第三十六話
興奮しきった兵士を宥めるのはトリュートの拳骨と巫女による軽い説教だった。そこにはサカニカとカーニャだけでなく、何故かログサリッタが加わって門外漢な宗教の話を広めていく。
終わったのは夜が来てからであり、設営された陣地の中で三人は疲労で伸び切っていた。
「なんであたしまで」
「だってスユピナが命令ですって言ったから」
「私はサカニカ様に従ったまでです」
同じく疲労困憊で簡易的な寝具で寝ているトリュートは横顔は炎に照らされ、全ての筋肉が引き攣っている。ここにはいないルシウスとスユピナは三人のために特別な食事を用意するらしく、何かをしに出掛けている。
陣の外は奇襲の危険があるため中に限られているが、どんな食事なのか興味はあった。
「説法してて思ってたけど、みこの宗教って適当だねぇ」
「古い信仰は中心の核以外は忘れられている。それで神託が得られているんだから正しいんだろう」
老神官ローバの教えである。
「レイは何の宗教なんだ?」
「……どうだろ。あたしの宗教はないかな。強いて言えば、化学。こっちの禁書を見た時から再現したり応用したり、もうないと生きて行けない」
「それも一つの形か」
「他の人と違うのは知ってる。神様だっている世界なのにあたしが信じてるのは過去の人達と一緒に切り開いていかないといけないもの。正しいのか間違っているのかも不透明な世界だから」
ログサリッタはサカニカの銀の髪を匂いながら話している。軽い水洗いしか出来ていないためサカニカの体臭しか染みついていないが、気にしていないようだ。
「学者は酔狂って思ったことない?」
サカニカには心当たりがあった。
「正しいか正しくないかが分からない世界にいるとね。普通の人間が持つはずのものが抜け落ちていくの、服の着方だったり意思疎通だったり」
(自覚あったんだ)
「もう、面倒で」
「……それはログサリッタ様の“性格”です。普通の人でも学者でも、私であってもサカニカ様の髪の毛を匂って口に入れることはしません」
曰く、美味しいらしい。
「カーニャちゃんの髪の毛も同じ色だよね。してもいい?」
「駄目です。サカニカ様の髪も駄目です」
「みこぉ、良い?」
「切らなければ」
髪は神託を得るときのも使う大事な供物の一つだ。戦場では満足な手入れが出来ないとはいえ、いつでも切ることが出来る状態にはしている。
「ほら」
「……ずるい」
「カーニャちゃんも一緒にやろうよ」
少女は無言になり、ゆっくりとサカニカに近付いて手を伸ばす。髪の毛を束として手のひらに乗せ、じっくりと目に焼き付ける。そして顔をその束ににじり寄っていく途中、幕が上がった。
「何やってんだ」
ルシウスは呆れ果てており、スユピナの視線が氷のように冷たい。
二人は肉料理を持っているがそれすら冷めてしまいそうなほどの冷気が陣幕の中に広がった。
カーニャはすぐに離れて正座の形になったものの、ログサリッタは逆にべっとりとサカニカに体を預ける。
「……酔ってますね。酒盛りは貴女のせいでしょうか」
「酔ってない」
「飲んだことを否定しなければなりませんよレイ・ログサリッタ」
「うっ」
ログサリッタはサカニカの背に隠れた。
この場合、酔っていないにも関わらずサカニカの髪の毛を取り憑かれたカーニャが最も変人となるが誰も温かい感情を持ち合わせており指摘しなかった。
「血が減ってるだろうから肉だ」
ログサリッタ用ではないが兵士を宥めた報酬として食すことが許可される。
「訓練が行き届いてませんでしたが巫女様の神を使ってそれなりの集団行動は保証できそうです。そこは感謝しなければなりません」
サカニカの視界の端で炎が揺れた。
「ですが、ルシウス様。すでに将軍であられるのですから前線で剣を振るうのはおやめください。今回は特別ですが普段なら陣が乱れます」
「……俺は後ろで敵を睨むなどできぬ」
「出来る出来ないのではなくしなくてはならないのです。ホロラム執政官のようにどっしりと構えてください」
使いものにならなくなった荷駄用の動物を焼いた肉は思いのほか味が染み込んでいた。香味を一緒にして焼いてあるのだろう。スープは肉の出汁が少しだけ使われて雑草が煮込まれている。
ルシウスが背を小さくしている中、サカニカは全く気にしていなかった。
「一騎打ちは将軍だから許されたのですよ。もし一介の兵士だったら処刑です」
「……すまぬ」
「反省してください」
「すまぬ」
「相手にも同じ馬鹿がいそうなので対処はお願いします。あれは兵士ではなく戦士でしょう」
ルシウスと馬から降りて戦おうとしていた人間のことである。同じ土俵で戦おうとしていた人間で、ルシウスと同じ雰囲気のする人だった。
「名前は確か、べリリウと名乗っていたな」
「クキニウスと話していたのも気になります。戦士に命じることのできる役職はわたくしのような幕僚か将軍です」
ルシウスのような剣闘士上がりではないのは確実だ。
「燃える黒い球や新兵器も使ってきませんでした。何か制約があるのでしょう」
兵器は在庫がつきれば戦えない。バリスタや大砲にも、より身近な弓ですら矢という消耗品がある。黒い球は一度使えば再利用できず、火薬も燃えてしまうため尽きればただの重たい筒だ。
「制約は知らんが軍はこのあとどう動く。負傷兵も多いが」
「先ほど溶鉱炉の街を偵察させた兵士から報告がありました。まだ本体は到着していないようです。どこかで足止めを食らっているのかもしれません」
「四万の内三万がここに、いやもしかしたら新しい三万かも知らんが……俺たちは孤立してるな」
「練度からあれは初期から戦っている軍勢でしょう。騎馬隊を壊滅させる打撃をいれたのは大きいとみます。追撃も一考の価値があるでしょう」
「……ログサリッタ、攻城兵器の用意は?」
サカニカに介護されながら肉を食べていたログサリッタは唐突な問いかけに反応が遅れた。
「攻城兵器は作れるか?」
「ふぇ」
肉を飲み込むまで追加で時間が必要だった。
「ないよ。バリスタを作る材料はないし、鉄もロバたちの蹄鉄用、使わない子もいるから余ってるのでなんか作る?」
「何が作れる」
「壁の隙間に引っかけて登るやつ」
「却下だ」
一人用であり扱える人間がいない。ルシウスでさえ使ったことがないため意味のない装備だ。
「そもそも敵はどこに退いた」
「溶鉱炉の街ではありませんでした。もっと奥地です」
ルシウスは思考している途中で何度も唸った。
「スユピナ、追撃する。溶鉱炉の街に戦力を戻させないためだ」
「承知いたしました。トリュートと内容を詰めましょう」
二人は歪んだ表情で寝ているトリュートを叩き起こし、足早に幕を去った。机の上にあった肉料理とスープを完食しており、トリュート以外は腹ごしらえが済んでいるため長い夜となるだろう。
ログサリッタはサカニカの膝の上に頭を乗せて寝てしまい、カーニャが動かそうとしても微動だにしなかった。
「重いですこの、この!」
「諦めようよ」
「私だってそこで寝たいです」
(子らしくなったね。結構嬉しい)
「可愛くなったね」
静寂が訪れる。
「カーニャはまだ五歳なんだから」
「前世を合わせたら十三です」
「私は十四、妹だね」
カーニャがサカニカの真横に座って肩を寄せた。
「巫女見習いです」
「……偉いよ。カーニャ」
夜はまだ始まったばかりであったが、炎が消えると同時に二人は意識を落とした。




