中編
そこそこ栄えた国の、街の中。
人でごったかえす商店街通りの中を私は荷物を抱えて歩いていた。
あまりの人の多さに嫌気がさしつつも、もうすぐで宿に着くからと重い荷物を抱え直した時。
ふと、何となく。
本当になんとなく、何の気なしに視線を横に向けた。
たったそれだけ。
その瞬間に目に飛び込んできた人物に目が釘付けになった。まるで、そこだけスポットライトが当てられたかのように。
人でごったかえす波の中、私はたった1人その人から目が離せず息も忘れて見詰めていた。
あんなにも人で賑わっていたのに、その喧騒さえも遠のいてゆく。
彼とは大分距離が離れているにもかかわらず、彼の息遣い、歩く音、匂い、服の衣擦れすらも聞こえてくるようだった。
ドクドクとなる心臓がうるさい。
顔に自然と熱が集まる。
やっと見つけたーーと、
心のどこかで誰かが呟いた。
感動で涙が勝手に零れ落ちた。
何故だろう、胸が苦しくて仕方がない。
この気持ちは、この鼓動の高鳴りは一体なんだろうか?彼が、欲しくて仕方がなかった。
手を伸ばして、触れて、抱き締めたい。
その喉から零れる声を聞きたい。
彼から香る馨しい香りに、涎が止まらない。
なんて、なんて愛おしくて...
『なんて...オイシそウ、ナノだろウ?』
グゥ...と腹の音がなった。
◆◇◆
「ヒッドイ隈やなぁ?寝れてへんの?」
そう、声をかけてきたのはいつかの同族の魔女だった。相変わらず、野暮ったい田舎娘の様な格好をしている。眼鏡越しのその目は酷く呆れたと言わんばかりの目をしていた。
「...なんで、いるの?」
「んー?偶々この街によったらひっどい匂いがするんやもん。気になって来てみりゃ...あははっ!
若い同胞が恋をして苦しんどるみたいやなぁ」
同胞である魔女は、真黒な隈を作りガリガリにやせ細った体で街から離れた森の中で倒れ伏す自分を見てケタケタと楽しそうに笑っていた。
そんな彼女の姿に、猛烈に怒りが湧いてくる。
彼女は知っていたはずなのだ。
魔女が恋に落ちると、どうなるかを。
知っていながら彼女は言ったのだ。
恋をしろ...!愛をしれなんてっ...!!
苛立ちと共に掠れた声で彼女に詰め寄る。
答えを知るであろう、自称年齢不詳の魔女に。
「ん?あはははっ、怖い顔してんなぁ。
なんやなんや?知りたい事でもあるん?ん?
くくっ、うちが何でも話したるでぇ」
こちらを小馬鹿にしたように話しかけて来る魔女に苛立ちながらも、何とか1つ深呼吸して気持ちを落ち着ける。
正直、今も胸が苦しくて体が辛くて仕方がないが何とか起き上がって尋ねた。
「...魔女って、なんなの。なんで、こんな...っ!」
「バケモノみたい?」
「っ、」
彼女は、長い長い時を生きる魔女は言う。
野暮ったい田舎娘の姿はそこにはなかった。
そこには、老成した、しかし酷く妖艶な誰もが見惚れる美しい笑みを浮かべる紛うことなき魔女がいた。
「バケモノやよ、うちら魔女はみーんな」
「ばけ、もの...?」
無知な幼子に言って聞かせるように、魔女は真っ赤なその唇をニイっと不気味に歪ませて楽しそうに語る。
本当の“魔女”というものについて。
◇◆
魔女って生き物は不思議なもんで、そこらにいる普通の人間とは全く違う。
見た目は、まぁ...そっくりだろうな。
しかも、その中でも極上の見た目をしているもんだから馬鹿な人間は明かりにたかる虫のようにホイホイと騙されて近寄ってくる。
それが、罠だとも気付かずに...
魔女ってのは昔はもっともっと残酷で、それこそ物語に出てくる魔女よりも酷いものだった。
だからこそ、人々は魔女を忌避するのだ。
人間に似て非なる、ただの人喰いの化け物だと知っているから...。
ーー魔女は嘲笑う。
それは自分に対してか。
恋に苦しむ、雛に対してか。
それとも、魔女のどうしようもない性にか。
「かつて、あんたは言ったなぁ。魔女ってのはそれはそれは美しく、妖しい魅力を持つ女達だと世間様に思われている。然しながらその実態は薬草に造詣の深い引きこもり一族なんやと。
...んな訳あるかい。うちらは、人と言うより獣...いや、虫の方が近いかもなぁ。
ある程度成長すると、住処を出て魔女は旅に出る。どこかにいる、己の魂の伴侶…番とも呼べる愛おしい相手を探しにな。
獣や虫が餌を探しに行くのと同じやな。
その習性に従って行動しているだけなんやから。
魔女はその相手を見つけると、一目で恋に落ちる。そいつが欲しくて欲しくて堪らなくなる。
恋をして、愛を知って。
魔女は初めてその力を開花させる。
相手を惑わし色欲に溺れさせて...
そうして、最後にはー...
ははっ、なぁ…あんたも感じたやろ?分かるやろ?
相手を見つけて、アンタは何を感じた?
何を思った??...美味しそうだと、思ったやろ。
魔女は、どうやって子を残すか知っとるか?
唯一の愛おしい、愛してやまない相手を…
…喰べるんよ。
血の一滴を残らず啜り、肉を喰み
骨の髄まで愛して愛して...
そうして、魂までをも捉えて飲み込んで...
そこまでして漸く子を宿すことが出来るんや。
要は...人を喰わな繁殖すらできん、人喰いの化け物や。しかも、ただの人やない。
愛した人の魂を輪廻に返すこともせず、己の内に捉えて交わってようやく子ができる。
ははっ、本当に魔女って生き物は...
恋をして、愛を知らねば生きられない。
どうしようもない、化け物なんよ 」
愉しげに魔女は語った。
けれど、だからこそ...魔女は言う。
「魔女は、どうしようもない化物や。
けどな、何よりも愛情深い生き物や。
愛を知らねば、生きられへん。
恋をせな、生きられへん。
実際、番を見つけられんかった魔女はそれは悲惨な死に方をする。
胸の内の孤独を埋められへん、誰かを愛することも慈しむ事も出来ん魔女はあまりの寂しさに最後には狂い飢え死ぬ。
そんな、実際弱く儚い生き物なんや。
だからこそ。
恋をして、愛を知った魔女は番を大切にする」
突きつけられた事実に、私は現実を受け止め切れずに頭を降った。
いや、わかっているからこそ認められなかった。認めたく、なかった…。
「っ、う...嘘だっ!嘘つき嘘つき!!なら、ならこの飢餓感はなんなの!!あの人を見つけて、確かに私はずっと探してたんだって理解した!でも、なら!なんであんなにあの人が喰べたくて仕方が無いの!!どんなに喉を掻き毟っても、腹を殴ってもこの飢餓感が消えてくれないのはなんでよ!」
「...言うたやろ?魔女はな愛情深い生き物なんやって。恋した相手が愛おしくて愛おしくて...思わず、骨の髄まで貪り尽くしたくなるやろ?
魔女の愛し方は、ただの人間のとちゃうねん。
相手の血を啜り、肉をさき、骨をしゃぶり、
最期には魂をも呑み込む。
相手を完全に己に取り込むことこそが魔女の愛し方なんや。だから、あんたのその餓えは魔女にとっては正しいことなんやで?」
「そんな、の...!!」
必死に頭を振って、耳を塞いで拒絶して泣いて鳴いて…それでも、彼女は現実を突きつけてくる。
「魔女は結局は人喰いの化物や。
愛故に喰らうんや、それはごっつう深い愛情や
...なぁ、知ってるか?
番の血肉は、この世の物も思えないほど甘美なんや。胸の内にあった誰にも癒せなかった穴を、飢えを埋めてくれるんや、そら美味いでぇ...はぁ。うちも、もう一度あの味を味わいたいなぁ」
恍惚とした顔で魔女は言う。
その言葉を、顔を見て私は怒りと恐怖のあまり目の前が真っ暗になった。
目の前の魔女が恐ろしいのではない。
近い未来、自分がそうなってしまうと思うと恐ろしくてそんな自分が許せなくて…
私は拳を振り上げて叫んでいた。
「このっ、化物!!!わた、わたしは違う!!こんなの愛じゃない!恋なんかじゃないっ!!!
わた、私はっ...」
「あんたも魔女や。それは逃れようのない事実や。その身を焦がす飢えが、喉の乾きが、胸の痛みが。心が叫んどるやろ?喰べたくて喰べたくて仕方がないんや!って」
「ちが、わたし...は...たべたく、ないっ...!」
「...難儀な奴やなぁ。さっさと喰ってしまえば...」
魔女は、一瞬酷く辛く哀しそうな顔をしたがすぐにそれを隠すとまた元の嘲笑を浮かべた。
「まっ、別に喰いたくなきゃええんちゃう?」
「え...」
「別に絶対喰わなアカンって訳ちゃうし。
魔女が特殊ってだけで、結局なぁ愛し方なんて人それぞれやろ?
あんたは、アンタの好きなように愛せばええよ。
まぁ...その飢餓感からは、もう逃れられへんやろうけどな」
「っ...!」
彼女の言うことは、何一つ間違っていないのだろう。私が楽観視魔女とは、物語に語られる通りの化け物でこの世に存在してはいけない『悪』だ。
だからこそ、彼女の言葉が私に突き刺さる。
その言葉が否定できないからこそ、苦しかった。
悔しかった。情けなくて…死にたくなった。
だと言うのに、今も彼のことを思うとどうしようもなく胸が騒ぐ。彼の事がどうしようもなく愛おしくて、愛おしくて…私は、私は…っ!
あまりのことに打ちのめされる私を前に、彼女はまた心底愉しそうに笑った。
「あははっ、まぁうちもそこまで鬼やない...
さぁさぁ寄ってらっしゃい!見てらっしゃい!
そこな恋に悩むあなたに!じゃじゃーん!これを差し上げようやないか!」
そう言って、魔女は1つの瓶をだした。
その中には薄ピンク色の、中心には小さな赤い花弁のようなものが浮いた綺麗な飴が詰まっていた。一見綺麗なただの飴玉。
それを掲げて彼女は自慢げに笑っていた。
「なに、これ」
「まぁまぁ、食ってみれば分かるて」
「は?ぅぐ」
無理やり口の中に押し込められた飴は、その固そうな見た目を裏切り一瞬で溶けて消えた。
すると、不思議なことに先程までの身を蝕む飢えがなくなっていった。
「は?!」
「どや?効果覿面やろ~!はっはっは!!
...魔女がなんで薬草に精通してるか、わかるか?
歴代の魔女の中に1人もその飢えに苦しまなかった奴がおると思うか??
みんな、苦しかってん。悔しかってん。
愛おしい人を喰う以外で飢えを凌ぐ方法がないか探して探して...んで、出来たのがコレや」
「な、なっ!なら、初めっから」
「ただーし!コレも完璧やない。これはあくまで一時的に飢えを凌ぐ為の、その場しのぎの物なんや。しかもなぁ、これは服用を続けていくうちに耐性がつくんかだんだん効かんくなってく。
結局、どの子も最後には己の飢えに耐えられんくなって...まっ、その先はお察しの通りって感じやな。それでも、欲しいならあげたってもええよ?」
一時でもこの飢えが凌げるならば、その間にどうするか考える時間が得られる。その少しの希望に、私はたまらなく縋り付いた。
本当は、彼のた為にもこの恋は諦めて今すぐに距離を置くべきだとはわかっていた。
けれど...これがあれば、少しでも彼と普通に会話して触れ合えると思ったら...
私は、魔女の差し出すそれに手を伸ばしていた。
「ま、そやろなぁ...」
自嘲気味に笑う魔女は、心底馬鹿な子を見る目で私を見た。
滑稽だと笑いたければ笑えばいい。
それでも私は...彼と、普通に...せめて一言だけでも顔を見て、普通の...恋人なんて高望みしない。
ただ、一言...話がしてみたい。
魔女が差し出す飴の瓶を私は、堪らず抱き締めた。限られた時間、それがどれ程のものかは分からない。
けれど、それでも...
私は愚かな選択をする。
ただ、苦しい時間が伸びるだけと知りながら...
愚かな私を置いて魔女は立ち上がると、その背に大きな月を背負い大きく手を広げた。
その顔は月明かりのせいで薄暗く見えない。
なのに...その真っ赤な口だけが嫌に鮮明に見えた。
「若き同胞よ!可愛らしい我らの末の子よ!!
恋をした、愛を享受せしめんとする哀れな雛よ!
さぁ、存分に相手を愛しなさい!
さぁ、存分にその恋と向き合いなさい!
その道は辛く哀しいものとなるでしょう。
けれど、どうか...だからこそ。
どうか、後悔のない選択を。
あなたの幸せを願います。
アーメン...なんつってな」
何処までもふざけた調子で彼女は嗤う。
恋に悩み苦しむ同胞の行き先を案じながらも、この先起こるであろう物語を楽しんでいる。
果たしてそれは喜劇となるか。
それとも、悲劇となるか。
彼女は傍観者。
過去も未来も見通す、最古の魔女。
彼女は、嗤う。
かつて、愛した人を思い浮かべて。
「さぁ、存分に恋に溺れるがいい」




