第二十四話
フィレネの船団がクルツゴ港に到着したがそこにホロラムの艦隊の姿はなかった。動員兵力三万、食料は二週間、歩兵のみ。事前計画では指揮官の多くは元老院議員であり叩き上げの軍人は少なく、戦闘の経験は百人隊長を頼る編成だった。
「……カーニャ」
眼帯をつけているサカニカは大砲がついている船を探したが一隻もなく、拳に自然と力が入った。
「まだコルが帰ってきてないし、問題はないはず」
己に言い聞かせ、フィレネを受け入れるために移動を始めたマリウスの背後についていく。
フィレネの艦隊は載せている要員の数からして多かったが、それでもクルツゴ港は受け入れることが出来る広さを誇っている。かつて帝国と覇権を競い合った国家の残骸は皮肉にも宿敵たる帝国によって復活した。
「壮観だな」
「補給線が持てばよいわ」
「フィレネの軍勢は頼りになるのか?」
幕僚は思い思いの言葉を発した。フィレネに対する不安や期待、帝国軍全体に対する思考も混じっている。
「いがみ合っても仕方あるまい。フェルザリンがいないのは意外だが、やるときはやる男だ。信じろ」
「ははっ」
「作戦はこちらの案を押し通す。やつらの持っている地図をあざけ笑え」
「よろしいのですか?」
「よろしい」
血を流して手に入れた地図である。死んでいった兵士のためにも有効に使わねばならなかったが、まずは苦労していないフィレネと元老院議員を揶揄うのが先だ。
しかしながら、巨大なクレーンに見下ろされながら入港してくる先鋒の船から降りてきた人はマリウスを除く面々から言葉を奪った。
戦場とは思えない豪華な服、装飾、侍らせている人間の数、まるで本土と変わりない様相である。幕僚はあり得ないと言わんばかりの表情でその人物を見つめるしかない。
「ハンバ・クラデンス。図太さは相変わらずか、よく来れたものよ」
「儂が老い耄れだとても思ったか、バニメス。よもやエラアンラプタでクラデンス家無しにことを進めると?」
「反乱も抑えられん家に価値などない」
「我らは《《適切》》に治めていた。あの黒い腹のユーリリアがいなければ反乱など起きぬわ。どこに武器が、どこに食料が、全てクラデンス家が管理していたというのに抜け穴を作りよって」
マリウスが鼻で笑った。
「なにをクラデンス家無しにと言った。女一人見逃す笑い種の名家め、大人しく元老院で争っているが良い」
「もう終わった。儂が四万の指揮を執る」
「……なに?」
「エラアンラプタを知るはクラデンス家、倅がまだ未熟ならば儂が立つしかあるまいな」
「サカニカ(属州)で腰抜けになった貴様が?!」
巫女は人名としてではないと知覚していたが身体が僅かに撥ねた。
「愚か者め、失敗すら忘れるか」
「忘れてなどおらぬ。儂はバニメス・マリウスを認め、副指揮と定したり!」
海の向こうの決定にマリウスは唇を噛んだ。元老院の決定は現場を知らずとも必ずとされ、それに背くときは相応の覚悟もしくは切迫した現実が必要である。
このハンバ・クラデンスという男は先遣隊をマリウスに任せ、丸投げとでもいうべき状態にしてなお功績を男のものにしようとしているのである。サカニカは幕僚たちの小言からようやく理解した。
「……良かろう」
冷静さを取り戻してからマリウスはクラデンスに計画が書かれた紙を手渡した。
「これはうけい――」
「――受け入れろ、クラデンス。反乱軍は皇帝が考えるよりも強大だ。下手に敗北すると他の属州で反乱が誘発する」
「根回しか」
今度はクラデンスが眉を顰めた。
「反乱軍には海軍がいた。となれば……」
「総ての属州がこの戦をみている」
「前線で敵の数は増える一方だ。ようやくユーリリアは部族と共闘を取り付けたに違いない」
「……あとで精査する。スユピナ!スユピナ!マリウスと行動せよ!」
続々と兵士や士官が船から降りてきている中にスユピナという青年はいた。
「新しい目付か?」
マリウスの言葉にクラデンスは鋭く将軍を睨んだ。
「能力を信頼しているからこそ」
「ふん、抜かせ」
青年はリャクサほどの年齢であろうと思われ、脂の乗った年齢と一目見てわかるクラデンスよりもかなり若い。倅ではないが優秀な人なのだろうとサカニカは見込んだ。
何より、彼は面が良かった。
(リシスか、それ以上?)
「ポルボリム・スユピナと申します。マリウス将軍、お世話になります」
「うむ。せめてクラデンスのところよりは気苦労を少なくしてやろう」
にこりと微笑む姿は誰であっても許してしまうような朗らかさがあり、若いゆえに成長の芽を感じさせている。
スユピナは自分の武器を理解し、使いこなしていた。
「感謝に堪えません」
微笑みをある程度崩してからサカニカの隣に立つ。
クラデンスとマリウスも大事な内容は話し終えたようで双方の幕僚同士の内実に富んだ会話が始まった。細かな地名や何かの単語が飛び交っているがサカニカの右耳から左耳に抜けていった。
「あなたが神殿の巫女ですか?」
「そうだ。私がサカニカ・ネカグリロ、巫女をしている」
「お会いできて光栄です。わたくしのことは是非スユピナとお呼びいただければ幸いです」
暇な時間だ。
「巫女とでもサカニカとでも、自由にしてくれたらいい」
「では巫女様とお呼びさせていただきます」
スユピナはリャクサやルシウスよりも遙かに丁寧だった。前者は曲がりなにも元老院議員であり、後者は剣闘士や兵士として生きてきた人間である。比べるには境遇が異なりすぎた。
「少々不勉強でして、ネカグリロの信仰は今ある宗教と隔絶していると思うのですが……巫女様はネカグリロにいかなるお考えお持ちですか?」
サカニカは怪訝に思ったが彼の笑顔に一旦答えることに決めた。
「気に障りましたらお許しを」
「いいや、気にしていない。私の神にどんな考えを、だな……そんなものがあって何になる。巫女はただ、帝国のために身を捧げるのだから」
(帝国が無いとみんなの道がなくなるから)
「信じる神が何をお考えになっているのか、思いめぐらせたことはございませんか」
沈黙。
周囲の音が途切れた。
「あるとも、あるに決まってる」
「無駄でしたか」
声に落胆が混じっていた。
「諦めた。だが」
(嘘はつかない)
「神は嘘をつかない」
「……巫女様はどのような神託をお受け取りに?」
「私の総てを捧げよ」
(これ以上は言えないかな。リャクサと違って縁もないし、冠のことは特に)
サカニカは口を滑らせないためにもその場を離れようとしたが、スユピナは彼女を引き留めた。
「帝国の守護神であるならばこの属州反乱、なぜ事前に神託を我々人間にお伝えしなかったのでしょうか」
「神の御意思だ」
「事前に神託があれば帝国は多くの血を流さずに済みました。これではまるで、人を“弄ぶ”ようではありませんか」
思わず顔を顰めてしまった。
(この人は、絶対普通の人じゃない)
「帝国は属州の反乱以後、困難に向かうでしょう。ネカグリロは落陽する帝国を救えるのでしょうか」
「……何がいいたい」
スユピナは朗らかな笑顔である。
しかし、サカニカはそれを笑顔として感じ取れなかった。
「巫女様が身を捧げる神は本当に」
それでも紛れもない笑みだ。
「神であらせられるのでしょうか」
まるで遠くに轟雷が落ちたようなような音が耳に響く。
先程まで話していた幕僚たちが慌てふためき、船へ向かって行くのが視界の端に映った。
烏がサカニカの肩に留まる。
「嘘をついたのなら、神ではない」
「嘘をついたら……巫女様はそのようにお考えなのですね」
「あぁ、それ以外にない」
「わたくしの考えは神に最も近い巫女様とも異なるようです」
スユピナから笑顔が消えた。
「神は“我々”を救いへ《《導いて》》くださる」
まだ海原へ進み出ていないマリウスへ彼は歩む。
轟雷が鳴り響き、二つの新しい船団が遠くに見えた。




