第五話
神殿の巫女となると太陽を浴びる機会が非常に少ない。ましてや神殿の外に出ることなどあり得ないと言っても過言ではなかった。齢一七にしてようやく外の空気を浴びることが叶うほどで、サカニカのように一四で神殿の外に出た巫女は初めてだろう。
青天井の荷台にサカニカとカーニャは座り、御者は兵士、周囲の騎兵にルシウスが混じっている。保護をすることは確からしいが、サカニカはその必要性を感じなかった。
蝋燭と共に揺られ揺られて半日、帝国の都に辿り着いたころには陽が沈みかけており、門兵とルシウスが話し合っている。
言い争う様子はない。しかし袖の下に小さな袋を入れ込んだのを見逃さなかった。ほくそ笑みながら兵士は門を開ける。
「正規の値段よりも個人に払った方が遙かに安くてな」
聞いてもいないことをルシウスは話した。カーニャがいつになく微笑ましく門兵を見つめていたが、サカニカにはそれが恐ろしいものに感じた。
「何を思う?」
「私を売った奴に似ています」
「……そうか」
貧困にあえぐ民が急遽纏まった金が必要となると手に入れる術は限られている。貴族の施し、商人からの借金、そして奴隷落ちだ。子がいるならば自分自身は売らずに子を売り払って金を得る。
(五歳の子は安いのにね)
神殿務めの神官でも買えるのだから、推し量るべくもなく仕事の出来ない人間は安い。
「あの女も同じ顔をしてました」
無言で呼吸の浅いカーニャを抱きしめる。子は暖かいと聞いていたがカーニャはあまりに冷たかった。
「冷たい」
「……」
二人の様子をどう思ったのか、ルシウスは馬に掛けてあった布を馬車に投げ込んだ。
白い歯を見せて笑っている。
「この間火山が噴火したせいだな!」
サカニカは普通の空を忘れてしまっているため、空を見上げても明るさが減じたのかどうかを調べられなかった。帝国の科学者なら正確に光量を定量しているだろう。
貰った布は艶があり手触りも良く、何より馬の体温で暖かい。
サカニカはカーニャを包むようにして巻いた。
「感謝する。ルシウス殿」
「感謝します」
「なんのなんの」
美女が云々と駄弁を語るルシウスを二人は無視し、サカニカはカーニャを包み込み続ける。
「ありがとうございます。み……サカニカ様、温かいです」
「ずっと火がある場所にしかいなかったから仕方ない」
燈明が照明代わりの空間もかなり冷えていた。環境だけが体が冷たい理由にはならないことをサカニカは知っている。その他の原因を取り除くのは困難で、サカニカはトラウマに震える可憐な子をできうる限る安心させるしかなかった。
「それに、あの女とやらはここにいない。大丈夫だ」
沈黙。
カーニャの恐れは跳ね橋を二つ渡っても、門を三つ潜り抜けても消えることは無い。だが、踊り詰めて疲れ果てていたであろう身体はゆっくりと傾き、ついに頭をサカニカに預けた。
サカニカから身体を離すと険しい表情になり、身体を寄せると安心した表情に戻る。
(かわいいけど、けど。この子は大人らしく生きるしかなかったみたい。私よりも遙かに過酷な現実で)
神殿から持ち込んだ蝋燭の火が大きく燃えてる。
火がさらに強くなると、カーニャの安心していた表情は次第に曇り始め唸るようになった。
「……」
火が弱くなってもカーニャの悪夢は終わらず唸りも酷くなる一方だ。緊張でいつ目が醒めてもおかしくないが、カーニャが起きる気配はない。
「大丈夫、大丈夫だから」
多少弛緩するものの夢の中に届いているか分からず、ただただ何も出来ない無力感に苛まれた。
艶いい服を着た人間に案内された部屋はサカニカの見覚えのある部屋で意外にも牢屋ではなく、王宮にある一室だった。五歳までサカニカが皇女として過ごした部屋であり、今まで誰も手をつけていない空っぽの部屋だ。
「水瓶、ベッド、椅子、机、蝋燭。サカニカ様、必要なものはあります」
「ご丁寧に夜食付きだ。それ以外は……ないが」
人が過ごす空間として最低限の体裁は整っている。
「食べたら死ぬんでしょうか」
見たこともない魚料理を突きながらカーニャは不安そうだ。しかし体は正直ですでに食し始めているのもカーニャだ。
「ないと分かっているな」
「はい。匂いがしません」
「匂いで分かるものなのか?」
いくらか匂ってもサカニカには海の匂いしかしなかった。カーニャ曰く、醤油の匂い、片栗粉の味、タンポポの出汁などと言われてもさっぱり理解できない。
「この料理を日本?で食べたことがあると」
「神の信者に食べさせてもらいました」
「宮廷料理とは流石だ」
カーニャは何か言いたげだったが美味しそうに魚を頬張る様子に開けた口へ言葉の代わりに料理を入れた。二人とも腹が減っていたのもあってすぐに食べ終わる。
蝋燭の火を移し机の中央に据え、苦戦はしたが種火からもう一本の蝋燭に火をつけた。
「処刑は本当に行われるのですか?」
カーニャは持ち込んだ箱を大事に抱えてから言った。あれから一度も蓋が開けられていないが、中身はしっかりと重さで主張している。
「……怒りに呑まれる皇帝なら私は処刑だ。それ以外ならば助かる。心配ない。そもそもカーニャは巫女見習いであって、それもつい最近神殿に入ったのだから処刑の対象ではない、はずだ」
最上の自信は無かった。
「そうでなくても、私はサカニカ様と一緒に死にます」
(どうして?!)
「……置いていかないでください」
大人びているとサカニカは評していたものの、少女はまだ一人を知らぬ子であった。
「巫女見習いを育て上げないで消える巫女じゃない。私は決めたんだよ。カーニャをいい巫女にするって」
水瓶から水を掬って飲ませた。
「それまでは絶対に置いていかない。置いてかないよ」
巫女に育てられることがカーニャの幸せに繋がるとは考えられなかったが、元より、サカニカに出来るのは限られている。
蝋燭の火を消してからベッドに横たわり、カーニャを静かに呼び寄せた。髪を撫でると絡まりに阻まれる事なく先端まで滑り、肌を撫でると何一つ凹凸がない。
「いい人ほどすぐどこかに行ってしまって、もう二度と戻ってこないんです」
サカニカの胸に沈み小さく呟いた。
「大丈夫、私はカーニャの傍から離れない」
「ほんとう?」
「本当。私は……いい人じゃないから」
真っ暗闇の部屋、カーニャとサカニカは目が合った。いつもある燈明はなく、星明かりもない。しかし確実に二人は互いに見つめ合っている。サカニカは何かを話そうとしたカーニャの口を塞ぎ、眠るように伝えた。
「きっと明日は忙しい」
処刑される理由が如何なるものであれ、保護なる名目ならば巫女には対価のようなものがある。二人はいくつも、何度も行ってきたことで帝国や皇帝の助けになるのは一つしかなかった。
「火の前で私たちは踊る。髪の毛を切って、血を垂らして、神様にお願いすると思う」
「はい」
「うん」
「きっと退屈していると思います。ここの神はサカニカ様の踊りが好きそうですから」
「……そう、かな」
サカニカは考えたことも無かった。
「私をここに連れてきた神と同じなら」
呼吸が変わり始めたカーニャは言った。そのまま小さな呼吸が深くなり、軽く揺すっても反応がなくなる。サカニカも硬い枕に頭を預けて久しぶりに火のない部屋で夜を過ごした。
チリチリと蝋燭の根元に火花が現れ独りでに火が灯されたが、白く光ったかと思うと今度こそ蝋燭は沈黙する。成り行きは摩訶不思議の現象であり、確かに意思があった。




