第二十九話
粉塵が収まりきらぬ中、落ち着いた兵士たちによって被害の計上が行われている。
各々が松明を持っての確認であるため、実際の損害を確かめるのは朝日が昇ってからになるだろう。しかし、救える兵士がいるならば屍の中から見つけ出さねばならない。
「レイは、ログサリッタは見なかったか」
サカニカは烏を置き去って息のある人間を探している兵士たちに何度も問うた。だが皆一様に首を横に振るばかりでログサリッタの居場所を知る人間はいなかった。
「それより巫女様、腕は大丈夫でしょうか」
兵士の心配など耳に入らなかった。
「……間に合ってて」
フィレネの手勢が戦っていた地点に移動するにつれて徐々に死体が増えていく。兵士の捜索も大多数がここで行われていて、反乱軍の生きている者も拾い上げられている。
しかし服をはだけさせて何も気にしていない学者は混じっていなかった。
「その腕はどうした、巫女」
声の主はフィレネであった。
サカニカが振り返ると彼は剣の柄を持って立っているのもやっとな姿で、彼女の心配をするよりも己の心配をすべきだと近しいあの軍人が言う。
「あの炎、人間業ではない。燃えるものを選ぶ炎など」
肩の傷や胸の傷、血の量は死んでいる人間を凌駕しているのは返り血によるものだ。本人が立っていられるのも見た目ほどの傷ではないのかもしれない。
「そんなことよりレイはみなかったか」
「……すぐ後ろにいたはずだが」
フィレネの視線の方向が最後に戦っていた場所、レイが埋もれているとしたそこであった。
「神の御業も命あってこそか」
達観したフィレネの言葉を頭から追い出した。
「危なくなったら逃げろと言ったのはあなたでしょ!」
「気付いたときには囲まれていた。敵は闇夜でも目が効く薬でも」
少しの間を置いてフィレネは血で濡れた地面に崩れる。サカニカを見上げ、そして目を逸らした。
「焦りすぎた。夜に進軍してきたのだから暗闇の対策をしているのは当然だ。大砲の弱点を使った死地を作っている事も考慮すべきだった」
彼は剣を手放なす。
カラカラと乾いた音が響いた。
「すまなかった」
「……レイを最後にみたのはどこ」
「ここからニ十歩進んだところだ。巫女の足なら三十で足りる」
それを聞いたサカニカは重苦し足取りで一歩一歩と大地を踏み歩いた。積み重なる死体を踏み越え、ニ十歩のあたりで兵士から松明を受け取った。フィレネの差配だろう。
そこは特に激戦だったようで足が滑るほど濡れていた。生ぬるい血は油と混じって足裏にへばりつき、醜悪な匂いも放っている。
周りの死体にログサリッタはおらず、最後に残った小高い山に手を入れようとしたが炭化した腕が動かないのを忘れていた。その腕を一瞥し、松明を落とした。
「レイ……」
鎧を着こんだ兵士を退かすのは巫女の細い腕だと不可能だった。しかしもう一本の腕が死体を持ち上げた。
「サカニカ、この下に何がある」
返り血に染まったルシウスであった。体力も尽き果てて息を荒くしているが、サカニカの障害を取り除くことに最後の力を振るっている。
「……言いたくない。あって欲しくない」
ルシウスはその一言で理解している。
「俺がもっと早ければ」
「来てくれただけ奇蹟だよ」
「コルが騒がしくてな。飛び出した」
死体が一つ一つ除かれていくと、下から男というには小さな手が現れた。
二人は息を飲み、サカニカの視界が揺れる。
呼吸を整え、ルシウスの蒼い足に無事な手を置いた。
「ルシウス、お願い」
「……出すぞ」
彼は二つの死体を持ち上げ、三つ目の死体を持ち上げた時に女性が現れた。服装を何も考えず、酒のためであれば出来る限りの事はやる女性だ。
学者や便利屋と呼ばれたログサリッタは血の海に沈んでいた。
*
空は青く、雲は白い。陽に負けて夜ほど光らない星雲の輝きを眺めていた。神殿の外に出てから変わらない光景が空にはあり、様変わりしたサカニカがため息を吐く。
「ガァ」
空の視界に入ってきて鳴いたコルはサカニカの頭を嘴で突く。それ以外の意思疎通を一人と一匹はまだ開発できていない。包帯を巻いた腕の傷を気にしているのだろう。
「これはあとで交換する」
「ガァ、ガァ」
「もうちょっとゆっくりしたい」
神殿で休みのときは燈明のある暗い部屋で寝ていたため、明るい空の下で休むのは新鮮だった。
「自由であるな、巫女とは。その腕では仕方なかろうが」
「誰……待って、覚えてる気がする」
「ガァ」
「おお烏、懐きもせぬのによくぞ。どうした、主人が心配か?」
サカニカは声の方向に首を曲げてようやく名前を思い出した。白い髭はあるが最も気を引くのは戦場に似つかわしくない豪華な服装だ。
「クラデンス」
「巫女に名を覚えられておるとは光栄よ。のう、烏。あの皇帝がご執心の巫女様ぞ」
「どうして私なんかに会いに来た」
政治家として忙しい身分であるのはサカニカでも知っている。戦地に直接上陸する何かがあるのだから、暇などではないと。
「巫女と繋がりを得ておくべきだと儂の勘が告げておる。おぬしはホロラム、フィレネ、そしてハンバ・クラデンスと知己となるのだ」
「今は静かにしてくれ」
フィレネと会ったことをなぜか知っていることにサカニカは気付いた。もう一度クラデンスと目を合わせると、男は見透かしたように微笑んだ。
「若いな。フィレネよりも頭が足りん。知恵も足りん。身体も足りん」
「貶すならどっかいって」
「だが儂にはないものを持っておる」
サカニカは彼の話術に嵌まっているが、払いのける力はない。
「神を味方につけた人間など、数えるほどしかおらぬ」
指を二本立てた。
「二人?」
「儂が見てきた中で確実なのは二人。もう一人は惜しいな」
「知った口を」
「知っておるから言えるのだ。知らぬことは言わぬ。巫女サカニカ、儂に協力すれば巨万の富を与えてやろう。勿論巫女見習いも同じものを」
協力を取り付ける言葉への回答は否定以外の言葉は思い浮かばなかった。
「富は嫌いか?なら安全を、平和を、儂ならすべて齎せる」
「安全か」
ログサリッタとカーニャのことが思い浮かんだ。サカニカは重たい体を起こして烏を肩に乗せる。少し離れた場所に付き人がいた。
安全と平和、感触が変わったことを男は見逃さず男は立て続けに交渉を投げかけた。
「欲すならば与えてやろう。神殿のような平穏な土地を」
「私の何が目的だ」
「皇帝を良き人形へ。巫女の血があれば成る」
サカニカの考えが及ばない遠くの景色をクラデンスは眺めていた。帝国で誰も叶わないほどの金を手にしていても、皇帝さえ抗えない権威を羽織っていながらクラデンスの見る世界はまだ遠いようだ。
(すごい人)
「ホロラムも似たようなことを言っていた。現皇帝陛下の何が駄目なのだ」
「あの方は住む世界が異なる。クディオール帝と同類、それ以上の」
「……改革者と?」
マリウスが自らを改革派と口にしていた。男は思考を伴ったうえでサカニカの目線まで腰を下げる。
「腹黒女と同じ匂いだ」
「前にも使っていたな」
「面白かろう?」
クラデンスは物静かに立ち上がる。これで話は終わりだと背中で示し、離れた場所にいる付き人の場所まで戻っていく。協力の返答はサカニカからクラデンスへと頭を下げなくてはならないだろう。男はそれを望んでいる。
途中、クラデンスはサカニカへ最後の声を掛けた。
「素質がある。まだ芽も見えぬ才が」
今度こそクラデンスは付き人と共に復旧を急ぐ港へ戻っていった。
「……だってさ。コル」
「ガァ」
「起きてた?」
彼女はすぐ隣で物静かにしている人に優しく声を掛ける。
「レイ」
「……ん?」




