第三十七話
濃霧が晴れた翌日、ルシウス率いる総督軍は前進を開始した。
戦闘の跡に残る兵士たちの死骸を処理する暇もなく、ただ残った現実を横目に行軍する。誰かが宴で残った酒を地面に撒いたとしても、咎める人はいないだろう。
軍団が向かう方角は敵の本拠地があると地図は示しており、激戦が予想された。包囲される危険は常にあり、その予兆を見逃さないために騎兵による偵察範囲は連絡も兼ねて三重の網目となっている。
朝日が顔だして風は涼しい。
兵士たちの足取りも心なし軽い。
説法の効果なのか小休止の合間に焚火を作り祈る兵士たちもいる。
「良かったでしょう。信者が増えて」
スユピナの言葉にサカニカは無言のまま、頷きすらしなかった。
信者が増えることが良きこととは思えなかったのだ。神殿にいたころ、サカニカの周りにいる神官でさえ他の宗教の信者が多かった。神託以外で信仰することの恩恵が極端に小さいのである。
「浮かない顔ですね」
「慣れてないだけだ」
スユピナは乱れている隊列を見つけ、鞭を取り出しその列へ向かった。荒治療であるものの、彼の鞭とトリュートの拳骨で見違えるほど行軍速度と隊列の醜悪さが改善した。
空を見上げると烏は相変わらず飛んでおり、飼い慣らすというよりも付いてきていると言うべきである。兵士の食料を奪い、指摘しなければ水を飲み散らかす。しかし、危機が迫っていると真っ先に知らせてくれる存在だ。
「サカニカ様」
馬に相乗りして手綱を握っているカーニャが体を逸らした。
「神にとって信仰とは何ですか?」
「……えぇ?」
「私とサカニカ様は信じています。ですが、信じることで神に何の益があるのですか」
サカニカの動揺を受け取った馬が暫く立ち止まり、問題ないと認識すると動き出した。
「分からない。神託は私とカーニャの一部を捧げているから交換かな」
代償を以て炎を巻き起こしたのは大部分が肌色となった腕が物語っている。
「炎の奇蹟は腕でした。神託は体の一部、リャクサ様の愛です。信仰だけ何も対価がありません」
「信仰は捧げ物に入らない?」
二人が頭を捻っても答えを知り得るのは神のみであり、神託以外に問う手段もない。炎があれば神託は得えられるため行おうと考えたサカニカであるものの、ルシウスの助けにならないことから無意識に首を振った。
無駄な神託を得ようにも体が持たないのだ。
「……信仰が捧物になってなくても、私が捧げられる物を全部捧げたらいいんだから」
戦いのあとに必ず生み出される死体の山を思い浮かべた。
「“死体の上に我らはいない”」
サカニカの呟きにカーニャは暫くの思考を要したが答えを引っ張り出す。
「死体を燃やし尽くせば上も中もないです。嘘はついてません」
「ホロラム執政官が欲しいものとは違ったかもしれない」
「大丈夫です。神託だけに頼る人ではなかったです」
船上で何度も神託を得てきたカーニャが言うのだから、サカニカに否定する言葉など考えもしない。
こうして暫く、行軍する軍団は一時の休息を得ていたのだった。
*
遭遇戦を行ってからさらに一日、二日が経ち、足跡を追ってついに反乱軍の本拠地まで辿り着いた。守りやすい地形に布陣し、総督軍は急速に要塞化を進めていく。近隣の森林から木を伐採してログサリッタが改良したバリスタや柵、物見櫓など砦を構築し始める。
それが半日、反乱軍に動きはなかった。
「食料はあと一週間ほどです。帰りを考えるとあと二日は待てるでしょう。それ以上となると略奪を視野に入れなくてはなりません」
「統治を考えたら避けたいんだわ」
「供与してもらいましょうか?それとも荷駄を戻して街から持ってくることも可能です。敵が動かなければ」
「戯言もいえるんか」
あり得ないことに等しいことは知っている。無防備な荷駄を取り逃がすほど反乱軍は悠長ではない。常にルシウスの軍団が隙を見せるのを心待ちにしているのである。
攻めようにも籠城されていては歯が立たない。
「本来の目的、溶鉱炉の街に援軍を送れないように釘付けにしましょうか」
「攻めるなら相応の覚悟を」
スユピナとトリュートはルシウスに採決を求めた。
彼は茹で上がらんばかりに考えを巡らしているが、二人の知恵に比べてしまうと出てくる思考の一端は安直過ぎた。三十分ほど二人に反論され諭され、そして資質を自ら疑ったルシウスは待機を選んだ。
「野戦になったら呼んでくれ」
「おつかれー」
ログサリッタに慰められたルシウスは遂に走り出してどこかに消えていった。造成中の砦から飛び出すことはないと思われ、恐らく兵士の手伝いをしに行ったとサカニカは考えた。
ルシウスが消えた場は温かいとも冷たいとも言い難い雰囲気となる。
「……ルシウス」
「百人隊長からいきなり軍団長《将軍》になったら誰でも《《ああ》》なるわ」
「経験が足りないのでしょう。これからです」
サカニカが肩を落とすと二人から慰みの言葉が与えられた。当の本人たるルシウスはすでにいないため、二人の認識は知らないままだ。
「マリウス将軍がルシウス様を抜擢した理由は分かりませんが、意味のないことはしないお方です」
「ぬけぬけとまた」
「傍にいるならよくお判りでしょう?」
「嫌でも分かる。クディオール帝から名前貰っただけの老人ではないわ」
クディオールの名にサカニカは僅かに反応をみせたが二人は気付かない。
「水を持ってきます」
カーニャは気付いている様子だったが会話に加わることなく、ログサリッタと共に器と水を用意しに行った。
「巫女様、そう気落ちすることもありません。ルシウス様は努力家です。生きてさえいればわたくしがお支えしますよ」
(それは嫌)
「元老院に認められることからだろう」
「ええ、そうでした」
スユピナの笑顔は場を和やかにする効果は無かった。
「ルシウス様と仲がよろしいようなので、わたくしめらが評価しているのは内密にしていただきたい」
「構わない」
「疑問ですか?」
彼の表情にサカニカは問う気力を失い、行動で返事をするに留めた。何を言い返されてもルシウスがいなければ意味が無いのだ。
「二人の話は内緒にしておく」
「助かります」
トリュートの顔には疑義が浮かんでおり、スユピナに視線で何故なのか聞きたいようだったが彼は全く無視した。
「二人は仲の良し悪しがあるのか?」
「ない」
「同僚です」
不機嫌そうなトリュートと笑顔を崩さないスユピナは対照的だった。マリウス将軍から派遣された二人にも思う所はあるのだろう。
「蜂蜜水です」
蜂蜜は水に比べて重たいが荷駄に任せて持ち込んでいた。軽い栄養補給の名目である。
「なんでこいつとなのか分からんわ」
「実務を考えるならあともう一人欲しいところでした」
サカニカはログサリッタと目を合わせ、彼女が訳も分からず微笑んだため実務要員から外した。この戦場において彼女は便利屋でもあるのだ。
「……そろそろ敵の動きがあってもおかしくないのですが」
「ちょっかいは欲しいわ。一回ぐらい」
巫女二人と学者にも理解できるように地図を使って説明を始める。
「日が暮れる前に様子を確認するのは常套手段です。追撃を躱し易く、どこで兵士が休むのかもわかります」
防衛設備、兵士の配置、巡回ルート、物見の精度など偵察するだけで確認できることは多岐に渡る。それを正確に幕僚や将軍に伝えられる兵士はかなり重宝されり、とスユピナは教えた。
「今のところそれらしい報告が――」
「――失礼します。敵の騎馬約二千が接近。ルシウス将軍が剣と弓を持って迎撃にいきました」
「……もう一度、後ろがよく聞き取れませんでした」
「時間の無駄だわ!さっさとせい!」
トリュートとが顔を真っ赤にして陣幕から飛び出していった。
「出撃します。ルシウス将軍を連れ戻しましょう」
「ははっ」
「お三方も行きましょう。ここで死なれては困ります」
スユピナは三人の返事を聞かずに兵士と陣を出た。
「……ルシウス」
サカニカは頭を抱えて机に突っ伏した。




