第三十五話
行軍の先頭にルシウスとサカニカはいる。
二万ほどの軍団兵と追加の食料を運ぶ荷駄隊が加わった軍勢の列は長く、濃霧おいて周囲を警戒する騎兵は遙か地平線の向こう側まで展開し、目的地、溶鉱炉の街まであと僅かのところまで来ていた。
「美しいサカニカ」
馬に跨るルシウスは剣の柄から片手を決して離していない。
その行動だけでサカニカは何が起こるのかを理解した。
「私はここにいる」
「この濁声、上のコルが騒がしい。何か想定しとらんことが起こったみたいだ」
「……いいの。神託のせい」
サカニカの馬は彼女の意思通りに彼の跨る馬に躯体を寄せる。
「分かった。俺の傍を離れるな」
「うん」
ルシウスが剣を抜くのと遠方から一頭の馬が走って来た。霧の向こうに偵察へ出ていた兵士は上におらず、血塗れの馬だ。
スユピナがそれを遠目で確認すると軍団兵に戦闘準備を指示し、トリュートが細部の細かな陣形を整え始める。荷駄隊や非戦闘員は内側に入れられ、ほぼ円陣のような形になった。
「みこ、危険だよ」
いつまでも来ないサカニカに内側にいた心配したログサリッタが抜け出してきた。
「ここにいる」
「どうしても?」
「あぁ、神託に従う」
「じゃあこれ、あげる」
ログサリッタが手渡してきたものは筒状のものだ。
「ビックリ玉手箱、目も少しだけ潰れるから逃げるときに使ってね」
「いいのか?」
彼女は天真爛漫な笑顔を魅せて布陣の中に戻っていく。
「カーニャは安心して」
「……感謝する」
筒形の物は紐がついており、これを引くことで作動する仕掛けがされているのだろう。サカニカは服と体の内側に仕舞い込んだ。
血塗れの馬の背後からまた別の馬が現れた。
一頭、三頭、十頭と増えて行き騎馬隊が姿を見せる。一度立ち止まった彼らの後ろからは歩兵の姿も少しだけ確かめられた。
烏がサカニカの肩に留まる。
「コル、どれくらい?」
「ガァ」
「二万?」
「ガ」
「三万?」
「ガガァ、ガガァ!」
サカニカはルシウスを一瞥した。
「三万だって」
「了解した。スユピナ!トリュート!」
陣形のブレを手直ししていた二人がルシウスの下へ馬を走らせる。
「どうされました」
「敵はおよそ三万、詳しい数は見ないと分からん」
二人は沈黙して思考する。
その間にも敵は騎馬と歩兵が集結しつつあり、陣形を徐々に整えていく。
「走ろな」
トリュートの答えにスユピナが驚く表情を見せた。
「正気ですか!」
「軍務の経験なら負けないんだわ。まぁ、大勢死ぬ」
スユピナは反論しようとしたが、霧中の敵を見てからその考えを改めたようで沈黙をもって回答とした。
霧のために彼我との距離は普段以上に近い。
「俺とサカニカが戦闘に出る」
「巫女様も?」
「弓は飛んでこないとは思いますが……いえ、そうしましょう。ルシウス様、神託の説得力が違います」
なるほどと言わんばかりにルシウスは懐から二枚組の紙を取り出した。そこにはサカニカとカーニャが得た神託が書かれており、ルシウスでも理解できるようになっているのだろう。
「皆!聞いてくれ!」
近くにいる三人は耳を塞いだ。
その代わり兵士の耳目が揃う。
「神託に従い、我らは突撃せん!」
兵たちが一斉に叫んだ。
「“走り抜けよ”!」
荷駄を置き去りにして一斉に走り出した。ルシウスとサカニカは先頭に立ち、幕僚二人は万が一に備えて軍団の脇から後方に逸れる。烏はいつの間にか飛び出っていた。
敵騎馬たちの頭が揃いってこちらを向き、抜刀する兵士の姿がある。叫び声の意味をサカニカは知る由ものないが、それが突撃の意を示すのは明白だった。
「ピルム!」
ルシウスは足の速い兵士から投げ槍を奪い取って投擲し、敵の軽い鎧ごと二人を貫いた。投げ槍を奪われた兵士は剣を抜いて馬の斜め後ろに入り込む。
帝国兵が走りながら投げ込む槍はルシウスほどではないが、馬は怯む。敵兵は血気盛んであっても賢い馬は当たれば死ぬと恐れたのだった。
「ついてこい」
騎馬隊と衝突する寸前、ルシウスの馬がサカニカよりも前に躍り出ると彼女の前に立ち塞がる兵士を一本の剣で薙ぎ倒していった。
“剣と共に走り抜けよ。紫煙の漂う戦場の先まで、”
“向かい合う再臨の後悔に只一人立ち向かうことなかれ”
二人への神託はその理由まで示されていなかった。サカニカとカーニャは何も疑問に思うことなく受け入れたが、スユピナはこれを導きとは認めず未だに疑いを捨てていない。
彼は確実な導きを求めていた。
代えがたい絶望に一筋の光を見出すような、一縷の望みを託すに値する神託を望んでいた。
サカニカとってそれは――
「理不尽め」
ルシウスに切られた兵士が死の間際にそう言い残した。
「構わん!」
盾で身体を守り、剣で隙間を縫うように戦う通常の兵士には片手剣で全てを補うことは出来ない。それは一個人としての強さであり軍団としての強さではないのだ。
混戦模様の戦闘にルシウスとサカニカは敵と味方の間に位置している。指揮官の熱狂に圧されているのか三万と二万の戦いはどちらが先に逃げ出すかの勝負にまで縺れ込んでおり、誰にも予想のつかない状態だった。
スユピナやトリュートが指揮をしようと踏ん張って声を張り上げているのが聞こえるが、兵士たちの耳に届いているか怪しい。総督軍は本土とは異なる訓練を受けていたようで、苦虫を嚙み潰したような表情に二人はなっている。
「このルシウスが相手だ!」
反乱軍兵士一人の頭を胴体から切り離し、隙をみた剣をいなして一筋の傷を負わせた。敵味方問わず兵士が集まってくると馬から飛び降りて彼を中心に人の波が出来る。
二万を率いる将軍であるよりも彼はやはり剣闘士の性格が強かった。
「むっ」
そのルシウスが剣を構え直して立ち向かわなければならない人が現れ、馬に乗ったままルシウスに剣を振り下ろした。剣が火花を散らしたと見間違えてしまうほどの圧がサカニカも感じられ、落ち着いていた馬が怯えた声を漏らす。
「我はベリリウ!汝を討ち取らん!」
互いに片手剣の攻撃であるが兵士のそれとは質が異なった。
剣闘士として戦い抜いて来たルシウスの剣は騎上から繰り出される重たい一撃を物ともせず、横やりをいれる敵兵に意味を持たせていない。
「下馬して戦わんか!」
「おうとも!」
べリリウと名乗った男は馬から飛び降りようとしたとき、戦場にまた別の声が響いた。若く甲高い声だ。
「べリリウ様、逃げます!」
「はぁ?!」
反乱軍の兵士たちが一斉に引き始めた。
「このままだと負ける!はやく!」
会話している隙にルシウスが落ちていた剣を拾って投擲した。だが彼は僅かに背を逸らすだけで回避し、馬を捻って風となる。反乱軍が逃げ出したため、軍団兵が勢いづく。
「クキニウス、後で説明しろ!」
去る彼の背はすでに遠く、規律正しく撤退する反乱軍を軍団兵がバラバラになって追いかけていた。
(強そうだった)
トリュートとスユピナはすでに軍団兵を纏めだしており、ルシウスも呼吸を整えたら同じことを行うだろう。
軍団兵を止めようと走り出そうとしてルシウスにサカニカは二頭の馬を寄せ、声を掛けた。
「ルシウス、馬をどうぞ」
「ありがたい。軍をまとめて荷駄のところへ誘導する。そこで待っていてくれ」
「頑張って」
「サカニカのためとあらば」
ルシウスは剣を収めて駆け出す。濃霧の中ですぐに姿は見えなくなるが、サカニカは大声だけで兵士たちが指示に従う様子が目に浮かぶようで誇らしくも、そこへ寂しさが押し寄せた。
戦えないサカニカでは神託を盾にすることでしかルシウスの隣に立てず、しかし戦場で彼は常に前へ出ようとするのである。
ルシウスの隣は孤高の頂上のごとく険しいのだ。




