第三十二話
「戦に疎い巫女が分かるというのに、情けないものだわ」
サカニカが座った途端にトリュートが言った。
「……何も言わない」
「おや、短い間に成長なされて」
いやらしい笑いだ。
「トリュート、後にせよ」
「はっ」
(初めっからしないで欲しい)
空はすでに暗く、今日は青い月が輝いている。
「煮詰まったな。ここで評したい男がいる。そこのもの、名乗れ」
マリウスが顔を向けるのは先ほどまでサカニカがいた場所、ルシウスが今も立っている場所だ。
「ルシウス・マルキネス」
「うむ。かの者は突出したフィレネを救い出した。単騎で行い戦局を変えた武功は帝国軍として見過ごせるものではない。よって、指令閣下はかの者に金貨を与え元老院で誇示すべきである」
まるで原稿をそのまま読み上げたような抑揚のない声であった。先遣隊総司令官のクラデンスは突発的なマリウスの発言に初めて表情を変え、長い思考を要した。
「……良かろう、ルシウス・マルキネス。おぬしは元老院で讃えられる武人となろう」
「ありがたき幸せ」
「この戦においても兵二万を操る指揮者となれ」
「ぜひにやら……今なんと?」
「仔細は儂と詰める。良いなマリウス」
「構わん」
「い、いえマリウス将軍。俺、いや私には荷が重うございます」
「トリュートとスユピナをつける。問題あるまい」
何か裏で取引があったのは間違いないが、サカニカは取り敢えずルシウスの出世に喜んだ。彼の乱れる行動に普通ではあり得ない出世とは理解している。それでも、サカニカは不安になるよりも喜びが勝った。
(おめでとう!)
「待て、二万など……ちっ、クラデンス。やはり私物化していたか」
フィレネが舌打ちをしながら睨む。
「壁に首が掛けられた総督に軍を任せられるとは思わんな」
二万とは総督が指揮できる軍団兵の数であった。
「フィレネ、焦って軍を動かさぬ判断は妥協点、クラデンスにしてはようやった」
ホロラムがクラデンスを一応擁護した形だった。
奇襲されたときに焦っていたと反省していたフィレネにとって、ホロラムの言葉は無視できないものだ。
「その二万で初期の反乱を治められただろう」
「大砲を量産する奴らにか?」
帝国にはホロラム家が作成した大砲しかない。その威力はこの場にいる全員が何らかの形で体験しており、クラデンスの反論はフィレネの口を閉ざすのに充分であった。
「……溶鉱炉の街を建設許可を出したのは言うまでもない。クラデンス、お前だ」
「総督以外におらんな」
「属州が独自の経済を持つ判断をしたというのか!」
「唆されたのであろう。儂は知らん」
取りつく島がないようで激高していたフィレネは椅子に荒々しく座った。痛むところがあったようで顔が歪んでいる。
「ふむ。反乱軍が今は四万であるなら、こちらは五万。どうかな巫女サカニカ、有利であろう?」
(急にくるのもやめて)
「分からない。敵にもレイ……ログサリッタのような天才がいるのなら、私たちは罠に嵌まっているのかもしれない」
ホロラムとマリウスが孫をみるよな表情になった。
「罠を張るとしたら、どうだ」
「地図をみよ」
「……本当に溶鉱炉の街に敵は来る?」
港にまた砲弾の雨が降る考えがよぎり、サカニカは身震いに襲われた。
「我々が今、敵より優れている点はまだ本軍ではないということだ。すでにこちらへ向かっているが、どこへ、いつ着くかは完全に皇帝陛下の勅命次第」
「港へ再度急襲があったとして、溶鉱炉の街を破壊し大砲の量産を防ぐ目的は達する。我らはクラデンス家から支援を受け取り飢えぬ」
「待ってくれ。なら、どっちでもいいのか?」
「まさしく」
ルシウスに視線を送ると彼は首を振り、フィレネは頷く。
「巫女よ、これが先制する利点だ」
マリウスのこの一言で軍議から反対者は消えた。サカニカは意見を取り纏める触媒のように使われてしまったが、これから何が起こるのか理解できた。
篝火が消されてゆき残り一本となった陣幕は暗かった。そこに残っているのはルシウスとサカニカ、そして彼を支えることになったトリュートとスユピナである。
「良いものだわ。巫女」
「皮肉か?」
「ははっ、まさか」
彼は駒の揃えて机に並べながら言った。地図はクラデンスが持ち返っており、大きな机はただ寂しいばかりだ。
「巫女をしているのが残念です。知識さえあれば巫女様はもっと高みを目指せるでしょうに」
「訳が分からない。ルシウス?」
「初めて軍議に参加して、あの回答ならアカデミーでもいい評価を取れる」
「最高評価にはまだまだですが」
ルシウス以外の二人はどうやら巫女がアカデミーで教育義務を受けていないことをしっているようで、初めてならばという枕詞が前提だった。
「……アカデミーか」
「いいところですよ。学友や先生の友はあそこでしか得られない宝物です」
椅子のクッションを集めているスユピナは一旦手を止め、苦笑する。
「わたくしは問題のユーリリアと同学年でしたね」
「どうだった」
トリュートは興味を示した。
「天才ではありませんでしたが、どこか大人びていましたね。悪い意味で……大人です」
「妃といっても人は人、まぁ羨ましか」
「あなたはどうなんです。トリュートさん」
「大した事なしだわ。軍適性があって、クラデンス様の派閥に入って、今ここよの」
サカニカは消した篝火が再び火がつかないように処理をしながら聞いていた。
「マルキネス様はどのような?」
「うん?俺は落伍者だ。学友は一人だけいてな、帝都で官吏をしている」
「剣闘士」
サカニカはどうしても聞きかったため、一言でルシウスを誘う。
「……帝国領に編入したばかりの土地でアカデミーを出ん人間は生計を立てずらくてな。奴隷になれず軍にも馴染めん人間は剣闘士になる」
ルシウスの家は貧しく、彼は苦労が絶えなかったらしい。
「負けたら観衆の機嫌次第で死ぬ。確実に生きるために剣闘士は勝ち続けるしかないんだ。勝ち続けたら将軍、マリウス将軍ではない人に見定められてな。もう一回軍に逆戻りだ」
「珍しい話でもないわ」
「それが何歳でしょう」
「一六歳、二年経って今は十八歳だ」
トリュートとスユピナは驚いた。一度聞いたサカニカは誇らしげになっている。
「あんた名誉百人隊長の方か……これからはマルキネス様とお呼びしよう」
「気恥ずかしい。二人ともルシウスとだけ読んでくれ。家名で呼ばれるのは慣れとらん」
「ではルシウス様と」
トリュートとスユピナはルシウスに礼節を示した。隊長は顔を赤くしているが満更でもない様子で、サカニカをチラりとみると微笑んだ。
「話は変わりますが二万の軍勢をどのように動かすか、クラデンス様の策をお聞きしたく存じ上げます」
「あぁそれなんだが、向こうについてから話そう。スユピナの引っ越した家もあると聞いた」
スユピナはすぐに返事をせず、何かを考えているようだ。
「ええあります。平時であればご案内できたのですが」
「クラデンス様の信頼深いスユピナ家、少し楽しみだったわ」
「残念でなりません」
二人は片付けを再開する。
サカニカはまだ灯っている最後の一つを残して篝火の処理が終わっていた。ルシウスはクッションの無くなった椅子を小さく分解しており、サカニカはそこへ近づく。
「大事な役割だね」
「俺には大きすぎる」
「まだ役不足、でしょ?」
雲間から月の蒼い光が零れ落ちる。
「隣にいるから楽しみにしておくね」
「……必ずや」
サカニカは最後の篝火を消すため灰にした。




