第三十四話
神殿を出てからというもの、クラデンス家は巨大であるとサカニカは否が応でも理解させられていた。海運を支配し、属州の経済を牛耳り、総督の軍までも己の物としているのだ。
サカニカは街を一望できる丘の前で馬から降り、カーニャと共に登る。
そしてクラデンス家が管理する街の繁栄を目撃し、サカニカは反乱が起きているのか嘘のように信じられなくなった。
「サカニカ様、街に壁がありません」
カーニャの問いにサカニカも同意した。
帝国の最も栄えている街でさえ壁に覆われて日々拡張を繰り返しているにも関わらず、この眼前にある街は防衛よりも拡張の簡易化を選んだ。あるのは土を掘り返した大きな溝、その土を使った土塁だけだった。
「大型バリスタの量が多いですね。兵器で補っているのでしょう」
巫女二人の疑問に答えたのはスユピナだった。サカニカはカーニャと彼の間に入る。
「この街なら賃金が支払われていてもいいだろう」
「ええ、結束を深める意味だけで済みそうです」
サカニカに神の疑義を解いたにも関わらず、彼の中では二人が神託を得るのは確定しているようだ。
「私の神を疑ったことは忘れない」
「しかし、嘘はつかないのでしょう?神であろうとなかろうと、使えるものは使いましょう。しかし救済へ導いてくださるなら信ずるに値します」
「……救済」
すぐ隣で話を聞いているカーニャも救済の単語を聞いてサカニカを見上げた。スユピナは丘から下って馬の元へ帰る。会話が途絶え、巫女見習いの不安げな表情だけが取り残された。
服の間を生温い風が通り、銀色の髪を揺らす。
「あれと似たのが私だったのかもしれません」
(そんなことない)
「カーニャが?」
「いえ」
暗く否定した。
「ザライ ユノです。あの神は嘘はつきませんでした。私はこうして“神のいる世界”に生まれ変わって、神の巫女見習いです」
自嘲気味に笑ってから普段の表情になった。
「私はもう、あれが救いだとは思いません。あれは私の救済ではなかったんです」
(じゃあ、誰の?)
カーニャはサカニカの無事な手を引いて丘を共に下る。
馬が首を長くして待っておりルシウス達は馬の調子や蹄鉄、鞍などの留め具を確認していた。
「初めて神託を貰ったときのことを覚えていますか?」
「ニホン語は読めなかった」
「あそこには、私がサカニカ様に過去を話しなさいと書いてありました」
「それであんなに戸惑ってたんだね」
「はい。死者が還らなくなるとも」
サカニカはその意味を読み解けなかった。
「“私たち”の神は曖昧です。導くわけでもなくて、救うわけでもなくて、むしろ弄んで……それでも、ずっと見てくれています」
馬が自らサカニカとカーニャに寄って来た。怖がられていたときとは反応が真逆である。
「白い炎があの女を燃やしてくれたから気付いたんです。ずーっと、私を守ってくれてたんだって」
サカニカは眩暈に襲われた。
今までの自分が否定されたということではないものの、考えてきたことや感じてきたものが自分の目線からでしかなかったことを突きつけられたのだ。ある意味で、それは盲目的だと自認する。
「サカニカ様?」
「……なんでもない」
神殿の巫女は神に身を捧げる。それは巨大な国と大勢の民衆を守るためである。
サカニカは馬に跨りながらいくつかの神託を思い出した。
(私の全てを捧げる。火に捧物をくべる)
治ろうとしている炭となった片腕に視線を移す。白い包帯に巻かれて何も見えないが、少しづつ回復しているはずだ。この片手の犠牲で多くの兵士、何よりログサリッタの命が救われた。
されども充分ではなかった。
サカニカが願う“救済”はもはや片腕に留まっていない。
暗い世界、声が広がる。
炎の熱がじわりと体を蝕み、汗でべっとりと服が内側に張り付いた。
「これより神より詔を賜る!」
サカニカは大げさだと感じたがルシウスが必死で原稿を覚えて挑んでいるのを知っており微笑ましい想いの方が強かった。しかしその演説は彼の砦で行った演説よりも兵士に響いていないのは確実だ。
「祈れ!神は救いに」
炎がより熱くなり、ルシウスの演説が中断される。まだ原稿の半分も読み上げていない。
目を開けると炎が大きくなっていた。
爆発的に大きくなる炎にルシウスも恐れを抱いているようだ。砦で一度体験したこととはいえ、普段と異なる挙動をみせる炎なのだ。サカニカは立ち上がり、カーニャと一瞬目を合わせる。
暫く離れて過ごしていたためか、その目はサカニカの知るものより僅かに変わっていた。本質的には同じでも、より深い。
(はじめよう)
包帯を解き、まだ一部が炭化する腕が現れる。
ナイフで容赦なく切り裂き、どす黒い血が噴き出した。
痛みはない。
「帝国のために」
「サカニカ様のために」
小さな声で祈るカーニャもサカニカに見習って腕を切り開くように切った。赤い鮮血が流れ落ち、兵士の嘆きが聞こえる。耳を澄ましてもルシウスやスユピナ、トリュートの声はなく、背で何をしているのか掴めなかった。
(ルシウス、見ててよ)
建物すら覆い尽くす大きさの炎が二つに割れて、一方は白く、一方はより赤く燃え滾る。灼熱により汗すら乾き、服を焦がす。
二人は踊り始めた。
優雅とは誰も思わないだろう。
熾烈だと誰もが感じるだろう。
炎を身に宿しながら舞い、脚や手から骨が露出した。
それでも舞は続けられる。
神の望むるままに。
「これだ!」
知っている叫び声だ。
「これだ!」
トリュートに叫び声だ。
炎の塵が飛散すると夜のために置かれた燈明や木材が燃え始める。火事だと悲鳴を上げる住民もいるが、火は建物に移らなかった。舞が終わりに近づき、サカニカがくるりと回ると度に赤い炎は激しく塵を飛散させ、カーニャが動きを止める度に白い炎は分裂した。
息ができないほど激しい動きにサカニカの視界は暗くなる。ついには足が縺れて姿勢を崩した。
地面に倒れる寸前でルシウスがサカニカを受け止める。
「神は我らを信じている!祝え、これが神託だ!」
トリュートの感極まった枯れた大声に兵士の困惑と、徐々に彼らからも鬨の声が聞こえる。
「面白い顔になってるよ」
受け止められているサカニカはルシウスの表情をみて笑い、不安げだった彼の表情は深刻な懸念でもあるかのように真面目になっていく。
「変なものでも食べたか?」
「そんなことないって」
「……横になって休め、血だらけだ」
ルシウスを安心させる言葉が喉から出掛かったが、彼の真剣さに口を閉じざるを得なかった。フラフラとしながらカーニャも彼のあとに続き、間借りしている建物に入った。
トリュートがサカニカの神を讃える声がここでも響いている。
「傷は塞がってるな。骨は……少し痛むだろうが耐えん、元の位置に戻すぞ」
「ふぅ」
ごりっと振動が体を巡る。
「無茶な舞だ。本当に」
ルシウスはカーニャの骨の位置も直した。
何か言おうとしたところ、スユピナが急いで部屋に入ってくる。
「ルシウス様、場が温まりました。演説をお願いします」
「うむ。すぐ行く」
スユピナは一礼して部屋を出た。
「頑張って」
「あぁ、美しいサカニカのおかげでなんとかなりそうだ」
二人は短い間優しく手を握り、ルシウスは部屋を後にした。
部屋にはサカニカとカーニャだけになり、静かとは言えないが落ち着いた空気だ。
二人は顔を見合わせ、まだ動けるカーニャが横たわる彼女の傍で膝を折る。
「目は大丈夫?」
「はい。慣れました」
カーニャの目が白濁している。
「紙に写します」
「……見えてるの?」
「見えるようになりました」
何故かという問いは無駄だと気付いていた。
炭化していない手でカーニャの頭を撫でて満足げに頷き、彼女が焦げを写しやすいように起き上がる。大きな炎の前にいたのが理由なのか、腕は急速に治り始めていた。
「サカニカ様」
「なに?」
「あとでこの髪飾りをお返しします」
カーニャの髪の毛を止めていた金細工が解かれ、金の装飾が煌びやかに反射する。
「ありがとう」
もう一度、サカニカはカーニャを撫でまわした。




