第四十三話 幕間
クラデンスから解放されたサカニカはログサリッタとカーニャを小屋で寝かしつけると黒い巫女服の姿のまま徐々に喧騒に包まれ始めたクルツゴ港を歩く。
湿った海風を感じる余裕があった。
遠くでは連絡のための騎兵が十数頭走り出し、近くでは小屋の受け渡しを行っている。
受け渡す先遣隊として参加した兵士の顔には安堵が浮かんでいた。海を渡るときに襲われるか不安になり、港に辿り着けば奇襲され、殲滅した反乱軍にはまだ八万の軍勢が残っていると知らされたのだ。
皇帝からの要請があれば再びこの地に訪れることになるが、それまでは、もしくは長く本土で殺される心配のない生活に戻れるのである。
サカニカの目的はある一人だ。
港の奇襲された際のフィレネの窮地に駆け付け、溶鉱炉の街の手前で勝利し、反乱軍に包囲された臨時将軍。
かつて剣闘士であり一介の百人隊長に過ぎなかったルシウスだ。
彼は百人隊長時代の戦友、部下と木剣で打ち合っていた。総督軍の面々もいるようで、大きめの輪が出来上がっている。
サカニカは離れて見守っていたが、誰かが気付いたようで人がゆっくりと道が出来上がっていく。
ルシウスの勝利で打ち合いが終わると、彼はサカニカを見つけて笑顔を咲かせた。
「サカニカ!」
人が作った道を通り、サカニカは一歩を踏みしめて歩み寄る。
「今日はより一層輝いて見える」
「……みんな見てるから」
兵士たちが一歩引いた。
「クラデンスから服を貰って、化粧も少し。どうかな」
「美しい。初めて会ったときよりも」
サカニカは彼のボロボロの鎧に手を当てた。
「ありがとう。助けてくれ」
ルシウスは頬を赤らめて顔を逸らした。
「ねぇルシウス……あなたが私を神殿から連れ出さなかったら。今の私はいない」
「連れ出したのは命令だ」
「一目惚れして皇帝になるって言ったのは?」
「……俺だ」
小さな呼吸の間が空いた。
「もしかしたら、私は誰とも会わなかった方が幸せだったのかもって。思ったの。でもね、でもねルシウス。もう私はルシウスと関わっていかないと私じゃない」
「誰とも会わんのも恐らく」
「私が皇帝の娘じゃなかったらあり得たことだったかな。それでどうなるかは分からないけど」
「なら俺が出来るのは、今のサカニカを幸せにすることだな」
「愚直なルシウス」
「それしか取り柄のない男だ」
「……いつか、隣でずっと待ってるから」
彼は顎に手を当てて暫く思考に耽ったが、サカニカの表情を一瞥して答えを一つに決めた。
「今こうして隣にいてもどれほど遠いのか俺には分からん。だが、必ず隣に立とう」
今度は彼女が顔を赤らめて顔を逸らす番だった。
二人は余韻に浸っており、兵士たちが入れ代わり立ち代わりで両手に私物を持ってきている。絵心がある者はついに顔料とぶ厚い用紙まで持ち込んだ。
サカニカが顔を上げてルシウスと目を合わせ、笑った。
「ぐっ」
心臓を抑えて悶える。
「ば、場所を変えるぞ」
「うん」
「お前たち、ついてくるな!」
各々の返事が返って来たものの、信用できるかは五分五分だろう。特に絵を描いていたものは絶望的な表情で周りを誘っている。
絵描きとその仲間は移動する二人を追いかけ、馬小屋から二頭の馬が飛び出して行くとさらに絶望したのだった。
馬に跨るのも慣れたサカニカは疾風を感じていた。
初めて港から移動するときは覚束ない命令に馬も戸惑っていたが、慣れた力加減で進むだけと馬に伝わっている。早々に砦を一つ過ぎると、初めてルシウスの戦いを目撃した砦に辿り着いた。
「懐かしいね」
「あぁ、灰に埋もれてたな」
「あのときは良くわからなくて」
サカニカが港にいたころにも攻撃があったようで、墓の代わりに枝や石で目印で埋没者の居場所を示してある。
「……ルシウス、私は帝都に帰ると思う」
クラデンスのことは言えなかった。
「護衛としてなら一緒にいてもいいよね?」
「すまん、総督軍をこのまま指揮することになってな。暫く帰れそうにない」
「正式な将軍じゃないのに」
元老院で承認を受けた人物が本来は指揮する。マリウスやホロラム、クラデンスはその前提を守りながら幕僚を使っていたが、ルシウスの指揮権は言うなれば脱法であった。
「そこはマリウス将軍がなんとかしてくれる。総督不在の軍だからなんとかなるだろ」
反乱が起きる前後で総督は行方不明になっているものの、クラデンス家がほとんど管理していたため問題にすらなっていなかった。
「……総督軍の指揮官は」
「総督だな」
サカニカは驚くしかない。
「実際は分からん。マリウス将軍が総督になって俺が幕僚になるかもしれんし、他の人間がなって移譲するやもしれん」
後者は現実的な予想だった。
「正直、俺がこのままあいつらの前に立ち続けるのは権利でも経験でも何もかもが足りん。どうしたって俺は百人隊長になって二年だ。今のあいつらは俺を、サカニカを慕ってくれているが他の軍団になると甘くない」
「ルシウスは強いよ」
「強いだけで将軍が務まるなら剣闘士の将軍は俺以外にもいるはずだろ?」
軍団を率いる者は強いよりも敵を読み取り、勝利を掴むまでの過程を選び取る丹力と智者である場合が半数以上を占める。強さとはひとえに腕と技術だけではなく、特有の知恵も付随した。
「強さだけじゃ足りないらしい」
ルシウスが馬から降り、サカニカも彼の補助付きでそれに倣った。
「ただなぁ、アカデミーにはもういけない」
「大丈夫、ルシウスは頭も良くなる……と思う」
自信なく萎んでいく。
「両道を奔れる人になるよりも、俺は友と仲間を頼ろう。勉学を添えてな」
「……前に言ってた友達?」
「あぁ、帰る仲間に手紙を渡しておいた。サカニカに会いに来るはずだ」
「私に」
「きっと力になる。俺なんかの勉学に付き合ってくれていたぐらいお人よしだ。困ってる巫女がいたら助けずにはいられんだろうさ」
「何から何までありがとう」
サカニカはルシウスの胸に静かに体を預けた。
「あいつらの家族も一緒になって本土に帰れるぐらい偉くなってやる」
「楽しみ」
優しい筋肉質の腕がサカニカを支える。
「私も何か出来るか試してみるね。ルシウスがもっと上にいけるように」
目を瞑る二人に物音が聞こえたが雰囲気に浸り目を開けるのも億劫だった。
馬に引き摺られながら顔料を握り締めている絵描きに気付いたのは二人が長く抱擁をした後であり、絵の八割が完成するほどだった。
残り二割が完成するまで絵描きは必至で二人に弁明し、以後、ルシウスの絵をサカニカに送り届けることになったのだった。
*
翌日、サカニカは帝国への帰路につく。
クラデンスやホロラムなど、現場の引継ぎよりも元老院で戦う者たちが一足先に帰還するのだ。
見送る人々の中にルシウスはいないが、サカニカの手元には勇ましく描かれた肖像画がある。




