第四話
暗く闇深い広間、今は神の炎しか灯されておらず炎から離れると体の輪郭を捉えるのが精一杯なほど闇に近しい。
そこで二人は踊っていた。
神官やローバもいない。
神とサカニカとカーニャだけの儀式だ。
踊ったことがない振付にも関わらず、二人は息を合わせて脚や手を動かす。緩急のついた激しさと穏やかさが介在し、単調にならないように新しい振付が与えられる。
そこに二人の意思はなかった。
身体が根を上げるまで、動かなくなるまで狂いながら踊る。口元は笑っていても目は死んだ魚のように、呼吸はしていても酸欠のように、自分の意思で動かせていないようだった。
まさに二人は神に身を捧げている。
演目の終幕、二人は神の炎に近付きクルクルと回りながら服を焦がしていく。その熱は次第に皮膚にまで届き、人が焼ける匂いが広間に広がった。
精魂尽き果て意識を失うと儀式は終わる。
火に撫でられ、不思議な力で寝室に戻っているのである。動かした体は当然痛み、焦げた体は異常なほど白くなった。
「これもまた神託なのでしょうか」
服を着替えてから言った。
数回か同じことを行っているが焦げ目がそのままなのは初めての事だ。サカニカは無言で紙を用意してカーニャに手渡し、服の模様を写し始めた。
(次は何)
血を垂らしインクが動いて文章となる。服を一面覆っていた焦げ目の通り、今までにないほど長大なものになった。
“サカニカ・ネカグリロ。汝の運命は月桂冠が示す。苦難と試練、苦渋と決断、全て決まり決まった道のままに外れることも叶わず真の己に決別できぬ。吾に汝の総てを捧げてみせよ。汝は永劫に讃えられん”
「心まで捧げてしまったら私にはもう何も残らない」
燈明の火が強くなった。
「……それがお望みなのですか」
燈明が落ち着いた。落ち着いた視界の端に顔を歪めるカーニャが見えた。
「サカニカ様」
「何が書かれた?」
「総てを捧げよ、と。金の冠を別ち合いサカニカ様と共に私の総て神へ献上とし、世に讃えられん。さもなくば……」
言い淀む。
欠けた文はカーニャが最も忌み嫌うことを行うとサカニカは考えた。殺した家族を蘇らせるのか、他の絶望を与えるのか定かではない。しかし、カーニャが決して耐えられない絶望であることは定まっている。
二人は紙を燈明の上に置いて燃やした。
(神様は私をどうしたいのですか。意思の無い傀儡にするならそうすればいい。私はあなたの巫女なのですから)
そのままベッドに座って、カーニャはサカニカの膝上に座り輪郭だけを捉えられる入口を眺める。燃え尽きる神託を視界に納めつつ、聞こえる足音に耳を澄ました。
「サカニカ様は神がお分かりになられますか?」
(無理)
何も答えなかった。
「私は神が分からなくなりました。前世……あぁ生まれるよりもずっと前」
カーニャはサカニカの手を腹に持ってきて握り締める。
「私は日本という国に生まれました。帝国よりも技術力がある国で暮らしに困ることは無くて、みんな幸せそうで、楽しそうで、ですが私は家族のせいで幸せとは程遠い生活でした」
(カーニャ……でもこれはユノの言葉か)
「私と妹、弟を何も出来ない馬鹿と罵って……他の男を連れてきて私たちに世話をさせておきながら自分はまた別の男を持ってきて、臭い香水とか高い化粧品だけ買って靴も服も髪の毛も」
罵詈雑言、たまに聞き取れない言葉がある。
「家を追い出されて野垂れ死ぬだけの私に、神が、ここの神ではありませんが救いを与えてくださったのです」
恍惚としていた。
「あの女を殺しても、罪に問われないと!鬱陶しい存在が消えてなくなって私は自由になれる!…………はずでした」
(労働奴隷よりは自由)
「あの女を弟と妹が庇うんです。やめてやめてうるさくて、だから一緒に殺しました。綺麗に殺してあげられたか分かりません。必死だったんです。女がずっと生きて這いずってたから」
逆にサカニカの手が強張った。
「憎い女を殺して静かになって、私は自殺しました。そしたら神のいる国にいけると教えてくださったから」
「……本当だったね」
思わずサカニカは素の口調になった。
「私を許してくださった神が今の神と同じ存在と信じたくありません」
「少なくとも千五百年は帝国を守護している神だ。別世界にも干渉できるだけの力があるのかもしれないし、偶然かもしれない。だが……」
サカニカは小さなカーニャを体で包み込む。互いに一部が温かく、手先は極端に冷たい。
「嘘はつかなかった」
「それは、きっとそうです」
嘘をつかないからこそ、二人の心は穏やかにならない。運命だと神託が下ったならば、耳に聞こえる足音が運命そのものだからだ。
(私は……巫女だから)
扉の手前でその音は止まった。
「お待ちを、お待ちください!」
「邪魔するな婆め、別に急いでないぞ」
ローバと男性の声が部屋に響く。神殿の中で聞いたことが無い声で外からやってきたのだろう。
思いのほか軽い扉はドカンと開け放たれた。奥はやはり暗い。しかし大股で接近したためすぐに顔が見えるようになった。髭面だ。
「神殿巫女のサカニカ!貴様を保護する!」
「……保護?」
「皇帝陛下からの勅命だ。処刑するまでの間だがな……な」
髭面は鼻の下を伸ばし始めた。近くまで来て二人の姿形を認識したためである。
そして二人に背を向けた。
「ぐっ、おおお美しい」
後から兵士が数人ローバを押しのけて木手錠を持ち込む。手順に従ってサカニカとカーニャに手錠を掛けようとしたが、一番乗りの兵士が取りやめさせた。
「おい、枷など必要ない。この華奢な足と手で人に抵抗できん」
「はぁ……そうでありますか」
「それに美しい手に傷がついてしまうだろうが!」
(怠慢な人間だけど貴族よりマシ)
巫女と巫女見習いは大人しいため、兵士らも彼の言葉に素直に従った。
「ローバ、任せた」
「およ、およ」
「リシスなら踊りが出来る」
「なりませぬ。火を、火をお持ちください」
神の炎を持ち出せとローバは言った。ただの火であるから木でも木炭でも簡単に燃え移る。巫女の傍に火があれば問題ないとサカニカは知っているが、ローバは“神殿の火”が特別だと信じている。
「……カーニャ」
「お任せください。巫女様」
「分かり申した。ルシウス殿、種火が出来るまでお待ちくだされ」
「ぬっ……はような。俺はちょっと便所に」
その便所から戻ってくるまでに種火を作れと暗に伝えて、ルシウスは兵士を連れて便所を探し始めた。その辺でする男ではないらしい。
老神官と二人の巫女も部屋を出る。
「ローバ、どういうこと」
速足で移動しながら状況を聞いた。
「詳しくは知りませぬ。帝都で火が上がったと」
「火?」
「二の妃様が反乱を」
事態はサカニカとカーニャの想像通り深刻であった。
反乱は突発的なもので自然発生的なものを除いて、特に貴族や皇族が興す反乱は用意周到だ。勝てるから仕掛けているのである。
「神託が漏れたせいであると議員様方が騒ぎ立ておりました」
ここ暫く、自分のだけに神託を得ていたサカニカには全く身に覚えのないことだ。過去のものを管理しているのは皇帝や元老院で神殿は解読のみを担当している。
「罠でございます。リシスに逃げる手配を任せ、今にも逃げ出さされば」
「部屋に二の妃から貰った箱がある。取りに戻ってくれ。必要になる」
「……しかしあれは」
「神を失望させてはならない」
言葉を失った老神官は放心してから寝室に踵を返した。
(やり過ぎた)
「カーニャ」
「はい」
しっかりと目を捉える。
「私たちは金の冠がある。軍団を率いる者の、帝国を守る人間の証だ」
「……どれほどの高みなのでしょうか」
「考えるのも恐ろしい」
広間に入り轟々と燃える神の炎が出迎える。
思い出したかのように、“しかし”と、サカニカは続けた。
「この神様は帝国の守護神だ。皇帝の、ではない」
火の粉が舞う。
「そして私とカーニャは、巫女だ」
巫女とは、一六の歳を数えるまで神に身を捧げ国家安泰、民草の安寧のためにその一身を犠牲にする。神に身を捧げるためならば、いかなる過程であろうとも巫女の本分となるだろう。




