地底墳墓
フォスピトン地底墳墓。
ロンダルシア地方、西の枯れた大地に存在する地下迷宮。遥けき時を越え存在する『遺跡』として有名なこの場所に、冒険者達が入り込む事はない。なぜか。
宝がないからだ。
そして、おぞましいからだ。
かつては訪れる者もいた。宝を求め、謎を求め、幾人もの冒険者達がこの場所を訪れた。
しかしそれも昔の話——今では、誰もこの遺跡に挑戦する者はいない。
この遺跡の中には瘴気が渦巻いている。遺跡を踏破した最初期の冒険者達は、瘴気の正体が分からなかった。しかし、最下層の一室でそれを見つけた。
骨。
幾つもの、何人もの風化しそうな骨。
何年前からそこにあったのか、触るだけでパラパラと砂になるその骨を見つけた冒険者達は悟った。
——ここは、墓場だ。怨念が渦巻く場所だ。
有益なものなど何もない。空虚な死だけが満ちる場所だ。
遺跡に誰も近寄らなくなってから長い年月を経て、空虚な死の空間にいつの間にか住人達が住み着いた。……不死族。虚ろなる精神の器。
彼らは崇める。
自分達の王を。
生と死を支配する夜の王を。
ヴァンパイアロード。
上位不死族の末席に名を連ねるこの世界の強者の一人。
『切り裂き』と呼ばれる彼、——あるいは彼女に会う為に、迅八達は遺跡の闇を降りていた。
————————————————
「『切り裂き』ジャックね……。会いたくねえな」
疲弊した精神は、思考を鈍らせる。迅八達は、意識して軽口を叩き合っていた。
「そもそも誰が言い出したんだよ。ジャックって人の名前だろ?」
「んなこた知らねえよ」
「……自分で名乗ってたって話だぞ。近隣住民が何人か会った事があるらしい」
「いるの!? 平気なの!?」
イエリアが呆れたように言う。
「ねえねえジン……。天使も悪魔も吸血鬼も、別にそんなに好戦的じゃないよ。理由がないのに喧嘩を売るのは人間が一番多いでしょお……」
「バカ言ってんじゃねえよっ」
「なに言ってやがんだこの短足が。いつもおめえは俺様に止められてるじゃねえか。どっちが悪魔だ」
「ぐっ…ぐぬぬ」
「ははは。……言い返せないな」
横から響く笑い声。迅八がそちらを見ると、アゼルがしっかりとニコルの手を握っていた。
「俺様は、理由もねえのに喧嘩なんか売らねえよ。ま、そういう奴だっているがな。だがな、理由があれば徹底的にやるよ。悪魔は」
「なんだよ理由って」
「食いてえ、とかな」
「な……やめろよお前。悪魔みたいな事言うなよ」
「おいジンパチ。おめえら人間は中途半端なんだよ。すぐに怒るしすぐに泣く。中途半端にな。……中途半端にやりはじめて、中途半端にやめやがる。俺は違うよ。徹底的にやる。相手が泣こうが喚こうがやると決めたらやる。食い散らかす。……そこの天使も同じはずだぜ」
「オレはジンの言う事きくだけだよ。けどね、オレも好きじゃないなあ」
闇の中に浮かぶ天使と悪魔の顔はよく見えない。迅八は進む。深い闇の奥へと。
————ずるり、ずるりと。
いつの間にか、その音は聞こえた。
「……イエリア」
「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ」
クロウは己が出した光球を、遺跡に入ってすぐに消した。代わりにイエリアの結界が光を放っている。
光が届く距離までが安全——それを分かりやすくする為に、クロウは光球を消した。
————ィィイイイイッ……
迅八達の横を、ゆっくりと影が通る。動いても大丈夫なのだが、迅八はその度に足を止めた。
動き回る死体。そのあまりのおぞましさに。
ずるり、ずるりと。
死体は遺跡を歩き回る。
支配者が命令しなければ死体が襲ってくる事はない。そして、その事は迅八の心の中に、安堵と不安を与えていた。
「……おいジンパチ。どうやらこいつらは自動的に侵入者を排除する命令を与えられてねえ。それに、ジャックに出会った近隣住民は生きている。……つまり、ジャックは話が通じる可能性が高いぞ」
「良かったねえ。楽そうじゃん。ここまで来たのに話が通じないバカが相手だったら悲惨だもんねえ。……あははははっ。言う事なんて一方的にきかせりゃいいのさぁ……あははははっ」
悪魔と天使は世間話のように軽く言い合っている。しかし、その横を通る影。
ずちゅり、ずちゅりと。
粘液を垂らしながら歩く死体。
垂れ下がる目玉を元の位置に戻す死体。
引き裂かれた腹から臓物を垂れ流している死体。
元は青かった管が、元は赤かった液体が。
腐臭を放ちながら、茶色い汚物を撒き散らす。
身体中にある縫い目から伸びる糸、それがどこかに引っ掛かった。——ばらり。
死体はその首をかくりと倒して、そのまま前に進んだ。ゴン、ゴン。……壁にぶつかりながら。
「……は、はっ! はっ……!」
ニコルの荒い息が。
アゼルはその手を握りしめる。
迅八の心の中、安堵と不安。
ジャックは、ヴァンパイアロード『切り裂き』ジャックは。
人間と会話が出来るのに、人間相手にこんな事を平気で出来る。……それは、会話が通じると言うのだろうか?
闇の中で笑っているクロウとイエリアを見る。彼らの事を、迅八はそれを口に出すのは嫌だが、仲間だと思っている。
しかし、彼らは言う。
お前らは中途半端だと。
おそらくそれは、人間の人間たる理由だ。
こいつらは、自分の仲間の天使と悪魔は、やはりどこかが人間とは違う。
(天使……悪魔……)
「おい短足。なにしてんだてめえは。さっさと行くぞ」
迅八の肩を押すクロウの手。
この手に、迅八は何度も助けられた。
「…………ああ。行こう」
遺跡には特徴がある。作りが綺麗であるという事だ。
四角く切り取られた通路の曲がり角は、たいてい直角に折れている。朽ち果てたフォスピトン地底墳墓もそうだった。通路と部屋が分かれている。
「『遺跡』って、なんなんだ?」
「知らねえよ。昔からあったもんだ」
「お前、昔から生きてるだろって」
「……千年も生きてりゃほとんどの事は覚えてねえわ。てめえは、十年前の事を憶えてんのか? 俺だって百年前の事すらあやふやだぜ」
「まあ、細かくは覚えてねえな……。なあ、遺跡は迷宮とどこが違うんだ?」
「同じって言や同じだが、誰が作ったのか分からねえくらい昔からある事と、なんに使うんだかよく分からねえ旧遺物があると遺跡って呼ばれる事が多いな」
「ていう事は、ここでは、むかし何かが発見されたのか?」
「……かもな。ま、今は関係ねえ話だろうぜ」
地底墳墓の闇は、人の心を深い場所に誘う。
過去を。
現在を。
仲間同士で交わす言葉は少なくなり、いつしか誰もが己の心と喋り出す。そのうちアゼルが口を開いた。
「……そう言えば、大草原にも遺跡があったな。あの時は驚いたよ。クーロンが死んじゃうかと思った」
「俺様の方が驚いたわ。……そう言やアゼル、てめえはビービービービー泣いてやがったな。クーロン、クーローンってよ。くかかかか」
「……泣いたの? アゼルが?」
「黙れ変態。俺が泣いてたら悪いのか? お前も泣かされたいか?」
「いや、何気にさ、結構よく泣くよねアゼル」
「やっぱり殴られたいみたいだな」
眉をしかめるアゼルの言葉に、キツい敵意は乗せられていない。迅八の目にはアゼルの表情が、どことなく恥ずかしげに見えた。
「……なあなあ。わたしって言えば? 爺さんの前では言ってたじゃん。可愛かったよ」
「なっ……!?」
「おい。……何かがこっちに来るぞっ。そろそろ黙れ」
————かしゃん。かしゃん。
その音は闇の奥から響いた。
「……明かりが」
かしゃん。かしゃん。
小さな炎が、こちらに近付いてくる。
かしゃん。
……その骨は、迅八達を包む結界の手前で止まった。アゼルが唾を飲み込む音が迅八の耳に届いた。
「スケルトン……」
象牙のようなつるつるとした質感、美しい骨。
筋肉もなく、皮膚もなく、内臓はおろか脳みそがあるのかも分からない。声帯すらないはずのその骨は、なぜか空気を震わせた。
《……我が主への謁見をお求めでしょうか》
「なんだ、これ、声が……」
「黙れジンパチ。……おい骨。千年の大悪魔が会いに来てやった。案内しろ」
《……申し訳ございません。私は貴方を存じ上げません。千年の大悪魔様と仰るのですか……? 》
「チンケな吸血鬼に会いにきてやった。こんな幸運はねえぞ。早くしろ骨」
《……我が主を、愚弄する方ですか? 》
ミシミシと。
骨の右腕が音を鳴らす。
左手のランタンはそのままに、骨の右腕が鋭角的に尖り出した。
「……あ〜れえ〜? ねえねえ綺麗な骨。つるっつるのスッカスカ。それでなにするつもりィ? ひょっとして、ジンに向けるつもりかなああああ……?」
「やめろイエリア。違う、そうじゃないっ。えと、あんたの主人に会いたいんだ。話を聞きたいんだ」
《……地獄で言いなさい。ああ、……ここがそうでしたね》
「あははははっ!! スッカスカの頭蓋骨の中に何が詰まってるのか見てやるよオオッッ!!」
イエリアが結界を解く。
光の翼は形を変えてぼんやりと輝く。
尖り、鋭さを増し、まるで大きな剣のように。
《貴方からですか? 死になさい。そして、我が主に仕えるのです》
スケルトンは異常な速さで動いた。
迅八が戦いを止めようとするよりも速く、イエリアが剣を構えるよりも速く。
「なっっ…」
《さようなら。可愛い子……》
「……あんちゃって〜。あははははっ!!」
————がしゃんっ!
音と共にスケルトンは弾け飛んだ。
イエリアの光の剣は、構えるまでもなく空中を自在に動いた。叩きつけるように振るわれた不可視の剣は、スケルトンの背中から入り、その半身を吹き飛ばした。
《卑怯な……》
「なあああにィがあああ? なに寝ぼけた事を言ってんだよお前え……。こっちが手加減してやってんのすら分からない小物が喧嘩売っといてさあぁ」
「イエリア、もうやめろ!!」
そして、その音は響いた。
「……なっ、アッッッッッッ!!」
迅八の頭が突然揺れた。
「はっ……、なに、なん、だ!?」
一瞬、本当に一瞬だけ、途轍もない音が遺跡内に響いた。壁が振動している。パラパラと小石が降る。揺れる視界が地に落ちる。……膝を突き、そのまま両手を前に出して迅八は体を支えた。
「う、おぇ……!!」
せり上がる吐き気を飲み下す。
「ぐっ……アゼル!!」
赤毛の少女は青い顔をして膝を突いていた。しかし、その胸の中に必死でニコルを抱えている。
「痛い、あたま、痛い……!! ねえちゃん……」
「大丈夫だ。大丈夫だニコ……」
顔を歪めたクロウが、ふらつきながらロココの事を抱き寄せる。ロココはその胸の中で、顔を青くして震えていた。
「……音だ!! 音が鳴ってやがるぞ!!」
「音なんて聞こえないッ!!」
「聞こえねえ音だっ!!」
クロウの叫びを聞いたアゼルは、己の両手を使い、ニコルの耳を押さえた。
「大丈夫だよニコル……すぐに平気になる」
「ねえちゃん! ねえちゃんがっ!」
「アゼル!!」
迅八は、酩酊したように制動の効かない体を引きずり、二人の元に向かう。
(な、なんだコレ!! 頭が、揺れて……!!)
目の前には必死でニコルを『音』から守るアゼルの姿があった。顔に脂汗を浮かべながら、ニコルを守る少女の頭を、迅八は己の胸の中に抱きしめた。
「あ、かっかっか、かかかかかかっ!!」
「にいちゃん!! ……ねえちゃん、にいちゃんが!」
「ジン、やめろっ!!」
びたびたと。
二人にかからないように顔を逸らし、吐瀉物を撒き散らす。その時、イエリアとロココを抱えるクロウが見えた。
「ジンパチィ!! この音で死ぬ事はねえっっ!! ……おいコラッてめえどこで見てやがる!! 千年の大悪魔が会いに来てやったぞ!! さっさと姿を現せええええっっ!!」
頭を揺らす耳鳴り、髄まで響く甲高い痛みが、迅八の頭の芯を襲う。
スケルトンが落としたランタンのちらつく炎が、闇との境界線を浮かび上がらせる。すると、光と闇の線を越えてそれは飛んできた。
炎を照らし返す小さな目。
聞こえない音とは違う、しっかりと聞こえるぱたぱたと鳴る羽根の音。
小さな、一匹のコウモリが。
そのコウモリが、皆の上でくるりと回ると、耳鳴りは収まった。
《……ニ…… シ…… シェイ……? 》
(なんだっ!? コウモリが、喋って……)
不思議な韻律の言葉を。
どこかで聞いた事があるような。
コウモリはバサバサと羽根を動かしながら、再び声を出した。
《……お前ら、誰だ? 》
「俺様の事も知らねえのか……? チッ。めんどくせえ……!!」
「俺は転生者だ!! ジャック……あんたがジャックでいいのか? あんたに話を聞きたい!!」
《………転生者》
コウモリは飛び回る。
十二使徒の上を。
千年の大悪魔の上を。
それぞれを眺めるように回ったあと、半身を吹き飛ばしたスケルトンの上で止まった。
《……メスカル。大丈夫か》
《はい主。大丈夫です》
《お前の体を治す。……そいつらも連れてこい》
《よろしいのですか?》
《連れてこい……》
再びくるりと皆の上を回って、コウモリは消えた。
《……主の許可が下りました。貴方達を地底墳墓の客人として迎え入れます。失礼をお許しください》
「ふ、ふざけやがって。このオレに攻撃しといて、それで済むと……」
「やめろイエリアっ。喧嘩を売りに来た訳じゃないんだ!!」
スケルトンは立ち上がると、バランスを崩し壁に倒れた。失った半身を補うように壁にもたれかかると、ずりずりとそのまま進んだ。
「ちょ、ちょっと……。腕とか、そのままにしといていいの!?」
《なんの問題もありません》
「いや、あるよ……。ごめんよ」
迅八は、スケルトンの横に付き、その体を支える。
《なにを……》
「メスカルっていうの? そう呼んでいいかい?」
象牙のような美しい骨。
メスカルはなにも答えなかった。
更に深く、更に暗く。
地底墳墓は続く。
————ィィイイイィィ……
————ァァァアアアアア……
不死者達の呻きが闇に谺する。『客人』として招かれた迅八達は、結界を解き、光球が道を照らす。
その光球に照らされた、悪魔と天使の顔に変化が。
「……ちょっとォ。クロウ、やばいんじゃないのこれぇ……」
「フン」
無意識の内に犬歯が伸びる。
肌の上に悪寒が走る。
大悪魔の体に少しずつ変化が表れる。
「やべえな。……ジャックは強いぞ」
地底墳墓最下層。
大きな両開きの扉の前で、そう簡単に事は進まない事を大悪魔は認めた。




