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第四十一話

 暴れるカーニャを抱き上げて神殿の外に出ると、異常なまでの熱は始めから無かったかののように収まった。


「カーニャ、落ち着いて」


 聞き取れない言語で何かを喚いている少女の悲鳴にも似た奇声、尋常ではない取り乱し方に捕虜も軍団兵も視線を集める。


 捕虜の中には憐れんでいる者もいた。


「なんでなんでなんで!」


 サカニカがカーニャを鎮めようとしても堰を切ってしまった感情の雪崩を留められていない。短い拳や足で何度もサカニカの腕や殴り蹴り飛ばし、果てには自傷行為まで行いそうになりサカニカが少女から自由を奪った。


「もう一回殺す!殺させて!」


 暴れまわるカーニャを抑え込んでいたサカニカの力は非常に弱かった。片腕の拘束が外れると顎を蹴り上げもう一方の腕も拘束が解かれてしまい、言うなれば逃げ出した。


 慌てた兵士が捕まえようと試みたが擦り抜けられ、逆に短剣を奪われてしまった。神殿に戻るカーニャの後をサカニカは追いかけ、ルシウスもそれに続く。


「援軍を呼べ。ありったけの油もな!」


 ルシウスはそう言い残してカーニャを追いかけた。


 神殿の内部は紫色に染まる煙が漂っている。先程まではなかった変化であり、腐った匂いも鼻を突いた。部屋には立ち上がった死体がいくつもあったが、音にも光にも反応している様子はない。


「さっきより多いぞ」


 ルシウスはすでに剣を抜いている。


「そんなのどうでもいい」


「まずはカーニャだな」


 再び熱が体に籠り始め、熱も強くなっており汗がしたたり落ちる。

 そして広間の手前、狭い通路でカーニャに追い付いた。


 サカニカは今度こそ少女から自由を奪う。


「カーニャ、一人で行かないで」


「離して!」


 同じように蹴りを入れてくるがサカニカは痛みに耐えた。踊りの痛みより遙かにつらい痛みであるものの、さもなくばあの死体に踏み潰されてしまうだろう。


「……まだそこにいるのね」


 ユーリリアが松明の炎に照らされると、両目を閉じて耳から血を流していた。


「感じるの、最悪の娘がそこにいるって」


 片目が開くと前方から死体が通路を塞ぐように現れた。


「殺しておけばよかった。娘だからって……煩わしい。可愛くもないのに生きてて男に好かれてペラペラ」


(そこまで言うの)


 油断したサカニカの手から抜け出し、カーニャはユーリリアに向かって短剣を投げると吸い込まれるように首に刺さった。赤い血が止めどなく流れだし、言葉が途切れた。


 しかし、何も気にしていない様子に少女の顔が初めて引き攣った。


 ユーリリアは何か言葉を発しようとしているもののコポコポと口から血が噴き出るだけだ。


「化け女」


 代わりに死体が走り出す。


「逃げるぞ」


 正面の一体の足を切りとって転がすと後ろの死体も躓いて地面に鈍い音を立てて走れなくなる。振り返って逃げ出そうとした三人であったが、後方からも動く死体がじわりと歩いてきていた。


「コポ……ごほっ。死になさい!八つ裂きにされて何も残らないようにしてあげる!」


 八つ裂きとユーリリアが言葉にした途端、死体は歩くのみならず腕を振るった。ルシウスが剣で受け止めると金属同士がぶつかる音がする。明らかに人間ではなくなっていた。


 ルシウスはサカニカに松明を渡し、両手で死体を相手にしなければ押し留められないほど膂力も強くなっている。


 松明の火で死体を燃やそうとしたが、サカニカの腕には松明などなかった。地面に転がり、顔が青白くなったカーニャが拾い上げている。


(なん、いたっ)


 サカニカの肩にカーニャが投げた短剣が突き刺さっていた。


「なんでズレるのよ!」


「神様、燃やして!」


 カーニャの言葉に応えるように火が一瞬で白く染まり、目を焼き尽くさんばかりの炎が前方に飛び出した。死体が燃え始め、松明が灰と化す。


 痛みを堪えて気絶しかけているカーニャの手を握り締めて走った。ルシウスは何かを叫んでいるが聞き取れるものではない。一心不乱に出口へ向かって足を速めた。


「もう逃がさないわ」


 残り火で逃げる方向に死体が立っているのが見えたが、同時に烏がそこにいる。普段なら鳴いて肩に留まる烏は一直線にユーリリアへ突進した。


 開いている目に嘴を突き刺したのだ。


 悲鳴が聞こえ、死体の動きが止まった。


「このまま抜けるぞ」


 暗闇であろうと出口までの道のりは一本道だ。


 迷うことなく月明りの下に飛び出すと、目の前に燃える矢を装填したバリスタがあった。周囲の兵士は驚きや恐怖もあったが恐怖が多く、肝心のバリスタを操る兵士がそれであった。


(あっ)


 酷くゆっくりと時間が流れる。

 バリスタの矢が一直線にサカニカを狙い。


 真横を素通りした。


「ひあっ……かひゅ」


 暫く、サカニカは上手く呼吸できなかった。





*





 クルツゴ港、数日間の攻撃に耐えきったフィレネの五千の兵は今や二千と少しにまで数を減らしていたが敵の侵入を辛うじて食い止めていた。マリウス将軍隷下五万の軍勢は新生の反乱軍を撃退し一時の安息を得る。


 クキニウスが訓練していたという八万の軍団の行方を追ったものの、本人とべリリウは口を割らなかった。港を襲撃した部隊は部族連合であり、その八万とは無関係だったのだ。未だ反乱は収まっておらず、先遣隊はどこから現れるか分からない八万の軍勢を警戒し広範囲で哨戒を行っていた。


 しかし、それはサカニカには関係のないことだ。彼女は巫女であり、神託以外の役割は期待されていない、軍の大黒柱を除いて。


「巫女サカニカ、まだ見習いは目を醒まさぬか」


 クラデンスがサカニカを呼び出していた。用意されたのは船上で、船に乗り込んでいるのは信頼する人たちだけだ。


「偶に起きる。水と飯は……」


「最低限か」


 サカニカは頷いた。


「火を傍に置きたい。私の腕はそれで早く治った」


「切り落としておらぬことが神の御業というべきか。それとも、巫女ゆえに」


 クラデンスはまじまじとサカニカを観察している。


「ユーリリアと関りがあるならば話を聞かねばならん。腹黒女の狙いを、無で燃えていた炎を」


「……私にはなにも分からない」


「同じ神ではないのは確かか?」


「ネカグリロではない」


 サカニカはユーリリアとカーニャの関係を言うべきなのか迷ったが、カーニャ自身で向き合うことを望んだ。


「……クラデンス。神を信じていると?」


「神はいる。ネカグリロ以外はいるかもわからんが、こやつだけは“神託”を帝国に齎す。よって守護神」


 彼は懐から二枚の紙を取り出した。総督軍がルシウスに従うために神託を得た時のものだ。


「来たるべきものが曖昧ゆえ元老院でも生真面目に扱う者は少のうてな。まして戦場、儂が持ち出すのは容易よ」


 紙の上の文字をなぞった。


「再臨の後悔……後悔は残るもの、そうそうに消えぬ。再臨では消えぬ後悔が消えておる。あの齢で後悔するとは思えぬが妙な気配はある」


 クラデンスの表情は今までになく真剣だ。ルシウスが二万を率いる将軍に指名されたときよりも深刻だともサカニカは感じた。


「乱れた見習いとユーリリアに接点は少なかろう。奴隷の子がユーリリアに接するとは思えん」


 サカニカは鋭い視線に貫かれた。


「見習いと常に関わるは巫女サカニカ、おぬししかおらぬ」


「……い」


「先帝の娘は易い神輿よ」


 否定しようと口元は動いていたが表情に恐れが浮かんでしまっていた。

 クラデンスはカーニャを呼び出したかったのではなく、サカニカを呼び出し自らの推理を当てはめていたのだった。


「ことによっては皇帝陛下に知らせねばならん。関りがないと、おぬしは確かにあの日語ったはずであろう」


「どこまで……知ってる」


「何も知らぬ。教えよ、サカニカ」


 もはやサカニカに拒否する感情は消え去っていた。


「カーニャを、カーニャを見習いにした日にローバから貰い物を。二の妃の祝いとして……」


 サカニカは束ねていた髪の毛を解き、金細工が複数個木の床に落ちる。クラデンスは僅か眉を顰めた。


「月桂冠を、いただいた」


 金細工を繋ぎ合わせると紛れもない輝きを放つ金の冠がサカニカの手のひらに乗った。彼女は血の気が引いてしまっており今にも倒れそうである。


「ほう、冠か。今までよくぞ隠し通した」


 サカニカは慣れた手つきで再度分解し、髪の毛に結んでいく。


「さぞ元老院は巫女を恨み見習い共々処刑を決めてしまうやも知れぬな」


「……それだけは、やめて」


「“カーニャ”を生かしたいか?」


 余りにも小さく同意の返事をした。


「他者の神託は儂にも見せよ。儂だけの神託を行え。ならばユーリリアと関わったことは言わん。巫女として儂に協力せよ。元老院を支配するためにの」


「わ、分かった。カーニャを守ってくれるなら何だってするから」


「いづれユーリリアの所在も分かろう。それまで月桂冠は隠し通せ」


「そうする」


 サカニカは頷くだけの人形になった。


「して、紫の炎は何も知らぬか」


 クラデンスは意図的に声色を変えたのだろう。場の空気が一新された。


「何も知らない。ただ、ユーリリアは私より神にちかいのかもしれない」


「ふむ?」


「私は神の声を聞いたことがない。だが、あのユーリリアは確かに“おっしゃた”と」


 サカニカはクラデンスに感じたことを話す行為に安堵を覚えていた。それがどこから沸き上がっているのか解りえないものと処理し、表情にも表れる。


「目が、目も違った。紫色だった。死体はあの目の届く範囲でしか動かない」


「なぜわかる」


「私が炎を操った時の感覚と同じなら、制約がある」


 サカニカは他にも何か他愛のないことでも話そうとしたが、狡猾な老人が船の外を気にしていると気付いた。時間切れである。


 クラデンスは立ち上がり、部下を呼んだ。


「ここに来たときと同じようにせよ。箱詰めになれ、サカニカ」


「はい」


 行きに詰め込まれたときの感情をすでにサカニカは失っていた。

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