をする。おまえさん達が暴れ出さない為に。それに、ウイルスが回るのに少し時間が掛かる」
ロココは腹を切り裂かれている。のんきに話をしている場合ではない。
しかし、その場にいた者達は、全員がその体からわずかに緊張を解いた。
「……小日本人。おまえの名は? 書いてみろ」
ジャックは机の上の紙を見やる。
迅八は初めて使う羽ペンで、その紙の上に自分の名を書いた。
「迅八。変わった名だな。……いいか迅八。この世界に来た人間は、それぞれの立場から世界を見る。自分の言葉で世界の謎を翻訳する。ゲームだと言う奴がいる。夢の中だと言う奴がいる。……私は医者だ。医学から世界を見る」
転生者の独白。
皆は、その言葉に耳を傾けた。
「いいか。さっきおまえさんは言った。レトロウイルスとはなんだ? ……正直な、それを説明するのは難しい。乱暴な説明になるぞ」
「ちょっと待ってくれ。話なんかしてて大丈夫なのか!? ロココさんが……」
「少し時間はある。むしろ今はなにも出来ないんだよ。……メスカル。茶でも淹れてやれ。緊張しすぎると保たないぞ。そのくらいの時間はある」
今まで黙っていた千年の大悪魔が、その足を一歩前に出す。
「茶はいらねえ。お前、転生者か?」
「そこの小日本人の隣の国で生まれたよ。だが、今はその話はいい。これから行う手術についてだ。……いいか迅八。おまえさんの仲間達には誰も理解できない話だ。おまえさんには仕事がある。仲間から不安を取り除いてやれる位には理解しろ」
「可愛い子……。あなたはそっちのベッドに行きなさい。体を休めなさい」
優しいメスカルの声。
それでも、ニコルは母の手のそばから動こうとはしなかった。
「……私の唾液には、他者を不死族にする力がある。ヴァンパイアの特殊能力だ。私は医学で世界を見る。その唾液をとりあえずはレトロウイルスと呼んでいるだけで、正確な事なんて分からない。電子顕微鏡なんて無いからな」
「その、レトロウイルスってなんなんだよ……」
「DNAは知ってるか? 人体の設計図であり、生物の根源的な情報だ。レトロウイルスはそれを書き換えられる。……もっとも、私が元の世界に居た頃からだいぶ時間が経っている。……クソッ。今の医学はどこまで進んでいる? DNA情報は全て解明できているのか?」
「知らないよそんなの……」
「私は現場の外科医であって学者じゃない。だから、私の知識も専門家に比べれば浅い。それでも、その知識でこの世界の魔物や亜人——生き物たちを、私たち転生者の理論で説明しようとするなら、レトロウイルスの存在を持ち出せば幾つかは理由がつけられるのかもしれない。
……私は、自分の唾液がそれだと仮定して、ヴァンパイアが仲間を増やす事に説明をつけた」
ジャックはその場に居る者の顔を見渡す。
(……こいつらが暴れ出したら、全力で排除する)
しかし、今は誰もその気配を出していない事に安堵した。
「私自身の意思で不死族を増やすつもりなどない。問題があるからだ。……時と場合によっては、不死族は勝手に生まれる。志なかばで死んだ者、大切な者を残してしまった無念——理由はそれぞれだが、魂が拡散せずに地上に残ってしまった生き物は、不死族になる事がある」
ジャックの言葉に迅八は反応した。
元々、ジャックが近隣住民の死体を不死族化させているとクーロンから聞いていたからだ。
「ジャック。あんたは近くの死体を不死族にして回ってるんじゃないのか? しかも死体を切り裂いて、また墓に戻すって聞いてるぞ……!」
「……死体を奪ってきているのは事実だ。弁明するつもりはない。……実験材料にしている。お前さんなら意味が分かるだろう。だが、不死族にしているのは私ではない。不死族になってしまった者を、この場所で保護しているだけだ」
「……保護? どういう事だよ」
「動く死体となった者は、魂はあるが精神が希薄だ。思考や人格が削られてゆき、まともに行動できる者は少ない。すぐに討伐対象となる。……そういう者を、ここで保護している」
「メスカルは普通に話してるじゃないかっ」
「こいつは特別だ。そこにいる悪魔や私のように、元々『魔』に属する種族だった。人間よりも精神が強い。不死族化しても、まだ精神を保てている。
……いいか。いま重要なのはここからだ。
私の意思で不死族など増やさんが、このウイルスは医療に利用できる。今、その母親……ロココの体は、半分くらい不死族に近付いている」
ニコルの手の力が強まる。
メスカルは、その手を優しく握り続けていた。
「……いいか。全部じゃない。『人間に戻れるくらい』の量だ。私の唾液に含まれるウイルスは、感染者を殺しながら守る。遺伝子の情報を書き換え、肉体を変性させる。死んでいるのに生きている状態にする」
「わっかんねえよ!! 何を言ってるんだあんたは!!」
「半分だけ死んでいる。意識はあるのに肉体は死んでいる状態だ。いいか? 乱暴に言うぞ。
今、患者の体からは全ての生体反応が低下していて、そこには痛覚も含まれる。……意識はあるが、痛みを感じにくい状態になっている」
迅八はメスカルの手を見る。
赤く爛れたその手を。
「いいか? 感じにくいだ。
痛い事は痛い。骨膜すら存在しないスケルトンになれば痛みを感じる事もない。
痛みを感じる痛点や神経が存在しないからな。……まだ、この世界に麻酔はないが、今のこの患者は麻酔をかけられた状態に近くなっている」
クロウの顔が歪む。
——何を言っているのかが分からない。
そのはずなのに。
自分は、理解できる気がする。
千年の記憶のどこかに、この知識があるような気がする。……自然と口を開いた。
「待てジャック。 魂も痛みを感じるはずだ。テメエらにはそれすらねえのか?」
「……ほう。おまえさん、理解できるのか。魂も痛みを感じる。しかし、骨の状態のメスカルはほぼ感じない。半身を吹っ飛ばされようが肉体に対する執着が無いからな。トラウマにはならん」
迅八は、これらの話を頭の中で整理しつつ、最大の疑問を口にした。
「ジャック。だから、……麻酔がないんだろ!? 重要な事だけ教えてくれ!!」
「今、この患者——ロココは、手術で生きたまま体を千切り取られても、かろうじて死なない程度には痛みを抑えられる。ショック死しない。……これが重要だ」
迅八の肌に、粟が。
怖気だつ鳥肌が。
アゼルは理解できていない。
イエリアも、ニコルも、これから何が起こるのかが理解できていない。
千年の大悪魔は何かを理解したようだった。歪んだ顔のまま、口を開いた。
「……要するに、今からロココの腹を更にぶった切って中に手ェ突っ込んでぐちゃぐちゃに引っ掻き回すって事か? ……で、それは必要な事だし死ぬ事はないから、俺たちに邪魔をするなと?」
「その通りだ」
「……は、おかあ、さんっ! 死んじゃう! おかあさんが死んじゃうっ!」
「信じるのです。可愛い子。あなたの母親は生きたいと言いました。戦うと言いました。……我が主と、あなたの母親を信じなさい」
部屋の中には血の匂いが。
そして、その匂いはこれからどんどん強くなる。
「患者の病名は『異世界癌』だ。……便宜上そう呼んでいるだけだが、元の世界の癌に似ているコイツは患者の体の中で成長を続け、至る所に転移する。この患者は今はステージ3。手遅れの一歩前、……一ミリ前だ」
「癌って……。ヤバいんだよね?」
迅八は知らない。
癌という病がどういうものなのか。
迅八が元いた世界で癌を知らない人間などいない。しかし、専門的な知識は誰も知らないのだ。
「ステージが進むと癌細胞は細かく体中に転移する。もうそうなったら手遅れだ。しかし、いま患者の体の中では私のウイルスが『細か』なのを食い尽くしている。……こればっかりは元の世界よりも優れている。楽だと言ってもいい」
自分達に全くない知識。
この世界にはあり得ない、元の世界にも存在しないオーバーテクノロジー。
コルテは言っていた。
『あんた方の世界じゃ出来なくても、この世界なら出来る事だってある』
「幸運と不幸がある。今、患者はステージ3だ。ステージ4まで行けばもう手遅れだ。何をしてもどうにもならない。体の内側の化け物が、表に出てくる。
……人間が魔物になる!!」
「ジャック。……それ、どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だ。異世界癌に侵食された者は、最終的に魔物になる」
その言葉に。
クロウは記憶を揺さぶられた。
スーローンとの会話。
コルテとの会話。
——収穫祭の洞窟
——変わり果てた花嫁たち
——哀れな混血児
『……人間を魔物に変える? ほんと転生者はおっかねえ。あんたさん、よくそんな発想が出てきますね』
——不倶戴天の敵。
「そ……」
「お喋りはお終いだ。……いいか。幸運もある。この患者は、実は生命力が増している。死にそうに見えるこの女は、実は強くなっている。輸血の必要もない程に造血作用が増して、痛みにも強くなっているだろう。……腹の中に居る、『ヤツ』のおかげでな」
執刀医は目線を落とす。
そして、開腹されたロココの傷口に、躊躇いなく手を突っ込んだ。
「…あっ! ああっ! いや、いやっ!!」
ジャックの手は脂肪の層を越え腸の隙間を潜り、体の内部を傷付けないように奥に進む。
ロココは生きているのに、意識があるのに、痛みが抑えられてるとはいえ、腹の中をまさぐられている。
「アッ! アアアアアアアアアアアアアッ!! ……やめてっ、おなか、やめてえええええっっ!!」
「叫べ。生きているなら叫べ!! 叫びを止めるな、負けるなよロココ……!! 一緒に戦うぞ!!」
迅八の見ている前で戦いは始まる。
メスカルはニコルの小さな手を離す。
メスカルが、処置室内にあった棚の中から皮で出来たバンドを取り出すと、その先に付いている鉤爪が見えた。
まるでベルトの先に鉤爪が生えたようなその道具を、メスカルはロココが横たわる寝台に取り付けた。
「ダメだ。私も混乱しているらしいぞ。原発巣からだいぶ遠い場所を開けてしまった。……メスカル、固定しろ」
「開始します」
寝台下部に取り付けられたベルトはぐるりと回り、横たわるロココの腹の上、開腹部分に鉤爪がえぐりこむ。
メスカルがベルトの穴を調節すると、開かれる腹、限界まで開かれる腹。プルプルと震える腸が、どろどろと溢れ出す。
「アッ、アッ! あああああ!! わたしの、おなかっ……あ、あああああああっっ!!」
「おかあさんっ!」
「ニコッ。こっちに来いッ!!」
迅八は手を伸ばし、ニコルを抱きしめる。その小さな体はガタガタと震えていた。
目の前で、母親の肉体が損壊される様を見ている少女は、押さえつける迅八の手から、抜け出ようともがいた。
(ダメだ……。ニコルはここに居ない方がいい)
「アゼル、ニコを連れて、ここから出ろっ!!」
「……わかった。ニコ、広間に行こう。大丈夫だよ。ここは任せよう……」
幼い少女は怯えていた。
なにも理解できない。
ジャックが言っている事など何も理解できない。
ただ、事実として、目の前の吸血鬼は母親を傷付けている。そして誰もそれを止めてくれない。
「おかあさん……、おがあざん………!」
ニコルの涙で滲む視界に、揺れる手が見えた。
「ニコ、ニコ……」
「おかあさんっ!」
「手を、……おねがい。握って……」
迅八の手からすり抜け、ニコルはロココの元に行く。
そして、母親の震える手を握った。
「あ、ニコ……」
「……ふん、小日本人。どうやらこの子の方がおまえさんよりもよほど肝が座っているらしいぞ」
「主。私たちも怯えている場合ではありません」
「少し奥まで探ってみるぞ」
ジャックがロココの内部をまさぐると、その腹の奥に『しこり』があった。それを確かめたジャックの指に、痛みが走った。
(……反撃された)
ゆっくりと、血に塗れた手を引き抜くと、赤い血と黄色い汁が垂れた。
狐人の体の作りは人間とほぼ変わらない。広間に打ち付けられた標本を、ジャックは思い出す。
(経験済みの種族で良かった……。これなら構造が分かる)
ジャックが、腹から引き抜いた自分の手の先を見てみると、中指の先端が失われていた。
「本当に寸前だ。もうステージ4になりかけている。……メスカル、肋骨を切り取る。表に引きずり出すぞ……!!」
——肋骨を切り取る。
意識があるのに。
メスカルは棚に近付くと、そこから武器を取り出した。迅八はそれを何回も見たことがある。ノコギリ。
「はっ、は……! ジャック、ほんとに、本当にっ!!」
「黙ってろッ!! 医療の現場はこんなもんだ。……異世界医療なら尚更だろう!!」
ざり、ざり、ざり。
「アアアアアアアアイ、アアアーーーッ!!」
ゴリ、ゴリ、ゴリと。
「イイイイイイイッッ……!! いたいィィィイイッッ!!」
「耐えられるはずだっ。こんなもんで死ぬな! 」
クロウもイエリアもアゼルも口を開けてそれを見ていた。
——こいつは、何をやっている?
自分達も今まで散々やってきた。敵を殺してきた。しかし、こんな事はした事がない。
開かれた腹から覗く、色とりどりの酸鼻。赤い血飛沫をあげ青い血管を傷付けないよう白い骨を削り取る。
黄色い小便を漏らした女は額に血管を浮かべて叫んでいる。
……痛い。
生きている証を。
「……メスカル、だめだっ!! もっと患者を押さえろ!!」
ジャックの言葉が聞こえる。
迅八は動けなかった。
ロココが寝台の上で、狂ったように暴れている。ロココの体を押さえなくてはいけない。
迅八には理解出来る。
ジャックは医療を行っていて、それが必要なのだと理解出来る。
それでも動けなかった。
「……動けなくすりゃいいのォ? 」
動いたのは十二使徒だった。
イエリアの黄色い光がそっとロココを包みこむ。すると、彼女の体は見えない鎖に繋がれたように動かなくなった。
「結界で体を縛りつけた。……ジン、いいんだよね? 」
喜色のイエリア。
この世界で、最も結界を操るのが上手い天使。
不可視の最強の盾を最強の剣にする事も出来る光の天使は、その額に汗を浮かべたまま迅八の答えを待った。
迅八は、唾を飲み込む事しか出来なかった。
(……何も出来ない)
自分には、なんの力もない。
この世界に来て力を手に入れたはずだ。なんの努力もせずに、力を手に入れたはずだ。
なのに、なんの力もない。
少年を置いて事態は進んでゆく。
医者は戦っている。
患者も戦っている。
あんなに小さなニコルが戦っている。
自分には何も出来ない。
ジークエンドは言った。
最後まで見ていられるのか?
それすらも出来ない。
気が付けば目を逸らしそうになる。
千年の大悪魔は混乱していた。
何が行われているのか分からない。
これは、迅八達の元の世界の技術——部屋に満ちる『光』も、ジャックがやっている『外科手術』も、言ってしまえばこの世界から見れば未来の技術だ。
だが。
理解できる気がする。
クロウは知っているような気がする。
(なんだ……この感覚はなんだっ!? ……俺は、何を知っているッ!!)
地底墳墓 最下層では戦いが始まった。
……長い夜に切り込んだのは不死者達の王。夜の王。銀色の武器を操り、生命と死を超えようとする転生者。
ヴァンパイアロード『切り裂き』ジャックは、己の誇りと全生命を懸けて戦いを開始した。
その男の人生は、かつて光に包まれていた。今は闇の中にいる。闇の中で牙を研いでいたのだ。
自分を闇に突き落とした敵を——『病魔』を駆逐する為に、ずっと力を溜めていた。
「あ、はっ、痛い、痛いっ!!いたいいいいいいいいいいいいあっ!!やああああああっっ!!」
「叫べ、その調子だ……!! 生きているなら叫べっ!! 叫べるうちは死なないぞっ!!」
寝台に血は舞う。
——がぎんっ。湾曲する肋の骨を開けるように折る。
血まみれの骨を寝台の横の台の上に置く。するとすぐに、ジャックは二本目に取り掛かった。
「いや……!! もう、やめてっ……わたしの、おなか、やめてっ!! 壊さないでっ、やめて!!」
無言で破壊は続く。
ざり、ざり、ざり、
ゴリ、ゴリ、ゴリと。
「アアアアアアアイアアアイアアッッ!!!!」
誰も動けないのだ。
止めなくてはいけない。
それでも動けない。
吸血鬼の顔を見てしまったからだ。
涙を流し血管を浮かべ、魂を振り絞るように叫び続ける男の顔を見てしまったからだ。
「……叫ッべえエエエエエエエアッッ!!」
「アッ……、アアアアアアアアアッッ!!」
地底墳墓の戦いは少年を置き去りにして進む。大悪魔を置き去りにして進む。
主人公達を置き去りにして物語は進む。
そして、戦いは別の場所でも始まる。
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「ん? ……お前、口笛吹いたか?」
「いや? なに言ってんだお前」
フォスピトン地底墳墓を目指した冒険者達は、最終的に、二百人以上に膨れあがった。
もはや、ドラゴンが相手だろうが苦戦しない人数が集り、戦列など維持できていないし、ほとんどの者はする気もない。その結果、意図した訳ではないが、冒険者達は地底墳墓を取り囲むように、幾つもの集団に分かれていた。
遺跡に乗り込むのはティーが率いる集団。
ソードマスターリョウマは、地上で待っている集団を統率する役目を負っていた。
「……あー。俺たちも中に入りたかったな」
「ここまで来たのにねー」
話し合っている彼らが属する集団は、そのどちらでもない。途中から合流した暇つぶし達の集まりだ。
「……なあなあ、リョウマってさ。あれ、ティーの事好きだよな」
「え、そうなの? けど、ティーってマコトとアレなんじゃないの?」
「うわー、リョウマかわいそ。マコトが相手じゃ無理だよ」
「無理だねー」
「無理だなー」
「無理ですねー」
あまりにも人数が増えてしまったので、残りの集団を統率する為に、サブリーダーであるリョウマが地上に残らなくてはいけなくなった。
その時のリョウマの顔を思い出して、皆で笑った。
「エッッ!? ……みたいな顔してたもんな。リョウマ」
「マジウケるよ。バレバレなんだもん」
「……けど、あたしはマコトよりリョウマの方がいいなー。マコトってさあ、なんか怖いよね」
「俺は?」
「ぜんっぜんっ、ダメ」
彼らは高校生から大学生くらいの年齢だった。いつもチームで動いている彼らは、この世界の『よくいる』転生者だった。
この世界の謎は考えても分からない。
いつの間にか、ファンタジー世界を楽しんでいる人間達。——ある意味健全で、一番正しいとも言える集団。
「あーあー……暇だなー。そこらへんの魔物でも狩りに行こうぜ」
「ティー先生に怒られるぞ。あいつうるせーんだもん」
「二百人ってなんだよ。集まりすぎだろうが。仕切りが悪いんだよ……」
「けどさあ、不死者って珍しいよな。……狩ってみたくない? 知性がある奴もいるんでしょ?」
彼らがいつも相手にするのは魔物や魔獣だ。知性なんてほとんどない敵。パターン化した戦闘は、すぐに飽きる。
本当は、人間と全力で戦いたい。
だが、それをすればどちらかが死ぬ。
殺されたくない。当然だが殺したくもない。しかし、それが、殺しても許される相手だとしたなら。
「この間さー。ついに買っちゃったんだよね魔剣。……あー、使いたいなー」
「私も新しい魔術考えたんだよねー」
「俺も技を考えたんだ。試したいなー」
転生病。
倫理観が麻痺する精神状態。
迅八よりもこの世界の生活が長い彼らは、迅八の状態よりも更に先に進んでいた。
どうしても、手に入れた力を使ってみたくなる。
「……行く? 行っちゃう? 俺たちも中入っちゃう?」
「まずいって。マコトにチクられるかもしれないぞ」
「けどさあ、別に入っちゃいけない訳じゃねえだろ。そこまで言われる義理はねえよ」
「行こうぜ。だってさあ……」
中の一人の発言が、夜の中に沈む。
「『助けて』、とか言う魔物がいたら、……面白くない?」
「……行く?」
「……みんなが行くんだったら、行ってもいいけど」
「行っちゃう? 行っちゃう?」
「……どっちでもいいよ」
「じゃあ行こうぜっ。大丈夫だって!! ヤバかったらすぐに引き返せば……」
その時、口笛が響いた。
集団は自然と散開し、陣形を組んでいた。前衛が後衛を後ろにかばい、各方位を睨む。
元の世界では戦いなどと無縁だった彼らは、それでも先進国の高度な教育を受けていた人間達だ。この世界で論理的に、効率的に技術を身につけてきた彼らは、今では冒険者ランクダブルB。
鍛錬を積んだ戦士や上位の冒険者を除けば、ほとんどの人間は彼らよりも弱いと言っていい。
「……坊やたち。こんな時間になにやってんだい?」
見上げると、月に女が映っていた。
それを見た彼ら、彼女らは、息を呑んだ。
——月の光を浴びて、赤いジャケットを着た女が口笛を吹いている。
まあるく膨らむ胸も、流れるような鼻の線も、短い革のスカートから伸びる足も、その全てが美しい。
「ダークエルフ……?」
珍しい。
ダークエルフを見るのも、こんな時間に荒野にいるのも。
「坊やたち。なにやってんだい?」
——ひゅおん。
その女は見上げた岩の上から音もなく降りると、集団に近づいた。間近で見るその女は更に美しい。
日本で育った彼らにとって、この世界の人間には劣等感を感じる事が時々ある。
しかし、そんなものが気にならない程の美しさ。張り合う気にならない、圧倒的な存在感。
「……冒険者かい? あんたたち」
一番早くに動けたのは、最年少の少女だった。上気した顔で、そのダークエルフに話し掛ける。
「はい……そうです!」
「そうかい。あんた可愛いね」
優しく頭を撫でられた少女は、なぜか幸せな気持ちになった。
「で? 冒険者サマが何してんだい? あそこに用でもあんのかい?」
あそこ——フォスピトン地底墳墓。
「あ、ちょっと狩りでもしようかなって。……よかったら、お姉さんも一緒に」
「そうかい。じゃあ死にな」
「え」
——ズドン。
「な」
どさりと。
『串刺し』の一撃を腹に食らった少女は、呻き声もあげずに顔から地に転ぶ。
——誰も動けない。戦闘技術は学んでも、まだ彼らの精神は強者の域に達していなかった。
「……おいおい。殺すなよ。……まずいらしいぜ〜。さすがに本当にジジイに殺されんぞ〜」
「嘘だよ。殺しちゃいないよ」
声がもう一人。
いつの間にか後ろから聞こえてきた声に、前衛達が振り返る。すると、きらめく七色の光が見えた。
「『七星』」
凄まじい衝撃が。横殴りに叩きつけられる大剣。
冒険者達が暴風に巻き込まれたように空を飛ぶ。残されたのは後衛一人だけだった。
「ちょ、ちょちょ、ちょ……!」
「あんたも可愛いね。……おやすみ」
ズドン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……やべ〜な。殺さないっていうのがキツイぜ。二百人もいるらしいぞ〜」
「中には強いのもいるだろうしねえ……」
アマレロとクーロンは、岩陰に冒険者達を引きずりこんだ。気絶した彼らを隠してから、呑気な会話を始めた。
「ジークエンド達はどっちだ〜?」
「わかりゃしないよそんなもん。シズも連れてきてるから、弱い奴らを狙うんじゃないかい?」
「うちの大将がやる気出せば、こんな奴ら二百人くれえどって事ねえんだが。あの大将は『ダメ』だからな〜」
「ダメだねえ。あいつだけは……」
「ま、平気だろ〜。大将はダメでも魔術師団長がしっかりしてっからな〜」
「キレなければいいんだけどねえ」
転生者ギルドの冒険者相手に、『虐殺』されたらたまったものではない。
「あたし達はあたし達のやる事をするさ。ジャックの方は坊やたちに任せよう」
「んじゃ、やるか〜」
赤と青の影は闇の中に消える。
しかし彼らは知らない。
すでに、地底墳墓では壮絶な戦いが始まっている。
救う為の戦いが。……迅八達を置き去りにして。
それぞれの理由を持つ人間達の、それぞれの負けられない戦いが始まっている。
そして、当然、敵にもいるのだ。
負けられない敵が。
最凶の敵は近い。
もうすぐ。




