第二十三話
サカニカはログサリッタから手鏡を受け取って片目の異常を確認した。
一方の目は何も変わっていないが、もう一方の目は白目から瞳孔まで全てが赤橙に染まっている。染まっている側の目は多少の視界が残っていたが、暗がりの中にあり正常な視野ではない。
「歩くのに邪魔なら眼帯つけるしかないかなぁ」
「大丈夫、大丈夫だ。すぐに慣れる……多分」
サカニカは試しに十歩歩いてみせた。
「どうだ」
「……ズレてる」
振り返って足跡を確認すると初めの一歩と最後の十歩目の中心が横に逸れてしまっている。十歩ですらまっすぐ歩けないことに気落ちするほかなかった。
「眼帯は材料があったら作っとくね。あとで採寸」
学者と称されるよりも便利屋といわれる割合が大きい理由が分かった。
「レイの手を煩わせたくない」
「こういうのはねぇ、素直に受け取るものだよ?つけるかつけないかは自由」
逡巡して頷く。
「暫く踊るのはやめておいた方がいいかも。原因はわかんないけど、神がいる世界だし」
「神託を頼まれたら踊るが、それ以外なら」
巫女が戦いの舞台に来ているのは神託をもたらす以外の理由は無かった。勝利のために祈り、勝利の影となる。
「無理しちゃやだよ」
「分かってる。心配させてすまない、レイ」
「じゃあここの縄を持ってて、捩じるから」
流れるままにサカニカもバリスタの修理を手伝わされた。
縄を強く固定して捩じり込み、焼け跡からまだ使えそうな木材を貰って加工する。サカニカは手で押さえておくだけでログサリッタも重労働はせず指示をするだけだが、彼女の指示に従って作業をすると瞬く間にバリスタの修理が終わった。
そして戦利品として縄を手に入れた兵士を捕まえるともう一台のバリスタ作成に使い始めた。
「俺の戦利品……」
「まぁまぁ」
「あんたが言うな」
「多ければ多いほどいいよ。マリウス将軍にも頼まれてるから」
書き表せない恨み節を口にした兵士は日が暮れるまでその兵士はバリスタ作成に付き合わされ、疲労困憊のまま宿営に戻っていった。
サカニカとログサリッタも与えられた陣幕に戻ろうとしたところ、修理されたバリスタに食いつくように見ている人がいた。あまりにも気配がなかったため誰も気付いていなかったのだ。
「バリスタに興味あるー?」
「あるね。かなり」
「帝国資料館で保存されてたねぇ。あれ……その声」
「五日ぶりかな、いや四日ぶりだっけな。ログサリッタ嬢はお変わりないようで」
リャクサであった。
「あーっと。これそっちの兵士さんが頑張って作ってくれてね。パン屋の倅って子が意外と器用でそれで……ごめん気付かなかった」
「集中している証さ」
数日ぶりに会うリャクサは髭などの変化によって声以外はサカニカの記憶と合致しなかった。顔を洗う暇すらなかったことを伺わせる汚れ、傷だらけの鎧、剣戟の跡が生々しい服。乾いた赤色は返り血なのか彼の血なのか分からかった。
サカニカにはリャクサが元老院議員ではなく、一兵士として映っていた。
「このあと軍議に行かないといけないんだけど、クレーンはいつ完成しそうかな」
「うぅん。木材を加工して、あとは組み立てる段階だと思ってた」
「てた?」
「兵士全部連れてったら計算がズレちゃう」
「三百人ぐらいは残してきたんだ」
「千人で一斉に加工する目算できたから、工期はだいぶ遅れそう」
ログサリッタの言葉にリャクサは僅かに額へ皺が寄った。
「あぁ、まぁ間に合うよね」
「フィレネ執政官が来るまで?」
サカニカは円形集会場で皇帝の傍にいた細身の男を思い浮かべた。
(あと半年で任期が終わる人だったっけ)
「そう。一ヶ月以内にどこかに上陸する手筈になってる」
属州の大地には多くの街や村があり、港も存在する。ホロラムが率いる一万の軍勢は無理承知でどこへでも展開可能であったが、三万の軍勢となると場所が限られる。
「皇帝に説得されてクルツゴ港にくるだろうから、早めに完成させておきたい」
三万の兵士と物資を僅かな大型船と小舟で全て運びきる覚悟と隙を晒すならば小さな港でも問題なかったが、大型船が直接乗り降りできる速度と安全には敵わない。
「ホロラムおじいちゃんも帰ってくるよね」
「クラデンス家から港の場所と数は決まってるから、まだそれを破壊して回ってると思うよ。反乱軍の船を使えないようにしたいんだってさ」
カーニャと烏のコルも共に行動している。
「それで……目が赤いのは、聞かない方がいいかい」
リャクサはログサリッタに礼儀を通してからサカニカに話しかけた。
やはり目の色が気になるようで、恐る恐る触れづらいものに触れるような声色である。
「気になるか?」
「とてもとても」
サカニカは予測と現実を混在して話し、ログサリッタに適宜修正されつつリャクサに理解を与える。サカニカが兵士らの前で踊り、火が飛び出して街を襲い、記憶を失ったこと。
「予想に過ぎないけど、代償か?」
「そういう見方もあるよね」
ログサリッタは彼の考えを否定しなかった。もしくは否定できなかった。
「代償」
サカニカの自問に三人は沈黙した。
陽の光が丘と大地の向こうに消えようとしている。
「神託の通りにしなければ……代償を払う。だから」
「サカニカ、神託は得ていない」
「でも!」
「街は君にとって一番大事なものでもない」
(なら、私はやっぱり)
落ち着きを失いかけているサカニカのためにリャクサは咄嗟に言葉を繋いだ。
「それで……マリウス将軍と話したかな?」
以前、彼女が将軍と話す機会を設けたいと言ったことを思い出したようだった。サカニカも乱れた呼吸を取りなおして大きめに息を吸う。
「ああ」
「……そう。安心した」
「リャクサも無理はしないで欲しい。その鎧の傷、他の街にいったときのものだろう」
生々しい剣筋の跡を彼は指でなぞる。
「そうさ。街は簡単に降伏してくれたんだけどね」
気不味そうに話し始めたリャクサの戦は命懸けであった。
抵抗なく街を占領した帝国軍は物資を徴用し帰還を決定し、防衛拠点として活用できないように門や壁を破壊していた。1日足らずで終わったが、そこへ騎馬主体の反乱軍が強襲した。
「サカニカが見た重装騎兵だったね。少数でも槍が通じにくいのに破壊力が凄まじかった」
「逃げれたのは分かるんだが、騎兵から?」
「アレッシアの機転のおかげで損害は軽微に出来た。代わりに自分は死にかけたけど」
「軽微で、死にかけと」
矛盾していると感じたサカニカはログサリッタを一瞥し、彼女は首を横に振って応じた。
「共周りと自分だけ軍と外れて逃げたんだ。アレッシアが軍の殿で牙を食い止めて追撃が無理と悟らせてから、自分を襲わせる」
「……は」
囮であった。
「アレッシアが言ったんだ。必死で抵抗するより簡単に背中を刺せる方が良い餌ですわって。明らか士官の見た目をしてるしね」
「た、確かにアレッシアは義理娘だな?」
「間違いなく」
「父を囮にするのか?」
「途中でエルナが助けに来てくれなかったら確実に死んでた」
「エルナ……」
ナーラムント家の屋敷で会った記憶はあるが、戦いに出るような人であると思えていなかった。
「妻だ」
結婚式と言っていいか分からない儀式を行ったサカニカであるが、華奢な体つきからどうやれば重装騎兵の追撃から守り切れるのか。全く、理解の範疇を超えていた。
「……ナーラムントは化け物か」
「正確にはエルナの一族が化け物だね」
肩をすくめて言った。




