第四十二話
久しくサカニカは一人の時間が訪れた。
カーニャは食事と排泄以外は全て睡眠で体力を回復させ、ルシウスは幕僚二人に将軍としての知識勉強を強制させられ、ログサリッタは便利屋としての仕事に忙殺されている。
リャクサに会いに行こうとしたが哨戒に組み込まれて港にはいなかった。
廃材で作った焚火の前でサカニカは身を捧げ、その感覚に懐かしさを覚えた。神託でもなく、供物でもない。ただ神に見立てた炎に身を捧げるだけの純粋な巫女であった。
神殿の暗い広間で炎をみているだけの時間が愛おしいまでに。朝から行い始めて夜までその状態だった。
心配した誰かが水や食べ物、それも珍しく料理がサカニカの背に並べられており、サカニカはそれを摂ってより長い時間身を捧げ続けている。
「神様、疲れました」
炎に木をくべた。
「疲れてしまいました」
パチパチと木が弾ける音がした。
「ネカグリロの名を貰った日からずっと。ローバに教えられた巫女の道を外れて、私は……」
上手く言葉に出来なかった。
「昔の巫女が羨ましい。何も考えずに、戦場に出ることも無くて、祈って、神託をたまに得るだけの生活が。私だけどうしてこんなに……人と関わっちゃったんだろう」
炎に口はない。
それでもサカニカは想いの吐露を止められなかった。
「みんなと会ってなかったら私はきっと幸せだった。今よりは幸せだった」
涙は流れる前に蒸発する。
「そう思ったけど不幸だったかな。私が皇帝の娘じゃなかったら、あぁそこからなの」
痛む腹を抑えて項垂れた。
「……神様、私は総てを捧げないといけません。そこに大事な人たちは入りますか。私が関わって来た人たちは入りますか」
木が燃える音でかき消されてしまうほど小さな声だ。
「教えてください。私は何も知らないから、ユーリリアのことも、あなたのことも、カーニャのことだって本当は何も知らないようなものなんです」
体を起こして弱くなっている炎に木をくべた。燃えている音はするが、しかし火は大きくならない。
廃材は全て使ってしまい、サカニカは兵士が布を被せて運んでいるものに目を付けた。
その兵士は運んでいるものを燃やすのを躊躇ったが、サカニカが懇願すると火にくべた。
「もっと」
炎が少しだけ大きくなったのを確かめるとサカニカは兵士にあるもの全てをくべると言った。一度くべてしまったため、兵士はサカニカに従って全てを火に投げ入れた。
それは半日かかり、灰が降り積もる。
「……あなたは弄ぶ神様だから」
死体が燃え尽きていくと炎はやはり小さくなってしまう。
「教えずに私が苦しんでるのをみて喜んで、歓喜してるんでしょ」
ナイフで腕を切り裂いた。
血が溢れる。
「それでも、私はあなたを信じてる」
腕を炎にかざし、火が燃え移る。
血と炭で巫女服が黒に染まっていくがサカニカは気にしなかった。炎から離れ、燃えて溶けていく腕を眺めている。
「嘘はつかない」
体に燃え広がる炎は弱まることなくサカニカを燃やしていった。
「これが私の全部」
体が熱に悲鳴を上げている。
焦げていく匂いと恐怖が同調する。
目を瞑りサカニカが覚悟した。
「なにやってんの!」
そこへ頭から冷たいものが浴びせられる。突然のことに驚き水を掛けられたと気付くまでしばらく放心していた。
ログサリッタが木桶を空へ放り出し、悲壮とも心配とも受け取れる表情でサカニカを抱きしめる。強くは無かったが、サカニカは顔を顰めた。
「レイ……」
「自分を燃やしたら誰がカーニャちゃんを支えてあげられるの」
「いつか捧げないといけないのなら、今にでも」
「馬鹿」
確実に締めが強くなった。
「神は不器用かもしれない。人に分かる言い方を知らないかもって考えて」
「……だけど」
「サカニカの信じてる神が万能でも、そうでなくっても同じだから」
「万能でも?」
「理解できなくてもいい。向こうが分からないように言ってるんだから、あたしたちで勝手に解釈するの。みこの全部を捧げるならさ、いろんなこと話してあげなよ。立派な捧物でしょ?」
サカニカは力なくログサリッタに体を預けた。
視界の先には涙ぐむ彼女が笑っている。普段の明るい笑顔だ。
「そう、思えばいっか」
景色が綺麗だと思えるまでにサカニカの視界は広がった。
星雲の豊かな輝きが流れる星々と共に回っている。暗くとも蒼い月が弱々しくも確実に存在を知らせていた。
*
「陛下の船団だ!」
サカニカとカーニャが寝ている小屋にも兵士の声は響いて来た。今はログサリッタも同じ小屋で夜を過ごしているため、サカニカは二人を起こさねばならない。
カーニャの体力は歩ける程度にまで回復した。しかしまだ人の前で長時間過ごすには足りていないようで小屋の周囲を行動範囲に定めている。
「起きて、レイ」
「……あと一杯」
「レイ!」
「ひゃ!」
ログサリッタとサカニカの頭が衝突した。
「いったい!」
「うぐっ」
「和やかですね」
カーニャは起きており、二人が痛み堪えているのを温かい目で見守っていた。
「カーニャ起きて大丈夫?」
「なんとか……皇帝の前には一緒に立ちます」
「事情を説明して許してもらうから」
「サカニカ様だけ処刑されるのは嫌ですから」
カーニャは微笑み、サカニカもそれにつられたが二日酔いの学者は笑顔が消えた。
「体拭いたらいこう」
夜のうちに運び込んだ真水で身体を清め、失礼のない身なりになってから三人は小屋を出た。普段は服を着崩しているログサリッタも皇帝の前では堅い服装と決めている。
マリウスやフィレネは軍勢を率いて戦っており、クルツゴ港にはいないため皇帝を奉迎できるのはクラデンスだけだ。そこに巫女やログサリッタが居る意味はないに等しい。
狡猾な老人曰く、華を欲す。部下に三人の化粧を任せて本人はすでに格式高い服装になっていた。
「皇帝もさぞ気に入るだろう。特に、黒い巫女服は目立つ」
「……どうしてだ」
「好色になったつもりの皇帝よ、巫女であろうと選り好みはするまい」
クラデンスは巫女を売り込むことを隠しもしなかった。
「私にも同じものをください。クラデンス様」
カーニャの抗議に考えたふりをしたが、もとよりサカニカだけが目立つようにしているのは明らかだ。服がないと真っ当に聞こえる言い訳でカーニャを躱し、ログサリッタには学者の身分を気にしていると見せかけの釈明した。
「これだと神託が受け取れないが」
「神を信じよ」
他にも抗議したいサカニカであったが、口を閉じた。
(それがお望みなら)
サカニカはクラデンスが用意した種々の誘惑を備え付け、カーニャに怪しい目を向けられた。老人に対するものと知っているが、サカニカは辛さを感じられずにはいられなかった。
ログサリッタが酒で赤みを帯び始め部下が引き摺ってどこかに連れて行き、皇帝のために用意された建物で残った三人は待機していた。
形式的なものでありながら軍団を指揮するための用意は全て揃っている。何より簡素で皇帝の座も木に多少の布で腰が痛まないようにしてあるだけだ。
イオニスッラ・エンリオポ。
当代の皇帝の名をサカニカは記憶できていた。
「よくぞ参られましたな。皇帝陛下」
「心にもないことを言うな」
皇帝は意外なことに美女を連れていなかった。代わりに十万の軍勢を御するための幕僚が多く侍らしている。サカニカは少し美形が揃っているのが気になった。
「クラデンス、総指揮は解任し先遣隊は本土へ帰還せよ」
「そうおっしゃいますな陛下。八万の軍勢がいづこに――」
「――吐かせればよい。すでにクキニウスを捕まえたのは聞いている」
「お耳がはようございますな。一体だれが吹き込んだのやら」
「真っ先に知らせるべきはお前だろう。クラデンス」
「しかり、準備は怠っておりませぬ。こやつらめの紹介が終わればすぐにでも」
「白々しい」
皇帝の傍に控えていた仰々しい兵士がクラデンス含め、三人を囲い込んだ。
「献上するならば老人は齢を取り過ぎだ」
「力になるからこそ儂の隣を許したまで、ネカグリロの神託を受け取る者、ログサリッタ卿に対抗するには娘がよかろう」
「……皆下がれ。港を把握せよ」
皇帝の命令で兵士と幕僚たちは足早に建物を後にした。管轄の引継ぎを行うのだろう。
「取引ならばここに来るまでに終わっているはずだが?」
「左様。儂にもいい駒が手に入った」
「その二人か」
「ここは一度陛下の留守を、いかがか」
皇帝は立ち上がって四人へ近付く。
威厳を纏う風格にクラデンスは微動だにしなかったが、サカニカとカーニャはたじろいだ。
「まだまだ出来ていないではないか」
「伸び代といいましてな」
無言でサカニカを見つめる。
「巫女は辛いか」
「……えっ」
予想外の言葉に固まった。
「歳の対して背負うものが巫女は大きい。軍に使わせたのは我だ。病むことがあれば責は我にある」
(や、優しい?)
「クラデンスと共に行けば元老院でお前は潰れてしまうだろう。それとも我の許で神託を受け取るか。酷く扱わんと約束する」
サカニカは完全に思考が沸騰した。
「皇帝様」
「ん?見習いか、どうした」
「下衆」
「なんといった」
「今の皇帝様は下衆です」
サカニカは急いでカーニャに覆いかぶさった。
「陛下、違います!」
「どうして二つの顔を使い分ける必要がありますか。皇帝様がただクラデンス様か、サカニカ様に直接命じればいいのです」
カーニャがサカニカの拘束の下から皇帝を仰いだ。
「下衆らしくない下衆です」
静寂が訪れるとサカニカの心拍は隠しようもないほど大きくなる。
その静けさを打ち破ったのはクラデンスであった。
「ぐあははっ!ホロラムが欲しがるわけだ!妙な技を持っておるな見習いカーニャよ!」
皇帝は興が削がれたのか椅子に座りなおした。
「持っていけ、クラデンス」
「是非に」
老人は満面の笑みであり、皇帝は対照的に鬱屈とした表情だった。




