第六話
皇帝の御座す円形集会場は数多くの元老院議員たる大臣が頭を並べ、外輪に兵士が槍を片手に威圧している。普段ならいるはずのない属州の官吏、総督もここに集い外縁部や繋がりのある部族まで招待されている。
イオニスッラ・エンリオポのたった一つの号令のために総勢百人を超える国家の重鎮らが一箇所に集結し、皆が皇帝の言葉を神経質に望みその先鋒に座る二人の少女の意味を思考した。
「皇帝陛下の名の下に集った英姿の者たちよ。畏き陛下がお見えになる」
少女二人も含めて全員が背筋を伸ばした。
一段高くなった位置の台に現れたのは数人の侍女と護衛に囲まれた皇帝だ。紫色のマントを羽織り、侍女にアクセサリーをその場で自らに飾らせた。
「フィレネ、集まりが悪いのではないか」
「そのようなことはありません陛下。皆、陛下の招集に従いました」
「ならよい」
フィレネと呼ばれた男は若く皇帝に信用されており、執政官かそれに準ずる大臣級の人物とサカニカは予想した。
「……巫女は一人と聞いている」
話を振られたフィレネはそのままサカニカに視線を送る。
「この子は巫女見習い」
「名は」
「私はサカニカ」
「カーニャと言います」
皇帝は黙して二人を眺めた。薄色の瞳は柔らかいが鋭利な刃物のような目線である。初対面であるためか、警戒しかない。サカニカは途端にカーニャが心配になったが隣へ視線を動かすのも憚られた。
「巫女は踊れるな」
「火の前で踊る」
「用意させよう」
事前に種火は官吏に渡してある。
宗教に詳しくない人間や部族の人間は、明かりが入り込んでいる集会場にわざわざ火を用意する理由を知らなかった。大勢の高官が集められたのだから、一髪千鈞の状況が進行していると考えていたのだ。
「巫女が踊られる。皆、姿勢を崩されよ」
神殿にある神の炎よりも遙かに巨大な火が集会場の中央に用意される。
高官たちの肌にも熱が届いているようで、何人かは服の袖をまくり始めた。
サカニカとカーニャはルシウスから借りた短剣で長い髪の一部を切り取って火の中に投げ入れた。
舞が始まる。
大勢の前で行うのはこれが初めてだった。今まではローバや数人の神官に見守られながら行ってきたことはあるが、百人以上の衆目は存在しない。
(今日は体が自由なんだね)
いつも通り服が汗浸しになり、それが滴り落ちて蒸発する。異なるのは元老院議員たちの感嘆と皇帝の好奇な目線だ。
サカニカがちらりとカーニャを覗くと彼女は自分の世界に入り込み周りを何も気にしていない。激しい舞とゆったりとした舞を行き来し、神託を得る場合と異なって最後にのみ身を焼かれる寸前まで近づいて終幕する。
焚火は自然と小さくなり、一人の静かな拍手が響く。
「カーニャ、こっちに」
フラフラと、されど急ぎ足で皇帝の前に首を垂れた。
「神もお喜びになられるであろう良い舞だ。皇女サカニカ」
「……私はサカニカ・ネカグリロ。皇の名はない」
「ネカグリロ?」
部族の代表と議員の一部がどよめきを以て反応した。
「わけを話せ」
「陛下よりも高貴な方から」
(高くはあるけど貴じゃない)
聴衆の疑念が伝播していきフィレネが大声で抑えても人々は憶測を投じることを止めなかった。
「巫女サカニカ。それは神託か?」
首筋が冷たくなる。
「意思を神託と呼ぶならば」
「……ここにお前が呼ばれている理由は一つ」
あからさまに集会場の本題だ。
ガヤガヤと騒がしかった聴衆が皇帝と巫女の一変した雰囲気に呑まれ、ゆっくりと座席に落ち着く。
「ユーリリアに神託を引き渡した所以だ」
(大丈夫、この人は賢い皇帝)
「どうやって?」
「笑止」
兵士が二人を徐々に囲み始めた。
醜い言い訳をしたら一瞬で首が飛ぶだろう。
「私は二の妃様とあったことがない」
「もはや妃ではない。反逆者のことを妃と呼ぶな」
あからさまに不機嫌になる。
「ユーリリアは神託を得ておらねのならば、巫女、お前も戦場に行ってみせよ」
(初めからそう言えばいいのに)
事前に根回しがあったのか、誰も異論を飛ばさなかった。
フィレネは間を置いて真白い背面の紙を服の内側から取り出し、皇帝の側から大声を張り上げ大臣らに命令した。
「陛下は叛逆を行いし属州を直轄するために、軍を興し謀反人とその協力者を処断するを望む。しかり、陛下の軍に馳せ参じるものは起立せよ!」
ここで直立しない大臣は自由民から上り詰めた人間か、それとも今動かせる兵士がいない大臣である。部族の人間は断ると侵略の対象となるため立ち上がるほかない。
「軍に神託を、帝国に神を」
「仰せのままに」
皇帝は終始無表情だった。傍に使える兵士や従者が感情豊かに見えてしまうほどに、感情が表意に出てきていない。唯一、二の妃と言葉にした時だけ声に感情が乗っただけである。
「はよういけ、軍はお前を待っている」
サカニカは体力が尽き果てたカーニャを抱きかかえた。
疲労と緊張で彼女自身も足取りは不確かだが集会所の出口に向かう。しかし、そこへ現れた人間のためにサカニカは足を止めなければならなかった。
「皆さま方がお集まりのようで」
「来たのか、クラデンス」
「海を渡るには相応の準備が必要でしてな陛下。それこそ《《ひと》》月では済まないほどには、ええ、壮大な計画を立てなければなりませんな」
皇帝とクラデンスなる人物の間にいるサカニカは壁際に動いて視界から消えようとした。
「ん?初めて見るお顔でございますな」
しかし、クラデンスはそれを許さなかった。
カーニャを腕から降ろして礼儀を優先する。
「……サカニカ・ネカグリロ。巫女をしている」
「カーニャと言います」
「巫女?ああ巫女!陛下がご執心なされている巫女はあなたのことか!」
わざとらしい大声で言った。
「海の向こうに居ても帝国を守護する神の名は聞く。それ身を捧げているとなればああなんと有難いことか。しかしその疲労した身体、さも陛下に無理難題を申し付けられたのでは?」
「クラデンス!分を弁えろ!」
フィレネが叫んだ。何人かの大臣から白い目で見られているクラデンスであるが、怯まずに言い返した。
「海運を知る儂を抜きに軍を出立させようなどと考えてはおらぬよな。見よ、部族の子倅すらここに集められておろうに儂には一人の遣いも扉を叩かなかった!」
「今頃扉を叩いているだろう!それか海獣の腹の中だ」
「笑わせてくれるわ!」
フィレネとクラデンスの言い争いは段々と激しくなっていき、何故か大臣の間でもいい争いが始まった。
皇帝はそれを治めるわけでもなく、議論に誘導するわけでもなく見守るのみで、それどころか際どい衣装の従者と戯れている。サカニカは若干、初めて見る光景に目を奪われていた。
「見ないでください。下衆です」
「ごめん」
(目が怖いよ)
「……行こうか。まずは軍を探す」
*
集会場は丘の上に立てられており周囲には家々が広がる。一方には海が穏やかに波を揺らめかせ、一方には急峻な山々が天を支えていた。軍がいるとすれば郊外の広々とした草原、もしくは海の上だ。
「許可がないと門を潜れないっけ」
都市を囲む城壁を見て思い出した。
帝王学によれば入った人数と出た人数は人口動向を調べるのに重要な役割を果たす。
「許可が必要なのですか?」
「必要だった気がする」
帝王学は許可の発行場所など考慮にない。丘の上から見渡しても行政施設はいくつもあり、どれがどれなのか神殿にいたサカニカが分かるはずもない。
一度王宮に戻ることも考えたものの、門前払いされる結果しか得られないだろう。
「冠で通るのは……危険か」
《《元》》二の妃から渡された金の冠は髪の内側に忍ばせている。
「従軍しろと命じるなら軍まで連れて行って欲しいものだ。従軍とは――」
「――勉強したから分かります」
遠い昔の記憶を頼りに文字と言葉を教えている成果だった。サカニカはカーニャの頭を撫でて笑顔になった。
「いいじゃん」
「……ところで、サカニカ様」
(喉が渇いたのかな)
「お腹が空きました」
「パン一斤でも足りない?」
「もっと欲しいです」
「食べ盛りだね」
生憎二人は無一文、食料を買うことは出来ない。やはりとなったサカニカは軍と合流するために目的の人物を探し始めた。大臣でなければ警護に、警護でもなければどこかで騒いでいるだろう。
まだ出会って数日だが、ルシウスの単調で明快な性格は有り難かった。
「……いないな」
「警備員なんでしょうか」
「あの男が?」
「プロレスが強そうでした」
「ぷろれす?」
集会場の周りをうろついている二人は兵士から怪訝な顔で監視されている。
「おや、おや。先ほどの巫女ではありませんか。ここで何をしていらっしゃるのでしょう」
兵士が告げた先は議論に参加していない手隙の大臣だった。若いところを見るに低位の職、外周警護の責任でも担っているのだろう。
「あの騒ぎから抜け出した」
「あははっ!巫女にはほとんど関係ありませんからねぇ。元老院の連中は相変わらず自己の利益しか顧みない。折角、巫女があのような見事な演舞を披露してくださったのですが」
「議論は大事だ。醜い喧嘩であろうと」
「亡きクディオール帝の教えを未だ覚えていらっしゃるとは」
おどけてみせた若輩の大臣は不満げなカーニャに視線を移した。
「小さいのによく頑張ったね」
「……お腹が空きました」
「あれだけ踊れば労働奴隷も同じことを言うさ。うん、折角だし我が家の料理人の腕を批評してくれないか?」
対価として食事を振る舞う、と彼は伝えた。巫女の立場に対して貸し借りを行わない若い大臣の言い草にサカニカは提案を受け入れた。一文無しの二人には誰かの善意に預かる他ない。
「喜んで評価しよう。大臣」
「大臣だなんてそんな。自分はリャクサ、元老院末席だけど空気だと思ってくれて相違ない」
用事を済ませると言い残してリャクサは集会場に戻り、暫くして少々暗い顔になって帰って来た。サカニカとは異なる宗教の人間がその暗い背を見送っている。
カーニャは心配の言葉を送りつつも追及せず、愛想笑いで済ました彼に五歳児は全てを察したように微笑んで終わる。
「さっ、いこう!」
手を繋いで歩く姿を後ろから見ていたサカニカは疎ましい気持ちを抑えきるのは難しいが、カーニャの隣に速足で移動して開いているもう一方の手を持ちあげた。
「巫女様?」
返事はなかった。




