長い夜
「……う〜っ。心配だねえ。やっぱ、あたしがついてった方が良かったんじゃないかい?」
「うるっせ〜な〜。おめーはよ〜。済んだ事をウジウジと」
「ふむ。死んだら死んだ、それだけだ。 ……何かを決めて、動いて死ぬ。そいつだけの責任だ」
「ジークエンド。……あんたねえ、アゼルだって居るんだよ!!」
「だからなんだ。あいつはもう子供じゃない。誰かに守られる『お姫さま』でもない」
朧げなガス灯に照らされて、彼らは酒を飲んでいた。
軽い食事と美味い酒。それをゆっくりと口に運んでいる。
カウンターの奥で、同じように酒を飲みながらパンを齧っていたコルテが、ジークエンドの方を向いた。
「……ジークエンド。あんた、確かヴァンパイアロードと戦った事あるでしょ? 」
「ある。あの時、お前はいなかったか」
「居ませんでしたねえ。……憶えてます? どんな奴だったか」
「一言で言うと、強い」
その乱暴すぎる説明に、クーロンの口が歪む。ジークエンドが『強い』と評する程の敵の元に、迅八達が向かっているからだ。
「……まず、攻撃が効かん。ほとんど効かん。奴らは体を変形させる事が出来る。無数のコウモリになったり、霧のようになったりする。普通の人間なら魔剣を持ってないと太刀打ち出来ん。……魔剣を持っていたとしても、そこでやっと、ダメージを与えられる『かもしれない』くらいだ。攻撃方法も多彩だ。 ……『音』が厄介だったな」
「あんたはその時どうしたんだい? どうやって戦ったんだい」
「すぐに逃げた。別に討伐目的で出会った訳ではなかったからな。……他の目的で行った場所が、たまたまそいつの根城だった」
その会話を聞いていたシズは驚いた。
ジークエンドは、確かに面倒事からはすぐに逃げ出す男だが、敵から逃げ出す男には見えなかったからだ。
「逃げた、です?」
「お〜? そりゃそうだろ。別に『敵』って訳じゃねえし、明らかに敵だとしても、場合によっちゃ逃げるが勝ちだ。あたりめ〜だろ〜が」
「そう、です?」
「そうです。……千年の大悪魔がなんで強いのかって言ったら、そりゃ単純に生き残ってるからでしょうよ。どれだけの強敵に囲まれても、逃げる事に成功して生き続けてる。それ以上の強さなんてねえでしょ」
からりと。
クーロンが人差し指をグラスの中に入れる。その指は氷の上を撫でるように、所在なく動いた。
「……う〜。不安だねえ」
「クーロン、考えすぎですよ。クロウが一緒にいるんですよ? ヴァンパイアロード如きに遅れは取らねえでしょ」
「だって、ヴァンパイアロードは強いんだろ? 危ないかもしれないじゃないか」
「……クーロン。あんたも千年の大悪魔の『本気』見たでしょ? あんなん無理。絶対に勝てねえ。僕が本気でやったとしても、すぐ終わりますよ」
「本当に、あんた達はクロウが強いと思うかい?」
からん。
氷の音が静寂の中で響き、琥珀色の光を反射させる。褐色の肌を持つダークエルフは、憂いを顔に乗せても美しい。
コルテは、目の前のクーロンが、『千年の大悪魔』と一緒にいる迅八たちを、なぜ心配しているのかが理解できなかった。
「……いいですか? 確かにあんたは、魔術を使えても『魔術師』って訳じゃない。クロウの正確な魔力は分からないのかもしれませんけど、ありゃあとんでもないですよ」
「わかってるよそんな事は……。ただ、そうじゃない。そういう話じゃなくてさあ」
「お〜。分かるぜ。あいつは弱え〜よ」
口を挟んできたアマレロに、コルテは返した。
「……アマレロ。あんたまで何言ってんです? あんた達も見たでしょうよ。クロウの魔人形態——本当の姿を」
「伝説と違え。……悪魔ってのは、ああいうモンなのか〜?」
シズは、黙ってその話を聞いていた。
咀嚼していたパンをゆっくりと飲み込む。音を立てないように。
すると、ジークエンドもその会話に加わった。
「この間の……、サグラダと戦った時か? その時も逃げられたしな。商人ギルドの絶対強者にも負けてるぞ。……確かにクロウは強いが、伝説に伝わる千年の大悪魔は、あんなものなのか?」
「お〜。悪魔らしくね〜んだよ。生ぬるいぜあいつは。けどよ、悪魔の強さなんて、そこなんじゃね〜のか〜?」
「……コルテ。さっきあんたが言ったみたいに、あんたは魔術師だ。だから『結果』が見えてない。魔力で強さを測ってる。……クロウは、実際、そんなに強かったかい?」
コルテが、その端正な上唇に手をやる。
シズはそこに目が引き寄せられた。ひんやりとしていそうな、滑らかな唇。——なぜかそれを自分が見ていることに気付いて、すぐに目を逸らした。
「……なんとなくあんた達が言いたい事が分かってきました。それでもねぇ……」
「ジャックの情報を集めたんだ。……相当イカれてる奴だよ。地底墳墓の近くに住んでる奴らは、今じゃ必ず死体を燃やすらしい。埋葬すると必ず掘り起こされる。そして、いつの間にか死体は元に戻ってるんだ。……全身を切り刻まれてね」
「生者には手を出さないのも不気味だな……」
「お〜? 変態なんじゃね〜のか〜?」
亜人であるクーロンは知っている。
気狂いが持つ欲望の歪みを。その深さを。……異常とも呼べる癖を持つ奴は、周囲の全てを汚染する。そして、大抵そいつらは強い。
「……不死者達の王と呼ばれるヴァンパイアロードが、なんで死体にそんな事をするんだ?なんで生者に手を出さない? なにを企んでる奴なんだ? ……坊やとクロウは、本当にそんな奴に勝てるのかい?」
息をついて、コルテは手元の酒を飲み込んだ。
——シンクの隅の汚れが気になる。シズに、ちゃんと洗っておけと言ったのに。
「……それとな。クロウの魔人形態には期待出来んぞ。あいつは周りに人が居たらあの姿にはなれない。全力を出せば、必ず何かを巻き込むからだ」
「なに言ってんですジークエンド。あいつは悪魔でしょうよ」
クーロンが言う。
「だから。それをしないじゃないかい。あの大悪魔は」
「——んっぐっ、んっんっ!」
音を出してはいけないと、水を飲むのもためらっていたシズが、パンを喉に詰まらせる。
その顔は赤くなり、次第に青くなった。
「ふむ。コルテ、水をやれ。弟子が死ぬぞ」
「……はあ。はいはい」
「けどねえ。……あたし、あの悪魔のそういうとこ、好きだけどねえ……」
「はっ。ま、話はこんくれ〜だ。メシを食お〜ぜ。今の内に腹に入れておかね〜とな」
「……そうだな、夜は長そうだ。転生者ギルドも慌ただしそうだしな」
窓から差し込む日は赤い。
これから、夜が来る。
不死者達の時間。
虚ろなる精神を持つ、夜の住人達が歩き回る時間。
死人通りの『死にかけ』達も、その長い夜への備えを始めた。
しかし彼らは知らない。
その長い夜にはうろんな客が来る。
自分から、死地へと飛び込む『死にたがり』が。
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「……ウオオオオオオオオオッッ!!
西方より来たれええええええええいッッ!!」
広間の空気が震えている。
そのあまりの大声と怒りに。
地底墳墓最下層——腐った瘴気は、淀みながら渦を巻く。
「其が名は飄謳ッ!! 焔獄の饗者よオオオオオオオオオッッ!!」
腐った空気を炎が焼く。
炎の竜巻はその大きさをどんどん増し、部屋中を舐め尽くそうとする。その場に居る人間達を巻き込んで。
「……クロウッ!! なに考えてんだおまえっ!? ……イエリアッッ!!」
「はーいはい。もうやってるよー」
あたたかな光が。
宙に浮くイエリアを中心に黄色い力が広がる。 足元に集まっているアゼル達をゆっくりと包み込むように。
「メスカルっ!!」
骨。
半身を失ったその骨は、今にも炎に飲み込まれようとしていた。
「腕エエエエエエエエエッッ!!」
迅八の背中を突き破り、噴出する鮮血の腕。それはまっすぐスケルトンの元に伸び、その体を引き寄せた。
《なぜ? ……ありがとうございます》
「いいからっ! 結界の中に入ってるんだ!!」
迅八は一人、結界から飛び出す。
魔界の炎が渦巻く地獄の中へ。
魔術を無効化する迅八には、クロウの魔術が効かない。それでも荒れ狂う炎は錯覚を感じさせる。あるいは錯覚ではないもの。
——熱い。
荒れ狂う大悪魔の感情を。
広間の中は、炎が荒れ狂っているのになにも燃える事はない。魔術の炎は生者以外に牙を剥く事はない。
広間はこの世の邪悪——その全てを溜め込んだような場所だった。
標本のように壁に打ち付けられた幾つもの死体。訳の分からない液体に浸された奇形の胎児。……あらゆる種類の臓物が、血で満たされたプールの中に浮かんでいる。
(……こんな奴に、話が通じるのか!?)
人間とヴァンパイアは違うだろう。
その思想も理念も、何もかもが違うだろう。しかし、違すぎる。
こんな広間で生活する事は、人間だったら一日も耐えられない。
「……千年の大悪魔。なにをそんなにいきり立つ。やめろ。ここで暴れるな」
「死にッッやがれえええいッ!!」
魔人形態。
実体化した刺青——尻尾の蛇が波を打つ。
角のように突き立った二束の金色の髪——その間にバチバチと火花が爆ぜると、そこから真っ直ぐに雷が伸びた。
雷が伸びた先には、真紅のローブを羽織る男がいた。
伸びた長髪を綺麗に分けて、それは腰まで伸びている。真紅のローブはまるでガウンのようにその胸を開けていて、覗く肌は死者の色を——青白いその肌が、炎の中で揺らめいていた。
クロウの角から伸びる雷は、神速の速さでその男に迫る。
青白い肌。
それが突然ひび割れた。
ミチミチと、ギチギチと音を鳴らし、微かな血を流したかと思うと、雷が到達する前にその体は爆散した。
「ぬううううっっ!! ……変化かっ!?」
無数のコウモリが部屋を飛び回る。
標本の間を縫い、奇形児達を倒し、血のプールで口を濡らす。
すると、再びあの『音』が。
「アッ!! あああああああっっ!! ……クロウ、もうやめろ!! ……アゼル、耳を塞げっ!!」
音は鳴り止まない。
可聴音域から外れた、しかし途轍もない大音量が、部屋の中に谺している。
ビリビリと。
部屋を揺らし血を揺らし、鳴らされ続けるその音は、いつ止むとも知れぬ拷問のように。
「……くぅぅうおの、吸血鬼風情がああッッ!!」
怒りのままに、闇雲に放たれる雷の乱打。嘲笑うかのように、その全てをコウモリは躱す。
やがて無数のコウモリが部屋中に舞うようになると、突然、その小さな体を爆散させた。
「なんっ……!!」
……霧が。
暗黒の霧が部屋を覆う。
その霧は、広間を舐め尽くす炎を覆い、その勢いを弱まらせる。
やがて業火は全てが消えて、広間に再び静寂が戻った。
……ざり。ざりざり。
『霧』が床を這う。
細かな細かなその粒子は、部屋の中央に集まり始める。やがてそれがうぞうぞと蠢いたあと、そこには真紅のローブを身に纏う男がいた。
「……もう一度言う。やめろ。ここで暴れるな。話を聞きたいと言っていなかったか?」
「テメエッ……!!」
迅八は、その戦いに加わる事も出来なかった。
超次元の戦い。
自分が元の世界で読んだり見たりした、物語の戦い。
(なんだ……マジかこいつら。化け物じゃねえか……!!)
本気になったクロウも、目の前のヴァンパイアも、化け物すぎる。
「……なにをそんなに怒っている。そんなに気に入らなかったか? 『ワルギリア』の事を聞かれたのが」
「黙れキサマ……!!」
ワルギリア。
クロウの剣。
人によっては聖剣と呼ぶ程に美しい剣。
「私も長く生きている……。と言っても、お前と比べたら子供のようなものだ。昔、ほんの少し聞いた事がある。千年の大悪魔。……それがお前か」
「黙れテメエ」
迅八は、なぜクロウが激怒したのかが理解出来なかった。この広間に入った時、目の前のヴァンパイアはまず迅八の方を向き口を開いた。
『……ニーシーシェン』
なにかの呪文かと思った。
迅八が、不安を秘めて睨みつけると、ジャックはつまらなそうに目を逸らした。
そして、クロウの事を見つめ、彼は言った。
『お前が千年の大悪魔か。……ワルギリアはどうした?』
クロウの怒りは凄まじく、一瞬で魔人形態に変わった。そして、彼らの戦いを間近で見た迅八は、また不安になった。
——こいつらは、人間とは違う。
この遺跡に入った時も感じた事が、再び心に浮かび上がった。
いつもふざけているクロウは、面倒臭がりのクロウは、なんだかんだと助けてくれる。
悪魔のくせに、良い所がある。
しかし、今の彼は人間の事なんて全く考えていなかった。恐らく、ニコルやロココの事など一ミリも気にしていなかった。
————パン、パン。
ジャックが手を叩くと、広間の壁に下げられていた、幾つもの松明に火が点いた。
炎は揺らす。今の戦いで辺りに散らばった『調度品』を。
床に落ちた奇形児を、ジャックは手で掴むと血のプールの中に落とした。
ちゃぽん……。
深く深く、沈む音が。
「……まだ続けるつもりか? それとも話をするのか? 選べ。場合によっては排除する」
「排除だぁ……? く、く、く、くかかかかかか……!!」
「やめろクロウ!!いい加減に……」
「ジン!! …ロココさんがっ!!」
後ろから響いた声に迅八は振り返り、広間に浮かぶ光の結界を見た。
その中で苦しそうに身を丸める女。泣きながらそれにすがりつくニコル。
そして、笑顔の形に目を歪めて、クロウの腰の『ワルギリア』を見ている天使の顔を。
「ジン!! もうダメだ!! ……保たない!!」
アゼル。
……迅八は、泣きながらロココの背中をさすっている少女の顔を見た。
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「……祭りか?」
「違うよイーストっ。ロンダルシアはいつもこうだよっ」
「…………そうだったか」
王都ロンダルシアは、これから始まる夜の為に、熱気と喧騒で溢れていた。
光の渦——ガス灯のぼんやりとした明かりと、魔光石の光が揺れる。
人は光の中に何かを重ねる。
実際の光景ではなく、その時の感情を焼き付ける。——美しい光。思い出した時に、そう思う。
「……どうしたの? イーストひどい顔してるよ」
「いつもだろう」
「あはははは……。そういえばそうかもね。私たちは、いつもそうだね……」
ウエストはずっとイーストのマントを握っていた。手は掴まない。イーストが嫌がるからだ。
「ねえイースト。……千年の大悪魔が、あのチカラを持ってるといいね」
「……可能性は高い。そうならば、お前も救われるはずだ」
「ううん……。私はね。いいんだ。もう、あの世界に帰りたくないの」
「イーストは、やる事あるでしょ? 私ね、なんもないから……」
「だからね、私はね。……イーストの為に死ぬね」
「イースト、あなたは、誤ちを取り返して。……幸せになるの」
「……違う」
「俺は地獄に落ちる。それでいい。
……だが、助けなくちゃいけない奴らがいる。必ずだ。俺は必ず果たす」
「この世界にならあるはずだ。この世界なら、あるはずだ……!!」
行き交う人々の流れの中で、いつの間にか、イーストとウエストの周りだけ、空白が出来ていた。
年齢不詳の男。マントから顔だけを出した男が、ずっと光を見つめている。
泣いている。男が光を見つめて涙を流している。その傍らに寄り添う美しい少女は、空っぽの目で光を見ていた。
「……気持ちわるうーい」
誰かが言う。
誰も、その二人のそばには近寄らなかった。
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「……おいティー。揃ったぜ」
転生者ギルドの中は人でごった返していた。久しぶりの大規模討伐に興奮し、そこかしこで気勢が上がっている。
「おいティー! マコトは来ねえのかー?」
「来たがってたけどね。今回は私がリーダーだから、言う事きいてね」
教会と一緒になっている冒険者ギルド——転生者ギルドと呼ばれるそこの庭で、冒険者達が整列を始める。
「みんな、聞いて!! ……敵はAランクのヴァンパイアロードよ。近隣住民も被害にあっている。クエスト依頼を出せない貧しい人達が悲しんでいるの。……私たちで、地底墳墓に安息を取り戻しましょう!!」
その光景を見ている者が二人いた。
一人は教会の二階から。
白銀の髪を持つ美しい天使は、その様子を静かに見ていた。
もう一人は木の上から。
和装の男は、治ったばかりの腕の握りを確かめるように刀を触り、薄く嗤った。
集う舞台は西の枯れ地の地底墳墓。
長い夜が始まる。




