第二十八話
クルツゴ港にいた人々、帝国軍兵士にとってそれはあまりにも唐突だった。彼らはサカニカと違って砲弾を知らず、火薬を知らず、音が何を意味しているのかも分かっていない。
何より、彼らはその音と閃光が奇襲であるということに気付いていなかった。
「ログサリッタ!港の守備は分かるか」
「わかんない。将軍しか、罠は沢山仕掛けたけど砲撃は無理!」
港のあちこちで爆発が起こり、運が悪いところでは火災も発生している。
「相手はもう炸裂弾を作ってるし不味いかも」
兵士たちは右往左往するか、消火しようと試みては炸裂した砲弾の餌食になっていた。彼らの百人隊長も初めての砲撃に戸惑い、妥当な判断が下せず炎上する場所から逃げることしかできていない。
しかしそこへ声高に混沌を治めようとする者がいた。
「戦友諸君!」
ハンバ・クラデンスの声であった。
「敵は光の下にいる!」
爆発音にも負けない太い声だ。
「奇襲なり!武器を取れ!」
奇襲であることと敵の居場所、混乱する兵士たちに理解できる言葉は端的でなければならなかった。砲撃の危険性や敵の狙いも除外して、彼は兵士の目線だけを一致させた。
マニュアル化された軍団はマニュアルにない状況に弱いが、その状況でも訓練の成果は確かにある。百人隊長の号令で部隊は即座に集結し、爆発から逃れて港の外側へ展開し始めた。
「流石だな…………ログサリッタ」
「なに?」
「この場で最も大砲の脅威を知るのは一人だけだ。何が弱点で、何が危険だ」
フィレネは同時に小屋にいた軍人と合流した。背後には千人は超す兵士がいる。
「近づかれたら何もできないけど、大砲の正面に立ったら葡萄弾でみんな死ぬ」
「よし、正面以外、相手もそれを分かって兵を配置しているな」
サカニカからみて反乱軍は閃光以外の明かりはなかった。月が弱いのもあって人がいるのか判断できなかったが、フィレネはいると断言した。
「二人は朗報を待て。いくぞ、お前たち」
「ははっ」
「あたしもいく。罠の場所まだわってないでしょ」
「いざという時は必ず逃げろ。いいな」
「もち」
彼らは敵と同じように松明の一本も持たずに移動する。
港からは閃光に向かって火矢が何本か放たれ、近くに敵はいないと兵士が叫ぶ。未だ砲撃で港は火に包まれているが、兵士たちの混乱は収まりかけている。
「どうしよう……」
残されたサカニカは松明を持って立ち尽くしていた。
巫女は戦いであまりに無力だ。槍は持てず弓を引けず、祈ることが役割と言えども目の前で人の命が潰えていく中で何も祈りは無力だ。
「暗雲は炎で……切り開く」
サカニカは兵士たちの移動する方向とは逆方向、つまり砲弾が降り注ぐ港の内部へ向かう。
バリスタのときと同じように身体の一部が無い死体や、呻く兵士が取り残されていた。何人かはサカニカに向かって手を伸ばしたが、彼女はそれを無視して燃えている小屋の前に立った。
併設されたまだ無事な小屋にも松明を投げ込み、ゆっくりと炎が侵食する。
「ふぅ」
握り締めていた神託を炎の糧にした。
「神様」
鈍い音と共に砲弾が小屋に直撃した。
「どうか私の敵を……」
クレーンに火が移る。
「滅ぼしてください」
炎が揺れた。風ではない。まるで意思を持っているかのように閃光のある方角へ傾いている。
サカニカは指で場所を示した。
「あそこに」
指の先が燃え、炎がじわりじわりと歩む。
呻く兵士を飲み込んだ。
死体をものの数秒で灰にした。
根元が燃えていたクレーンが傾き、港の外輪まで倒れ込む。炎は伝うようにして倒れ伏した残骸を突き進み、火矢を火矢を放つ兵士の脇を高速で通り過ぎた。
草を燃やし、僅かな低木が火に呑まれる。
「あっ」
サカニカの燃えていた指は腕全体に広がり、炭化してしまった。
ほぼ同時に炎の進行が止まり、地を這う炎の絨毯が広がり暗闇を打ち消した。
「……痛くない」
触れば表面が崩れ落ちてしまう腕となり、全く動かせない。
遠方を望めばフィレネの手勢が多数の敵に囲まれていた。フィレネの姿も、ログサリッタの姿も判別できないがそこにいる確信がある。必死に戦っているようだったが、多勢に無勢だった。
敵が見えるようになって港側からも兵士が突撃しているが、膨らんで展開する反乱軍がフィレネの部隊に到達するのを防いでいるようだ。
「レイ!」
自明、届かない叫びだ。
「レイ!」
それでも叫んだ。
変人であろうとも、学識であろうとも、サカニカとって大切以外の修飾は必要ない。
「……レイ」
膝から崩れ落ちる。
燃えていた小屋が塵となってサカニカに降り注いだ。
「だめ」
火が次第に消える。
「……」
フィレネの軍勢は先ほどよりも小さかった。
消えかかる炎と共にフィレネの軍勢は見えなくなっていく。それが目の異常によるものか、涙のためかどちらでも意味は同じだった。
「……?」
一匹の馬とそれに跨る人間がいる。
敵も味方も全く誰も気付いていない角度から、まるで空から全てを見ているかのように真っすぐとフィレネの軍勢に向かっている。
「ルシウス」
遠目ではそれが本人か断ずることは出来ないが、顔は見えずとも貴重な一匹の馬に跨る人間をサカニカは他に知らなかった。
彼一人で何が出来るとも変わるともサカニカすら思いもしなかった。しかし彼の切り込みはバリスタの槍より鋭く、砲弾よりも衝撃を齎す。
かつて剣闘士として無数の強者と戦ってた彼にとって一人であることは細事だったのだろう。槍を投擲し、囲まれても戦い続け、一騎当千の武人に反乱軍の意識はそちらに集中していく。
百人隊長、その名は百人を総べる者に与えられる名称だ。
「お願い」
だが百人を総べる能がなくともこの名は与えられる。
「神様、あの人に力を」
たった一人で百人の兵士を、それ以上の兵士を倒した者に与えられる名誉だ。
それは決して覆すことのできない功績で、誰もが認める剣の証である。
消えかかっていたフィレネの軍勢は勢いを取り戻した。馬を切られて大地に立って戦う一人の人間が炎に包まれた戦局を変えようとしている。
そこへ大爆発が起こった。
サカニカは原因が神の力に起因すると考えた。爆発は火薬によるもので、弱くなっていた炎に火薬が触れたのだ。爆発は瞬く間に連鎖し、粉塵が戦場を覆い尽くす。
爆風の風が頬を撫でる。
再び祈ることしか出来ない時となった。
ただ先ほどと異なり、希望がある。
「いるよね、コル」
「ガァ」
烏か炭化していな方の肩に留まった。
「ありがとう。ルシウスを導いてくれて」
炭化した腕を気にしているようで首をひねっている。
「大丈夫、きっと治るよ。神様の道標に使っただけだから」
「ガガァ」
「誰かを救えるなら軽い代償だね」
烏は鳴かなかった。
雄叫びが聞こえる。
ルシウスのものである。恐らく、剣闘士時代も勝利したときはあのように叫んでいたのだろう。
「勝ったって言ってる」
暗闇を掃った炎は完全に消えてしまっているが。サカニカの心配するところではない。雄叫びが戦場に響き渡り、兵士がそれにつられて叫び始めているからだ。
「なんていうんだっけ」
記憶を巡り、言葉を見つけた。
「勝鬨」
一人から始まった雄叫びは兵士に広まり、それは港を覆う規模となった。奇襲から始まった短い戦いは、帝国の勝利で終わったのである。




