第三話
鏡とガラスによって白い大理石の空間が照らされている。サカニカの産まれた帝国にしかない真っ白な部屋だ。
維持をするのに聞いたことがない材料が必要なため、使えるのは神殿にいる巫女のみである。
皇帝すら使用できないその場所は白いテーブル、白い椅子、白い炎など全てが純白、許される異物はまさに巫女だけであった。
「火は見ないように。神様に目が奪われる」
見ないようにとサカニカが言っても部屋の中央に昇る火を見つめないのは無理があった。長時間見つめないのであれば問題ない。
「巫女様、なぜ火が白いのですか?」
「分からない」
言い伝えはある、とサカニカは付け加えた。
かつての哲学者がここで焚き火をしたとき、空から落ちてきた星が焚き火に入った。忽ち火は白く変色し、その火を間近で見た哲学者は失明したという。
その後、火は神の罰として捉えられ消えるまで神に許された人物が管理するようにと時の執政官が定め、該当する巫女や神官が担当している。
「……いつの時代の話なのですか」
「少なくとも、百の国が滅んで百の民族が生き絶えた。帝国は今まで五十の民族を滅ぼしたから……三千年?」
「そんなに」
口伝による言い伝えが形を変えて哲学者となり、それ以前の記録は滅ぼされた民族だけが継承していたのだろう。
あらゆる事物を検証する帝国でさえ、未だこの現象を解明出来ていないのは神の仕業と断定するほかなかった。
「さ、身を焼かれながら掃除だ」
「だから水を被ったんですね」
「そうだ。死にたくないなら乾く前に終わらせよう」
火の周りは暗い広間にある炎より熱い。不思議なことに塵ひとつない空間で掃除もしやすかった。机と椅子の位置を毎回別の場所にズラす以外は労働らしい労働をしていない。
「鏡で自分を確かめてみろ」
「髪はちゃんと結いまし……肌が、白くなってる?」
「火に焼かれても肌が白いのはこの炎のせいだ。加えてカーニャ、巫女見習いとして神様に認められたことに、今なった」
神の罰と評されている火の側で動ける人間、ただの火だとしても神が罪に近づくのを許した人間、それが認められてたと解釈されている。
「原理は分からないが長居すると髪まで白くなる」
「もう成り始めてます」
サカニカは自分の毛先がすでに白くなっていることに気付いた。
「行こうか」
「はい。巫女様」
ローバが聞いた話によると、長居し過ぎた人間は白くなって灰のように崩れ落ちたらしい。
「出る前にこの石を床に置く、溶けて床一面に広がって鏡のように綺麗に保たれる……らしい」
受け取る前に偉い学者が口酸っぱく言うのだから巫女と巫女見習いは理屈を聞く気にもならなかった。
「そうでしたっけ」
カーニャはそもそも会話を覚えていなかった。
二人は重厚な扉を梃子を使って元に戻し、祈りの言葉を告げて扉を固く施錠する。再び開けるには神に許された人物が祈りを以て開けるしかない。つまり巫女の仕事となる。
「祈り言葉は覚えたか」
「巫女様の教えが良いので」
サカニカが神殿に来た五歳と、このカーニャの五歳とでは精神の成熟度が異なる。敗北を認めた彼女はカーニャの“お世辞”だと受け取った。
「ところで巫女様。あの椅子にはどうして死者が座るのですか?」
「私には見えなかった。君にだけ神様が用意されたのだろう」
「……神は善であられないのでしょうか」
(一体何を見たのこの子)
「どうして私を!んんっ。私を恨んで死んだ人の姿がそこにあるのですか」
「その答えを私は持ち合わせていない。だが、巫女見習い、それを知るために占いをしよう」
(まだ五歳だよね?)
神からなんらかの啓示があると捉えると、巫女は一室に籠って占いをする必要がある。神官が日常的に行っている占いと似ているが別物で一般的には神託と呼ばれる。
サカニカが勝手に占いと言っているだけである。
「占い?」
「神官たちは神託とも。己の身を切って火に入れると不思議なことが起こる。それを記録して神官に伝えると神託になり元老院に献上される」
巫女が出来る国家の趨勢を左右する仕事だ。
「準備をしようか。まずは身体を清めて——」
水浴びをした後にどこを切るかを二人は話し合った。
体の一部であれば身を切った判定になるらしく、髪の毛でも神託がおりてくる。しかしあまりに個人的なものであるためサカニカとカーニャは誰からも見られない位置から体の一部を取りだすことにした。
深夜、神官の誰もが寝静まる夜。神の炎がある広間でカーニャは血の入った皿を炎に投げ込んだ。
(神は善なるもの……そう?)
血を吸い上げた炎は二人に迫り、撫でる様にして服を焦がす。
(まぁ、もう考えないって決めたか)
サカニカは焦げ目を用意した紙に写し、カーニャにも同様にするよう羽ペンを手渡した。
「これが神託ですか?」
「いつもなら神官に読み解いてもらうが、今回は……分かるな?」
「はい」
その後二人は決まった手順で踊りを披露し、疲労困憊の状態で寝室に戻った。
睡魔に身を任せそうになるカーニャを揺すって眠りを阻害し、ゆっくりと燈明の微かな火に写しを晒す。
神官に神託を任せることが多かったサカニカは手順を必死に思い出し、なぜするのかを除してローバの言葉を再生することに心血を注いだ。最後に神託を自分で読み解いたのは八か九のときで、父たる皇帝が亡くなるのを知る前日であった。
あの日、読み解いた神託を自身で破り捨ててしまった。
(嘲笑う神様なんて…………私は気に入られただけ)
血を垂らして暫く待つとインクが独りでに動いき文字を形成する。
「文字は読めるか」
「い、いえ。文字はまだ……まだ……」
ふと、サカニカは自分の血で動いた文字列、文章を読んだ。
“名を捨てたサカニカ。お前に寛大な吾より名を与えん。ネカグリロ。サカニカ・ネカグリロ。こう名乗れ”
「ネカグリロ。私はあなたの子ではない」
燈明が弱々しくなる。
「……カーニャ」
暗がりの中ですぐ隣にいたカーニャの身体に触れると、酷く震えて苦しんでいるようだった。どんな表情なのか想像で補う他ないが、サカニカはそれに耐えられない。遠い人が奪われ、近しい人が奪われると次こそ心が崩壊するだろう。
(それでも神様か。私の神様)
「私はサカニカ・ネカグリロ。そう名乗ります」
「かひゅ、はぁ……はぁ」
燈明の火が強まり、眼が使えるようになったサカニカはまずカーニャの背中をさすった。
「私のせい。ごめんなさい」
「巫女様は……悪くありません」
ところで、とサカニカが彼女の神託を確認しようとするとカーニャが紙面を引き摺りとって胸に仕舞い込んだ。
「君もか」
全く知識にない文字で書かれているのを見てしまった。
「……カーニャ。神に従順である方がいい。今私は君を失いかけた」
「これに従えって?!」
「明日、君に大事なものが消えてなくなる。従わない代償は私たちの命ではない、とだけ教えておこう。巫女としてではなく、サカニカ・ネカグリロとして」
彼女自身驚くほど言葉に力が籠った。
「……サカニカ様。もっと神様は高貴な存在ではないのですか、救いを与えてくれる存在ではないのですか」
カーニャは絶望しきった様子で胸に抑えつけていた紙を落とし、フラフラとベッドに頭から墜落する。
「ここに来ても……私は逃げられないんだ」
白い炎は古い言い伝えに過ぎないと思っていたが、カーニャの憔悴しきった様子に本当ではないかとサカニカは思い始めた。
(ほんとに何を見たのこの子)
憔悴したままカーニャはサカニカの下へ戻ってくる。
「サカニカ様。私は、ザライ ユノは家族を殺しました。みんな殺しました」
サカニカは絶句した。
「八歳の誕生日の日に毒を使ってみんなを、女は包丁も使って刺して殺しました。何度も、何回刺しても死ななくて、それでも包丁で殺しました」
カーニャは泣き始めた。
「……ユノを、カーニャを巫女にしてください。立派な巫女にしてください。私は神様にこの身体を捧げますから、一七になるその日まで」




