第七話
元老院末席に名を連ねるというリャクサの家は豪邸というには小さく、庶民の家と言うには大きすぎた。隣に立つ大商人の豪邸、趣味の凝った庭の先にある家と比べると幾分か小さい。
帝国を統治する元老院の一席とはいえ、選挙で選ばれることに裕福であるかどうかは関係ないのだ。
されども、格・品位がある。馬も牛も山羊もいる。使用人として雇われている奴隷は教育が行き届き、神殿の巫女が常識の一つも知らないことを理解していた。
「巫女様は肉と魚どちらがお好きでございましょう?」
「魚」
カーニャは一瞬悩み、肉と答えた。
「分かりました。野菜のあとにお持ちしますね」
野菜とチーズの料理、次にスープ、それから肉や魚の腹を満たす大皿が提供され、最後に甘い果物が机に並ぶ。その説明を受けた二人は野菜の味付けから驚いていた。
「それはドレッシングにございます」
「ドレッシング?」
「陸の彼方より手に入れた調味料とオリーブオイルを混ぜて作りました」
スープは種々の出汁を卵を加えて味を調えており、中の具材にもよく分からないものが多くあるが美味しさが染み込んでいる。
「これは、なに?」
「魚の鱗です」
「う、うろこ」
「硬いものは鎧にも使われますが、油で揚げると食べられる種類もあります」
スープの後は長い待ち時間を要するため、その間に飽きないようにツマミとして出される揚げ物がある。無言で食べていたリャクサが酒瓶を取りだし、嬉しそうに頬張り始めた。
「これが好きでね。一杯どう」
巫女は禁酒という決まりはない。
「では一杯」
「うちの稼業だから自慢なんだ」
(甘い)
喉が焼ける様に熱くなる酒も、葡萄よりも甘く感じる酒も初めてだった。カーニャは一口飲もうとしてサカニカと給仕からコップを奪われている。
「神殿でも何度か飲んだことがある。これは、いい酒だ」
「あはは、お堅い巫女様だね」
火にくべる供物を巫女がつまみ食いしても怒られない。そもそも監視する人間が存在しないことが大半で、貧しい神官も偶に持ち返っている。
そのためサカニカは首を振って否定した。
「巫女には詳しくなくて……さっ、腹を満たそう」
メインディッシュとして運ばれてきたのは小振りな魚一匹を丸ごと調理したものだ。ニンニクやハーブをふんだんに使用し香り良し、見た目よし、味よしの三拍子が揃っている。
カーニャには山羊を切り刻み食べやすい大きさにしたものが出され、隣には味を変化させる調味料がある。
リャクサが自慢するだけあって、サカニカとカーニャの食事はみるみるうちに減ってしまい、なぜか男子たるリャクサよりも早く食べ終わった。
「どうかな、肉煮込みと魚煮つけ。うちの料理人がここ一番の出来栄えって自慢しているんだけど」
「……美味しかった」
嘘偽りない事実だった。
「もっと欲しいです」
カーニャの胃袋は際限なく食べ物を摂り込む奈落だ。すでに食べきれそうになかったリャクサから皿を貰っており、給仕をしていた奴隷も少しばかりカーニャから距離を保っている。
リャクサは薄青色のワイングラスを傾け、嬉しそうに何度も頷いた。
「最後に果物を盛り合わせたものを出そう」
両手を叩くと奥の部屋から色とりどりの果物が金属製の大皿に乗せられて運ばれてきた。三人分にしては数が多い。
「カーニャ」
「はい」
「あはは、食べるために保管しているんだ。遠慮はいらないさ」
庭に実っていた果物を急いで捥ぎ取って来たのだろう。いくつか取り立てと思われるものが混じっている。
「巫女様は普段から国のために祈ってくれているからね。これは心ばかりのお礼と思ってくれて構わないよ」
「無償の施しには必ず報いなくてはな」
サカニカは酒を飲みつつも果物に手を付けなかった。代わりにカーニャが全てを平らげていく。
「だが巫女に出来ることは限られている」
「そうかな?」
神に身を捧げる行為が誰かのためになっているとは考え難く、神託ならば神の力を感じ取ることができるがそれが正確かどうかは誰も知らない。サカニカやカーニャの二人には直接の力を行使しているものの、本当に力を以て帝国を守護しているかなど踊っている二人にも分からないのだ。
「神に身を捧げるだけが巫女だ。信仰の自由で信者もそれほど……いないと聞いている」
「ネカグリロの信者は滅多にいないね」
(神官だって別の宗教の信者なのが……)
「それでも巫女が協力してくれるなら助かることはあるよ」
サカニカは自然と身構えていた。
「この料理を作ったのは妻なんだけど、まだ結婚式を挙げてないんだ」
「……正気か?」
「他の宗教に頼めるほど伝手はなくて」
一般常識に欠けるサカニカには結婚式がいかなる方法で行われるのか全くの無知であった。リャクサから常識を聞いて初めて結婚式を挙げていない意味を理解した。
「後見人がいない、と」
「妻は平民の出だから親族にもお金が、無いとはいえないけど無いのと同じ。そしてナーラムント家は新興貴族、成り上がりだ。元老院になんとか選挙で勝ったけど相手が執政官に嫌われてたせいだから何とも言えなかな」
「後見人になる立場になった……か」
「そう」
雇われている奴隷が嬉しいのか不安のか微妙な表情で二人の会話を聞いていた。主人たるリャクサが元老院の末席に名を連ねたのは嬉しいが、得られるはずだった後見人が空席なのは不安なのだろう。
少し富んだ平民であれば後見人から安定した収入を得られ、代わりに一家総出でその後見人を支えていたに違いない。ある意味、楽な道のりだ。
「内乱で義理の息子娘と揃って戦地に行かないと行けなくなってね。その前に……挙げたいんだ」
戦地に赴くのだから無事に帰ってこれるとは限らない。心残りがあるならば済ませてしまいたい気持ちがサカニカは何とか理解できた。しかしながら、巫女としての教育に結婚式は含まれていない。
「……気持ちは分かった。だが、巫女は神に身を捧げる以上のことは出来ない」
「サカニカ様」
果物を半分まで食べたカーニャが悲しい目をしている。
「全部、捧げないといけません」
(……そっかぁ)
「……小さくてもいい。焚火の用意を」
リャクサは深く感謝した。
「ありがとう」
「施しの礼だ」
他の宗教がどれほどの値段で結婚式を取り上げるのか聞けなかった。部屋の奥から出てきた妻とリャクサが泣いて喜んでいるのをみると、ますます聞きづらくなってしまった。
「私たちは一体彼らの何を捧げることになるんだ」
巫女と巫女見習いは小声で話す。
「愛ではないでしょうか」
「……愛」
*
サカニカは用意された焚火に木片を入れつつ、悩んでいた。同じように木をくべるカーニャも傍に寄りて、式の用意をする奴隷に聞こえない程度の声量に抑えて言った。
「サカニカ様、ですが、愛は捧げても良いものなのでしょうか」
「……身も心も捧げると決めた私たちにはどうにもできないよ」
「それは、はい」
「でも、つかの間でもいいから……二人に幸せになって欲しい」
火を目の前にしてサカニカは躊躇した。
カーニャは火の反対側でリャクサが用意した供物をくべ、華やかな衣装に着替えた夫妻が巫女の背中側に立ってる。そこから幸せな会話や奴隷たちの祝福を聞いているとサカニカは幸福を願わずにはいられなかった。
(神様、何もしないでください)
「火に向かって願いを」
家業で作られた酒を火に入れると白く燃え上がり、赤い火から純白の色に変わった。
夫婦は一瞬驚いたが落ち着きを取り戻して叶うかも分からない願いを告げていく。戦場で勝利すること、生きながらえること、より高みに臨むこと。
(神様?!)
一方サカニカは焦っていた。
今まで祈りの中で炎の形が不可視の力で大小さまざまな形をとることはあれども、色が変わることは無かった。
焼けるように目が熱く、身体から沸き立つ汗は何故か冷たい。
(何かを、何かをして二人が幸せになるのなら、私は)
炎が突如として大きくなりまさしく身を焼いた。
奴隷が急いで水を焚火にかけようとしたが、カーニャがそれを制止する。神託の前兆だ。
(ありがとうカーニャ)
同じように近いカーニャも火に焼かれているはずだが、サカニカの場所からはよく見えない。奴隷や夫妻が慌てる声が聞こえ、より遠くから見物人の歓声が聞こえる。
次第に体から熱が引いていき、熱が引ききってから地面に両手をついた。まだ温かく、冷たい汗が腕を伝う感覚がある。
「だ、大丈夫なのか。取り敢えず水、水を飲むんだ」
「……ぷはっ」
「立てましょうか。部屋を冷やさせておりますからそちらまで」
夫妻の声はやはり心配の音色だった。
「手を貸してくれ」
リャクサと思われる腕を掴んだ。細いながら筋肉がしっかりとついており鍛えられている。
「カーニャも頼む。前が、見えない」
神殿の奥にある白い炎、神の罰と称されていた炎の伝説。突然焚火が白く燃え上がり、賢者の目を焼いた。それは確かなる事実だった。




